わくわくしない
1970年の大阪万博の時は開幕して数日後に行った。待ち遠しかったし、わくわくした。万博の情報がそこら中にあふれていて、わくわくさせられた。2005年の愛知万博の時は会場がいくつかにわかれていたが、地元で日帰りで行けるから、何度も見に行った。母も子供たちも、私より何度も見に行った。どんなものがどこへ行けば見られるか、ちゃんと情報もあったから、計画的に行くことができた。
今回の大阪万博についてはなにも情報が無いから、わくわくできない。楽しみが何なのかわからないものにわくわくできるわけが無い。情報が無いのはこちらが情報を求めないからであろう。しかしこういうものは求めなくてもひとりでに伝わってくるもので、もともとこういうイベントが嫌いではない私にすらまったく伝わってこないのは、伝えようという気がないのだろうかと思ってしまう。
チケットがなかなか売れていないらしいが、売る気のないものが売れるはずが無い。主催者は一体やる気があるのだろうか。大阪が勝手にやることで政府は関係ない、という姿勢に見える。そして大阪は素人の集団のように何をどうしたらいいかわかっていないように見える。
そもそも今回の大阪万博は、そのあとのIRという、公営カジノ場建設のための布石でしかないのだという悪口も囁かれている。目的がそれなら万博の成果などどうでもいいのだろうか。損してもすぐ元は取れるという皮算用か。それなら広報になど力を入れるつもりもなくなるのだろう。参加する国々に失礼ではないか。
それとも始まったら次第に盛り上がる、といういつものパターンが期待されているのだろうか。それはそれなりの努力が次第に実るから起きることではないのか。そういう意気の上がらないイベントは、しばしばとんでもない犯罪のベースになってしまうことがある。気の緩み、やる気のなさはそういうものへつながるものだ。杞憂に終わればいいのだが。
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