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2025年5月

2025年5月31日 (土)

『違和感の正体』

 昨年読んだ、先崎彰容『違和感の正体』(新潮新書)を再読した。先日、彼の『批評回帰宣言』という本を読んで、もう一度彼の原点を読み直そうと思ったのだ。彼は東日本大震災の時に、福島第一原発の約40キロ圏内というところに住んでいて、すべてを失ったまま埼玉県に避難生活を余儀なくされた。そこでさまざまな苦難の中で、世の中の仕組みのゆがみを実体験し、思索を重ね、体験を昇華することに努めた。その時の、日本の国の世相についての『違和感』について、表層ではなくその深層を考察したのがこの『違和感の正体』という本である。

 

まず政治行動とやらをしている知識人と称する人を見て、さらにそれに唱和する人びとを見て、以下のような感想を述べる。

 

 現在の日本社会では、バラバラな主権者がそれぞれの嗜好に応じて左右の処方箋--ネット右翼とデモ左翼--を飲み下しつつ急速に「決断」と「行動」へと駆り立てられ、「われわれ」としてつながりあおうとしている。ちいさな「われわれ」が複数乱立し、その小宇宙の中に所属している限り、確乎たる真実・絶対の正義があるように見える。隣の人と頷きあうことで、自らの心の純粋性に疑いを抱かなくて済む。つまり解体した社会状況と、一気に一つの思想に吸収されたいという気分は、二つながら私たちの心に同居している。不安を接着剤にして。左右保守革新の別などなにもない。
 以上のように筆者は時代診察をしつつ、誰も言わない行動としてことばを練る重要性を処方していることは、先に申し述べた通りです。「他者」とは、容易に分かりあえず、つながることがほんとうに難しい存在である。あるいは善悪で世界を理解した気にならずに、善悪の亀裂のあいだにこそ豊かな思索とことばの生まれる場所がある、これが筆者を貫く思想の前提にあるのです。

 

 こうして、デモ論、差別論、教育論、時代閉塞論、近代化論(これが『批評回帰宣言』につながっていく)、平和論、沖縄問題論、震災論が論じられ、表層ではなく、深層についての深い考察が加えられていく。新しいものの見方のヒントが得られる本で、前回読んだときには見えなかったものが少しだけみえた気がする。

 

 引用したいところが他にも二三あるので、別に書くつもりである。

『川の底からこんにちは』

 映画『川の底からこんにちは』は、2010年の日本映画。監督は石井裕也、主演は満島ひかりである。満島ひかりがシナリオを見て、自らを売り込んだという。そして私は満島ひかりが出ているからこの映画を見た。

 

 人は強弱に関わらず自己正当化する。自己正当化していることに少しは気づいているけれど、気づいていないことの方が多い。全部を認識していたら恥ずかしくて生きていられないくらいだろう。中流の下、と自らを見切って生きている主人公(満島ひかり)は、ふるさとを飛び出して上京して五年、仕事を転々とすること五回、付き合った男も五人目で、今の男は妻に捨てられた子連れ(幼稚園児の女の子)である。その男というのが自己正当化で出来ているといってもいいような男で、誰でも虫唾が走るような男だが、あまりに極端にカリカチュアライズ(戯画化)されていて、腹が立つより呆れてしまう。しかし呆れているうちに、誰もがこの男とおんなじではないか、などと思わせられたりしてくる。

 

 そんなとき、父が重い肝臓病で入院したと叔父から連絡がある。五年間、出奔したときの事情もあって、ほとんど連絡も取っていなかったので帰省をためらうが、父の病は深刻であり、父の経営しているシジミ会社を娘である彼女が引きうけないといけないという。子連れの男は仕事に嫌気が差して(自己正当化が通用しなくなったのだろう)仕事を辞めていたところで、何を夢見たのか知らないが一緒に行くという。彼女も仕事を辞めて三人で彼女のふるさとへ帰ることになる。

 

 そのふるさとでの彼女の評判は恐ろしいほど悪い。そんな中で、とりあえず「ごめんなさい」、「すみません」でやり過ごして生きてきた彼女のスイッチがいつ入るのか、いつ変身するのかが見ているこちらの大きな期待なのである。それがいつまで経っても入らない。そして入ったような入らないような状態で、八方塞がりになり、男には浮気をされ、父の病はますます重くなり、シジミ会社の経営は絶望的になり・・・。

 

 かなりえげつない猥褻な会話のやりとりがあるが、決してコメディではない。自らを中の下であると自覚する女が、自らにスイッチを入れるまでの案外にシリアスなドラマであった。自覚している、ということがスイッチを入れる必須条件なのである。自覚していなければスイッチも入れられない。

自由と平等

 自由と平等は相容れない。制約のない自由は差別を生む。平等を推し進めれば自由は制約を受ける。当たり前のことであるが、人はそれを忘れがちで、その相容れないものを何とか折り合いをつけることを標榜しているのがアメリカという国だった。ごく大雑把に言えば、自由を主体に考えるのが共和党であり、当然小さな政府を良とする。平等を主体にするのが民主党で、当然リベラル色が強くなり、政府は大きくなり、コストがかかる。

 

 そのアメリカがもう平等など軽視していいのだ、と思う国になりつつある。もう負担はしたくない、と考える人が増えて、平等をかかげる人たちは力を失ってしまったようにみえる。アメリカは国のあり方を変えてしまった。それがトランプ政権による一時的なものなのか、当分の間(遠い将来は分からない)の継続的なものなのか。私には、すでにアメリカは引き返せないところに行ってしまったようにみえる。

 

 自由と平等をともに目指すという、困難な隘路を目指すために民主主義というシステムがある。しかし、民主主義には理想だけあって、国家として強い力を持つことが出来ないのではないかと疑われつつある。そして民主主義の根幹である選挙というシステムが鬼っ子を生み出すことは歴史のしめすとおり(ヒットラーは選挙という民主主義の中で誕生した)で、今まさに新たな鬼っ子が自らの国の民主主義の破壊を進めている。トランプも、自分が選挙で選ばれたのだから何でも出来ると考えている。

 

 我が国のお隣には、自由も平等もたわごとだと考える大国がいる。世界は中国の民主化を期待して、さまざまな恩恵、優遇を与えたが、中国はそれを最大限に生かしてたちまちのうちに強国となったが、民主化はしなかった。そういう国には民主主義は歯が立たない。世界に民主主義を敷衍しようとしたアメリカは、唯一日本だけで成功して、その他の国に対しては尽く失敗してきた。なまじ日本での成功体験がアメリカを勘違いさせたともいえる。そもそも日本は民主主義になじむ国であり、国民だっただけなのではないか。

 

 アメリカは変わりつつある。すでに変わってしまったともみえる。そのアメリカが日本を守る、などということを期待することは出来ないのではないか。たぶん米軍基地はどんどん縮小していくだろう。大義の看板を下げたアメリカが、大義のために兵を動かすはずがあろうか。

 

 中国はそれを見ている。すでにこれからのシナリオは完成しているだろう。台湾を併合することは既定路線である。その時に邪魔なものは排除するだろう。尖閣へのサラミ攻勢はその手順のひとつだろう。アメリカが尖閣を守ることなど期待できない。今のままなら、なし崩しに尖閣は中国のものになるだろう。損得でいえば日本と戦うのは、その得るものが、かかる損害と見合わないと判断して、侵攻してきてもせいぜい沖縄止まりかと思う。日本が本気で反撃するなど思っていないし、その想定は間違っていないだろう。恫喝の有効な国を侵略する必要があろうか。

 

 力が、力のみが正義であるとはそういうことで、世界はそのような時代に突入したのだと思っている。そういう時代に、備えも覚悟も現状認識もない今の日本は衰退するしかないだろう。それならそれでしかたのないことだと思う。矜持だけあっても戦う力がないというのは哀しいものだ。

2025年5月30日 (金)

『知性について』

 本日五月三十日に発刊される内田樹『知性について』(光文社)という本を予約手配していたら、一昨日に配送された。昨日から読み始めて気がついたら読了していた。先日来、「知性」についていろいろ考えていたら、たまたまこの本の紹介があって、渡りに船と取り寄せたのだ。

 

 この本を読めば知性とは何かが分かるかも知れないし、分からないかもしれない。この本は大上段に哲学書のように知性について説明している本ではない。私は私なりに内田樹のメッセージを受け止めたつもりだが、説明しようとするとむずかしい。特に頭に残った部分がいくつかあるが、そのひとつが、

 

 読む力とは「ペンディングする能力」のこと、という下りである。「知的肺活量」という魅力的な言葉で説明されている。読んでも意味がよく分からないか、まったく分からない文章を読みつづける能力のことである。もともと内容がなくてただむずかしい語彙を使って書かれている文章などは論外である。そうではなく、わかりやすいことばで書かれていて、大事なことが書かれているらしいと感じながらその意味が分からない文章をいかに読み進められるか、ということで、この数年、私もそういう本を自分なりに頑張って読み進めているので、いっていることに強く共感するのである。

 

 この感覚、分かるかなあ。息が続かなくなったその先に、突然何かが開けて世界が広がり、息がつけたりすることがある。そのよろこびがあるから息を詰めて読みつづけるのであって、「知的肺活量」は訓練で増大させることが出来るのである。そう信じている。

 

 他にもいろいろあるが、とりあえずひとつだけ紹介した。

新生姜

 梅干しやらっきょう、新生姜を酢に漬けたものなどが好きなのだが、歯がすり減って知覚過敏になって以来、それを味わいにくくなっている。定期的な歯医者での歯のメンテナンスを欠かさず、知覚過敏用の歯磨きを使うことで、かろうじて少しだけ味わうことが出来る。

 

 その新生姜が少し前からスーパーに列んでいたのだが、昨年に続いて今年もずいぶん高い。恨めしく横目で眺めるだけであきらめていたら、ようやく値段がそこそこに落ち着いてきたので、購入して酢に漬けた。漬かっていくとほんのりピンクに染まり、数日で美味しく食べられる。ひねた部分の少ない、いい新生姜である。食べるのが楽しみである。

椅子もどき

 ベッドを購入するかどうか思案しているところだが、それは寝床から起き上がるのがつらくなったからで、どうしてつらいかといえば、右肩が痛くて、それをかばうために肘や手首まで負荷がかかっていて、起き上がるときに支え切れていないからである。つまり起き上がれないのは肩が痛いからで、肩や肘、手首になるべく負荷をかけずに痛みが治まればよいのである。寝床から起きるのは一度か二度のことである。

 

 私はこたつをテーブル代わりにして、座り込んで本を読んだりテレビを見たりしている時間が長い。姿勢が悪くなりがちなので、今は書見台をそのテーブルに置いて、なるべく前方を向いて本を読むようにしていたら、多少姿勢は改善してスマホ首には効果があるような気がしている。しかし床に座り込んでいるから立ち上がるのに手をつく。それがつらいのである。トイレ、食事の支度、お茶の支度、思い立ったら一日中立ったり座ったりするから、これは何十回もくりかえす動作である。

 

 その負荷の方が、寝床から起き上がるよりもはるかに大きいと気がついた。だからなるべく椅子に座る時間を増やしていたのだが、やはりこたつテーブルの前が私は居心地がよい。それなら風呂場の椅子のようなものがあれば立ち上がるのに楽になり、だいぶちがうのではないかと思いついた。それを買いに行こうと思ってぼんやりしていたら、ふと釣りの時のことを思い出した。釣り用の椅子があったはずなのだが、どこかにないだろうか。納戸にしている部屋の押し入れなどを開いたら釣りの椅子は見つからなかったが、釣果を入れるクーラーに気がついた。

 

 釣り用のクーラーは座ることも想定されていて頑丈であり、釣り場ではよくそれを椅子にしていた。試しに椅子代わりに置いてみた。希望よりも少し高さが高いけれど、使えないことはない。今までひっそりとしまい込まれていたものが役にたつのだ。立ったり座ったりは格段に楽になる。何しろ手をつく必要がないのである。これで肩や肘や手首が楽になったら、さいわいである。

 

 ベッドは買うなら本格的なものを買う方がよいとコメントもいただいて、そうするつもりになりつつあるが、もう少し先延ばししようかとも思っている。このブログもクーラー椅子に座って書いている。

2025年5月29日 (木)

『考えるよろこび』

 江藤淳の若いときの講演集を編集した、『考えるよろこび』(講談社学芸文庫)という本を読了した。彼がアメリカへの研究留学からかえってまもなくの、1968年から1969年にかけて行った六回の講演がおさめられている。

 

 第一が『考えるよろこび』で、考えるよろこび、知るよろこびというものは、別に他人のためにすることではなく、自分というものの正体を見極め、確かめるためにするものであるということを語っている。今の世の中はそれに反する傾向があるようだ、とも述べている。共感するものが多い。

 

第二が『転換期の指導者像』と題して、勝海舟について語っている。西郷隆盛と江戸城の無血開城を交渉したことについて、その下地づくりに勝海舟がどれほどの腐心をしたかということを詳しく説明している。傑物ふたりが単に腹芸を尽くして成った無血開城ではないのである。勝海舟の視点の広さ、高さを絶賛し、残念ながらその後それに匹敵する人物が日本に登場しないことを嘆いている。

 

 第三が『二つのナショナリズム』で、国家理性と民族感情という二つのナショナリズムを論じている。その間で振れ続けた明治維新から太平洋戦争までの日本の歴史をたたき台に、現代にも通じる普遍性のある歴史観を提示している。

 

 第四は『女と文章』。女性の書く文章の特徴を、実際の女流作家を取り上げながら論じている。源氏物語という、世界に先駆けた名作を生み出した日本の女性のその発生要因は男性が漢文で書くことににとらわれた中での女性の立つ瀬というものが、よい意味で生かされたことなども論じられている。それがはたして現代にもつながっているのだろうか。

 

 第五は『英語と私』。語学習得についての江藤淳の考え方、厳しさを知ることができる。これを子供の時に読んでいれば、もう少し語学をきちんと勉強したかもしれない。後悔先に立たずである。

 

 第六は『大学と近代』。慶應義塾の現状を、福沢諭吉の建学の精神と照らし合わせながら、かなり厳しい批判を行っている。もちろん江藤淳も慶應義塾出身で、『三田文学』に属する。『三田文学』のそもそもの創設者としては、永井荷風がいるが、それにはこの講演では言及していない。大学そのもののあり方、そして学生の心構え双方にかなりお怒りのようである。

 

 読み出したらおもしろいし読みやすいしで、あっという間に読了していた。対談や講演というのはそもそもが語りを元にしているから読みやすいけれど、内容としては読み飛ばすのがもったいないほど豊富で濃い。

名前の読み

 戸籍上の名前の読み方を確認する書類が各家庭に送られてくるらしい。記載されている読みにまちがいがなければそのまま何もしなくていいが、ちがっていたら申告の必要があるそうだ。たしかに読みにくい名前がこのごろ多すぎる。学校の先生もたいへんだろうと思う。

 

 私の身内や友人知人、その子供や孫には、そういう普通の読み方では読めない名前や、キラキラネームの名前は見当たらないのに、テレビなどでは頻繁にそういう名前を目にする。これはもしかしたら私の偏見かもしれないが、事件などの関係者(犯人、そして被害者)や虐待を受けたとされる子供の名前などに、読みにくい、または読めない名前を見る頻度が高い気がする。

 

 名前などただの記号だ、という見方も出来るけれど、一生その人について回るものでもある。名前には他人と自分を識別するという目的があるので、一切社会とかかわらずに生きるのではない限り名前は必要で、しかもそれはわかりやすい方がよいと思う。奇をてらう名前を芸人や芸能人がつけるのは、自らを際立たせるという目的があってのことであろう。それを真似するかのような名前を我が子につけるのは、どういう思いからだろうか。世の風潮に見えるけれど、どうしてか私にはよく分からない。

 

 幕末の志士などにはいくつもの名前を持つ人が多い。変名が必要だったという時代背景もあるのだろう。覚えておかないと違う人かと勘違いしてしまう。むかしの中国でも名前を残すような人はいくつも名前があるから、歴史書を読むときなど、識別するのがなかなかたいへんである。本名というものがとても重くて、自らそのものでもある神聖なものだ、という考えは世界中に普遍的にあるようだ。そこから通称というものが用いられるようになっていったのだろう。

 

 私は言葉にこだわり、漢字にも多少こだわる方なので、読めない字は直ぐ調べて確認しないと気が済まない。変わった名前、読みにくい名前、奇をてらう名前には、だからイライラする。

だれでも

 マスコミなどからマイクを向けられれば、誰でもそのマイクやカメラを通した先、つまり他者のことを意識して、格好をつける。そうすると不思議に決まり文句を言ってしまう。「二度と再び・・・」なんていうのは事件や事故の時に必ず聞かされる。そういうものばかりを採用して放送しているのではないだろうから、意識すると誰もが聞いたことのある言葉をつい語ってしまうのだと思う。ということは何も語っていないのとおなじで、そもそもそういうことを放送しても意味がない。だから素人にマイクを向けたものを見聞きするのは、たいてい時間の無駄で、嫌いだ。

 

 それ以上に嫌なのは、ぞんざいな語り口の人である。語り口には、身内に対して、友人に対して、赤の他人に対してそれぞれちがう言葉遣いをするのが大人というものであって、その使い分けがまったく出来ないのは、使い分けるものだ、ということを知らない人なのだろう。子供ならいざ知らず、いや、子供でもきちんと出来る子はいる。

 

 そんなこと気にならないし気にしたこともない、という人が多いから、普通にそういうインタビューが放送されるのだろう。気にするこちらが普通ではないのだろう。まあいいか。

2025年5月28日 (水)

『比較文化論の試み』

 山本七平『比較文化論の試み』(講談社学術文庫)という本を読んだ。三十年以上前、まだ『山本七平ライブラリー』全十六巻を揃えるだいぶ前で、たしか谷沢永一か誰かが山本七平の本を書評していたのがきっかけで、何冊か彼の本を読んだなかの一冊である。百ページほどの薄い本なので一日で読み終えた。

 

冒頭に、内村鑑三の言葉が引用されている。

 

「道徳の人に認められしもの、これを信用といい、信用の硬化せしもの、これを富という」
「道徳の結果はついに経済にあらわれる・・・」

 

 この言葉を山本七平は「奇妙なこと」としているが、私は奇妙なこととは思わないで、素直になるほどと思う。 内村鑑三の図式は、宗教→道徳→政治→経済であると山本七平は指摘している。そして一般的には、経済→社会→政治→道徳→宗教、と信じられているのではないかというのだが、そうだろうか。

 

 今、トランプ関税で世界は大揺れに揺れているが、経済というのは商売で、商売というのは信用によって成り立つ、というのが素朴な私の社会観である。NHKのドラマ『あきない世傳』を見てもそうではないか。信用が固まって富と変じる、なるほど、というわけである。その経済を信用失墜などお構いなしに、強引に自分に都合のよいようにルールを書き換える、などというのはいつか破綻するだろうと私は思っている。

 

 ところでこの本はそういうことが書かれているわけではない。自分と他人はちがう、日本人と他の国とは違う、ということをセム族(アラブ人やユダヤ人)の思考様式、価値観をたたき台にして、自分の常識が通用しない異質なものがあることを論じている。そんなことは当たり前ではないか、と思うかもしれないが、実は本当にそのことを理解することはとても困難なのである。知っていることと分かるということの違いは、なかなか踏み越えられないものである。西洋人はそれを乗り越えようとしながらいまだに乗り越えられずにいるし、単一民族同一言語で思考する日本人にはさらにそれは困難なことである。私は若いときに森本哲郎の本を読んで、「ちがう」ということに気がつかせてもらった。それは衝撃的な経験だったが、いまだに「気がついた」だけの段階にとどまっている。

 

 山本七平のライブラリーも、まだ読了したのは半分ほどで、時間があれば残りを読みたいが、残念ながらその時間がない。とりあえず『「常識」の非常識』という本だけでも脇に置いて読み進めようと思っている。コラム的な文章なので、読みやすいのだ。

次々に終わる

 楽しく見ていた連続ドラマが次々に終わっていく。昨日は『しあわせは食べて寝て待て』が最終回だった。『アストリッドとラファエル』も今回のシーズンが終わり、『あきない世傳』の第二シーズンも終わってしまった。毎週楽しみにするドラマがあるのは嬉しいものだが、本を読んだり映画を見たりもしなければならないので忙しく、一区切りつくのはある意味でありがたいことでもある。WOWOWのドラマで、録画だけしてあるものが残っているので、それも消化しなければならない。

 

 『アストリッドとラファエル』も『あきない世傳』も最終回に含みが残っているので、次のシーズンがあると思われる。いまは『御宿かわせみ』、『慶次郎縁側日記』の第三シーズンの再放送を見るのが楽しみである。『しあわせは食べて寝て待て』の次に『舟を編む』というドラマが始まるが、これは以前BSで放送したものだったから、今回は見ない。辞書を作成するということのたいへんさがよく分かるドラマで、言葉にいささかこだわる私としては大変おもしろく見た。このドラマで池田イライザという女優が好きになった。ドラマの配役というのはその俳優の好感度に大きく影響するものだとあらためて思う。

ようやく読了

 先崎彰容『批評回帰宣言』(ミネルヴァ書房)をようやく読み終えた。中身が濃いので、咀嚼するのに、つまり胸に届くのに、パワー不足の私の頭では時間がかかったのである。この本からいくつか引用してきたが、最後に、福沢諭吉を論じながら著者が書いていることに共感した部分を少し長くなるが抜き書きしておく。

 

 狼狽と潔癖症という福澤のことばに注目すべきである。狼狽と潔癖症こそ、近代人のすがたをもっとも的確にしめした定義である。自由や平等のための万能薬があると、彼らは信じる。その目から見た現実は、矛盾と不平等に満ちた世界と映るだろう。たしかに矛盾と欠点を許せない義侠心、これは青春の特権だ。だがすべての不平等、あるいはあまりにも微細な矛盾ばかりが目につくのは、神経を病んでいるといっていいのではないか。
 社会全体の矛盾について、つねに不平を鳴らし苛立ちつづける人びとが満ちあふれる。平等を徹底する目的のためにつくった制度に逆にがんじがらめにされてしまう。自由をめぐって狼狽、動揺をくりかえす社会は、結局は精神の自由を得られないのだ。
 むしろ多少の矛盾と不平等を引きうけてもなお生ききってみせる強さこそ、福澤が求めた文明であった。あるいは人間とはそういう豊穣さと猥雑さを湛えた存在だといってもよい。人間の豊穣さとは、個人においては精神の、社会においては秩序の均衡を保ちつづけることである。
 ところが現実の近代は、イデオロギーに殉じる人びとの群れと、一方で、「正義」や「真理」の不在に絶望するニヒリストの時代になっている。信じて疑わない人びとと、何も信じることができない人びとの交錯する劇場。これが近代なのである。こういった人びとに警戒感をしめす以上、福澤を反近代主義者であるといって間違いないのではないか。少なくとも近代に懐疑を抱きつつ伴走していたことは確実である。
(中略)
 だから福澤にとって、近代とは危機であり、近代化=文明化ではない。近代化とは西洋文明化に過ぎない。福澤が強調してやまなかった「文明」は、西洋文明とおなじではないのである。彼が西洋文明を最終目標にしたことなど一度もない。
(小略)
福澤から見て、近代人は苛立ちすぎ、不機嫌にすぎ、イデオロギーを抱きしめ青白くやせ細っている。過去も理想もすべてを懐におさめる豊穣で活発な人間像こそ、福澤のもとめた文明なのであった。

 

 福沢諭吉を論じるから「近代」なのであって、これを「現代」といいかえても少しも違和感がない。先崎彰容は保守の論客ともいわれるが、保守とは何かをここから読み取れるのではないか。何冊か彼の本を飛ばし読みしたことがあるが、もう一度きちんと読み直してみたい気もしている。

 

*引用文には「伴走」としているが、実際の本の中では「伴奏」と書かれている。わたしの感覚では「伴走」のほうがしっくりするので僭越ながら勝手に書き換えた。書き換えたのはそこだけである。この本には些細ながらいくつか誤植が見られた。もしかするとこれも誤植かも、と思っているが、本当のところは分からない。

2025年5月27日 (火)

ベッドを考える

 右肩痛がなかなかおさまらず、寝床から起き上がるときや、床に座っているところから立ち上がるときに右手首に無理な力が加わるので、手首まで痛くなってしまった。そのことをブログに書いたら、そろそろベッドにした方がよいというコメントをいただいた。たしかに床に布団を敷いて寝ているところから立ち上がるまでに、肩や手首に負担がかかるのが、ベッドならかなり楽に立ち上がれる。

 

 しかし我が家にはフリーの壁面というのがない。そういう壁面はすべて書棚に占領されている。ベッドを据えたらそこの本が出し入れできなくなってしまう。しかし・・・。とりあえず肩や手首の負荷を減らすためと、スペースも確保すると云うことで、折りたたみの簡易ベッドというのはどうだろうかと考えて、ネットで見てみたらピンからキリまでいろいろあるではないか。値段も高さも幅もさまざまである。あまりちゃちでは、普通より二回り大きくて重い私では直ぐ壊れてしまう恐れがある。しかしあまり頑丈では重いだろう。扱いに困ると思われる。いちおうこんなところであろうかというのを何点か択んでみた。高さが低いのは立ち上がりやすくすると云う目的に反する。幅もある程度欲しい。

 

 また、立ち上がるための補助具というのもあることを知った。やはり困っている人があればそれにあわせたものも作られているのだ。いま実際に取り寄せるかどうか思案中である。その前に、いままでの起き上がり方、立ち上がり方を変更し、右肩や右手首に負荷がかからない方法をいろいろ工夫しているところである。だいぶ違う。

トランプと反知性主義

 ハーバード大学に対するアメリカ大統領トランプの攻撃は、私には異常な行動に見える。知識人に対しての怨恨を感じてしまうのだが、そう見る私が異常なのだろうか。アメリカに反知性主義の傾向があることは、過去いろいろと論じられていて、私の書棚には森本あんり『反知性主義』、矢口祐人『奇妙なアメリカ』(ともに新潮選書)などが列んでいる。二冊とも飛ばし読みしただけであるが、今回のトランプの行動をこの反知性主義という視点から見直してみたいと思っている。

 

 知性とは何か、手許の岩波国語辞典を引いてみると「物事を知り、考えたり判断したりする能力」とある。そもそも知性とか知性的という言葉はあるが、知性主義という言葉はないのではないか。それなのに反知性主義という言葉があると云うことの意味を考えてみたい。このことについて、西洋では世界の本質は知性あるいは知性的なものとみるか、意志とみるか、あるいは感情とみるかによって、立場が別れるという。そこに宗教も絡む。知識を本質と捉えるのを主知主義と云うらしいが、日本ではそういう複雑さを含む考えが一般的にないから、知識人を知性的と単純に考える。

 

 しかしアメリカではそうではないようである。そもそもイギリスからアメリカに渡ったピューリタンたちは、ヨーロッパの主知主義を否定する傾向の人たちであり、それを根底にするアメリカには反知性主義的傾向があるのだという。だからもっとも科学が進み、合理主義的でプラグマティックな国であるのに、福音派に代表されるような宗教を信じるあまり「進化論」を否定したりすることが矛盾なく併存する国なのである。もちろんアメリカ人をひとまとめに一色に語ることは出来ないが、トランプが知識の足らない愚か者、と批判しても、どうしてそのトランプがこれだけの熱狂的支持者を抱えることが出来ているかについて説明できない。

 

 思い出すのは、中国の文化大革命で多くの知識人が迫害を受け、信じられないほどの多くの人々(一千万人とも二千万人とも云う)が殺されたことである。カンボジアではポル・ポト政権下でやはり知識人が何十万人も殺害された。これは見方によれば極端な反知性主義の暴走ともいえる。ユダヤ人の迫害の歴史は、ある意味でユダヤ人が知性的であったことへの怨恨のようなものかも知れない。

 

 いまトランプの反知性主義が、もともとあったアメリカの反知性主義の暴走につながる恐れが感じられてならない。そしてそれは、世界中の人々に潜む反知性主義の心性を呼び覚ますことにつながってしまうかもしれないと思うのは考えすぎか。このことはもう少し考えてみたい。

『プロヴァンスの休日』

 映画『プロヴァンスの休日』は2014年のフランス映画。主演はジャン・レノ。見終えた後に好い気持ちになれる映画で、プロヴァンスの景色とともにこの映画を思い出すことになるだろう。頑固じいさん(ジャン・レノ)と、一度も会ったことのない孫三人との交流がやさしく描かれている。末っ子のテオはろうあ者だが、明るく人なつっこくてみんなにかわいがられている。テオとじいさんとの無言の交流から糸口が開けていき、それぞれの抱える思い、不安のようなものが静かに伝わってくる。

 

 人は誰も弱い部分を抱え、愚かな部分を抱え、失敗もしながら何とか生きている。それでも輝かしいことも時にはあるもので、それを機に心が通い合ったりするのだ。

 

 こういう世代や価値観の全く違う者どおしが次第に心を通わせていく、という映画は結構沁みる。現実にはそううまくいかないものだし、もしうまくいってもまた心が離れることもある。でも一度心の通い合いを経験すれば、また関係を修復できるのだと信じることが出来る。信じられれば努力も出来る。そういえば最近見た『花椒の味』のテーマもそうだった。

2025年5月26日 (月)

『岸辺露伴ルーヴルへ行く』

 映画『岸辺露伴ルーヴルへ行く』は2023年の日本映画。ストーリーはそこそこおもしろそうなのに、台詞回しが奇妙に間延びしていて思わせぶりであり、しかもきわめて聞き取りにくい。音量をかなり大きくしたのに聞き取れなくてイライラした。字幕が欲しい。リアリズムを追求する漫画家の岸辺露伴を主人公にするこの映画が、台詞のせいでリアリティを大きく損なうことになっている。

 

 最後まで見るには見たけれど、はっきりいって楽しめなかった。たぶん監督のせいであるが、その監督の渡辺一貴の別の作品ではそんなことはなかった記憶があり(たとえば、いま再放送している『慶次郎縁側日記』の演出もそうだ)、どうしたことか。何か思い違いしているのではないか。

『クリーンアップ 最強の掃除人』

 朝一番で、予約していた歯医者に定期検診に行く。「ギリギリ保っている、という状況ですね」と先生に言われる。今日は歯石除去が結構神経に障った。水もいつも以上に飲んでしまった。フッ素を塗布してもらい、帰宅する。

 

 一昨日から本は少ししか読めず、ドラマを片付け、映画を何本か見た。腰痛と右肩痛が、ひどくなったりそれほどでもなかったりしている。肩の痛みから、床に座っている状態から立ち上がるのがスムーズに出来ず、今度はいつも立つときに床につく右手首が痛くなった。今日はなるべく椅子に座っていることにする。

 

 映画『クリーンアップ 最強の掃除人』は、2024年のアメリカのコミカルクライムアクション映画。アントニオ・バンデラスが裏社会のボス役で出ている。全編軽妙な台詞が飛び交い、それがテンポが良くて悪くない。台詞がストーリーを説明すると途端にうんざりするのだが、この映画は大丈夫。台詞がストーリーを説明するような映画はたいてい駄作だ。

 

 この映画での掃除人というのは、犯罪現場の掃除を専門に行う清掃会社の面々で、総勢4名。たまたまその現場で大金の入ったスーツケースを発見し、それをめぐってスペイン系マフィア(ボスがバンデラス)と悪徳警察官グループ、そして掃除人たちとの三つ巴のドタバタの争いが描かれる。コメディはあまり好きではないのだが、この映画は意外におもしろく見る事が出来た。四人の一人のジャンキーの大男が、意外に闘争能力に長けていて、ギャング相手にランボーみたいに活躍する。

 

 アメリカ映画にはいつもいつも悪徳警官が出てくるが、そんなにたくさんいるのだろうかと思うが、どうもいるらしい。それでもむかしよりマシになったとも云う。

外宮を参拝

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片参りは避けようと云うことで、外宮に参拝した。帽子が妹、右が義妹。橋は表参道火除橋。

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外宮は正式には豊受大神宮というらしい。ここも内宮と同様、二十年に一度、式年遷宮を行うようだ。次回は令和十五年。

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外宮の正宮には階段がない。もちろんなかは写真撮影禁止。

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木漏れ日が美しい。

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このあと名古屋の我が家へ帰途についた。桑名の先から渋滞したが、無事帰着。

これにて今回の旅の報告終了です。

2025年5月25日 (日)

鳥羽展望台、二見浦の夫婦岩

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パールロードを鳥羽まで走る。途中の鳥羽展望台に立ち寄る。

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思った以上に高い場所にある。

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目の前は伊勢湾。左手奥には伊良湖が見えたが、この写真には写っていない。沖を船が通る。鳥羽から伊良湖は思いのほか近いのである。フェリーが行き来している。むかしは知多半島を経由するルートもあったが、いまはそのルートはないようだ。

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鳥羽港で眺望を楽しむ。このあと夫婦岩を見に行く。

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夫婦岩。すぐそばで撮ったが、むかし来たときはここまで来られなかった気がする。記憶違いか。

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そこら中にカエルがいたが、いわれは分からない。たぶんどこかに書いてあったのだろうが、カンカン照りの暑さもあり、少々くたびれてしまった。

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向こうの赤い鳥居の方から来た。

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変わった形の岩。鯨の尻尾みたいに見えた。

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ブラタモリでもこのあたりの地形の形成について説明があり、地質も特別だと話していたが、詳しいことは忘れた。凄まじい力が加わった跡だというのは見れば分かる。

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別にカエルをいじめたわけではないし、何かを懇願されるいわれもない。

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横に天の岩屋、という石標があったが、天岩戸のことなのだろうか。伊勢とはいえ、この姿は天照大御神とは思えないので、アメノウズメであろうか。

みなくたびれたが、最後の力を振り絞って外宮へ参拝に向かう。片参りはよくないそうだ。私は今までたいてい片参りだった。

『花椒の味』

 『花椒(ホアジャオ)の味』は2019年の香港映画。花椒は日本の山椒と同じ属だが異種である。四川料理のしびれるような辛さの素はこの花椒による。私は辛さにそれほど強いわけではないが、常備していて麻婆豆腐などには、必ずこれを入れる。読みはホアジャオが正しいらしいが、私は中国でホアジャンと聞き覚えてしまっていた。

 

 映画は異母三姉妹が父親の死によって葬儀の場で初めて出会い、そこから互いがいままでどのように生きてきたのか、父に対する思い、母に対する思いが描かれていく。自分に姉妹がいることを知らずにいた者もいる。父は一度台湾に渡るが香港に戻り、火鍋の店を営んでいた。まったく異質に見えた三人姉妹が互いを認め合い、自分の生きてきた生き方を見つめ直し、そこから父の自分への思いを初めて理解する。

 

 出だしは三姉妹の異質さが際立って、見ていて共感しにくいように思い、見るのをやめようがと思ったが、次第に映画に引き込まれていって、ついには胸が熱くなっていった。人は希望通り、願いどおりにはなかなか生きられない。努力が報われるときもあり、報われないときもある。思いがあっても相手に語りかけなければ気持ちは伝わらない。そのことを父の死によって初めて知る。

 

 期待したとおりの好い映画だった。お勧め。蛇足ながら、脇役でアンディ・ラウが出ていて、ちょっといい味を出していた。今晩、麻婆豆腐でもつくろうかな。

大王崎

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大王崎へ行く。ほぼ四十年ぶりか。快晴で海の色が濃い。

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大王崎の灯台。

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波は静か。

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灯台の崖下の岩。

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灯台を見上げる。弟夫婦と妹は灯台を上る。私は膝がつらいので下で待つ。風があまりなく、日差しが強いので、自然に汗が出る。

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弟たちが手を振る。ぐるりが見えて絶景だったけれど、少し恐かったそうだ。

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灯台まで上がってくる道の両脇に店がたくさんあるのだけれど、すべて閉まっていた。平日だからだろうか。土日も閉まっているのだろうか。

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平成のバブルが崩壊し、リゾート地の建物が荒廃している様子がうかがえた。ここで昼食を摂ろうと思っていたが、あきらめた。

このあとパールロードを走り、鳥羽方向へ向かう。

2025年5月24日 (土)

横山展望台から

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スペイン船エスパニア号でクルーズした英虞湾を、今度は横山展望台から見下ろす。

この山が横山と呼ばれるのは、どの方向から見ても横長に見える山だからだそうだ。むかしはこの展望台への道は狭くて、しかも登り口がわかりにくかった(30年も前の話)けれど、いまは途中までセンターラインのある道になり、入り口にはハッキリと分かる看板が出ている。

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少しアップにしてみる。

駐車場はほぼ満車だったが、ちょうど出て行く車があったので直ぐ駐められた。帰りに見たら、駐車場に入れない車が何台か行列になっていた。むかしはほとんど知られていなかったが、いまはガイドブックに載るほど有名になったから、立ち寄る車が多いようだ。このあたりに来たなら、出来れば立ち寄りたいところだ。

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駐車場から木道を少しだけ上る。急な階段もあるが、木道の方が距離はあってもかえって楽であるし、見晴らしもよい。この広いテラスからの眺めは絶景である。そのさらに上に休憩する場所があって、この写真はそこから撮った。

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いくら眺めても同じ景色しか見ることは出来ない。見飽きるほど見た後で、次にこの左手奥にあたる大王崎へ向かう。そちらはほぼ四十年ぶりぐらいかと思う。

英虞湾クルーズ

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賢島港からこのエスパーニャ号に乗って、50分の英虞湾クルーズを楽しんだ。最初から最後まで上のデッキに出ていたので日に焼けてしまった。台湾からの少人数の観光客のなかに、いい年をしてイチャイチャしている男女がいて、見苦しいことこの上なかった。人前でイチャイチャしてみせて、それに耐える女であることを確認しているらしく思われた。どうせ金の関係であろうと思われた。

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船長かと思われる。

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マストの上の見張り台には少年が立っている。エスパーニャとは希望という意味らしい。

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はるか彼方に宿泊した浜島が見えた。

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ミキモト真珠の本拠地。ここで核入れや選別を行う。ここには皇族と特別のVIPしか招待されない。一般客には鳥羽のミキモト真珠島が用意されている。

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何か作業をしている船が見えた。英虞湾は、入り組んでいるために波が静かで船に弱い人でも問題ないと思うが、そのかわり変化もあまりないので、ただ船に乗って潮風にあたるだけである。

このあと横山展望台からこの英虞湾を見下ろすことにする。

からくり妄想

 備蓄米が放出されたのに、米の値段が上がり続けている。備蓄米のほとんどがJAに売り渡されたらしい。ところで、農林中金は投資の失敗により、1兆9千億円の損失を出したという。これを総合的に眺めれば、備蓄米を高く売ることで利益を出し、少しでも赤字の補填をしようと思ったのではないかと勘ぐらざるを得ない。

 

 だから小売りでの米の価格を下げないで、高いままで売り抜けようとしたのではないか。それを農水大臣、農林族、JAがグルになって演出したから、米の値段が下がるはずがなかったのである。ところがそんなときにアホな農林大臣がバカな失言をしたために、その上手の手から水が漏れてしまった。

 

 そこに小泉進次郎というパフォーマンス男が農水大臣になったから、今度は五キロで二千円台にする、などと、全体を考慮しない打ち上げ花火を揚げることになってしまった。米を適度に値上げして、農業の持続性を確保し、そのかわり米の供給は必ず切らさない、という隘路を狙わないといけないのに、全体がめちゃくちゃになってしまった。バカに任せると何が本質かを見失ってますます傷口を拡げ、ますます取り返しがつかなくなる。

 

 JAが再び米の価格が下がったために抱えた備蓄米によって損失する、などと言うことになれば、身から出た錆、ということになるだろう。ところで農林中金の投資の失敗による1兆9千億円の補填は誰がするのだろうか。会長は、責任をとる、といって退任し、逃げてしまったらしいではないか。

 

 すべて私の想像による妄想である。

2025年5月23日 (金)

浜島と賢島

伊勢での宿は浜島にとった。

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夕方の部屋の窓から撮った海。夕食にはアワビとサザエを食べた。「作(ザク)」という銘柄の日本酒がとても美味しかった。

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夜明け頃に朝風呂に入り、戻って撮った窓外の風景。好天だ。

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波の模様を見ていると飽きない。

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宿から賢島の英虞湾クルーズ乗り場に向かう。あとでこの船に乗る。

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こちらの遊覧船の方が丁寧に湾内を回ると教えられだが、残念ながら客が少ないので朝は出港しないとのこと。

賢島駅までに三分の場所で、船の出発までに駅の二階にある、賢島サミットの記念展示室を見に行く。

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これがサミットの首脳たちが語り合った椅子とテーブル。思いのほかそれぞれの人が近い。座っているのは弟。あとで私も座ったが、とても座り心地のよい椅子だった。

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いろいろ展示してあった。安倍さんもこのときは元気だったのに・・・。

このあと、あの船に乗り込む。

伊勢神宮・内宮参拝、混んでいた

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多少の渋滞を覚悟していたのだが、思ったよりスムーズに伊勢まで走ることが出来た。伊勢道を降りて伊勢神宮の内宮に向かう。近いところの駐車場を探したがすべて満車。待っている車が行列をなしている。仕方なく、猿田彦神社近くの駐車場に置く。おはらい町の一番端だから少し歩く。ごらんのように人が多い。

途中で伊勢うどんを食べる。私はあまり好みではない。

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いろいろなお店をひやかしながら歩いて、ようやく内宮の入り口の橋のところに到着。

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参道を行く。

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いつもは澄んで清らかな五十鈴川は、現在、工事のために少し濁っていた。

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おもしろい形にねじ曲がった樹を見た。

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正宮はもう少し先。登ったり下ったりすることがない参道なので歩くのは楽。帰り道は別。

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正宮では写真撮影は階段下まで。カメラをしまって正しく参拝した。久しぶりの参拝。

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新緑が美しい。緑が人をやさしく覆う。

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屋根の形がおもしろかった。

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別に鏡を使ったりしているわけではない。

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おはらい町やおかげ横丁などを眺めながら駐車場に戻った。普段よりもずっと多いように思うこの人出は、タモリ効果ではないか、などと兄弟で話した。

このあと少し早めだが浜島町の宿に向かう。案外遠かった。

2025年5月22日 (木)

昼神温泉の朝市

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写真は宿泊した昼神温泉の宿。昔よく宿泊した。父を連れてきたときはとても喜んで、温泉の話をするとこの宿のことをほめた。今回もたいへん居心地よく、しかも食事も美味しかった。鯉の甘露煮がここの名物といえば、知っている人は知っている。部屋が風呂にごく近かったのもありがたかった。

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朝市は六時から八時まで。

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けっこう人が出ていた。土日だけではなく、毎日市が立つ。秋のキノコの時期にはときどきキノコを買いに来ていた。朝早いから泊まるしかない。今回は久しぶりである。

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たしかこれはナンジャモンジャの木だったと思う。松江城にもあったなあ。

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川の向こう側の高台にある、むかし日帰りでよく立ち寄ったひるがみの森。泊まったのはここではない。

このあとここから園原インターから中央道に乗り、名古屋経由で伊勢へ向かった。目的地は伊勢神宮の内宮。

木曽駒ヶ岳千畳敷カール

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ロープウエイ駅を降りれば目の前が千畳敷カール。たぶんここに来るのは4回目だと思うが、いつ見てもこの絶景には感動する。

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険しい岩山の色合いが絶景を生む。

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造山活動で生み出された景色に息を呑む。

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チラリと見えていた人影はこの雪の斜面を登る登山者だ。こんなところをよく登ろうと思うものだ。

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南側を見れば南アルプスが雲間から見える。下に見えるのが駒ヶ根の街。

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天気の好い日には左手奥に富士山も見える。思えば、いま立っているところは中央アルプスではないか。

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山の景色を堪能する。

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左が妹で、右が弟。義妹は弟の影になってしまった。まさかこれほどの好天になってくれるとは思わなかった。

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ロープウエイを下り、バスで山を下る。

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バスのすれ違うところでシダをみる。ここでは単独だったが、こういうサークル状のものが群生しているところもたくさんあった。ゼンマイやコゴミの仲間だろうか。

駐車場に戻ると少し早めながらいい時間なので、そこから一時間ほどの昼神温泉の宿に向かう。

千畳敷カールへ

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駒ヶ根の菅平バスセンターの大きな駐車場に車を置く。写真の川を渡れば、ここからロープウエイの駅があるしらび平までは一般車乗り入れ禁止。専用バスでS字、またヘアピンカーブが連続する狭い道を登っていく。バスは乗用車でも恐いような狭い道をギリギリでコーナリングしていく。さすがプロである。運転手の後ろの席に座ったので凄さがよく分かった。弟たちは後ろの方なので、カーブで振られて、前の方がよかった、などと言っていた。

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新緑のなか、ところどころに山藤の紫の花を見ることが出来た。

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川は次第に細くなって渓流となる。

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渓流であり、滝のようでもある流れが次第に下の方に見えるようになっていく。

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ロープウエイに乗る。直ぐにあたりは雪の残る景色に変わる。

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結構混んでいる。雪が融けて滝となって流れているのが見える。

 

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雪面が目の前に広がる。

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頂上駅の手前の、迫力満点の雪の壁。シュプールが見える。こんなところを滑る人がいるのだ。

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スキーを担いで登っていく人たちが見えた。

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ロープウエイの千畳敷の駅。このロープウエイは高低差、駅の高さとも日本一だという。標高2612メートル、現在の気温12.3℃。思ったよりも寒くない。ここからの景色は絶景であるが、それは次回に。

2025年5月21日 (水)

名古屋から駒ヶ根へ

名古屋駅から高速バスが全国あちこちに出ている。今回は名鉄バスセンターから伊奈方面に向かうバスに乗って、その手前の駒ヶ根に行く。駒ヶ根にもバスセンターがあり、そこで千葉方向から来る弟たちと合流する。

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見えているのがバスセンターからの通路。名鉄ビルの三階から出発する。

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名古屋駅のシンボル、ツインビル。バスの窓にはスモークが入っているのでいささか暗く写る。さらば名古屋、しばしのお別れ。乗るときにチケットと荷物、そして行き先をチェックしていた小柄で丸顔、メガネの女性がバスセンターの職員かと思ったら、運転手だった。

名古屋駅から名古屋高速の乗り場は近い。そこから小牧インター、さらに小牧ジャンクションから中央道を走る。多治見の周辺では長いあいだ工事が続いていて、渋滞する。

さらに中央道には高速バス停がたくさんあって、それにひとつずつ停まるので、時間を食う。恵那峡のサービスエリアでトイレ休憩。こういうとき、必ず時間に遅れる人がいる。このときもおばさんが数分だけれど遅れて、もともと遅れ始めていたバスがさらに遅れることになってしまった。

恵那山トンネルを過ぎ、飯田を過ぎると左手に木曽駒ヶ岳の連山の端が、まだ雪をかぶって見えてくる。

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駒ヶ根インターを降りたときにはバスは10分あまりの遅れ。スマホに弟から、先に到着している、という連絡が入った。たぶんだいぶ待っていたようだ。無事合流し、軽い昼食を食べてロープウエイへ行くバス乗り場の駐車場に向かう。ロープウエイまでは一般車は乗り入れ禁止なのである。

無事帰宅

 昨晩、兄弟揃って無事我が家に帰着。

 初日は駒ヶ根で弟たちと合流し、ロープウエイで木曽駒ヶ岳のまだ雪の残る千畳敷カールを見た。晩は昼神温泉に泊まり、翌朝は宿の直ぐ近くの朝市でお土産を購入。平日なのに結構お客がたくさんいた。

 朝食後中央道に乗り、そのまま名古屋を通過して伊勢へ。まず伊勢神宮の内宮を拝観。そのあとおはらい町、そしておかげ横丁を散策。伊勢うどんを食べる。その晩は浜島のホテルに宿泊。オーシャンビューの部屋で海の景色をたっぷり楽しむ。翌日は賢島の駅の近くの乗船場で英虞湾クルーズ。そのあとその英虞湾の全景を横山展望台から展望する。さらに大王崎の灯台を見に行く。そのあとパールロードを走って鳥羽展望台から景色を眺め、さらに鳥羽に少しだけ立ち寄り、二見浦の夫婦岩を見に行く。片参りはまずいであろうと云うことで、外宮に参拝してほぼ伊勢を見尽くした。くたびれた。

 妹が、疲れが出たからか、帯状疱疹らしき状態になり、今朝は我が家の近くの皮膚科の病院へ。帯状疱疹との診断を受ける。疲れすぎてはいけないと、弟夫婦と妹は昼前に千葉に向かって帰途についた。それを見送って、いまは洗濯をしているところである。

 以上が今回の旅のあらすじ。次回から写真をもとにもう少し詳しく報告するつもり。

 くたびれてヨレヨレである。この程度で疲労困憊するのだから、歳とはいえ情け無い。

 

 

 

2025年5月18日 (日)

数日休みます

 いまは晴れ間が出ている。これから長野方面に高速バスで行き、千葉からやってくる弟夫婦や妹と合流する。それぞれの都合や希望があるので、長野南部、そして伊勢を駆け足で回る兄弟旅行となる。自分の車ではないので荷物は最小限にした。いつも旅先に持参するパソコンは重いし、かさばるので置いていく。だからブログの更新は数日休みます。旅の間、写真が撮れるような天候であれば写真を撮り、それを整理して帰宅後にゆっくりと報告するつもり。美味しい食事、美味しい酒、そして兄弟の歓談を楽しんできたいと思う。では行ってきます。

2025年5月17日 (土)

『約束の冬』

 宮本輝『約束の冬』(文春文庫)上下巻を一気読みした。不思議な出だしから最後に物語をどう収めるのかな、というのが、ストーリーを追っていく上の大きな興味だし楽しみであった。やはり宮本輝は読者を好い気持ちにしてくれる作家だ、というのが読後の感想である。

 

 この小説は平成十二年から一年あまりにわたって新聞連載されたもので、宮本輝はあとがきに

 

 『約束の冬』を書き始める少し前くらいから、私は日本という国の民度がひどく低下していると感じるいくつかの具体的な事例に遭遇することがあった。民度の低下とは、言い換えれば「大人の幼稚化」ということになるかもしれない。
 受けた教育とか社会的立場とか、その人が関わっている仕事の種類や質といったものとは次元を異にする領域において、日本の大人たちは確実に幼稚化している。いったい何がどう幼稚化したのか。
 現代の若者たちは如何なる人間を規範として成長していけばいいのか・・・。
(中略)
 そこで私は『約束の冬』に、このような人が自分の近くにいてくれればと思える人物だけをばらまいて、あとは彼たち彼女たちが勝手に何らかのドラマを織りなしていくであろうという目論見で筆を進めた。

 

 「大人の幼稚化」についてはとみに私も感じることであり、だからこそ本物の大人が当たり前に真摯に生きている宮本輝の登場人物たちに感情移入するのだろうと思う。長い人生で、先輩や後輩を含めての友人知人たちのうち、私が大人として一目おいてきた人だけが私に残った。

 

 日本が経済的に停滞し、ついには衰退しているのは、外的要因によるものもあるとは云え、日本人の「大人の幼稚化」に起因しているのではないかとも思ったりする。自恃、矜持というものがあることを知らないままだから、知らないものを意識して生きることももちろん出来ず、幼稚化するのは成り行きである。そういうものは本人の資質もあるが、伝えられてこそ伝わるものでもある。

 

 物語のシンボルイメージは、蜘蛛が糸を吐きながら空を飛ぶ、という光景である。私はそれを実際に見たことがある。それほど珍しいことでもないものだと思うが、意識して見なければ気がつかず、知らずにいることはたくさんあるだろう。

今日は雨

 今日は予報どおり朝から雨。南九州は早くも梅雨入りだそうだ。明日、弟夫婦や妹と合流して小旅行の予定である。今回は晴れおとこの念力も効かず(残念なことに、このごろだんだん効力が低下している)、雨の中、傘をさしての旅行を覚悟していたが、予報は次第によい方に変わり始めて、もしかしたら傘はあまり使わずに済むかもしれない。

 

 右肩の痛みが治まらない。少しよくなった気がしていたのに、昨晩また痛めたのか、夜中に痛みが強く出て安眠できなかった。昨日から久しぶりに宮本輝を読んでいる。『約束の冬』という小説で、上下巻で読みでがあるのだが、夕方から読み出したらやめられなくなってしまい、一気に上巻を読了した。最後は寝床で読んでいて、その時に左肩を下にしていたので再び痛めたようだ。

 

 一気呵成に下巻も読んでしまいたいけれど、明日から出かけるから今日中に読了したい。出かける支度をしなければいけないし、旅行の最後はみんな我が家で一泊するので、部屋を片付けたいところだが、先延ばししていて今日になってしまった。そういうときだからこそいつも以上に本がよく読めたりする。参ったなあ。重いものを持つのがつらいから片付けがやりにくいのだ。いいかげんなところで勘弁してもらうことにしよう。

2025年5月16日 (金)

『山の郵便配達』

 中国映画『山の郵便配達』(1999年)が放映されたので、久しぶりに見た。好きな映画であり、見るのは二度目である。文句なしに名作だと思う。風景の美しさ、懐かしい人々の暮らし、それらを見ているだけでなんだか胸が熱くなってくる。人は山の中でもそれぞれの人生を生きているのだ。

 

 細部に私の記憶と違うところがあった。思い込みで見ていたのかもしれない。大事なところなので修正した。有名な映画だから、ストーリーは衆知のことと思う。膝を痛めて山間部を何日も歩いて郵便配達をすることが困難になった父親。息子がそれを引き継ぐことになる。息子が初めて父を知る。父の仕事を知る、父の思いを知る。頭で知っていたことは識っていたとはいえないことを知る。父にとっての最後の郵便配達、そして息子にとっては初めての郵便配達を描くことで、親子、家族、さまざまな生活、山の暮らしなどが、自分が歩いているように見えてくる、感じられてくる。ことに夕景の美しさは沁みるようだ。

 

 私の見たかった中国がそこにある。私が幼かった頃、父の仕事の関係で二年か三年、地方の農村に暮らしたことがある。その時の記憶が重なる。だから懐かしい。雲南省を一人で歩いたことがあって(もちろん言葉が分からないからガイドにはついてもらった)、その時に多少その名残を味わうことが出来た。あの高倉健主演の『単騎千里を走る』の舞台となったあたりだった。そのあと数年後に友達と二度目に行ったときには明らかに変わりはじめていた。いまは観光地と成り果て、見たいものを見る事は出来ないだろう。

ブログについて

 お気に入りに入れているブログが五十人あまりあって、朝ひととおり目を通すが、更新があまりない人が増えていて、開いても半分以上はすでに読んだ記事である。ほとんど毎日更新する人は少ない。よほど習慣にしないと頻繁に更新するのは大変なようだ。あまりにも間遠になってしまった方や、今ひとつ波長の合わない感じが拭えない方のものもあるので、ときどき新しいものと入れ替える。新着記事を眺めるとおもしろそうなものもある。追加しておいて、何度か読んで、さらに続けて読む気にならないものは削除する。読んでいることを相手に伝えたいときもあるが、コメントを書くほどでもないことも多い。誰が読んでくれているのか知りたい気もする。だからコメントをいただくと嬉しいものだ。

 

 以前にも書いたが、文章の上手下手ではなくて、自分の書いたものをざっとでもいいから一度でも読み直したのだろうか、というような、読みにくいものに出会うことがある。専門の校正係がいないから、誤字脱字誤変換を見逃すことは誰にでもあり(自分のものを見直すと、どうして見逃したかと恥ずかしくなるまちがいがしばしばある)、それを咎めるつもりはないが、それがあまりに多かったりすると、読むのが苦痛である。そういうものに限って書いている内容に、私のよく知らないことやおもしろいものがあったりするので読み始めたのに、我慢できずにお気に入りから外す。私のブログもたまたま目にした方からそういう扱いを受けているかもしれない。何が言いたいのかさっぱり分からない、と思われている気がする。なかなか他人の目にはなれないものだ。

 

 さまざまに浮かんでは消える想念を、そのまま忘却するのがもったいないような気がしていたところにブログを始めて、備忘録代わりになるし、考えが文章という形になることがおもしろくて気に入っている。ときどき泣き言を書いたりして、読む人のお目汚しの迷惑をかけているが、泣き言があるのが生きていると云うことでもあり、またブログに書ける程度のことなら何とかしのげもする。今のところブログは書くのも読むのも自分のためになっていると思う。ブログは私にとってありがたい存在である。

『リベンジ・オブ・ウォー』

 映画『リベンジ・オブ・ウォー』は2024年のマルタ・アメリカ映画。しばらく読書に淫していたので、せいぜいドラマを見るくらいで、映画を見たのは久しぶりである。

 

 私はリベンジとか敵討ちとか復讐という言葉に弱い。子供の時に夢中で読んだ『モンテ・クリスト伯』の興奮の記憶が影響しているのかもしれない。それに学生時代には時代劇映画が激減して、代わりに任侠映画やヤクザ映画だらけになったけれど、そのテーマはたいてい主人公が隠忍自重を重ねた上に、大事な人や仲間を失い、ついに堪忍袋が切れて怒りの刃を振るう、というものが多かったように思う。大好きだった藤純子主演の『緋牡丹お龍』シリーズなど、その典型だったし、東映の義理人情路線の映画よりも、渡哲也が主人公の、日活の『関東幹部会』や『無頼』シリーズなどが好みだったのも、単純にリベンジ色がより濃かったからであろうと思う。

 

 さて、この『リベンジ・オブ・ウォー』という映画は題名の通り、復讐物語である。アメリカ政府の傭兵だった部隊が、政府の裏切りにあって任務先で皆殺しにされてしまう。辛くもただ独り生き残った男が、半年後にその復讐のために立ち上がる。そのターゲットはなんとアメリカ大統領。巧妙な仕掛けにより、狙撃に成功するが、実はそこからが本来の彼の復讐だった。ところで、敵役の一人、裏切りの直接者であるハート大佐の役の俳優に見覚えがあるのだが、名前が出てこなかった。エンドクレジットでロバート・パトリックであると知った。あの『ターミネーター2』の、不死身の液体金属男である。ずいぶん歳をとって見違えたが特徴のあるあの眼は変わらない。

 

 アクションも含めて、テンポの速い、なかなか見応えのあるカルト映画であった。カリブ海の島国などが舞台なので、とにかく海や海岸の風景が素晴らしく美しい。それを楽しみながらカーチェイスも楽しめる。冗漫な部分もないではないが、景色の美しさに免じて良しとする。

2025年5月15日 (木)

自己判断?

 先崎彰容の『批評回帰宣言』という本を読んでいて、ところどころに付箋をつけている。そのひとつを引用する。

 

 僕らにとって、自己判断には迷いがつきものである。情報であれ流行であれ、結局は他人に左右されながら、僕らは自分で判断したつもりになっている。

 

 他者の大袈裟な主張に心動かされ、すぐさま絶対的なものだと思い込み、左右されてしまう。「重心」がない。その場その時に自分を刺激するスローガンに熱狂し、翻弄される。それは自己とは呼べないような無色透明で空洞化した自我である。入り込んでくる色に染まることで、自分は何者にもなれるが、何者でもなく、心の空洞を抱えて恐れおののいている。

 

 と同時に、世間には奇妙に情緒的な言葉が溢れている。断定的で、自己陶酔した指導者の言葉で溢れかえっている。戦争と革命を賛美する物語があるかと思えば、世界平和へ邁進した人物伝が感動を呼んでいる。偉大なる人物に眼を向けよ、信じ、そして安心せよ。

 

 これらは現代についての文章というわけではない。先崎彰容が坂口安吾の『堕落論』を論じるにあたり、第一次大戦後のドイツの状況について論じたシュミットの言葉を使いながら引用している部分なのである。

 

 第一次大戦後の「大衆社会」では、一人ひとりの心の中を覗き込んでみると、意外なほど孤独なのであった。呆れ果てるようなインフレによる食糧難とともに、ドイツ人を襲っていたのは、こうした実存的な不安だったのである。シュミットは次のように言う。「彼は自分自身の重心を持っておらず、具体的な経験や自己の責任に拘束されなかったから、或る考え方に心を動かされるその考え方の論理を追って、その考え方の打ち出す主張のもっとも極端な形にまで簡単に行ってしまうのだった」

 

 つまりシュミットの前には、失業し、バラバラになり膝を抱え、何かをきっかけに一時的に興奮する人びとがいたのであり、彼らの孤独な心を慰撫する断定的な口調の言葉が溢れかえっていた。
 ここに、日本の坂口安吾が最も畏れた政治の美学化がはじまる。

 

 この後、ロマン主義と民主主義が論じられていく。それこそが独裁主義を生み出す土壌であったとシュミットは言うのである。それにしても、何やらどんな時代も人間というものは同じだなあと感じてしまう。誰かの音頭で熱狂する大衆、という姿が私は苦手で、絶対にそれに参加することはない。北朝鮮や中国で生き抜くのは無理であろう。いまならアメリカで生きるのも無理か。現代の日本でよかった。

『成熟と喪失』

 『成熟と喪失』は江藤淳の長編文芸評論で、副題は『”母”の崩壊』。安岡章太郎の『海辺の光景』、小島信夫の『抱擁家族』、吉行淳之介の『星と月は天の穴』、庄野潤三の『静物』、遠藤周作の『沈黙』などが、副題の『母の崩壊』という補助線によって評論されている。挙げられているのは、いわゆる第三の新人と呼ばれる作家たちである。敗戦後、アメリカの占領統治、価値観の激変を日本人がどう受け止めたか、受け止めきれずにどんな傷を残したのか、そしてそのことがこれらの作品の背後にどのように通底しているのか。

 

 アメリカにロックフェラー財団の研究員として滞在して、大学の教壇に立ったりする経験を経て昭和39年に帰国後、江藤淳が日本にいたままなら見えなかったであろう、新しい視点からの戦後作家、当時の現代作家について語った。それを表現したのがこの評論である。当初はアメリカにいて日本を見直すために研究していた日本の古典や江戸時代の戯作などを論じたけれど、文壇からほとんど黙殺されたという経緯を経て、現代作家の作品の評論を手がけた。その時の古典の評論は数年前に読んだが、どれも読み応えのあるもので、何より誰かの二番煎じではない点が好い。

 

 父の不在と母の崩壊ということの意味は、この評論を丁寧に読めばよく分かり、それぞれの作品の意味、そしてテーマも浮かび上がってくる。もちろん合わせて作品も読み直す必要がある。視点は息子である。息子は家庭を立て直そうとするが、それは不在である父親役を自らが責任を持って引き受けると云うことである。『海辺の光景』や『抱擁家族』はその営みのむなしさを語る。父とは何か、日本に特有の、息子にとっての“母”とはなにか。

 

 巻末の長い解説を上野千鶴子が書いている。彼女は「息子」ではなく、既に男たち、息子たちが思い描く”母”など超越した「娘」の視点から、この江藤淳の評論を評論している。解説でもあり、読み方によっては彼女らしい批判である。いま読むと、彼女のフェミニズム礼賛を語りたいためにこの批評を解説として書いているようにも読めてしまう。たしかに鋭い指摘もあるけれど、解説で書くことだろうかという気はする。息子である立場での作品と評論であって、それは娘の視点を持たないと批判されても少し違う気もするのである。

 

 この『成熟と喪失』を読むのは二十年ぶりくらいだと思う。いろいろ考えさせられ、いい本だと思った記憶がある。今回読み直して、記憶以上に考えることが多かった。但し、現代の「息子」たちは、すでにこのような思考の枠内からはとっくに離脱してさまよっているような気がする。それは自由なのか、迷子なのか。

下手の考え・・・

 下手の考え休むに似たり、などという。もともとは囲碁や将棋で下手くそがいくら長考してもいい手が浮かぶはずがない、考えるだけムダだ、という意味であるが、しばしばバカの考え休むに似たりなどとも慣用される。囲碁や将棋であれば定石(じょうせき)という、先人が長いあいだに積み上げた手筋があって、上手はそれを学び、それを元に考えるから考えることに意味があるが、下手にはその下地がないから考えてもムダなのである。 

 

 考える、というのは、考える下地がある程度あるとき、よろこびともなる。考えることによって、何かに気がついたりするからである。考えなければ気がつくことも多分ない。

 

 いま放映中の、小芝風花主演の連続時代劇ドラマ『あきない世傳』で、先老が「ごりょんさん、ありの目ぇとミサゴの目ぇと持たなあきまへんで」と言っていた。何かを一生懸命考えることでスパイラルに思考が高まると信じたいが、なかなかそうはいかない。時に視点を変え、自分の考えを別の視点から見直さないと居着いてしまう。居着くというのは独りよがりになることで、身動きが取れずに柔軟な思考が出来なくなることである。足もとばかりを見ずに、世界をたまには見回さないといけない。

2025年5月14日 (水)

『断腸亭日乗(一)』

 永井荷風の『断腸亭日乗(一)』をようやく読了した。この第一巻は、大正六年九月から大正十四年末までの日記である。読み慣れてくると少しずつ読むスピードも上がり、面白さも増加して、後半は一気に読み進めて食事を摂るのを忘れていた。私の両親はふたりとも大正生まれで、その両親が生まれた時代というのがどういう時代であったのか、ということにも興味を覚えていた。

 

 近代文学史に記載されているような、錚々たる人々が次から次に登場し、その交友や荷風から見たそれぞれの人物観なども、それがそのまま裏返しに荷風という人の価値観と生き方のこだわりを表している。永井荷風は三田文学の創始者のひとりでもあり、その系譜、人脈は私の読んできた作家に多くつながっていて、なんとなく親近感もある。

 

 この時期は荷風が沈潜していた時期だとも言われるが、文中にも、健康を損なって体調不良の記述(微恙あり、など)が繰り返されている。消化器系の不調を抱えて、さらに当時は暖房も行き届いていないから、寒さはずいぶんこたえていたようだ。しかしそう書きながら、とにかく友人知人とよく飲んでいることに驚く。大正十二年九月一日の関東大震災について、さいわい居宅の偏奇館はさほどの被害がなかったものの、知人には家が倒壊したり焼け出された者も少なからずいたことが書かれている。大震災の前、大正十年頃から比較的大きな地震がしばしば記録されている。もちろん震災後の余震も頻繁に起きているようだ。それでも東京は次第に復興していく。しかしその復興は、荷風の眼には醜悪化しての復興と映っている。

 

 荷風のこだわり、そしてその生き様(とくに夜の生活)に批判的な見方もあるが、荷風びいきとしては、彼の矜持、こだわりを多としたい。おおっぴらには云いたくないが、ある意味でうらやましいのである。

 

 一息入れたら第二巻に手をつけるつもりだ。いまは第三巻まで出ていて、全九巻になる予定である。

毀誉褒貶

 毀誉褒貶(きよほうへん)は、ほめることとけなすこと。

 

 山本有三はよく知られた小説家で、『路傍の石』という、彼の小説を映画化したものを小学生時代に学校で見せられたことがある。母は『真実一路』という小説に感銘したと言っていた。その山本有三は、私の揃えている昭和文学全集にはその他大勢のひとりとして、中短編集という巻に一篇が収められているだけである。

 

そこに作者紹介の短い文章がある。

 

 山本有三は長編『真実一路』や『路傍の石』の作者として広く知られている。どちらも自分を偽らず、他人を傷つけずに誠実に生きることがいかに難しいかを書いて、人生に悩み始めた数多くの若い読者の共感と感動を呼んだ作品である。この世の中で常に良心的に生きようとすれば、さまざまな矛盾や苦悩に直面する。そういう人生上の問題に対する何らかの指針や助言を文学に求める読者は多い。彼らにとって文学とは、人生とは別次元の想像の世界に遊んだり、生きることの意味や味わいを知ったりするものというより、もっと直接に、人生いかに生きるべきかを教えてくれるものでなければならない。山本有三自身、劇作家としての出発以来、一貫して文学をそのようなものと考えて創作活動に従った作家だった。(以下略)

 

なるほど。

 

 永井荷風の『断腸亭日乗(一)』を読んでいたら、大正十四年七月九日の記述のなかに、

 

席上の談話に文士山本有三この程松竹キネマ会社にて、山本が旧著書阪崎出羽守を活動写真に仕組み替へたりとて、其の興行を差留め、ついに松竹より金三千円の賠償金を獲たりとの事なり。近時文士の悪風恐るべし。山本は以前壮士役者川上音次郎に随従せしものの由。曾て帝国劇場にて其脚本を上場せし時にも何やら事を構へてゆすりがましき所業をなしたりと云ふ。

 

*阪崎出羽守は坂崎出羽守、川上音次郎は川上音二郎が正しいが、原文のまま引用した。

 

 同じ山本有三のことである。

2025年5月13日 (火)

中江兆民を手がかりに

 先崎彰容(せんざきあきなか)の『批評回帰宣言』(ミネルヴァ書房)という本を半分ほど読み進めた。前半は坂口安吾、夏目漱石、江藤淳についてのたいへん濃厚な評論で、おもしろく読み進めていたのだが、次の章が中江兆民で、その経歴、思想を紹介した後、その著作である『三酔人経綸問答』を詳しく説明し、その時代背景、さらに当時の自由民権運動というものについての解説をしてくれている。板垣退助と同郷の、土佐出身の中江兆民は、明治の初めにフランスに留学し、ルソーの著作の翻訳やフランス思想の紹介をしたことなどで知られている思想家である。

 

 ここで言及されているさまざまな出来事、登場人物については恥ずかしながら知識に乏しく、興味を感じた項目だけネットで拾いだして読んだりしているのだが、きりがない。たとえばいま読んでみたのが、自由民権運動が過激化していったころ起きた大阪事件、さらに朝鮮の甲申事件、関連して金玉均についての情報である(この三つはすべて朝鮮半島に関係する)。それを拡げていくととんでもないほど広がってしまうので、私の手に負えない、そこそこにしておくことにする。少しだけであるが、自由民権運動の過激化については自分なりのイメージがあって、その手がかりとして、菅原文太がNHKの大河ドラマで主演した『獅子の時代』という番組で、秩父事件などが取り上げられていたことを思い出している。

 

 さらに大逆事件で刑死した幸徳秋水が、若いころに中江兆民の家で書生として暮らしていたことなども初めて知った。余談だが、幸徳秋水と言えば、私は住井すゑの『橋のない川』の中で、「こうとくしゅうすい、なはでんじろう」というフレーズがいまだに頭から離れない。だが幸徳秋水についても本当にわずかなことしか知識がない。明治の思想について、知っておきたい、知らなければ分からないことをいろいろと先崎彰容に導かれている気がする。

 

 この本では、中江兆民の章が終わると次の章は福沢諭吉、そしてその著作『文明論之概略』についてである。先崎彰容には『文明論之概略』を現代文に全訳して論じた本(角川ソフィア文庫)があり、すでに手許に用意してある。

霧島のふるまい

 むかしは好きだった相撲も、このごろは見ることが少なくなったが、たまたま今場所の初日は見るともなく見ていた。霧島という力士は、幕内に上がった頃から好きで応援していた。立ち会いでおかしな「じらし」など行わず、きれいに立つので好感が持てた。まじめすぎるほどの正攻法の力士だと思う。星が挙がらなくても応援していた。だから大関になったときには嬉しかったものだ。どこか故障したのか病気か、それとも精神的なものかよく知らないが、相撲が崩れて大関を陥落し、粘りも失ってひところの精彩を欠いている姿を見るのは哀しかった。それでも好い相撲を取ると内心で拍手していた。

 

 その霧島があの日の立ち会いではグズグズとした立ち会いで、先手をとろうと駆け引きしている相手のせいもあるとは言え、霧島とは思えない当たり前の力士の立ち会いに堕していて我が目を疑った。霧島の顔には明らかないらだちが浮かんでいた。かなり危うい相撲だったが辛くも勝った。しかし土俵下で既に勝負がついた後に、さらに霧島が相手に対し不要な念押しの突きを放っているのを私も目の当たりにして驚いた。よほどの怒りが霧島の心にあるのだと見えた。

 

 それはもちろん相手に対してのいらだちとして表れていたけれど、実は霧島自身の自分に対するいらだちではないかと思い、大げさだが暗澹たる思いがした。その行為が今話題になって批判されているようだ。批判されてもしかたがないと思う。そうは思うが、そういう批判に霧島は弱い力士だと推察する。立ち直るのにずいぶんかかるのではないだろうか。その霧島を見てから、私は再び大相撲を見ていない。

新タマネギ、美味しい

 昨晩はドライデーにするつもりだったが、気分的に煮詰まったので、精神の緊張を緩める特効薬としてお酒を飲んだ。つまみとして、ワカサギの佃煮、キュウリを塩もみして金山寺味噌、新タマネギの上下を十字に切れ目を入れてそこに塩をもみ入れ、レンチンしてそれを箸で切り分けながら柚がらし入りのポン酢につけて食べたりした。新タマネギは今が旬で、甘くて美味しい。

 

 電話して、弟と来週の兄弟での旅行の細部の打ち合わせをした。残念ながら、もう早くも梅雨の走りとも言う雨模様である。このごろ晴れ男の念力も通じない。最近はかろうじて傘をささずに済むという程度でおさまってきたが、今回はどうであろうか。

2025年5月12日 (月)

たまたま

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急に何もかもやる気がしなくなったので、ぼんやりと旅先で撮った写真を眺めたりしていた。

この写真はウズベキスタンのどこかの街の、大きな博物館で撮らせてもらったもの。日本語の説明はもちろんないから、何なのかまったく分からない。こんな写真を撮ったことすら忘れていた。しかしこの絵にはまちがいなく意味があり、人と人との関わりがあったのだと言うことが分かる。いろいろなことを知っているつもりで、本当は何も分かっていないのだなあ、などとぼんやり思った。知らないままでいるしかないことを残念に思った。

少しずつ

 今年は風の強い日が多いような気がしている。天気がよいからと洗濯物を干すと、たまに竿に掛けたハンガーごと風で飛ばされることがある。それが例年よりもしばしばあると感じている。ベランダの大根やパクチーも薹が立って背が高くなったら、花が咲き実がなった枝が次々に風でへし折られてしまった。それでも折れたままさらに花が咲き、実がなっていく。パクチーも一部だが実がついた。ジャングルになっていたパセリも薹が立って、そろそろ世代交代のようである。

 

 歳とともに根気がなくなって、だから気も短くなるようである。歳をとったら人間が丸くなるというのは願望で、実は残り時間を考えて気が焦るから気が短くなる、というのが本当なのではないかと思う。本を読むのが好きだからいつも本を開いているが、一冊の本に集中し続けることが出来ない。だから何冊も並行して読むという読み方をしている。それに関連した本を一度に読みたいという欲張りな気持ちもある。だから読了するのに時間がかかる。時間はかかるが、読み終わり近い本が重なると、次から次に読了できて、快感を感じたりする。途中までで挫折して、次に読む気になるまで棚に戻す本もないではない。一気に読まなくてもいいのだ。少しずつ読み進めて、こちらを20ページ、こちらを50ページと積み重ねていけば、次第に片付いていくものだと気のはやる自分をなだめる。

 

 團伊玖磨の『舌の上の散歩道』を先日読了し、昨日は『エスカルゴの歌』を読み終えた。後は『九つの空』という紀行文集を読めば、手持ちの團伊玖磨はすべて読み終える。『九つの空』はゆっくり読むつもりだ。どうしても最後だと思うと雑になる、それはイヤである、もったいない。いま、おもに並行して読んでいるのは、先崎彰容の『批評回帰宣言』、江藤淳の『成熟と喪失』(これは再読)、永井荷風の『断腸亭日乗(一)』で、手をつけかけた本が別に七八冊積んである。どれもおもしろく読めているのはさいわいである。手を拡げたい作家や作品がたくさんあるが、少しずつ片付けていこうと思う。

しみじみする時代劇

 女流の時代劇作家に好きな作家が何人もいて、好きなシリーズもいろいろある。長谷川伸の弟子で、池波正太郎の妹弟子にあたる平岩弓枝など、書くもののジャンルが多岐にわたっていて、時代小説やミステリー、現代の人情話など多作だが、特に『御宿かわせみ』シリーズは大好きで、全巻を揃えている。何十冊もあるが、どの本もたいてい二度は読んでいる。ドラマ化したものの第一シーズンをちょうどいまNHKで再放送していて、それを録画して楽しんでいる。主演の真野響子もいいし、畝源三郎の山口崇や東吾(小野寺昭)の兄の与力夫妻を田村高廣、河内桃子が演じていて脇を固めている。河内桃子は品があって美しい。結城美恵子、花沢徳衛などもなくてはならない脇役だ。

 

 澤田ふじ子も好きな作家で、『公事宿事件書留帳』もシリーズになっていて、たぶんすべて読んで棚にある。この人の本はかなり読みまくったが、このシリーズだけ残してある。いまは娘の澤田瞳子が同じく時代小説家として活躍している。『公事宿事件帳』もNHKのドラマになっている。再放送されれば見たいドラマである。内藤剛志の好さを知ったドラマだった。高田郁(たかだかおる)もなかなか好いが、この人は小説を読まずにドラマだけ見ている。『澪つくし料理帳』シリーズの黒木華はよかった。いまは『あきない世傳』の第二シーズンが放映中だ。これは主演を小芝風花が演じていて、とても美しい。凜とした美しさには惚れ惚れする。

 

 北原亞以子も好きな作家で、『慶次郎縁側日記』のシリーズは原作もほとんど揃えて読んだが、いまNHKで第三シーズンを再放送している。第一シーズンと第二シーズンはリアルタイムで見ているのだが、2006年に放映されたこの第三シリーズは未見であった。だから『峠』以降は、原作のみ読んでドラマ化されていないと思ったものを、いま初めて見て楽しんでいる。

 

 今回の第三話『三姉妹』は豪華な出演者たちで、内容もしみじみとした好いドラマだった。主人公である慶次郎(高橋英樹)は、今回は脇役で、佐七(石橋蓮司)がメイン。関わる老女の安女郎三姉妹を淡路恵子、中原ひとみ、角替和枝が演じていて、中原ひとみはずいぶん久しぶりに見たので最初分からなかった。もしや、と思ってエンドクレジットで確認した。間接的に関わる口うるさい商家のあるじを江原真二郎が、そしてその妻を野川由美子が演じている。ご承知の通り、江原真二郎の実際の妻は中原ひとみであるから、それも面白かった。しみじみとしたのは、それぞれの人生というものがきちんと描かれていて、どんな生き様でも、生きていることの意味というのを誰もがもがきながら摑もうとしていると言う、そのけなげさ、哀しさと勁さ(つよさ)のようなものを感じさせてくれていたということだ。

 

 女流作家などとわざわざ「女流」をつけるのは、今の時代何か言われそうだが、この「しみじみ」とした情を描かせたら、やはり女性の方が優れた作品が多いように思うからだ。蛇足ながら付け加えれば、角替和枝は柄本明の妻で、柄本佑兄弟の母親である。淡路恵子も角替和枝も江原真二郎も先年なくなって故人である。

2025年5月11日 (日)

雑感

 糖尿病の定期検診が済んだからと、調子に乗ってこのごろ連日酒量が増えたままである。美味しく飲めているのはいいのだが、どうしても体重が増えてしまうし、たぶん血糖値も上がっているだろう。何より飲み過ぎれば本が読めないのが残念だ。少しブレーキをかけようかと思う、明日から・・・。

 

 韓国の盗賊に盗まれた仏像が13年ぶりに日本に戻ってきた。返還はだいぶ前に決まっていたけれど、韓国での法要が済んでから、ということで預けてある形であったらしい。それにしても13年である。日本からなら盗んでもいい、と考える人が少なからず韓国にいることが、このように長いあいだ返還されずにいた理由であろう。歴史認識が盗むという行為を正当化する、という考え方の異常さに、その恨みの深さを想像しないではないが、多分にそれは作られた恨みに見えてしまう。正しくない理由で晴らす恨みは、自分の歴史認識そのものを汚すとどうして思わないのだろうか。

 

 傷害事件のニュースがいろいろ報じられて、人間の心のゆがみというものの恐ろしさを改めて感じさせられる。同居する祖父母を殺すに至るには、それなりに本人には理由があるのだろうが、行動にまで至ってしまうその異常さには寒気がする。子供どおしのトラブルについて学校と協議した母親が、話が収まらないからと知人ふたりを呼びつけて学校で傷害事件を起こさせた、などというのも、異常である。そのことでその子供がこれからどういう目で見られるか、子供のため、と母親は思ったのかもしれないが、結果的に子供も自分も知人たちをも巻き込んで奈落の底に落としてしまった。想像力の欠如が甚だしい。

 

 いわゆるクレーマーの極端な表れだろう。教師のなり手が足りないという事態は、こういうクレーマーの存在に嫌気がさしている点にもあると思う。何かあれば頭を下げさせられる教師、学校という図式を作り出したマスコミにも腹が立つ。医師も、とくに小児科や産婦人科ではクレーマーに嫌気がさしてなりたくないのだという。私は、お客様は神様です、といった三波春夫を何度も非難しているが、もちろん三波春夫に悪気はないと言うことくらい分かっている。しかしそういうことを公言することが結果的に社会におかしな害毒を流すことになった。お客も自分も対等である。そんなこと、当たり前ではないか。三波春夫は心構えとして心に思っているだけで良いのであって、それをお客に分かるように言うのはおべんちゃらである。クレーマーの害毒は社会をゆがめ、どれほどたくさんの人につらい思いをさせたか、社会に損失を与えたか、今頃それがようやくおおっぴらにいえるようになったが、遅きに失した気がする。

釣り番組

 昔ほどではないが、釣り番組をときどき見る。釣りが好きでよく釣行した。就職して営業職に配属され、ゴルフをするように勧められて御徒町のゴルフ用品売り場に出かけたのだが、隣に釣り用品売り場があって、ついそちらに入ってしまい、かねてからやりたかった投げ釣りの道具一式を買ってしまった。結局ゴルフは二三度打ちっぱなしに連れて行ってもらっただけで、縁がなかった。私には合わないスポーツだと思った。もともとスポーツは好きではない。

 

 実家が九十九里浜に近かったので、月に一度か二度、実家に泊まり、飯岡(銚子の近く)あたりの太平洋の荒波めがけて投げ竿をふるった。超ハードタイプの4.2メートルの投げ竿に30号から35号の錘(おもり)をつけて、百メートル以上投擲する。狙うのはイシモチという魚で、おもしろいように釣れた。船で釣るような30センチ以上というのはめったにないが、20センチ以上のものが50匹以上釣れたこともある。週末になるとわくわくして眠れないほどであった。ゴルフやテニスを趣味にしていた同僚たちを無理に誘って釣行したり、ときには営業所の女性も交えてみんなで東京湾の船釣りにも出かけた。

 

 名古屋に転勤してからも、堤防釣りや釣り好きの人と船でのアジ釣りやカワハギ釣りに行った。子供たちと名古屋港のハゼ釣りや知多半島での小物釣りを楽しんだ。ときには朝早くに三重県の尾鷲近くまで行って、小メジナやその他の五目釣りを楽しんだ。だからテレビの釣り番組は自分が釣るように楽しんで見た。釣行の参考にもなる。お客さんでも釣り好きな人はいる。話が盛り上がって一緒に出かけたことも多い。一気に親しくなる。

 

 子供たちは釣果の魚を喜んで食べてくれた。さいわい二人とも魚が好きだし食べるのも上手である。釣った魚を肴に飲む酒は格別であった。それほど好きだった釣りも、朝早く起きるのがつらくなり始め、よく一緒に釣りに行った友人が転勤してしまったり、父が亡くなってしばらくは殺生を控えようと思ったり、子供たちが巣立って釣った魚を美味しく食べてくれる人がいなくなると、釣行は間遠になり、ついには釣り道具はしまわれたままになってしまった。

 

 だからいまは釣り番組をそれほど熱心には見ないけれど、他に見るものがなくて見たりすることがある。とくに釣行の後に、釣れた魚を食べる場面があるのはお決まりなので、それを美味そうだなあと、味を想像しながら眺めるのが嫌いではない。

 

 息子は広島で、たまに嫁さんと一緒に小物釣りに出かけるらしい。

出費

 私だけではないことだが、この時期は固定資産税や自動車税など、出費が重なる。年金暮らしには少しつらい。やむを得ない出費があるなら、それ以外の出費を控えるのがとうぜんなのに、金というのは使い出すとさらに使いたくなってしまうところがある。半分やけくそである。評論本を読んでいると、そこに取り上げられた本が読みたくなり、そこからさらにその評論家の別の本が読みたくなり、その系譜につらなる別の評論家の本が欲しくなりときりがない。気がついたらネットで注文している。先日、本屋に立ち寄らずに我慢した意味がない。

 

 配達されてきた本を積み上げて、嬉しくてわくわくしているのだけれど、一体どれだけ読めるのか・・・もう病気である。

2025年5月10日 (土)

お気に入り

 ウィスキーにもワインにも、日本酒にも合う簡単なつまみとして、いまお気に入りはソルティークラッカーにクリームチーズを塗りつけ、そこに釜揚げのシラスを乗せたものだ。いまは釜揚げしらすが安くて美味しい。クラッカーは甘いものは不可。クリームチーズは少し高いけれどフィラディルフィアというのを択ぶ。日本のものはヨーグルトみたいに水が浮いたりして、その分乾いて堅くなりやすい。

 

このごろ佃煮類をいろいろ買って食べ比べている。日本酒をちびちび飲むのに佃煮が美味しいことがある。生姜と切り昆布を炊き合わせたものなどが美味い。ちりめん山椒なども美味しいのだが、スーパーに置いているものは山椒が物足らない。だからホアジャン(花椒)などを振りかけてちょっとしびれる辛さを楽しむ。ホアジャンを磨る入れ物が100円ショップでも売っている。粒の山椒などもそれで磨りながら麻婆豆腐などにたっぷり振りかけて辛さを楽しむ。

 

 梅干しが好きなのだが、歯の知覚過敏で、食べると歯が浮いてしばらくものが噛めなくなる。果物もつらい。知覚過敏用に歯磨きのシュミテクトが欠かせないのだが、少し高いダブルタイプを使うようになって、三方五湖で買ってきた大粒の梅干しがまるごと一個食べられるようになった。娘が紀州で買ってきてくれた甘めの梅干しなどはすいすいと食べられてありがたい。ただ、ナッツ類の堅いのをつまみにガリガリ囓ると、どうもいけない。両方好きなのに、ナッツ類を食べるか酸味のあるものを食べるか、どちらかにしなければならないようで残念だ。

音と意思疎通

 肩が痛いとか、耳が聞こえにくい、などとブログにぼやいていて、我ながらますます年寄り臭くなったなあ、と自嘲している。ありがたいことにコメントもいただいたりしたので、聞こえる音についてもう少し考えた。聞こえる、というのは音がするのが分かる、というだけではなくて、何の音か、そして、ことばであれば何を言っているのか内容が分かる、ということである。聞こえているけれども何を言っているのかが分からない、という経験が増えている気がする。

 

 会話では、相手の言っている内容が分からなければ意思疎通は困難だ。聞こえない、というより分からないというケースが案外多い。むかしは漫才などを聞いていて、テンポのいい掛け合いがおもしろくて笑えたが、いまは楽屋落ちの、つまり身内の笑いばかりが多くて、その背景となる人間関係などを知らないと、何がおもしろいのかが分からない。こちらはそういうことを知識として知りたいという欲がないから、当然その意味が分からず、さっぱり笑えない。意味が分からないから聞こえないのと同じで、おもしろくもなんともなくて、お笑い番組はつまらない。見ないからますます分からなくなって、自分とは縁のない世界になっていく。たまに笑える芸人は、個別の笑いを一般化して、つまり普遍化してみせてくれているのに気づく。そういう芸人は長続きするし、私の好き嫌いはそこに発しているようだ。

 

 友人との会話は楽しい。互いに顔を見ながら話すので、相手の心の動きが分かるから、自分の言ったことに相手がどう反応したのか推察することができる。それに話題が共通するものであることが多いから、ハッキリ聞こえなくても相手の言っていることが理解できる。勘違いすることがないではないが、おおむね意思疎通は出来て、会えば楽しい時間を過ごせる。端(はた)で見ていると、いつも同じことを言い合っているように見えるかもしれないけれど、ことばが相手に伝われば嬉しいものなのだ。

 

 テレビがこの歳になってもいまだに好きなので、よく見る。それで感じるのは番組によって、そして局によって音量が違うこと、違いすぎるほど違うことだ。たいていNHKの番組は音が小さい。特にニュース番組の音が小さい。民放を見ていてNHKに切り替えるとあまりの音量の違いに驚かされる。NHKの人はきっと耳のいい人が多いのだろう。そのNHKも、スポーツ番組になった途端、とんでもなく音が大きくなる。いつもそうだからそういう音量の基準があるのだろう。

 

 ニュースでも、NHKのアナウンサーは発声が訓練されているから、ことばがクリアで、音が大きくなくても聴き取れる。その同じ音量でインタビューの一般人の音声を伝えるから、もごもごと何を言っているのかわけが分からないことがあるが、たいてい局が訊きたいことを思慮して決まり文句で喋っているはずだ。だから、インタビューする意味があると思えないことも多い。聞くだけムダであるから聞こえなくてもどうでもよい。海外ニュースを同時通訳で聞く番組をよく見るけれど、同時通訳者には聴き取りにくい人がしばしばいる。変に媚声の女性などがいて、それだけで気になってイライラしてしまう。音量を一定にすることに努めるのではなく、伝わりやすさで音量を変えるようにしてほしいくらいだが無理か。

 

 聞こえる、ということは何を言っているのかが分かる、ということで、それは単に音量の問題ではないことが、耳のよく聞こえている人には理解しにくいだろうなあと思う。

 

 余談だが、ときどき言っていることが良く聞きわけられない人がいる。こちらは、聞こえないから意味が理解できないのか、理解できないから聞こえないのか微妙なところだが、当然、聞き返すことが多くなる。そうすると、不思議なことに、ますます声量を下げたりされる。仕方なく、分からないまま相づちを打ったり頷くしかないことになる。自分の言ったことが伝わらないはずがないと思う人は、相手の反応を読み取れないのかもしれない。

恐いもの見たさ

 山崎正和の『不機嫌の時代』からの引用

 

 「恐いもの見たさ」とは何かを見たいという衝動ではなく、逆に、何かを見ていない状態から逃れたいという願望のあらわれだといえる。人間は真に恐ろしいものをまだ見ていない状態でこの衝動に駆られるのであり、恐怖としてはむしろ中途半端な状態を解消しようとして恐いものを見たがるのである。いいかえれば、彼は恐怖から逃れようとして見たがるのではなく、むしろ恐怖以前の状態から恐怖そのもののなかへ逃れるために何ものかを見ようとする。彼にとって真に耐えがたいのは感情の無限定な緊張であって、それよりはまだしも明確な恐怖の方が耐えやすいという逆説的な衝動が彼を動かすのである。
(中略)
傍観主義は、一切の感受性を拒否して内面の曖昧さの手前に立とうと試み、「恐いもの見たさ」は逆に、感受性を過度に痛めつけて曖昧さの向こう側に脱けようとする。その結果、獲られるものはおよそ真の自己の充実とは無縁だとしても、人間はときに内面の恐るべき空虚を、この両極端に走らねばならぬほどに痛感することがあるのである。

 

 これは夏目漱石の『明暗』の主人公、津田に関しての文章であるが、私は『明暗』を読んでいないので、そうなのか、と思うだけである。ただ、夏目漱石の『それから』という小説の主人公、代助の行動を思うとき、そのままその通りだと理解することができる。そうして、代助の行動の結果が、次の作品『門』につながっていくということもよくわかるのである。つまり漱石はある意味で、見方によれば、同じようなテーマを繰り返しながら深化しているともいえる。

 

 明治時代の高等遊民の優柔不断さ、「傍観主義」の心理的内面について、私は不思議にシンクロしてしまうところがあって、だからそういう作品がおもしろく読めてしまうのだろう。特に、リタイア後の自分をある意味で外側から見ているともいえるのだ。

2025年5月 9日 (金)

『海辺の光景』など

 安岡章太郎の『海辺の光景』や庄野潤三の『プールサイド小景』を読んだことを、先日このブログに書いたけれど、そのきっかけは、山崎正和が江藤淳について論じている所で、江藤淳の『成熟と喪失』という本の中の、「母の喪失」という視点について言及されていて、その典型的な小説が安岡章太郎の『海辺の光景』であることが合わせて論じられていたからだ。「海辺」は、ここでは「かいへん」と読ませる。

 

 高校生の時、内外の文学小説を図書館で借りて片端から読み倒した時期がある。忘れられないものもあり、また途中までで読みきれなかったものもあったが、その時にとくに感銘を受けて忘れられなかったものに、この二作品があったのだ。安岡章太郎も庄野潤三も、いわゆる戦後の第三の新人と言われたグループに分類される。そういうことはこの作品を読んだときには知らなかった。

 

 安岡章太郎は折にふれて読み、彼の本が少しずつ棚に列び、気がついたら小説全集と随筆全集も揃えていた。好きな作家である。随筆の全集はほぼ全部読んだが、小説はまだ半分くらいしか読了していない。これからぼちぼち片付けるつもりだ。そうして若いときに読んだからと『海辺の光景』は読まずにいたが、今回読んで改めて強い感銘を受けた。こういう小説を高校生の時に読んで忘れられないでいた自分をほめてあげたい。

 

 そうしてその時の記憶から、同時期に感銘を受けた庄野潤三の『プールサイド小景』(これは短編)という作品を棚の昭和文学全集の中から引っぱりだしてついでに読んだのだ。そうしたらその同じ巻の中に小島信夫も収められていて、彼の夏目漱石論があったので、ついでのついでに読んだというわけである。これは少し文章が雑で、山崎正和や江藤淳の論理的で端正な文章を読み慣れてしまうと、格が違うような気がしてしまう。こういう人が馬鹿に馴れ馴れしく漱石を語り、結果的に漱石の神格化に加担した、とまで言うのは酷だろうか。

 

 今日、團伊玖磨の『舌の上の散歩道』を読了。彼の食にまつわる短文を集めた本で、三十代の初めに読んだ。食についてのこだわりは、伊丹十三やこの團伊玖磨、檀一雄の本などから教えられた。当時は私も健啖家であったし、健啖でなければ食を語るなかれ、と思っていた。営業という仕事であちこち走り回っていたから、ずいぶん美味しいものを食べる機会があり、その点ではしあわせであった。

聞き間違い

 集中して聴いていないとしばしば聞き間違いをする。千葉県と滋賀県、西宮市と一宮市などはよく聞き間違える。昨日は西さんと日産を聞き間違えた。汚職事件とお食事券なんていう勘違いもあった。自分で間違えて自分で笑ってしまう。こういう聞き間違えは音量の違いではなく、ことばに対する耳の解像度の問題で、音量を上げても少しまちがいが減る程度で、その分うるさくなってかなわない。日頃は聞こえないものを想像力で補って過ごしているが、ときに誰かとの会話の最中では聞き直しも出来ずに、不得要領のまま仕方なく頷いたりすることがある。次第にそういうことが増えている。

 

 父は耳が遠かったが、テレビを見ながら、よく母に聞き直しをした。聞こえないと思って母が耳元で大きな声で云うと、「うるさい」と腹を立てるので、母はそれに怒ったりしていた。父は聞こえないのではなくて、意味が分からなかったのだ。耳が遠いこともあるものの、父のボキャブラリーや感性にないことばや内容について母に問うたのだが、母は単に聞こえないと思ったのだ。朝ドラなど、母は父がたびたび脇で何か問うから、うるさくて集中出来ずに腹を立てる。仲がいいやら悪いやら分からない二人だった。父が亡くなって、母はにわかに発語障害になったのだから、たぶん仲がよかったのだろう。

 

 私は問いかける人間がいないので、自分で確認するしかない。

肩が痛い

 今朝起きたら、右肩が今までになく痛い。昨晩、自分で自分の誕生祝いで盛り上がり、いささか飲み過ぎたが、その時にはそれほど痛くなかったから、寝ている間に右肩に体重をかけるような寝方をして痛めたのだろう。たいてい朝方痛んでも、昼にはその痛みを忘れるほど軽くなるのだが、今日はどうだろうか。

 

 昨日は、本を読むことに夢中で、放置していたいろいろな雑用を片付け、水回り関係の掃除をし、午後には名古屋に高速バスのチケットを買いに行った。再来週に弟夫婦と妹と兄弟旅行をするので、途中で合流するためである。いつもは名古屋まで出れば、三省堂かジュンク堂に寄るのだが、かろうじて本屋に行くことを思いとどまった。寄れば何冊も抱えて帰ることになる。読みかけが山のようにあるのにキリがない。

 

 その時には肩の痛みなど忘れていた。あまり痛むようなら整骨院に行くしかないが、何とか治まらないだろうか。

2025年5月 8日 (木)

通知表と劣等感

 今朝のニュースによれば、岐阜県美濃市は、市内の小学校の一年生に限り、通知表を廃止することにしたそうだ。小学校の低学年生に、通知表による優劣で劣等感を持たせたくないからだという。そのニュースの中で知ったが、もともと低学年生には〇△✖の評価の通知表だったようだ。それでも問題があるという判断をしたのだろう。そもそも✖を点けるのは教師には忍びないことであろうと想像する。マルバツは成績の評価というよりも善悪の評価みたいに感じられてしまう所がある。それなら〇と△ばかりだったと思われ、それが劣等感に直接結びつくとも思われないが、親が何か言うことが子供に影響することは考えられる。

 

 中国で文化大革命が全土で賑やかだった頃、それに賛同する日教組信奉派の教師が、すべての生徒にオール5の評価の通知表を渡したことが話題になった。こうなると評価とは云わないだろう。それを知ってマネをした教師が全国あちこちに輩出したとも聞いた。そういう先生がテストの点数をすべて100点にしたかどうかは知らない。そうでないと整合性は取れないと思うし、それならテストすることも意味がないと考えるのが論理的な一貫性であろう。

 

 こういう考えは、平等主義だと思われたのだろうが、じつは根底にあるのは、テストの点や通知表の評価をその子供の絶対的な評価だと思っていることの表れに過ぎない。学校の成績がその人間を絶対的に評価するものだと考えての行動ではないか。成績至上主義に反対しているようで、じつは成績至上主義を前提にした行動をしているのである。現実の社会は、一部の組織を除けば、実は学歴主義でも成績至上主義などでもない。それも評価の一部、という程度である。有名大学を卒業しました、という見えない名札をぶら下げていても、役にたたなければ評価されないのが社会である。

 

 小学校に入学して、一年生のときに私がもらった通知表は、ほとんど3の評価で、中には2も点けられていた。そういうものかと子供心に思い、他の子の通知表を見せてもらったら、当然4や5がちりばめられている子もいる。ちょっと情け無い思いもしたが、劣等感を抱いた記憶はない。父は教師だったし、両親とも私がもう少しましな成績であるものと信じていたから残念に思ったようだが、それで何か言われた記憶はない。後で教師との個別面談のときにその教師に母親が言われたのは、**君は授業中、分かっているのに手を挙げない、ときどき校庭をぼんやり見ていたりする。それで指すと正しい答をする、などという苦言であったことを後で聞いた。二年生のときも同じ教師だったので似たような通知表が続いたが、少しずつではあるものの4が混じりだした。両親は笑っていた。教師に生意気な生徒として嫌われていたのだ。

 

 三年生から先生が替わり、通知表もがらりと変わった。そういう経験も、経験として子供に生きることもある。子供はたいていそれほど弱くない。劣等感は大人が介在することで生まれてしまうのではないか。たかが成績である。

だから何なのか

 朝晩ざっとネットニュースを眺めるが、記事によって、だから何なのか、というようなものがある。別に記事を書いた人間に意見を求めたいわけではないが、どうしてその話題が取り上げられたのか、どうしてそれがニュースであると判断したのかが意味不明なのである。そういういうものが少なからずある。そんなふうに感じるこちらが世の中とずれているのだろうか。

 

 もっと知っておきたいことがあるはずで、それが取り上げられていないために知らずにいることがたくさんあるような気がしている。

後期高齢者となる

 本日、五月八日は私の誕生日。本日を以て七十五歳となり、後期高齢者の仲間入りをした。令和七年五月八日は数字で七五八、「なごや」ということで、名古屋の日でもあるそうだ。あわせてめでたいことである。

 

 体中に不調の部分があって、それは年相応のことであるから、それらと折り合いをつけながら日々暮らしている。自分では頭の中身の方はまだそこそこ大丈夫、などと思っているが、他人から見たらどうかは分からない。

 

 しつこくこのブログに書いているが、読書欲が昂進しすぎて却ってスランプになったりするが、おおむね本が読めている。昨日は安岡章太郎の『海辺の光景』や、庄野潤三の『プールサイド小景』、小島信夫の評論『狂気と羞恥 夏目漱石』などの文章を読んだ。それぞれどうして読んだのか、それなりに理由があるのだが、それは後で記す。

2025年5月 7日 (水)

読むのを再開する

 いろいろな本をあらためて読み始めて、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』や、読むのを中断していた永井荷風の『断腸亭日乗』を再び読み始めた。『断腸亭日乗』は、まだ第一巻の前半部、大正十年から十一年にかけての部分である(第三巻が出たという案内があったので、すぐに取り寄せて手許にある。読むのが楽しみである)。他にも何冊か脇に積んである。地震が、それも棚からものが落ちるような、少し大きな地震がときどき起きている。あとから思えば、それが関東大震災の予兆であろうと云うことがわかる。わかってもどうしようもない。その関東大震災の記述まで、読み進めるだけだ。

 

 さいわい読書スランプは、二週間足らずで終わったらしく思われる。読書欲が昂進しすぎて自分を見失っていただけらしい。

 

 『断腸亭日乗』を読み進めるには、漢和辞典が手放せない。書いている永井荷風には当たり前のことばが、こちらには初めて見ることばとなって頻出する。国語辞典ではほとんど役にたたない。漢和辞典の出番が多い。漢和辞典の引き方にはいろいろあって、それを楽しむというのもこういう本の読み方であって、ちょっとマゾヒスティックな煩わしさを楽しんでいる。読みで見当をつけて引き、部首で引き、しかたがないときは総画数で引いたりする。辞書にないことばも、その漢字の意味をよくよく読みこんでみれば、何とか推察することができる。漢字というものの面白さを改めて楽しんだりしている。大好きなミステリーに似ている。

傍観主義と軽率さ

「傍観主義は行動の決意をどこまでも先へ延ばす生き方であるが、軽率さは決意の瞬間をすり抜けて先へ跳び超してしまう知恵だと考えられる。前者は人間を静止させ、後者はその運動を激しくしているように見えるが、じつはどちらも人間を行動の主体的な意志から解き放ってくれる。」

 

 これは山崎正和の『不機嫌の時代』からの断片的引用だが、これを説明するために、夏目漱石の『明暗』の中のこの部分を引用している。

 

 彼には最初から三つの途があった。そうして三つより他に彼の途はなかった。第一は何時までも煮え切らない代わりに、いまの自由を失わない事、第二は馬鹿になっても構わないで進んで行く事、第三即ち彼の目指す所は、馬鹿にならないで自分の満足の行くような解決を得る事。
 此の第三条のうち彼はただ第三条だけを目的にして東京を立った。所が汽車に揺られ、馬車に揺られ、山の空気に冷やされ、烟の出る湯壺に漬けられ、愈(いよいよ)目的の人は眼前にいるという事実が分かり、目的の主意は明日からでも実行に取り掛かれるという間際になって、急に第一が顔を出した。すると第二も何時の間にか、微笑して彼の傍に立った。彼らの到着は急であった。けれども騒々しくはなかった。眼界を遮る靄が、風の音も立てずにすうと晴れ渡る間から、彼は自分の視野を着実に見る事が出来たのである。

 

 山崎正和は云う。「第三の道は行動を開始する口実としては必要であったが、実際に踏み得るのは第一と第二の道しかなかった事は明らかである」と。

 

 こういうところに自分自身をなぞらえてみれば、自分が生きて自分が選んで決断した道が、どんなものであったのか、忸怩たる思いがする。忸怩たる思いがするけれど、誰かに選ばされた道ではない、とだけは言いたい気もする。ただ、成り行きというものの意味をこういう文章から自分に突きつけられると、自分の人生とは何だったのか、もう一度見つめ直して見ざるを得なくなる。恐ろしい事である。

美味しい酒

 昨晩は、『不機嫌の時代』という、わずかかも知れないが、自分のレベルを上げてくれると思える本を読み切ったことを祝して、自分に祝杯を挙げた。勢いでいろいろ飲んだが、とくに『如空』という、先々月に東北へ行ったときの土産に買った八戸の酒が、期待以上にうまくて酩酊した。また岩手に行ったら買ってこようと思う。そういう嬉しさは、人に説明しがたいが、そこに誰かいたら悦びは倍加しただろう。たとえば今はいないF君なら、笑いながら一緒に祝福してくれるだろう。

 

 自分を外部から変える、というのは、自分よりはるかに能力の高い人の発表したものを、自分に浴びせて、わずかでもその餘慶をいただくと云うことである。そういうものをいただいて、自分が、ほんの少しにしても、それよりの前の自分とは違う自分になれたということである。こんなめでたいことはない。『男子、三日会わざれば刮目して見よ』という三国志の呂蒙のことばは他人事ではなく、私にとっては自らに常に心がけていることばである。読書にはそういう功徳があると思っている。

2025年5月 6日 (火)

『不機嫌の時代』をついに読了する

 劇作家で評論家の山崎正和の評論、『不機嫌の時代』をついに読了した。この本に取り上げられた作品は多数あり、一部だけではあるものの、それらを並行して読み進めたから、実際には数冊以上の本を読んだことになる。巻末の評論家、菅野昭正の解説の最後にあるとおり、「この評論は「不機嫌の時代」論でありながら、あるいはまた不機嫌という気分の視角で書かれた森鷗外論、夏目漱石論、永井荷風論、志賀直哉論で」ある。さらにそれは明治末、日露戦争前後から大正初めにかけての日本の近代文学全体にわたる新しい視点の提示でもある。

 

 近代文学史の分類などに影響されて作家を色づけしてみていると、見失うものがあることを実感した。鷗外と漱石と志賀直哉、永井荷風に通底するものがある、などということをいままで論じた評論を読んだことがない。そして、不思議なことにそれはカミュの『異邦人』にも読み取れること、さらにそこから実存哲学にも言及されていく。キルケゴールの『不安の概念』との対比から、なにが読み解かれていくか。

 

 私が高校生の時から、唯一身の程知らずにしがみついている哲学者は、デンマークの哲学の詩人と言われるキルケゴールである。論理より直感で書かれている著作もあるので、こちらもごくまれにではあるが、直感的に意味が頭に届くことがある。薄っぺらではあるものの、そういう下地があり、志賀直哉や永井荷風がもともと好きで、さらに森鷗外や夏目漱石も人並み程度には読んでいるので、この評論はほんの断片ではあるが、心に響くところがあった。

 

 読了してこんなに感激したのは久しぶりだ。最後の部分は読み終えるのが惜しい気持ちになって、巻を閉じてしばらく別の本を読んだりした。引用されていてもまだ読んでいない長編がたくさんある。それらを少しずつ読みながらこの評論を反芻し、時間をおいて読み直したいと思っている。

 

 次回以降、付箋をつけたところを少し引用するつもりだ。内容ではなく、ことばについて気持ちに響いたところである。

ひどくなったり軽くなったり

 今朝は雨。連休も最後の日だ。そういえば休みだというのに子供たちがマンションの中庭であそぶ姿を見かけない。みな家族でどこかへ出かけているのだろうか。平日なら、ベランダからすぐ下に見下ろせる幼稚園の園児たちの歓声が聞こえるのだが、それも休みだから静かである。やかましいのは嫌いで静かな方が好きだが、幼い子供の元気な声は、慣れてしまったのか、さほど気になることはない。

 

 花粉症は一進一退。楽な日とひどい日とがあるが、次第におさまりつつあるようだ。ただ朝は暫くの間ティッシュが手放せない。今日は雨だからだいぶ好い。それより今年に入って右肩が痛くてかなわない。先日娘が来てマッサージしてくれたが、一時的に楽になっただけである。肩甲骨のあたりを集中的にほぐしていたが、これはかなり時間をかけてやらないと治らない、といわれた。根本原因は腰のあたりにあるように思う、という。このごろ前屈みになって歩いていて、まさに腰が曲がりかけのおじいさんの姿の自分を笑っているが、無理にのばすと背中から腰が痛くて長続きしない。せいが高いのに姿勢がいいのが自慢だったのに哀しいことである。

 

 痛みをこらえて意識して右肩を動かすようにしているが、その痛みがかなりひどい日は、なにもしたくなるほどつらい。寝ている間にその右肩を下にしていると、痛みで目が覚めてしまう。そういうときは安眠できた気がしない。痛いからどうしても仰向けに寝る。そうするといびきをかくのだろう、朝、口の中がカラカラに乾いていて、喉も痛い。これも安眠を妨げている。

 

 今朝はうまく寝られたのだろうか、その右肩の痛みが多少楽である。気分まで楽になる。四十肩、五十肩と云うが七十肩である。最初は安静に、少し過ぎたら動かして固まらないようにする、というのが対処法らしく、それでしのいできた。今回もその手で行くつもりだが、そろそろ自分で肩甲骨から痛みをはがしにかかろうかと思う。かなり痛いけれど、放っておくと独り暮らしそのものが困難になってしまう。

2025年5月 5日 (月)

よくわからないのにおもしろいのは

 評論の文章を読んで理解するには、その評論されているものについてまずよく理解しなければならない。だから山崎正和の評論文で、夏目漱石の作品が取り上げられればそれを読み直し、自分が気がつかなかったことを評論を手がかりに読み取ろうとする。もちろんそこまでの理解力がないから、わかったようなつもりで読み進めるしかない。そんな苦労をして、どうしてよくわからないものをわかろうとするのか。そんなことのどこがおもしろいのか、と思われるかもしれないが、不思議なことにおもしろいのである。

 

 大事なことに気がつくための何かがありそうだ、と確信しているからであり、そしてときどき瞬間的に、そして断片的ではあるものの何かがぴかりと光るのを見ることがある。それがとても嬉しいのである。感激するのである。

 

 いまその補足として先崎彰容の『批評回帰宣言』という本を合わせて読んでいる。ここでは漱石が、そして江藤淳が論じられている。夏目漱石が数多くの人に評論され、そしてほとんど神格化されてきた中で、江藤淳はその神格化の色メガネ無しに夏目漱石を繰り返し評論し、最終的に『漱石とその時代』にまとめ上げようとした。第一部から書き続け、惜しくも第五部の途中で自裁したために絶筆となってしまった。私も雑な読み方ながら何とかそれを読んだ。先崎彰容は江藤淳を論じることで夏目漱石を論じている。

 

 夏目漱石は『三四郎』、『それから』、『門』の三冊を繰り返し読んできた。そして読むたびに違う読後感を持つ。いま、山崎正和や先崎彰容、そして江藤淳の評論を読んで、また読み直したらどんな新しい世界が見えるのだろうかと思っている。山のように読もうと思う本があるけれど、結局本当に読める本はほんの限られたものだけなのだと思ったりしている。若いときに琴線に触れた本をたぶんこれから読み直すことで時間が過ぎていくようだ。

被害妄想と正義の味方

 トランプ大統領が、外国で作られた映画に対して「100%の輸入関税を課す」ことを検討するように関係省庁に指示したそうだ。理由は、「他の国はあらゆる優遇策」をとっており、そのせいで「アメリカの映画業界は急速に死につつある」からだそうだ。アメリカの映画産業が急速に死につつあるとは知らなかった。トランプという人は被害妄想患者みたいだと思っていたが、それは計算ずくだ、などという専門家がいて、どうにも判断がつかないでいたが、これについてはさすがにどうかしていると思わざるを得ない。アメリカの映画が衰退しているのなら、それは外国のせいではないだろうと思うし、そんな施策が何かを改善するとか、アメリカを再び偉大にするなどということに寄与するはずもない。それにしてもトランプは映画を見るのだろうか?

 

 ところで、カナダの選挙もオーストラリアの選挙も、接戦または劣勢の可能性もあった与党が勝利した。それはトランプに反対する与党と、親トランプの野党という図式になってしまい、オーストラリアやカナダの国民の、トランプに対する反感が与党を勝たせたということのようだ。応援すると負ける、という図式はまだアメリカ国内では起きていないようだが、いまに共和党議員はトランプのバックアップを受けるほど選挙に勝てない、ということになる兆しではないかと、ちょっと期待を持ってみてしまう。

 

 習近平がロシアを訪問するらしい。中国外交部の報道官が云うことには、両国は「世界反ファシズム戦争に勝利」し、「戦後の国際秩序を守り、国際正義を擁護することで一致している」そうだ。たしかに「世界反ファシズム戦争」に勝利したことはまちがいない。しかし「国際正義を擁護している」というのはいかがなものか。こういうことばを繰り返し聞かされ、「正義」を公然と謳われると「正義」がどんどん軽くなり、嘘くさくなり、「正義の味方」が嫌いになっていく。自分が正義だから何をしてもいいと確信しているのが正義の味方のように見えるからだ。

パイプのけむりを読み終える

 團伊玖磨の『パイプのけむり』というエッセー集、手持ちの十七巻をようやくすべて読み終えた。実際には全部で二十七巻あるらしいが、これで打ち止めとする。團伊玖磨は音楽家で、クラシックの作曲家であるが、優れた文筆家でもある。山田耕作に師事した。随筆家としては内田百閒に深く傾倒しており、物事に対する過剰ともいえるこだわりは、百閒譲りと言えなくもない。とことん本物にこだわり、偽物、いいかげんなものが許せない。こだわりとは生き方である。矜持である。そのこだわりを貫くだけの素養と研鑽があるからこそ、それが独りよがりとならない。

 

 とにかく世界中、そして日本中を歩き回り、走り回り、知りたいと思ったら、納得するまで調べ倒し、人に訊きに行く。だからこのエッセー集は知識の宝庫でもある。上等な、つまり上品なユーモアの文章だが、中身が濃いからすらすらと読み飛ばすということが出来ない。これだけ濃厚に生きていたら、人生は充実していてうらやましいと思うが、充実させるのは自分自身である。充実させたければ出来るはずだ、と思わせてくれる。ただ、その知識の積み重ねが次の知識への興味、好奇心を生み出すのであって、蓄積の量が違いすぎることに脱帽である。上品とは外見ではない。

 

 若いときに、出張先にこのシリーズを持って移動の列車の車中や宿泊先の宿で読んだことを思い出した。生き方にいささかの影響を受けたつもりであるが、大事なことを忘れたままにしていることも思い知らされた。いったいじぶんは何をしてきたのだろう。

 

 團伊玖磨の本は、このシリーズとは別に『舌の上の散歩道』、『エスカルゴの歌』、『九つの空』の三冊が残っていて、これは少しずつ味わって読み進めたいと思っている。健啖家としての彼が読める。

2025年5月 4日 (日)

なりすましメール

 平野紫陽という名前の差出人からのメールが、昨日と今日続けて送られてきた。私の知り合いに連絡したいのだという。どこかで聞いたような、見たことのあるような名前だが、知らない人である。ネットで調べたら名古屋出身の男のタレントらしい。どうして私に送られてくるのかわからないが、もちろん直ぐ削除した。なりすましメールであろう。ファンの女性なら連絡するだろうか。そもそも突然そんなメールが来ることなどあるわけがないと思うのが常識のある人間で、引っかかるのは引っかかる方にもいくらかは責任がある。いくら好きでも、黒木華や多部未華子からメールをもらっても、私なら信用しない。ありえないからだ。

 

 まったくおかしな世の中になったものだ。

『墨攻』

 映画『墨攻』は2006年の、中国・日本・香港・韓国の映画。原作は酒見賢一の同名小説『墨攻』である。これはまず漫画化され、それを元にこの映画が作られることになったようだが、もともとは小説である。酒見賢一は好きな作家で、彼の本はたいてい読んでいる。もっとも気に入っているのは『陋巷に在り』全十三巻で、主人公は孔子のもっとも愛した弟子、顔回である。おもしろいからお勧めである。酒見賢一は惜しくも一昨年2023年の11月に心不全で急死していて、その訃報に接したときにブログにそのことを書いている。

 

 映画では、主人公の墨家集団の革離をアンディ・ラウが演じている。好きな俳優である。墨子を中心にした墨家は、そもそもは非戦主義を唱えた集団だが、非戦を唱えても戦いを仕掛ける者がいれば戦わずを得ないのは世の習い、その時には弱者に味方して助ける集団と化す。趙という強国に脅かされた梁という小国が、墨家に救援を求める。しかし墨家は現れず、梁国の命運は風前の灯火となる。降伏を決断したその時に、現れたのが墨家だと名乗る革離という男だった。

 

 降伏すれば梁の国は滅び、人民は虐殺されるのが必至だと説き、徹底抗戦を勧める。しかし趙の軍は十万を超え、梁には四千あまりしか兵はいない。ここから革離による巧みな戦術が展開されていく。

 

 諸子百家のうちの一つ、墨子は、じつは一人ではなく集団だったとも言われる。革離という人物もその一人で、記録にもあるようだ。墨子の由来は入れ墨を意味したともいう。中国古代では犯罪者は、外から見える顔や腕などに入れ墨された。たぶんいわゆる殺人や窃盗ではなく、政治犯的な人物たちの集団ではなかっただろうか。非戦主義、兼愛主義を唱える集団でありながら、きわめて強力な戦闘集団でもあったらしい。しかしこの物語の悲惨な結末に見られるように、戦国時代の弱肉強食の中での理想主義は賛同者が得られなかったのであろう。歴史に埋没していった。

 

 この映画を見るのは二回目。後半部から結末についての記憶が曖昧だったので、見直した。たいへんおもしろい映画である。

なにもしないで生きていける人

 大阪で小学生の列にレンタカーで突っ込み、子供たちを跳ね飛ばして七人に怪我を負わせた男が逮捕されて語ったことばが、「生きているのが厭になってしまって」だとか「この世の中が厭になって」だかという、理由にならない理由だったようだが、今度は「なにもしないで生きていける人がいるこの世の中が厭になって」などといってるらしい。

 

 こういうことばを聞くと、頭のネジの緩んだ輩はしばしば、現代社会のゆがみが弱者にしわ寄せされて、こういう事件を起こさざるを得ないところまで追い込まれたのだ、社会が悪い、などとのたまう。

 

 たしかに社会がゆがんでいることは認めるが、およそこの世の中がゆがんでいなかったことはなく、これからもゆがんでいない社会が招来することもないと思う。なぜならば、人間そのものが不完全な存在で、それぞれの違いが集合すれば、社会は必ずゆがむだろうと思うからだ。

 

 なにもしないで生きていける人、というのが誰を指しているのかがよくわからない(だいたいこういう記事は、わかったようでちっともわかっていない人間が中途半端にわかったような書き方をするから結局わからない)。犯人が自分のことを言っているのではなさそうだ。何しろ放射線技師を辞めたか辞めさせられたかしたばかりのようである。それなら濡れ手で粟で生きている人を指しているのだろう。それが問題なのだ、その不公平こそが社会のゆがみだ、などと言う人もいるだろうし、私もそう思わないではないが、この犯人は、そういうなにもしないで生きていける人になれない自分に絶望したのだろうと思う。

 

 つまり、犯人は、なにもしないで生きていける人になりたい気持ちが叶えられない悔しさは、子供を跳ね飛ばす行為に交換できるほどの怒りであると云っているのだ。これは社会のゆがみではなくて、この犯人のゆがみそのものだろう。聞くに堪えない戯言(たわごと)である。

2025年5月 3日 (土)

あることないこと

 ネットニュースを見ていると新聞がとりたくなる(新聞を購入しなくなってずいぶんになる。不在のことも多いから止めた)。新聞はここまでスキャンダル記事にあふれてはいないだろう。それとも私がそういう記事を選好的に読むとAIが判断して、そういう記事をならべてくれているのか。そういう記事がならんでいるからつい読んでしまうだけで、読みたくて読んでいるわけではない。読ませたくてならべているとしか思えない。それともそういう記事しかないのか。

 

 誰かを標的にするとそればかりが次々に報じられ、熱が冷めると次の標的がやり玉に挙がる。どんな人間だって標的にされてまったく無事な人間などいるわけがない。ものは悪意を持って見ればどんなことも批判の対象になるものだ。だから芸能記事を探して歩いている記者を、この世でいちばんの醜業だと私は思っている。本人にその自覚があればとてもやっていられないはずだから、自覚がないのだろう。芸能ジャーナリストはいつでも使えるカードを山ほど抱えているらしい。

 

 ところで皇室を芸能界と勘違いして、あることないこと書いているところがある。それを真に受けている人が少なからずいるからそれで商売になるのだろう。敬意も畏れも抱かれなくなったら皇室など終わりである。そもそもお為ごかしに取り上げる連中は、皇室など砂上の楼閣だと思っているに違いない。

 

 そういえばヘンリー王子とメーガン妃の話題も切れなく続いている。こちらは自らそれを招いて商売にしているところもあるから果てしなく続くのだろう。見たくも聞きたくもない話題であるからうんざりである。ところで記事から思い込まされているのだろうが、そこから感じるのはヘンリー王子の弱さである。自分が被害者だと思い込まされていて、自らの問題点に気がついていないように見える。永遠に食い物にされるだろう。ただし、自らの姿に気がついたら生きているのが厭になるかもしれない。同情できないことはない。

ひまつぶし?

 ひまではあるが、ひまつぶしがしたいわけではない。何かをする気が起きない状態で、だからといってなにもしないというのもイヤなので、だからこその、しかたなしのひまつぶしである。そこで久しぶりに大戦略ゲームというシミュレーションゲームを始めた。何百回とやってきたけれど、おもしろい。必勝の手順も知り抜いているから、とにかく部隊をいかに損耗させずに完璧に勝つか、ということに知恵を絞る。これでも頭を多少は使っている気になっているが、本当に使えているかどうかは自信がない。強いパソコン囲碁ソフトと対戦する方がはるかに頭を使うが、いまはその元気がないのである。

 

 この大戦略ゲームが出来るのは32ビットのCPUのパソコンのみで、20年くらい使ってきた古い古いNECのデスクトップを大事に使い続けてきたが、ついにおだぶつとなり、去年中古のDELLのWindows7パソコンを一万円ちょっとだして購入した。Windows10や11のマシンでは64ビットなのでこのゲームは出来ないのである。いつかは中古も手にはいらなくなるだろうが、あきらめがつくほどやり倒したからしかたがないと覚悟している。

 

 ひまにしていると、ついお茶、紅茶、コーヒーなどを飲み、間食をしたりするので、水分を含んで水ぶくれ状態になる。汗をかくように努めなければと思いながら、座ってあそんでいる。連休が明けたらどこが出かけよう。万博にちょっと興味があるが、人混みが苦手だし、行列に列んで待つのも嫌いだからたぶん行かないだろう。

嫌い

 自分の好き嫌いなど他人にはどうでもいいことだろうが、吐き出さないと内にこもるのでここに書き留めておく。立憲民主党の面々の多くが、その語り口とその思考法が嫌いだが、特に枝野氏の声質と口先で語る語り口が嫌いだ。そしてそれと同等かそれ以上に嫌いなのが野田氏である。それには理由があって、彼が総理時代に、習近平の前の胡錦濤主席とのやりとりに感じたことに原因がある。そのことは一度ならずブログに書いてきたので、やめておく。まじめで一生懸命で国家のことを考えている人だ、と見られていて、たしかに立憲民主党の中ではまともな方なのだろうが、考えが浅いためにまじめさが却って害をなす人間のように思っている。だから嫌いなのである。今回の消費税の問題についても、彼は明らかに節を曲げている。日米交渉について彼が何かえらそうに語っていたが、自分がどの程度の人間か、なにもわかっていないのが見えて不愉快である。嫌いである。

 

 ああ、すっきりした。念のため云っておくが、これは中傷誹謗ではなくて、好き嫌いの話である。どうしようもない。とうぜんだが、野田氏が好きだという人を、それだけで私は嫌いになることはない。

2025年5月 2日 (金)

『デッド・エンド 完全封鎖』

 腰を据えてじっくり見たい映画の録画がたまっているのに、それを見るエネルギーがなくて、なにも頭を使わずに見られそうなアクション映画を見た。2024年のアメリカ映画、『デッド・エンド 完全封鎖』は、ボストンとチェルシーを結ぶ巨大ブリッジのトビン橋がテロ集団によって封鎖占拠されるという物語だ。偶然巻き込まれた元陸軍の特殊部隊員がそのテロ集団に立ち向かい、孤軍奮闘する。そのテロ集団の目的は映画の中で説明されているのだが、それがどうして橋の占拠になるのかが今ひとつ納得できない。私の頭が働いていないので理解が足らないせいだろう。都合のいいことに、テロ集団のリーダーは脳腫瘍に冒され、末期的状況にある。だから単にとち狂っているという見方も出来る。それならそれに賛同してグループに加わった者たちはなにがしたくて加わったのだろう。いのちを粗末にして・・・。主人公に殺されてかわいそうではないか。

 

 などと要らぬ穿鑿をしても始まらない。とにかく危機また危機の中で、主人公が絶望せずに英雄的に闘う姿を単純に楽しめば好い。主人公がいささかトラウマを抱えている、などというのもなんとなくお決まりというところか。

 

 ところで橋に爆弾がいくつも仕掛けられているという設定であるが、いつ仕掛けたのだろう。結構交通量の多い橋のようで、多くの人の眼のある中で苦労したことであろう。

 

 映画を見ているうちに、ようやく左目の瞳孔が正常に戻った。

もう少し先

 眼科で医師が眼の中を覗き込むために、事前に瞳孔をひらく薬を点眼する。前回のときには一度ではひらききらず、もう一度点眼した。今回は、ひらくのに通常十五分のところ三十分ほどと、時間がかかったものの一度で済んだ。蛍光灯のライトがまぶしい。眼は問題なし。右目も念のため覗く。多少の濁りがあるようなので、遠からず左目と同じ処置をしなければならなくなる可能性があるそうだ。

 

 まさか時間経過とともに、今度は右、今度は左と、これから先、次々にレーザー処置が必要になるのでしょうか、と訊いたら、一時処置すればそれもうしません、ときっぱり言われた。ということは、そのあとはもう手立てはないということなのか、一度処置すれば決して同じようなことにはならない、ということなのかがわからない(ちょっと訊きにくい雰囲気を感じた)。

 

 もし気になるなら右目も処置しましょうか、といわれて慌てた。左目は明らかに異常を感じたから処置してもらったのであって、右目はそこまでのことはない。もう少し先にします、と答えるにとどめた。

 今朝は雨。後発白内障の治療にレーザー照射処置を受け、その経過確認のためにこれから病院に行く。本当は週初めの診察予定だったが、眼科の医師の都合で変更になった。希望の日時を今日にしたのだが、こんな風雨の強い日になるとは予想していなかった。病院まで普通に歩いて約二十分、普段運動不足だから、散歩がてらに往復するとちょうどいいのだが、この天気はありがたくない。

 

 今のところ眼には何の違和感もない。眼のチェックをしてすぐに診察は終わるだろう。目薬もないと思うので、薬局で待たされる心配もない。雨に濡れながら往復するだけだ。

 

 また読書スランプになっている。本があまり読み進められない。集中力が持続しない。テレビの紀行番組やドラマやドキュメントのようなものばかり見て日を過ごしている。こういうときはジタバタしてもしかたがない。明日からゴールデンウイークの後半だから、世間は混雑するだろう。わざわざその混雑に参加するつもりはないから、引き続き引きこもって無為の日々を過ごすことにしよう。

 

 トイレの横の壁面に滋賀県の地図を貼り付けてある。用を足しながら近江の見所を物色している。朽木あたりの宿場散策をしたい。また鯖寿司を土産に買おう。それとは別に、水口城跡のあたり、垂水斎王頓宮跡、田村神社(坂上田村麻呂が祀られているらしい)、土山宿本陣跡、近江商人の日野町あたりを歩いてみたいと思っている。この辺ならば日帰りで行ける。司馬遼太郎も近江がお気に入りだったようだ。知れば識るほど見所の多い場所だと思う。湖東三山など、季節を変えてもう一度訪ね歩きたいと思う。

2025年5月 1日 (木)

続・学生時代の旅行メモ

 年上の後輩の家は能登の穴水にあり、そこに泊めてもらって歓待を受けた。その時に食べたもの、禁漁期間のはずの甘エビ、サザエの刺身、白身の魚の刺身、青魚(たぶんサワラか)の刺身、アラの塩焼きなど。生まれて初めて食べた甘エビのうまさは忘れられない。禁漁だが網にかかってしまったものを分けてもらったのだという。本当かどうかは知らない。前回書いたように、後輩はバイトで帰省できずに不在である。後輩の父親は大いに酔い、ついには踊り出した。めったにしないことだが、私も民謡などを歌ったりした。

 

 翌日宇出津の遠島山公園へ行き、ふるさと列車という名のSLに乗る。民謡が流れていた。田野浦海岸という海水浴場で泳ぐ。少し沖に出て足の立たないところで泳いでいると、はるか下に魚が泳いでいるのが見える。水が透明すぎて下に落っこちるような気がした。この晩もう一泊泊めてもらい、この日も歓待を受ける。輪島に弟の家があるからそこへ泊まれ、といわれる。つまり後輩の叔父さんの家である。珠洲の銀行の支店長で、珠洲で待ち合わせることになった。

 

 翌朝お礼を言って別れ、九十九湾へ行って遊覧船に乗る。それから恋路海岸で島の周りを泳ぐ。のと鉄道で終点の蛸島まで行き、珠洲でその叔父さんに会い、車に乗って峠越えし、輪島に行く。急カーブの道をぶんぶん飛ばす。輪島で御陣乗太鼓を見る。叔父さんの娘のピアノを聴かせてもらう。翌朝輪島の朝市を見て、朝食後、海岸を能登先端方向にドライブする。上時国家、南惣などを案内してもらい、ドライブインで昼間からご馳走になる。

 

 午後三時過ぎ、輪島から列車に乗って金沢に向かう。この晩は金沢大学の寮(北溟寮)に泊めてもらうことになっている。夏休みに入る前に、はがきで依頼していたら快諾を受けたのだ。ところが場所を勘違いしたために探し当てるのに苦労する。翌日は兼六園などを散策し、敦賀に向かう。敦賀で散策し、米原へ向かう。米原で夜行列車の阿蘇に乗る。大混雑で座るどころかラッシュのような中で寝ることが出来ない。東海道、山陽本線を走り、夜明けの瀬戸内海を初めて見る。小郡(いまの新山口)で降りる。小郡から山口へ。そこから秋芳洞と秋吉台を見物。秋芳洞に感激する。

 

 美祢まで出て、山陰本線で長門、さらに西行して、益田と浜田の間の三保三隅という駅で降りてみたが、野宿するのに適さないと判断し、そこから益田方面にバックし、石見津田という、海が目の前の駅で降りる。小集落があるだけの漁村で、砂浜で星を眺めながらシュラフで寝た。蛍が飛び交い、蚊が無数に押し寄せて、ほとんど眠れず。

 

 翌日、昨日通過した山陰本線の木与というあたりで崖崩れがあり、山陰本線は通行止めになったという。間一髪であった。メモはここまで。この後砂浜の野宿はハードであることを思い知り、その後は昼間は海の家に休み、そこで寝させてもらうことにした。このあと数日場所を変えて日本海を少しずつ西へ移動した。海の家ではどこでもそこに寝ることを快諾してくれた。たいてい蚊遣りを用意してくれて、冷蔵庫の鍵を預けてくれる。実費でビールを飲ませてもらった。朝の日にキラキラ輝く海を眺めながら目覚めるのは至福であった。この後出雲大社を見たり、鳥取砂丘を歩いたり、餘部を見たり、半月あまり、いろいろうろついた後に米沢に帰った。二日に一度くらい地元の銭湯に入ったりして、お年寄りと話などしたのが懐かしい。

Img005

 このメモで気がつくのは、当時は輪島から金沢に列車が走っていたことだ。いまはそんな線はない。また、のと鉄道もずっと手前までで蛸島は廃駅になっている。

 

 学生というのは脳天気であった。友達が一緒だったというのもあるが、その友達は今でも親友ながら、予定を立てるのも交渉するのもほとんど私で、旅の途中からしばしばけんかした。友達はいまも相変わらずである。上時国家や南惣にはそのあと何度も行った。大好きなところである。

くれるには理由がある

 ポイントだの何だの、やたらにやる、やるといわれると、つい手が出てしまうが、くれるには何か曰くがあるはずで、必ず何らかの見返りがそこに隠されているはずである。それが互いにWin-Winの関係であるならけっこうなことだ。提供することになった何かが(情報など)が相手にとって有用で、こちらにはどうということのないことなら、心配ないし、むかしはそういうものばかりだった。ところがうっかりすると、どうということがないと思っていたことを手がかりに、ずるずると引き込まれたりしていく仕掛けがあったりする。ずる賢い人間というのは実に巧妙に仕掛けてくる。

 

 その見極めが出来ない、その自信がないのなら、「くれなくてもいい」と思っておいた方が無難かもしれない。わたしなど欲張りではあるものの臆病でもあるから、そこで迷うことがある。しかし臆病でなおかつ面倒なことが何より嫌いだから、欲よりもそちらが勝る。迷ったらやめておく、ということが多い。

 

 基本的に、もらわなくてもいいや、と思うことに決めておくと、いまは「もらわないと損ですよ」の猫なで声に満ちていることに気がつく。人はあげる、という声よりも、損しますよ、という声に弱いようだ。ネットに満ち満ちているそういうものを基本的に無視することに決めて、損することを気にしないようにしていこうと思う。ポイ活など、真似しないことにする。案外気楽である。気にしていたときは結構面倒くさかった。もちろん何かを購入してつくポイントは正当なポイントで、きちんともらうし、それがたまるのは嬉しい。

フジテレビが最後方から先頭へ?

 トラブル続きで踏んだり蹴ったりのフジテレビが、もがきの中で真剣に再生を目指しているように私には見える。その通りなら、たぶん他の民放とのレースの最後方にいたフジテレビが、試練の果てに先頭に立つことになる可能性がある。フジテレビの再生は希望的感想ではあるけれど、他のテレビ局の、フジテレビに対する他人事のコメントを見せられて、真剣さを感じないからである。

 

 正義を標榜する局ほど他人事だと思っているように見える。自分は正しいのだから関係ないというところだろうか。しかし、視聴者はそれほど甘くない。自ら正すものを評価し、そうでないものには厳しい目を向けるだろう。自分が正しいと思うほど出遅れる。思わぬ栄枯盛衰が見られるかもしれない。どこがどうなろうとどうでもいいという気もするが、少し長いスパンで、正義の局がどうなるのか、それを見てみたいと思っている。

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