賢治と喜善
賢治は宮沢賢治、喜善は佐々木喜善である。佐々木喜善は遠野の人で、あの『遠野物語』のネタになる話を集めて柳田国男に伝えた人である。詩人で郷土研究家で、多くの文人たちと親交があった。宮沢賢治は花巻の人で、花巻と遠野はそれほど遠くない。その関係の一端を知ることの出来る文章を紹介する。
宮沢賢治が、座敷ワラシに関心をもちつづけていたことは、筑摩書房版、『宮澤賢治全集』の第七巻や第九巻にも認められているところであるが、佐々木喜善と宮沢賢治とが最初にあったときの会話の中心は、結局座敷ワラシだった(山田野理夫『遠野物語の人--我が佐々木喜善伝』)という。宮沢賢治にとって、佐々木喜善との出会いはいかにも心に残るものであったらしく、例えば昭和七年五月十日付の喜善あての手紙には、病気のため、起き上がることも出来なかったことを詫び、「もし幸いにお出ましあれば、何卒重ねて拝眉を得たく存じ居ります」と記している。賢治の死は翌年にわかにやってきた。昭和八年九月二十一日、賢治は喀血して世を去った。しかし意識は明瞭であったという。三十八歳であった。賢治の死を知って号泣した喜善は、それから八日後に急死した。ほんとうに突然の死であった。
賢治の死を見つめた座敷ワラシは、喜善の死をも見つめていたというべきだろうか。
この文章は阿部正路『日本の妖怪たち』のなかの『座敷ワラシとその祖型』という章の中にある。
東北へ旅に出るときにしばしば泊まるのが、宮城県の鳴子温泉か、岩手県の花巻温泉で、久しぶりに花巻温泉に行きたくなっている。その近くには高村光太郎が、戦後引きこもった山荘があり、記念館がある。高村光太郎と宮沢賢治にも因縁があることは以前このブログに書いた。
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