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2025年8月30日 (土)

荷風の怒りと嘆き

 荷風の日記、『断腸亭日乗』を読んでいたらこんなくだりがあった。1日一行、ときに数語の時もあるが、この日は少し長い。

 

(昭和二年)正月五日
 晴れて暖なり、柳北先生の硯北日録七巻を写し終わりぬ、余すところ投閑日録日毎之塵其他十数巻あり、卒業の日猶遠しといふべし、

 

 昭和元年は、前年の十二月二十五日から(十二月二十四日までは大正十五年)で、一週間しかなかった。この頃は、借り出した成島柳北の日記や備忘録を連日熱心に書き写している。典籍や外国の本も購入しては読んでいる。荷風は英語もフランス語も問題なく原文で読める。読めるのが当たり前だと思っている。それなりに研鑽しているのだ。これに続いて驚くべき経験について書いている。

 

薄暮銀座に赴かむとて箪笥町崖下の小径を過るに、一群の児童あり余の行き過るを見て背後より一斉に余が姓名を連呼す、驚いて顧るや群童又一斉に拍手哄笑して逃走せり、其状さながら狂人或は乞食の来るを見て嘲罵するものと異る所なし、そもそも近隣の児童輩何が故に余の面貌姓名を識れるにや、是亦吾文筆浮誉の致す所にあらずして何ぞや、虚名の禍此に至つて全く忍ぶ可からざるものあり、世の雑誌新聞記者の毒筆の如きは余之を目にせざるを以て猶忍ぶことを得べし、近隣の児童が面罵に至つては避けむと欲するも其道なし、浩歎に堪えざるなり、余常に現代の児童の凶悪暴慢なることを憎めり、窃に余が幼時のことを回想するに、礫川の街上に於て余は屢吉野世経中村敬宇南摩羽峯等諸先生を見しことあり、余は猶文字を知らざる程の年齢なりしかど敬虔の情自ら湧来るを覚え首を垂れて路傍に直立するを常とせり、然るにいまの児輩の為す所は何ぞや、余は学識徳望両つながら当時の諸先生に比較すべきもの有るなし、近隣の児童に面罵せらるるも敢て怪しむに足らず、然りと雖苟も文筆に従事するの士を見て就学の児童等路頭に狂犬を罵るが如き行をなすに至つては一代の文教全く廃頽して又救ふべからざるに至れることを示すものにあらずや、是父兄の罪歟、国家教育の至らざるが故歟、余は之を知らず、余は唯老境に及んで吾が膝下に子孫なきを喜ばずんば非らざるなり、(後略)

 

 引用するだけでくたびれたので、いちいち注釈やふりがなは入れない。もし分からない字があれば、たまには漢和辞典でも引いてほしい。原文をなるべくそのまま引いたが、荷風独特の漢字があって、それだけは普通の漢字に直した。 文意はそれほど難解ではないはずだ。

 そういえば、たまたまいま読んでいる和辻哲郎(倫理学者で思想家)の対談集を読んでいたら、戦後直ぐの頃の谷崎潤一郎との対談で永井荷風が話題に上っている。

谷崎 いや実に若い。元気だ。元気といえば正宗白鳥もおなじ年だろう。白鳥が又元気だ。荷風も元気だが、歯が抜けて入れ歯も何もしない。それで独者だろうから洋服ですりきれた下駄をはいている。身体が丈夫なんだね。素足だよ。自分で炭をいじくっているから手でも足でも真黒だ(笑)。はがないし、実に不思議なんだ。けれども元気だ。

和辻 若いときはハイカラな人だったが。

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