『写生紀行』
寺田寅彦の随筆『写生紀行』の中にこんな一文があった。
昔は命を的にしなければ、うっかり誤ってでも人の足も踏めず、悪口もむろん言われなかった。私の血縁の一人は夜道で誤って突き当たった人と切り合って相手を殺し自分は切腹した。それがいまでは法律に触れない限り、自分のめがねで見て気に入らない人間なら、足を踏みつけておいて、さかさまにののしるほうが男らしくていいのである。そういうことを道楽のようにして歩いている人格者もある。それで私は自分の子供らの行く末を思うなら、そういう風にいまから教育しなければさきで困るのではないかと思うこともしばしばある。
私は、強いものが譲ればこの世は丸く収まるものだと思っている。いまは強いものが一方的に利益を得る時代で、強いものほど譲らない。寺田寅彦がこれを書いた時代もそんな時代だったのだろうか。それとも、そもそも世間とはそういうところなのだろうか。私も子供の行く末を思ったけれど、譲る側に立つようにそれとなく教えた。多少の損なら歯牙にもかけない強さを持ってもらいたいと願い、ほぼ望み通りに育った。
文中の「私の血縁」とは、寺田寅彦の叔父(父の弟)であり、その切腹の介錯を寺田寅彦の父がした。そのことは以前ここに書いた。そういうすさまじい時代を生きたので、寅彦の父は寅彦を学者にした。
« ヒヴァの城壁の外 | トップページ | ウズベキスタンのカラ »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『異邦人』(2026.08.18)
- 『土偶』(2026.08.16)
- 『白峰』(2026.08.15)
- 『江口』と『西行桜』(2026.08.12)
- 『故宮 2』(2026.08.12)


コメント