生きていれば
生きていれば常に雑用が生じ、ゴミが生じる。つまり雑用もゴミも生きている証である。生きている限り片付けつづけなければならない。しかたがないのである。
昨日、ようやく電気工事の代金支払いを済ませた。息子から梨(弟に頼んで千葉の梨を贈ってもらった)のお礼にブドウが送られてきた。三次(みよし)のピオーネとかいう大粒のブドウで、冷やしておいて今朝食べたらいままで食べたブドウで一番美味しいブドウであった。食べきれないから、半分を今日の午後娘のところに届けることにしている。
久しぶりに、といっても三ヶ月ぶりぐらいだが、下呂郊外の馬瀬川河畔にある、なじみの温泉宿に行く。肩の痛みが治りそうで治らず、一進一退なので、本を何冊か抱えてゴロゴロしに行くつもりなのだ。上げ膳据え膳で、食事の支度もしないし洗い物もせず温泉三昧で過ごす。天気があまりよくないのはかえって幸いである。宿からどこかに出かける気が起きないからである。全身脱力してくるつもりである。
放送大学のお勉強の『初歩の数学』は、場合と関数、写像、集合という講義に入った。これは大学に入って自分のバカの壁を思い知らされた分野で、その時のことを思い出した。今回も分かりそうで分からず、よく考えるとどうしてこんな面倒くさい定義を重ねていくのかと思う。五分か十分ごとにうつらうつらしている。歯が立たないので頭が拒否しているようだ。くやしいが、やはり私は馬鹿らしい。
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はぁ、今時ピオーネ知らないひとがいるなんて!
おったまげ〜😱
投稿: | 2025年9月10日 (水) 10時14分
無名氏様
すみません、知らなくて「おったまげさせて」しまい大変申し訳ありませんでした。
美味しかったので、おかげさまで覚えました。
投稿: OKCHAN | 2025年9月10日 (水) 10時33分