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2025年9月 5日 (金)

大正十一年

 大正十一年の末頃に書かれた寺田寅彦の随筆『相対性原理側面感』を読んでいて、そういえば大正十一年というのは1922年であり、まさにその年こそアインシュタインが日本にやってきて大歓迎を受けた年なのであった。その中の一部を抜粋する。

 

 私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどりゆく旅人として見たときにプトレミーもコペルニクスもガリレーもニュートンもいまのアインシュタインも結局はただ同じ旅人の異なる時の姿として目に映る。この果てなく見える旅路が偶然にも我々の現代に終結して、これでいよいよ彼岸に到達したのだと信じうるだけの根拠を見いだすのは私には困難である。
 それで私は現在あるがままの相対性理論がどこまで保存されるかということは一つの疑問になりうると思う。しかしこれに反して、どうしても疑問にならない唯一の確実な事実は、アインシュタインの相対性原理というものが現われ、研究され、少なくとも大部分の当代の学界に明白な存在を認められたという事実である。これだけの事実はいかなる疑いの深い人でも認めないわけにはいかないだろうと思う。
 これはしかし大きな事実ではあるまいか。科学の学説としてこれ以上を望むことが果たして可能であるかどうか、少なくとも従来の歴史は明らかにそういう期待を否定している。
 こういうわけで私はアインシュタインの出現が少しもニュートンの仕事の偉大さを傷つけないと同様に、アインシュタインの後に来たるべきXやYのために彼の仕事の立派さが損なわれるべきものでないと思っている。
 もしこういう学説が一朝にしてくつがえされ、またそのために創設者の偉さが一時に消滅するようなことが可能だと思う人があれば、それはおそらく科学というものの本質に対する根本的の誤解から生じた誤りであろう。
 いかなる場合にもアインシュタインの相対性原理は、波打ち際に子供の築いた砂の城郭のようなものではない。狭く加賀と限らず一般文化史上にひときわ目立って見える堅固な石造りの一里塚である。

 

 この随筆は少し長くて、引用したのはほんのごく一部である。

 

 いまEテレの『三ヶ月でマスターするアインシュタイン』という番組を楽しく見ているので、アインシュタインの功績や理論については多少かじったつもりでいる。だからこの随筆も興味深く読んだ。寺田寅彦があえてこのような文章を書いたのは、多分マスコミ(当時は主に新聞)が、アインシュタインによってあたかもニュートンの物理学はくつがえされた、ニュートンの誤りが正された、などと喧伝でもしたことに対する苦言であろう。科学を知らない、または知ろうとしないものは、よくそういう言い方をするが、科学の理論というのはそういうものではないのだということを言わずにいられなかったのだと思う。そういうことはよくある。

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