徳川和子
放送大学の『歴史の中の人間』で徳川和子が取り上げられていた。これで「とくがわまさこ」と読む。徳川和子は二代将軍の徳川秀忠の娘で、母親はお江(ごう)であるから、三代将軍家光の同母妹にあたる。ちなみにお江は淀君(茶々)の妹で、父親は浅井長政、母親は信長の妹のお市である。祖父の家康の考えで、幼少のときから後陽成天皇の息子(後の後水尾天皇)のもとに嫁ぐことが決められていた。
天皇家と将軍家(秀忠)との間に多少の軋轢があり、実際に天皇家に嫁いだのは和子が十四歳になってからである。その間に後陽成天皇は崩御していて、すでに後水尾天皇は践祚されていた。和子は天皇との間に二男五女をもうけたが、成人したのは一男一女のみ。その一女である娘が後水尾天皇の次の明生天皇である。徳川家としては徳川の血を引く男系の天皇の誕生を望んだが、かなわなかった。後水尾天皇は譲位してから五十年以上上皇、そして法皇として実権を握り続け、子供も三十人を超え、和子ではない女性の息子が次々に天皇に践祚された。
番組ではその輿入れのときの二条城から宮中までの長い行列の様子を描いた洛中洛外図が示されていた。彼女が何を感じ何を考えていたのか記録はないが、その生涯と時代背景、宮中の記録を突き合わせての彼女の境遇を推察していくことで、一人の女性の姿が浮かび上がってきた。なかなかよい講義であった。
蛇足ながら昔(昭和時代)のNHKに『歴史探訪』という番組があって、大変おもしろくて為になり、見るのを楽しみにしていたが、現役時代であるから見られないことが多く、今のように録画をすることもかなわず実に残念であった。人物を取り上げる番組であった。長く続いた番組で、それをシリーズで本にして出版もされていた。何冊か購入して楽しみに読んでいた。それもすでに処分してしまった。格安で古本屋で見つけたら購入してもいいと思っているが探して取り寄せるほどでもない。この講義でそのときのことを思い出した。
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