違い
テレビでコメントを語る人に好き嫌いがある。個人的な好みの問題もあるが、それだけではない。それだけではない部分のほうが大きい気がしていたが、理由がはっきりしなかった。例えば池上彰のコメントはおおむね諒とするが、同じNHK出身の柳沢なんとかという人の言うことはどうも胸に響かない。長く聞いているとイライラしてくる。吉永みち子なども同様である。何が違うのだろう。
聞いていてイライラするコメンテーターは、誰もが言いそうなことを言う。そういうことばかり言うから、聞く前から何を言うのか予想できていて、イライラするのだと気がついた。私だって似たようなことを言える。そんなことばかりを聞かされ続ければ、時間の無駄であるからイライラするのである。
平和は大事だ、戦争には反対だ、差別はいけない、などという言葉は、当たり前すぎる言葉である。平和なんてどうでもいい、戦争賛成、差別してもいいではないか、などと言えばどうなるか考えれば、その重みがわかる。しかしその言葉を決まり文句で言うのか、実際の悲惨な現場を知り、そのことについて全身で考え、そしてその言葉を発しているかどうかで、その言葉は意味を持ち、人に伝わる。
どうも違いはその人がその言葉をとことん考え、自分だけしか語れない語り口で語るとき、初めて語りたいことが伝わるものだということをザル頭の私でも無意識に選別しているらしい。そういう意味で無愛想で言葉数が少ないのに、なるほど、と頷けるコメンテーターと、多弁でたくさんの知識をちりばめているけれど、ちっとも面白くないコメンテーターを見るのだ。
ところが、しばしば何を言うのか予想できるコメンテーターが世間では好まれる傾向があるように見える。自分でも同じようなことが言える言葉を聞くと共感しやすいのだろう。使い捨てられるコメントを聞いて安心するらしい。だからそういうコメンテーターが五万といる。
ブログを書いていて、ああ、自分の言葉になっていないな、と思うことのなんと多いことか。
« 昼のレギスタン広場 | トップページ | 青のサマルカンドへ »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 何をやっているんだか(2026.09.10)
- これからまた降る?(2026.09.09)
- 線状降水帯の中(2026.09.08)
- 雨が恨めしい(2026.09.08)
- 縁(えにし)(2026.09.07)


コメント