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2025年9月11日 (木)

ある光景

 寺田寅彦随筆集の中の、『写生紀行』という一篇に胸に沁みる部分があった。長いので抜き書きする。

 

 大病をしてようやく病が癒え、絵を描くことを趣味にしていた寺田寅彦は写生旅行に出かける。荒川に直角に掘り込んだ溝渠に沿って小規模の鉄工場の廃工場があり、そのあたりに興趣を覚えた彼は写生を始める。

 

 溝のこっちに画架をすえて対岸の榎と赤い倉庫とすすきの三角形を主題にしてかき始めた。
 かいているすぐそばには新しい木の香のする材木が積んであった。また少し離れた所には大きな土管がいくつも砂利の上にころがしてあった。私がそこへ来る前から、中学の一年か二年ぐらいに見える子供がただ一人材木の上に腰をかけていたが、私がかき始めるとそばへ来ておとなしく見ていた。そしていつまでもそこを離れないで見ているのであった。

(中略・人夫たちがやってきて材木を運んだりしている様子が語られる)


 さっきの子供はいつまでもそこいらを離れずにぶらぶらしていた。遠足にしてはただ一人というのもおかしかった。よほど絵が好きなので、こうして油絵のできていく道筋を飽きずにおしまいまで見届けようとしているのかと思ってもみた。
 一度去った荷車と人夫は再び帰って来た。彼らの仕事しながらの会話によって対岸の廃工場が某の鋳物工場であった事、それがようやく竣成していよいよ製造を始めようとする途端に経済界の大変動が突発してそのまま廃墟になってしまった事などを知った。
 絵の具箱を片付けるころには夕日が傾いて廃墟のみぎわの花すすきは黄金の色に染められた。そこに堆積した土塊のようなものはよく見るとみな石炭であった。ため池の岸には子供が二三人釣りをたれていた。熔炉の屋根には一羽のからすが首を傾けて何かしら考えていた。
 絵として見るときには美しくておもしろいこの廃墟の影に、多数の人の家の悲惨な運命が隠れているのを、この瞬間まで私は少しも考えないでいた。一度気がつくともう目の前の絵は消えてそこにはさまざまな悲劇の場面が現れた。
(小略)
 突然すぐ前の溝の中から呼びかけるものがある。見ると川のほうから一艘の荷船がいつのまにかはいって来ている。市中の堀などでよく見かけるような、船を家として渡っていく家族の一つである。舳に立っている五十近い男が今呼びかけたのは私ではなくて、さっきから私の絵を見ていた中学生であった。
 子供に関するすべての事が稲妻のひらめくように私の頭の中に照らし出された。きょうは土曜である。市の中学からおそらく一週間ぶりに帰った子供はこの一夜を父母と同じ苫の下で明かそうとするのであろう。それを迎えに来た親と、待ちくたびれた子供とが、船と岸とで黙って向かい合っているさびしい姿を見比べた時に、なんだか急に胸のへんがくすぐったくなって知らぬまに涙が出ていた。何のための涙であったか自分でもわからない。

 

 私もその光景に共感する。宮本輝の『泥の河』などを思い出したと言えば月並みすぎるか。

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