トンネル
子供の時から本が好きで、しかし、好きでもその頃は欲しいだけの本を買ってもらえる時代ではなく、手持ちの本を繰り返し読んで、ついには本が次々にぐだぐだになっしまうほどだった。その本に対する飢餓感の反動であろう。大人になって好きなように本が買えるようになると、読み切れないほど本を買い込んでしまうようになった。
そうして数々の本に出会い、本を通して数々の著者に出会い、たくさんの影響を受けてきた。それをあげていけばきりがない。多くは今でも本棚に並んだ本が教えてくれる。十年あまり前に出会った梨木香歩もその一人で、出会いは『家守綺譚』という不思議な本であった。『家守奇譚』値そしてそれに続く『冬虫夏草』の世界に触れたくて、琵琶湖周辺を歩いたこともある。愛知川沿いに遡り、奥永源寺あたりを歩いたときは、本当にその世界に踏み込んだ心地がしたものだ。それ以来、おりに触れ彼女の本を一冊ずつ増やしていき、いまでは二十冊近くになった。
いまは、最近手に入れた『やがて満ちてくる光の』(新潮文庫)というエッセー集を読んでいる。その中の文章の断片を引用する。
連れもなく、ただ黙々とトンネルの中を運転していると、そのつもりもなかったにひたすら全速力で冥界のそこを目指しているような気分になるなるのは、ドライバーというものが、普段景色のあらゆるところに目を配り、脳の感覚野になだれ込む膨大な情報量をやりくりしなければならない、それが習慣になっているからなのかもしれない。ここには信号が変わりそうになっても横断歩道を渡りきれないでいるお年寄りもいなければ、歩きたくないとごねている幼子もいない。突然降り出す雨も、鳴り出す雷もない。思わず見とれる虹もなければ、曲がり角で出会う夕日の眩しさもない。ただ単調なチューブの内部が延々と続くだけだ。かといって、気を抜いたりできるわけでは決してない。何か一つでも間違ったら、取り返しのつかないことになりそうな緊張感--高速道路はいつもそうなのだが、それにしても--常ならぬ覚醒、自分の顔が無表情になっているのがわかる。昼も夜もない世界。ふと、うつ病を患っている人の苦しさを思う。彼ら・彼女たちがいる場所は、こういうところなのだろうか。いつ抜けるともしれぬ闇の中。
子供の頃、『タイムトンネル』という外国のテレビドラマがあった。そのトンネルを抜けると時空を超えた場所に通じた。トンネルというものは、独りでハンドルを握っているときに、ふとそういう異空間に通じているような妄想を呼ぶ場所のように感じることは私にもある。
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