内側から差す光
梨木香歩の随筆(『やがて満ちてくる光の』)を読んでいて、その光景がまざまざと脳裏に浮かんだ部分を引用する。彼女がまだ若いころ、イギリスの田舎で下宿して過ごしていた頃の話である。
私の下宿の大家は無教会派に属する宗派であったので、むろん協会へは行かない。だが、そういう文化を味わわせてやろうと親切な隣人が、イブの日の深夜、私を聖公会の教会のミサへ連れ出してくれた。しんとした真夜中、夜道をオレンジ色の街灯の光が照らす中、町外れの丘にある教会まで歩いた。砂利を踏みしめる音だけが響く静寂の中、丘の近くまできて息を呑んだ。夜の闇に、教会のステンドグラスがうつくしく内側から発光していたのだ。私はそれまでステンドグラスというものは、外側から射す陽の光で内側にいる信者に感銘を与えるためのものと思っていた。けれど、こんな闇の中では、外側の闇にいるものに届く光でもあったのだ。
もうあの教会へ続く野の小道もなく、人びとは車で教会の駐車場に乗り込む。ミンスパイを作っていた人びともほとんど鬼籍に入ってしまった。
けれど私の記憶の中には今でも、あの、北の国の深い深い群青の夜空と、凍えんばかりの清冽な寒さと、まるで内側に光の満ちた宝石箱のように発行する教会が存在する。時の彼方に過ぎ去っても、まだそこで光り続けている。
明治村には車で行けばそれほど遠くないので、たびたび行く。明治村にはいくつか教会が移築されていて、見事なステンドグラスが見られるものもある。いつもそれに魅了される。それをもとにこの文章に書かれた光景を想像し、私も寒夜にそれを見た心地がした。
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