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2025年9月 4日 (木)

日本海域の古代史

 奈良の飛鳥が好きで、四度ほど飛鳥路を歩いた。最初の二回は独りで、一回は友人たちを、一回は兄弟を案内して歩いた。必ず立ち寄るのが飛鳥寺で、ここの飛鳥大仏は何度見てもいいと思う。蘇我氏によって創建されたこの寺は日本で最も古い仏教寺院と言われる。いまは寺域も限られているが、創建時はいまより遙かに壮大な寺で、一塔三金堂という、日本国内にはほかに例のない配置と様式であった。どうしてこの飛鳥寺が独自の様式なのか不思議に思いながら、そのままにしていたが、放送大学の特別講義『日本海域の古代史像』を見てその理由が氷解した。

 

 この一塔三金堂の様式は古代朝鮮半島北部に見られる寺院の様式で、朝鮮半島でもほかにはない様式だという。つまり、飛鳥寺は朝鮮半島北部、つまり高句麗の様式が伝わったものだったのだ。当時はまだ中国大陸は南北朝の時代で、北方民族の北朝(いわゆる五胡十六国)と、南朝とに分裂していた。北朝は高句麗と文化的につながっていた。仏教の北からの流れが高句麗を通して日本に伝わり、それを受け入れた蘇我氏がその高句麗様式の飛鳥寺を創建したのだ。

 

 その南北朝のうち、北朝の陳の流れをくむ隋がついに中国の統一をとげるのはその直後ぐらいである。もともと日本は古くから百済と親しく交流していた。統一王朝隋の文化はやがて百済経由で日本に流入する本流となり、だからその後は百済様式の寺院がどんどん作られていったので、飛鳥寺のみが独自の寺になったのである。

 

 これが講義の出だしの部分である。そうして日本海経由の大陸からの文物の流れというのが、実は遣隋使などで知られる南方ルートより遙かに大量に、持続的に北方から日本海経由で流入していたのだ、という主題に至る。その痕跡は出雲に、そして丹後半島に、そしてそれ以外にもたくさん残されている。いくつかの場所を知ったので、一度それを訪ねてみたいと思っている。鳥取県の真木晩田遺跡(日本最大級の弥生時代の遺跡らしい)、そして丹後半島網野の銚子山古墳をまず訪ねたいと思っている。いつになるかわからないが、詳細については訪ねた後に報告する。

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コメント

こんばんは
そう言えば故・水木しげる氏が出雲神話を扱った漫画で稲や鉄器など金属器が上陸した地域が出雲地域だっただろうとおっしゃっていました。多分ですが恐らく稲は長江流域から朝鮮半島南部を経由して出雲や丹後のあたりに伝わった日本海ルートが有力だと思いますし、金属器も朝鮮半島から日本海を通ってやはり出雲などに伝わったのでしょう。こうした仏教建築も中国から朝鮮半島を経由して倭国に来たのでしょう。そう言えば実質的な初代天皇だ、と言われている継体天皇も百済の武寧王と特別なコネクションを持っていたと推定されていますね。
では、
shinzei拝

shinzei様
出雲半島の東端、美保関を過ぎ、そこを目印に東南に至るところに弥生遺跡があります。
美保関はその一つの目印だったようです。
そして美保関にある美保神社と、能登半島の東端、珠洲にある須須神社は関連があるようです。
立ち寄りたいと思いながら未見でした。
残念ながら能登の地震で倒壊してしまいました。
美保神社には行ったことがあるのですが、もう一度新たな目で見直したいですし、須須神社も再建されたら見に行きたいと思います。

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