短歌や俳句が苦手なのは、その表している世界がよく見えないからで、それは私がものを知らないからである。花鳥風月(そして人間も)がよくわかっていないからなのである。植物の名前を知らなければ、詠まれたものがイメージとして結ぶはずがない。そのことが誠に残念であるが、下地がないからにわかに覚えようとしても身につかない。この歳ではすでに手遅れである。
エッセイでも植物や鳥や虫について書かれているものが多い。生き物についての深い思い入れがあって、そのことが自然を見る目の厚みをなしていて、それはそのまま生きることについての厚みとなる。生きることの厚みとは、つまりそれだけ濃厚に生きているということだ。私が長く拝見しているブログでも、植物についての詳しい記事のものが割合に多数ある。たいてい写真が添えられているので、もの知らずの私としてはありがたい。
團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズでも、梨木香歩のエッセイや小説でも、植物について詳細な記述がある。その語られている実物をイメージできたらどれほどいいだろうと思うばかりである。
いま読んでいる梨木香歩の『炉辺の風おと』(毎日文庫)は、そういう点で植物や自然に関する記述が多い。そういうものが好きな人には是非読んで欲しい本だ。私よりもっと感銘を受けるのではないかと思う。まだ半分あまりしか読んでいないし、もうすぐ読み終わるもう一冊を先に片付けるつもりだが、引用したいところがいくつもあって、途中だがその一部を紹介する。これは植物ではなく水鳥の話。
東京都内の家の近くの公園に池があって、冬場になると多くの水鳥がやってきたものだった。しかし、以前に比べるとその数は圧倒的に少ない。ある時期、鳥に餌をあげないキャンペーンのようなものが展開されたのだ。園内には「水鳥に餌をあげないようにしましょう」と大書されたポスターや立て看板のようなものが目につくようになった。肥満になって猫にやられる、渡りができなくなるなどの弊害も説明されていた。
これまでは、スーパーのレジ袋いっぱいにパンの耳などを入れ、規則正しく通っていた人びとが、いつの間にか隠れるようにして(実際水辺すれすれに張り出した藪の中など、足元が危ないような場所で)、周囲に気兼ねしながら餌をやる姿を見るようになり、そしてやがて、全く見なくなった。そのほとんどが高齢者だった。堅実そうな彼ら彼女らの様子から、鳥が舞っていてくれる、そのことが生活の張りにもなっていただろうことは容易に察せられた。
このキャンペーンが功を奏し、餌をやることはいけないこと、という絶対的な空気ができあがり、餌をやる人びとは非難の視線で見られ、あるいは露骨に注意されるようになり、いたたまれなくなったのだろう。荘、「一朝ことあらば」こんなにもみごとに「一致団結」できてしまう国民性なのだ。
ここまで読んで、さまざまな感想を持つ人がいることだろう。餌を与えることの是非については、誰よりも梨木香歩は真剣に考える人だ。単純に「餌をやるな」ということに反対しているのではない。彼女はずっと観察する。そして、何らかの理由で渡りをせずに残った水鳥に、肥満で渡りができなかったように見える鳥など一羽もいないことを確認する。ただそれも偶然見なかっただけかもしれない、とも考える。さらに彼女は考える。餌を与えなくなったら水鳥がいなくなったのは、そこでは暮らせなくなったからだろうと。
だが現在、鳥の渡りの目的地や経過地であった湿地は埋め立てられ、山は削られ、湖沼は干上がっていく。
鳥が自力で餌を調達できれば、それが本来の彼らの姿で、そうあるべきなのはわかっているが、この環境の激変では極めて難しいのではないか。もちろん、肥満にさせるほど鳥に餌を与えるのもおかしい。規制はしつつ、どうしてもそれを破る人を、片目をつぶって見逃す、そういう社会が案外最善のバランスを保っていくものかもしれない。
自然をよく見ているからこその、こういう余裕が欲しいものだと私も思う。
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