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2025年10月

2025年10月31日 (金)

今日も走り回ってしまった

今日はゆっくり走ろうと思っていたのに、明日が雨だと思うと、つい気が焦り、いろいろ訪ねて歩いた。

まず盛岡にある志波城跡を訪ね、さらに郊外にある岩手県立博物館を訪ねた。志波城跡は想像していた以上に広くて大きかった。そして岩手県立博物館も広くて内容が充実しており、気がついたらあっという間に時間が過ぎていた。これは是非見る値打ちがあるところだ。

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志波城外郭の櫓門。中央の奥に見えているのが政庁の南門。

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外郭の塀。志波城は一キロ四方あったというからとても大きなものである。

志波城と博物館を見た後、青森まで走るつもりだったが、後日立ち寄るつもりだった大湯環状列石を、途中でもあるので雨の降らないうちに先に見ることにした。東北道の十和田インターから近いが、ナビがないとわかりにくい。以前来たとき(十年以上前)よりも列石が雑然としてしまったような気がするが、気のせいか。前回はよらなかった展示館のストーンサークル館にも今回は立ち寄った。見た目もあまりぱっとしない感じで期待していなかったが、そこそこ見るべき展示品があり、ここでも思いのほか時間を食った。

そのあとはひたすら青森に向かう。三内丸山遺跡に久しぶりに行くのだ。遠い。

三内丸山遺跡は初めての時の感激が大きかったせいが、今回はそれほどに感激しなかった。

というわけでようやく今晩の宿のビジネスホテルにさきほど入ったところである。ああくたびれた。

一息入れたらどこか近くに飲みに出るつもりである。ただ、いまにも雨が降りそうだ。

細かい報告は順次するつもりである。まだ多賀城の報告もしていない。

今朝の宿からのながめ

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花巻温泉の宿の窓からの眺め。曇っている。空気は冷たい。

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右手には観光バスの駐車場がある。昨晩のバイキングでは、途中から中国人の団体が加わってきて、たいへん賑やかだった。その健啖ぶりにはいつも驚かされるが、それ以上に驚いたのは、日本人(たぶん)の金髪の若者で、一人で盆に山盛りのカニの足を五十本以上載せて、次から次に食べている姿であった。盆は三つあった。ひたすら食い続けている姿にあっけにとられるとともに、異常なものを感じた。いくらバイキングだから食べ放題といっても・・・。だから中国人たちがうるさいと思う余裕がなかった。

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紅葉はすでに盛りに入っている。よる、この土産店の、免税という灯りがまぶしかった。

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この木が一番赤かった。

昨日頑張りすぎたのでいささか疲れた。今日は少しペースを落としてゆっくり動くつもり。今夕から雨らしい。明日は本降りの雨の予報である。どうしよう。

東北歴史博物館・特別展

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東北歴史博物館は多賀城市にある。

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東北歴史博物館。中は広くて見るものが多く、充実している。時間があればいつまでも見ていたい。常設展と別に今回は宮城県の生活と歴史の資料を展示していた(別料金)のでそちらから見た。

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宮城県にもオシラ様があるのだ。

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竈神の面。

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これも竈神。カマガミサマとよばれたらしい。

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コのワラでつくられ大将や人形が日本独特のものに思える。旧大阪万博跡に建てられている民博でも日本の民族の展示にワラでつくられたものがいろいろあったのが印象的だった。

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こういう大型のものもある。

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こういうお面や人形には一つ一つに魂が籠もっている気がする。見ているこちらが見られている。

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昭和の、テレビが各家庭に普及しだした頃の様子が見られた。私の子供の頃そのままである。

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こんな店がたしかにあった。いまのように何でも包装しまくる時代とは違う。

展示がたくさんあったが、私がたまたま目を引かれたものだけを紹介した。他の人が見たら、また違うものに興味がひかれるだろう。

多賀城関連の展示は常設コーナーになる。こちらはさらに展示が多い。見ていると時間を忘れる。それはまたあとで。

2025年10月30日 (木)

多賀城城趾など

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本日は白河を出発して、まず180キロあまり先にある多賀城市にある東北歴史博物館を訪ねた。見るものが山ほどある立派な博物館で、今日はいろいろあちこち訪ねようと思っていたことをわすれて展示品に見入ってしまい、あっという間に時間が過ぎていた。

そのあと郊外にある多賀城城趾を見に行く。思っていた以上に広い。上の写真はそこの南大門である。もちろん再建だが、立派な門である。高台の政庁跡まで登ったら、汗びっしょりになった。

そこから奥松島の奥松島縄文村歴史資料館へ行く。このあたりは貝塚がたくさんあった場所で、もちろん貝塚があったのだから集落もあったのだ。これも堪能する。

そのあと奥州市水沢にある胆沢城城趾とその前にある奥州市埋蔵文化財調査センターを訪ねた。とにかくよく走った。ほんとうは少し先の徳丹城趾まで行きたかったが無理であった。天候によって志波城跡へ行くか、それとも青森の三内丸山遺跡に直行するか明日決めるつもりである。

どれも見所があって写真もたくさん撮った。いま中継点に設定した、なじみの花巻温泉に到着したところである。とりあえずパソコンを引っぱりだしてこのブログを書いている。済んだら風呂に入り、美味しい酒を飲むつもりだ。今日は温泉だ。それぞれの報告はいつものように順次していくのでよろしくお願いします。

今朝の宿からの眺望

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部屋が十二階なので眺めが好い。木々が色づき始めているようだ。ビュッフェ式の朝食は種類も多いし味も悪くなくて満足した。最近のビジネスホテルは、よほどの格安のところでなければ浴槽もそこそこ大きくてありがたい。ただトイレが小さいのと流す水の音がうるさいのが玉に瑕である。ダブルベッドの部屋だったので寝床の広さを堪能した。

明日は天気が悪そうなので、今日はなるべく盛りだくさんに走り廻りたいと思う。このブログがアップする予定にしているいまごろはどのあたりにいるだろうか。

白河の関

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ナビはもう少し先を示したのに、この白河関の森公園が入り口だと思ってここに車を置いてしまった。

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白河の関跡はこのこんもりした林の向こう側である。白河の関の前に駐車場がある。

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公園の奥に、芭蕉と空の像があり、卯の花もあった。花が咲いていないからどんな花か分からない。葉は桃の葉のように見えた。

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鬱蒼とした木々の間の小暗い道を抜けていく。

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白河の関は奥州三大古関の一つだが、奈良時代から平安時代に機能していたが律令制が衰退するとともに、廃された。和歌では歌枕の名所としてよく知られている。だから芭蕉もここを訪ねたのだ。ここがたしかに白河の関であると特定したのは白河公、松平定信である。

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この白河の関が、芭蕉の「奥の細道」のみちのく路の出発点ともいえる地である。瞳孔の空の日記の文が石碑になっていた。

曽良の詠んだ句

  卯の花をかざしに関の晴着かな

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高台に白河神社がある。実際はもっと暗い。

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白河神社。源義経が兄頼朝の挙兵を知り、鎌倉へ向かう途中でここに詣でたという。

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左手が空堀跡で、右手が土塁跡。

石碑があちこちにある。満足したのでもとの駐車場に戻り、宿に向かった。

本日はいよいよ蝦夷との前線として設けられた多賀城の跡その他を見に行く。

 

 

2025年10月29日 (水)

福島県の白河にいる

 思い立ったら飛び出す。今朝七時頃出発して長駆、福島県の白河のビジネスホテルに今着いたところである。走行距離540キロあまり。今回の最初の訪問地は宮城県の多賀城跡の予定だったが、そこまで走ると700キロほどになり、さすがに体力的に自信がない。もう少し手前も考えたが、値段と高速へのアクセスを考えるとこの白河の宿が適当と判断した。

 

 出かけた時間が悪かった。もう少し早く出るべきであった。名古屋インターあたりから豊田あたりまで渋滞にはまってしまった。私のつもりでは中央道、長野道、上信越道、北関東道、東北道というルートだったが、ナビは東名、新東名、厚木から圏央道を通り、東北道へのルートを推奨する。たぶん距離的にその方が近いのであろう。それにしたがった。しかし圏央道は厚木から青梅あたりまで渋滞で、はたしてよかったかどうか分からない。私の思うルートだと、多治見周辺の工事渋滞、そして岡谷ジャンクションの工事渋滞があるから、それなりに時間がかかったかもしれない。ただ、この厚木から圏央道を走るルートは定常的に混んでいるようだから、二度と走りたくない。

 

 白河といえば白河の関である。ナビで設定しようとしたらヒットしない。私の車のナビは三回に一回か、五回に一回ヒットしない。アホである。スマホのナビで検索したら一発でヒットした。スマホのナビを頼りに白河の関へ向かう。ずいぶん手前で東北道を下ろされて、延々50キロ近く地道をジグザグと走らされたが、きちんと到着した。奥の細道にも縁のある場所である。一度は訪ねたかったので、満足した。詳しいことは明日に報告する。白河の関から宿へは20キロ足らずで、暗くなる前についてほっとした。

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 まだ初日だから元気である。このブログを書いてから一息入れて、外へ飲みに行くことにする。

思い立つと止まらない

 放送大学の講義で縄文時代のお勉強をしていたら、過去に見たところや近くまで行きながらパスしてしまったところをもう一度ちゃんと訪ねたくなった。さらに坂上田村麻呂のこと(先日は滋賀県南部の田村神社へ行ってきた)をいろいろ気にしていたところに『古代中世の日本』という講義で、多賀城や志波城、胆沢城の城跡などの現地が紹介されて、一度見てみたいと思い出したら止まらなくなった。ルートはすでに検討済み、訪問先の簡単な情報と場所を調べて、宿を予約した。

 

 出かけるのが遅くなると、雪で走るのがあぶなくなる。とにかく名古屋から東北へは一気に行くには遠すぎるので、中継点をどこにするか迷った。強行軍になるが、目的のある旅なので、期待のほうが大きい。三連休でも探せば宿はあるものだ。とくに今回は温泉旅行ではないので、場合によってビジネスホテルでもかまわないし、民宿でも好いと思って探したので、案外簡単に予約ができた。さあ支度にかかろう。今度は本を忘れないようにするつもりだ。ビジネスホテルだと、たいてい夜は飲みに出かけるし、こういう旅ではあまり本が読めないものだけれど。予約した宿は途中までで、体調によって延長するか早めに帰るか判断するつもりである。

2025年10月28日 (火)

動作不良

 酷使しているブルーレイレコーダーがときどき動作不良を起こすようになった。録画したものをコレクションとして残すためにディスクに書き込もうとすると、途中で「ディスクに傷や汚れがあるから書き込みできない」などという。取り出してもう一度ダビングするとうまくいったり、やはりできなかったりする。その頻度が増えつつあってストレスである。ついにはそうして録画したディスクが読み取れない事態が起き出した。もう七八年使っているし、そろそろ寿命なのかもしれない。

 

 テレビは購入してもう十五年は過ぎているはずのアクオスである。いまでは当たり前の4Kではなく2Kである。買った時には2020年の東京オリンピックを機に買い換えることになりそうだ、と思っていたのだから、年数の記憶に間違いはない。そのオリンピックが2021年に延期になっても特に問題なく、いまもほとんど問題はない。一時期、テレビの色の濃度が薄れて、かすんで見えだしたりしたから寿命かもしれないと思ったが、何のことはない、白内障の手術をしたら元のように鮮明で色もきれいであった。テレビではなくてこちらの目の問題だった。

 

 テレビの買い換えとブルーレイディスクの買い換えを同時にして、セッティングを一度で済ませたいと思ってその分の金を別途用意しているのだが、テレビは元気で、ブルーレイだけが動作不良になり、なかなかお疲れ様でした、さあ、4Kだ、ということにならないのはいささか恨めしいが、使えるのに買い換える気にはならない。

熊に喰い殺される

 ヒグマは人を襲い人を喰うことがあることはたくさんの事例があって、その恐ろしさは吉村昭の『熊嵐』などを読めばよくわかる。一度味をしめるとその熊は次々に人を襲うようになるという。猛獣とはそういうものである。危険だからそういう熊だけは駆除しなければならない。しかしツキノワグマは突然の遭遇に驚いて防衛的に攻撃することはあっても、人家の近くに来て襲うというようなことのない熊だとされていた。だから鈴や笛などでこちらの存在を知らせれば、突然の遭遇はなく、襲われることもないと考えられていた。

 

 しかしすでに事態は違うフェイズに入ってしまったようだ。熊は人家のある場所も自分の餌場として認識するようになり、人間こそがその餌場に侵入する敵だと判断して攻撃しているように見える。だから笛も鈴も役に立つとは思えない。そのことがまだ認識できていない人が多いようで、その危険に対する感度の鈍さがさらなる被害につながっている気がする。人間と熊との境界線をもう一度仕切り直さないと、取り返しがつかないことになりそうだが、これだけ各地で一斉にこのような事態が起きていることを見ると、もしかすると手遅れかもしれない。秋田県知事の自衛隊出動要請は少しも大げさなことではないのだと思う。

 

 昨日も東北で二人の人が熊に殺されたようだ。そして熊は犬を嫌がるとされていたのにその犬をかみ殺し、ある一匹は首輪ごと引きちぎって連れ去ったという。これは嫌みで言うわけではないけれど、熊を駆除するのはかわいそうだ、という人は、飼い犬が喰い殺されていることをどう思うのだろうか。人間が襲われるのは、人間が熊の領域を侵したからだ、人間のほうも悪いのだから駆除するのではなく共存の道を探るべきだ、という論理らしいが、飼い犬が殺されているのを知った時、その動物愛護精神はこの事態をどう解釈するのだろうか。人間なら襲われても仕方がないが、犬はかわいそうだ、と言いそうだ。

 

 東北へ出かけたいと思いながら、訪ねたいルートをたどれば、岩手や秋田の峠越えをして遺跡を歩くことになる。雪も心配だし熊も心配だ。それでも出かけるつもりではあるが。

2025年10月27日 (月)

テンション上がる

 血液検査の結果は芳しくなかったけれど、許容範囲だったと勝手に判断し、今晩はいくつかつまみを作って休酒状態を解禁することにした。メインはエビとネギのかき揚げ、そしてにんじんの天ぷらである。むくみが節制のおかげでようやく解消しているので、ビールを飲むのは控えて(ビールを飲むと左足がむくんでなかなか引かない)、日本酒を飲むことにする。今晩は燗酒にしよう。

 

 やはりどこかへ出かけようと思っている。早ければ週末までに出発するつもりだ。天気と宿の具合で決めるつもりで、今晩は地図と尋ねたいリストを広げて酒を飲みながらルートと宿泊地を決めるつもりだ。そちらの方がメインの酒の肴と言えるかもしれない。

 

 さあこれから料理開始。 

活字中毒者、プチ地獄の待合室

 糖尿病の定期検診は、思っていたとおり血糖値が高くなっていた。自分なりに高い理由を説明したところ、美人の女医さんは少し眉をひそめたあと、「自覚しているようですから飲むなとは言いません。ストレスはよくありませんからね。メリハリを持たせて節制するところは節制してください」と言っただけで放免してくれた。今日は採血した血液の検査か、または検尿のほうの検査結果が出るのに時間がかかった。それでそれがすべてを押して、少し帰るのが遅くなったが、いま近くのスーパーで買い出ししたので、これから昼食としてのり弁を食べる。

 

 のり弁の惣菜は揚げ物などの脂っこいものが多いので、普段は控えている(本当は大好き)のだが、今日は空腹なので良しとする。

 

 ところで病院に行くのにいつもクラッチバッグを持っていく。そこには必ず一冊か二冊本を入れていくのだが、なんたることか、今日は本を入れていくのを忘れていた。おかげで病院到着の八時半から薬局で処方薬を受け取るまでの十一時半過ぎまでの時間(ほとんどが待ち時間)を本なしで過ごさなければならなかった。椎名誠が書狂で有名な目黒浩二(別名北上次郎)をモデルにしたパロディ風短編『活字中毒者、地獄の味噌蔵』という文字通り抱腹絶倒の作品を思い出した。私の場合は時間も限られているしそこまでの地獄ではないからプチ地獄であるが、とにかく活字を求めてあちこちキョロキョロして時間を潰した次第である。活字中毒者は、禁断症状が出ないように、本を忘れずに持参しなければならない。

今日の結果で判断

 今朝は晴れ。定期検診で病院に行く日なので、雨でないのはありがたいし、この時期なら片道20分でも大汗をかかずに済む。涼しくなったので運動不足解消に散歩をしなければ、と思いながら、ほとんど引きこもり状態で本を読んだりテレビを見たりして過ごしている。本日は糖尿病の検診で、先月から今月前半はけっこう飲む機会も多かったし、美味しいものを食べていたので体重も増えてしまった。体重のほうはその後節制したので元に戻ったが、ヘモグロビンA1cは一月以上の間の食生活による血糖値がはっきり把握される数値なので、ごまかしようがない。多分血液検査はあまりいい結果は出ないだろう。

 

 それにしても昨夕の食事後、今朝これからの検査まで絶食なので、いまは空腹である。早く検査を終えて何か食べたくて仕方がない。この空腹感はいつもより強いので、もしかしたら糖尿病が悪化しているのかもしれない。糖尿病は悪化すると強い飢餓感を伴う病気である。

 

 引きこもりは精神的なテンションだけが上がり、体力が低下してフレイルが進行する恐れがある。だからどこかへ出かけたいと思っている。放送大学の講義『古代中世の日本』でいろいろ訪ねたいところが増えて、地図などを眺めている。今回は縄文遺跡と関連する博物館、そして多賀城や胆沢城、志波城などの城跡を訪ねたいと思っている。雪が降り出す前に東北を走ろうと思うが、そこまでの気力がまだ充実していない。今日の検査結果を見て、気持ちのエネルギーが充填できればいいと思っている。今夕は、我慢して休酒していたので、久しぶりに美味しい酒が飲みたい。それだけでもずいぶん気持ちが変わるだろう。

2025年10月26日 (日)

若返り

 若い時に戻ってもう一度やり直したいと思うかどうか問われたら、否と答える。現役時代を思い返すと、自分の努力不足、不勉強ばかりが思い返されて、自分がどれほど怠惰な人間だったかという嫌悪感にとらわれてしまう。そして、もう一度やり直したら今度は反省してしっかり生きるか、と自問すれば、多分同じようにいい加減に生きてしまうだろうと思う。考えてみれば、あんなににいい加減に生きたのに、これだけなんとかなって、まあまあ好きなように暮らせる老後を送れているのは、本当に幸運だったのだと思っている。やり直したら、これより良くなる可能性の方が低いと確信している。

 

 しかしこの頃とみに自分の衰えを実感しているので、体だけでも若返れたらありがたいなあと思う。何も二十代三十代とは言わない。せめて五十代ぐらいの体で過ごせたらいいなあと夢想している。体力だけではなく、気力も取り戻せるだろうし。

2025年10月25日 (土)

『第三次世界大戦はもう始まっている』

 先日、エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』を読了したが、補足的に彼の本が読みたくなり、『第三次世界大戦はもう始まっている』、『老人支配国家日本の危機』という二冊の本を新たに取り寄せて読んでみた。『西洋の敗北』はハードカバー本だが、取り寄せた二冊は新書(文春新書)である。

 

 歴史人口学者で家族人類学者の彼が、ソビエト崩壊を予測し、トランプ大統領誕生を予測したのは、彼が統計的なある事実を元に理論的に予測したものだ。その彼が現在の、そしてこれからの世界情勢について予測し、さらに少しだけ日本の現状と問題点について語っているのが今回取り寄せた二冊の本である。これらの二冊は『西洋の敗北』に結果する考察をわかりやすく書いた本で、書かれた時期も先行する。私の思っていたとおり、『西洋の敗北』に書かれていたことをより理解しやすくなる書き方の本だった。というよりほとんど聞き書きを元にしているので、読みやすいのである。だからこちらを先に読んでいれば、もっと『西洋の敗北』という本が理解できたかもしれないけれど、もう一度読むのはさすがにちょっと先になってからにしたい。

 

 彼の着目点は人口動態、そして平均寿命の変化、そして文化人類学的な民族別の家族形態の類型分類である。それがどうして予測のポイントになるのか、それはこれらの本を読むとよくわかる。三冊とも同じことをそれぞれに書いているのでちょっと読み飽きた。

 

 アメリカの現状について書いている著者の分析には、薄々感じていたことではあるけれど、目からうろこが取れた気がした。好き嫌いや善悪ではない視点から、感情抜きの予測を立てている。感情的にはトランプを嫌悪しながら、トランプ誕生の必然性、そして必要性を語る。そしてロシアや中国に対してはその脅威は今言われているほどのことはないという。ロシアはともかく、中国に対しては、彼はユダヤ系のフランス人であるから、日本人ほどの切実感がないのだろう、私にはそこまで楽観できない。

 

 アメリカの白人の、中年男性の平均寿命が短くなっているという。寿命を縮めている原因が疾病によるものよりも、自殺やアルコール中毒、薬物中毒(オピオイド禍)によるものであることに著者は着目している。さらに実体経済の空洞化がもう取り返しがつかないほど進んでしまい、しかも技術力を支える人口は見かけ上維持しているようであるが、実はアメリカ人以外、とくにアメリカ在住のアジア人の割合が急増していることに注目している。さらに知能指数調査では白人以外と較べて、白人に有意な低下が見られている。それが一時的なものなのかどうか。しかしとにかくアメリカは変貌しつつある。いままでのアメリカとは違う国になっているように見えるが、実は先祖返りしているだけかもしれない。そのことをこれらの本から(ある切断面からだけではあるが)読み取ることができた。

 

 改めて彼がEU体制の西ヨーロッパにかなり失望し、絶望しているように感じた。その通りなのかもしれない。彼の視点に重ねて見ると、ウクライナでの戦争の意味が少し違って見えてくる。ただ、彼がドイツという国を嫌悪していることも念頭に置く必要があるかもしれない。

 ところで『老人支配国家 日本の危機』はいささか羊頭狗肉の題名なので、それは承知して購入して欲しい。

パーソナルスペース

 有吉弘行とマツコ・デラックスが出演する番組で、パーソナルスペースについての話題が語られたというのを、たまたまネットニュースで見た。ガラガラに空いている電車でわざわざ隣に座る人は(多分)ちょっとあぶない人ではないか、という。どうしてそんなことを気にするのだ、という人もいるかもしれないが、私もそんなことがあったらあぶない人の可能性が高い人だと感じるだろうと思う。逆にそれがわからない人のほうに少しあぶない気がする。

 

 スーパーなどで、列に並んでいる時にむやみに前へ詰めてくる人の話題も出たようだ。詰めたからといって前が詰まっているのは後ろから見えるはずなので、それでもパーソナルスペースを超えて詰めてくるのはやはりややあぶない人である可能性が高いという指摘に、私も同感である。そういう人は、よくスーパーのかごでこちらの膝の後ろを突っついたりする。何か用かと思って振り返るとただ前へ詰めすぎているだけらしい。自分のかごが人にあたったことに気がつかないはずがないと思って腹が立ったりするが、そういう人は気がつくことができないらしい。やはり普通ではない。

 

 人は常に自分のパーソナルスペースを意識し、確保している。もちろんそれは状況により、そして接する相手によって変わるものである。当然自覚している人なら、他人にそのパーソナルスペースがあることも承知している。精神医学的にそれが正常な人で、そのパーソナルスペースが壊れている人はあぶない人であると言っていい。ある精神病は「空間の病」とも言われる。その第一歩がパーソナルスペース認識の欠如と言えるのかもしれない。

 

 渋滞の中を走っている時に、常識的な距離を超えてギリギリに後ろに詰めてくる車がある。詰めても前が詰まっているからどうしようもないのがわからないらしい。普通ではない人だろう。普通ではない人の中に、普段は普通なのに実は普通ではないものが隠れている。周りが見えない状態になりやすい人とはあまりお近づきになりたくない。周りを不愉快にして、そして不安にするそういう人は、とくに犯罪を犯している悪い人ではないけれど、人の気持ちを害するとても迷惑な人だ。

 

 蛇足で言えば、友人を作ったり恋愛する時には、そのパーソナルスペースの変更を必要とする。一歩踏み出す、つまりパーソナルスペースに踏み込み変更するには勇気が要る。それが当たり前の人間であろう。無遠慮にずかずか踏み込む人が普通でないのはもちろんだが、パーソナルスペースがあまりにも固定的で可塑的ではない人も、ある意味でちょっと普通ではない人と言えるかもしれない。

2025年10月24日 (金)

『潰え去ったシナリオ』

 原因と結果が一つにつながっていて、それだけで起きたことの説明がつくなら簡単でけっこうだが、世の中にそんな単純なことなどまずない。ところがしばしば物事はそのように単純化して語られる。語るほうも聞くほうもそのほうが面倒ではないし、楽だからである。しかしそれは知的怠惰というものだろう。

 

 歴史を語る時、ある時点について考察すると、その背景、そこに至る経緯を語らないと話が始まらない。そしてそのあとどうなったのかも知らなければならない。そうすると止めどなく話が広がっていき、収拾がつかない。さらにそういう流れは一筋ではなく、さまざまなものが互いに絡み合って転変している。だからそれらを互いに、しかも同時に関連付けながら眺めないといけないのだが、それは大変な知的力業を必要とする。それが面倒だから歴史が嫌いな人がいるし、だからこそおもしろいと思う人がいるのだろう。

 

 今回読んだ『潰え去ったシナリオ』という本は、『ドキュメント昭和』というシリーズの第六巻で、メインテーマは昭和の初めの金解禁前後の経緯である。日本が昭和に入ってから日中戦争、太平洋戦争へとのめり込んでいった時期につながる、歴史的に重要な転換点とみることもできる。わかっているようで中途半端だった認識が、この本を読んで少し補完された気がする。

 

 金解禁は歴史的な大失敗だったとされる。しかし金解禁に全力で取り組んだ人びとがいて、彼らはそうしなければならないと考え、そのために文字通り身命を捧げた。マスコミを通して、そして自ら国民に向かって必死に金解禁の必要を説き、政府も国民もそれにおおむね納得しての金解禁だったのだ。そのことが同時に緊縮財政、軍縮につながることでもあった。そうしなければ日本の国はもたなかったのだ。第一次大戦の勝利により、日本は未曾有の好景気に沸き、放漫な財政を続けた。しかしそんな一時的な好景気も戦争が終われば元の木阿弥である。そこへ関東大震災が起きた。放漫財政を続けた日本政府には金(かね)がほとんどなくなっていた。復興のための金がないのである。海外から、とくにアメリカから金を借りるしかない。そのためにはアメリカ(アメリカだけではないが)の要求する金解禁が必然だったのである。

 

 そうして金解禁を実施し、緊縮財政で日本の屋台骨を立て直そうとするところで起きたのが、ウォール街の株の大暴落である。それはもちろん世界に波及した。日本から金(きん)が大量に流出し、日本はさらなる危機に陥ることになった。歴史にifはつきものだが、このときアメリカの大恐慌が起きなかったら、事態は全く違うことになっていただろう。

 

 この金解禁に全力を傾けたのが浜口雄幸内閣の蔵相井上準之助であり、彼の信用がアメリカからの借款を成功させた。しかし浜口雄幸はテロリストの凶弾に倒れ、続けて井上準之助もあの血盟団の小沼正に暗殺された。ほぼ時を同じくして経済界の巨頭、団琢磨も血盟団の凶弾に倒れている。先日片場村の歴史資料館で、血盟団を創設した井上日召が片場村の出身であることを知り、その資料を眺めていろいろ思うところがあったのはそういう背景がある。

 

 この金解禁の挫折が直接の戦争への引き金というわけではないが、戦争へつながるかなり太い流れの一つであることは間違いない。

ネット通販

 ネット通販はクセになる。こんなものがあったらいいな、と思いつくとすぐ調べてみる。調べてみると必ず該当するものがある。取り寄せると必ずしも自分のイメージに合わないこともある(その方が多い。もうひとつ製品としてこなれていないものが多いのだ)。それなのに、思いつきはしばしば生ずるので、つい調べてみて・・・の繰り返しである。誰もがこんなものがあったら、と思うもので、それなら需要があるわけで、需要を見越して製品が作られる。ヒット商品や寿命の長い商品とは、その凡百の中の一握りなのだろう。

 

 収まりつつあった肩の痛みがぶり返したのは冷えからではないかと思い、肩を温めるものはないかと調べてみたら、やはりあった。首と肩を温める電熱式のウォーマーである。安くもないが、取り寄せるのに迷うほど高くもない。早速手配した。肩を温めるというよりも、首回りを肩も含めて温めるというものである。使ってみるとそれなりに快適である。肩の関節あたりまで温められるといいのだが、しかしそうなってはいない。そこで痛い右肩のかどを首に見立てて温めてみた。なんとか想定通りの暖め方ができた。これから寒くなるから使い続けるつもりだが、果たしてお蔵入りにならずに生き延びるかどうか微妙である。

 

 大きくて重い、肘掛けつきの座椅子を愛用している。しかし何年も使用しているうちに人工皮革が劣化し、ひび割れ、剥離し始めてみっともない。カーシート用のカバーを取り寄せてみっともなさを隠した。さらに座面のクッションがへたってきて尻の収まりが悪い。尻の収まりが悪いと腰に悪影響が出る。これも調べてみたら、適度な大きさで耐久性のありそうなクッションが見つかった。取り寄せて使用してみると尻がうまく収まるようになり、たいへん具合がよろしい。筋力が衰えて、ゆっくりと座ることができにくくなり、どすんと尻を下ろすようになってショックがあったのも、これで大いに緩和される。車のクッション用としてもう一つ買おうかと思っている。

 

 老人も消費に貢献しなければならない。とはいえ、やたらに思いつくのを少し控えようかとも思っている。

2025年10月23日 (木)

酒が欲しい

 来週初めに持病の糖尿病の定期検診がある。毎回、その前の一週間から十日は酒を控えたり、休酒する。今回は19日の日曜日からドライデーにしているのだが、普段は一週間でも二週間でも、やめておこうと思えば何の苦もなく酒が抜けるのに、どういうわけか今回はとても酒が恋しい。そうなるとつい口寂しくて甘いものが欲しくなったりするのでつらいところだ。多分糖尿病の症状が少し強く表れているのかもしれない。我慢我慢。

 

 何冊か本を取り寄せた。いま読み進めている本に関連したものが読みたくなったからだ。アマゾンに在庫のある新刊はすぐに配達されてくるからありがたい。一冊だけ、それとは別にどうしても読みたい古い本があって、これは古書店から取り寄せた。先週末に頼んだのに、配達されたのが今日の午後で、なんとなく遅すぎることにいらだちを覚えてしまう。この本は三十代のときに二度三度読んで影響を受けた本なのだが、その作家の本は処分してしまったらしく、一冊も残っていない。この本だけは残すはずの本がないので、取り寄せてもう一度読もうというわけである。自分の原点の再確認みたいなことになる。

 

 NHKの古い時代劇ドラマ『御宿かわせみ』の再放送は第一シーズンが終わって第二シーズンに入った。いいなあ、真野響子。ところで、主要登場人物である八丁堀の同心・畝源三郎(山口崇)の呼び方が、第一シーズンでは「うねび」となっていたが、第二シーズンでは「うね」に替わっている。平岩弓枝の原作を読む時には、私は「うね」と読みなしていたので、「うねび」という呼び方には違和感があったし、昔このドラマを見た時にも「うね」と呼ばれていた記憶しかなかった。だから自分の記憶違いかと思ったりしていたが、そうではなかったようだ。やはり「うね」の方が聞きやすい。 

やったことを見てから

 高市新首相に対して、有象無象がさまざまなことを言っている。何を言うのも自由であるとはいえ、過去の言動からだけで批判的な言動を語る姿にいささか違和感を覚える。ほとんどが、自分をアピールしたいがための批判であるように感じられる。新たに首相として何をしようとしているのか、これから何をするのか、そして何ができていくのか、まずそれを見てから評価して、批判すべきところは批判したいと思う。好き嫌いから発する外観への罵言はいささか大人げない。断っておくが、私は現時点では高市女史を支持も否定もするつもりはない。そもそも判断できるほどよく知らない。

 

 野党は、とくに立憲民主党は、相変わらずまず裏金の問題を追及するつもりのようだ。やめろとは言わないが、優先順位はまず国民の生活、とくに現役世代の生活を少しでもいまより楽になるようにすることで、国民もそこに最も関心があることは各種の世論調査でも明らかだ。限られた短い臨時国会である。そのための施策で、賛同できるものはまず賛同して法案を成立させるのが先決で、それを阻害するようなら、そもそも党利党略が優先して、国民の生活などどうでもいいという本音が見えてしまうだろう。

 

 思っていることを書いたのではあるが、また誰でも言いそうなことを書いてしまった。

2025年10月22日 (水)

『西洋の敗北』

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 エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』(文藝春秋)という本をようやく読了した。昨年購入して読み始めたが、途中までしか読んでいなかったので、今回最初から読み直した。いま世界で起きていること、とくにウクライナへのロシア侵略戦争についての著者の解釈は、意想外のものである。著者はフランスの歴史人口学者であり、家族人類学者。その視点からの世界観は、私の受け取っている(つまり見えている、または見せられている)世界の外観とはまるで違う。あえて言えばロシアに親和的で、ウクライナにこそ問題があるという見立てであり、アメリカや西ヨーロッパの劣化こそがこの事態を招いているというものである。

 

 私の認識をそこまで変更することは今のところできないので、それに賛同するわけにはいかないが、ただ、彼の視点に沿って世界を見直すという試みをこの本を読むことでたどることはできた。そのポイントはプロテスタンティズムというものが失われたアメリカや西ヨーロッパには道理、大義がないというものである。あのマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』で表したような「倫理」はすでにどこにもないということである。その点について、私は同意せざるを得ない。

 

 アメリカはすでにものを作ることができない国になっている。ミサイルも軍艦も砲弾も作ることができない国になっている。そしてそれを作る人材もおらず、設備もなく、ましてやそれを改良する人間もいない。どうしてそんな国に成り果ててしまったのか。根本原因はドルが基軸通貨であることで手間のかかる実体経済を外注し、ひたすら消費を謳歌したツケが溜まったからだという主張には全面的に同意する。トランプはそれをなんとか是正したいのだろうがすでに手遅れである。何より基軸通貨を手放すなどという発想はないし、もしそんなことをすればアメリカは一気に破綻し没落してしまうからだ。トランプがどんなに虚勢を張ろうが、アメリカはすでに衰退の坂を転げだしてもう止めようがない。そしてそれをもし止めるのなら、国民の意識を根本から変える必要があるのだが、それに国民が気がつくことはもう無理だろう。

 

 そのアメリカは信用できない。頼っても張り子の虎になりつつあるからだ。そのことをこの本は冷酷に説明している。日本はどうするのか。

雑感

 本日の当地の最高気温予想は15℃だという。最低気温でもこんなに低い日はなかったのに、急なことである。体がついて行けないではないか。すでに衣類は秋冬物に入れ替えた。あとはこたつをいつ入れるかだ。以前はなかったことだが、足先が冷えだすのが潮時だろう。こたつにこもってますます動かなくなる。

 

 今回、国会の首相選出選挙の模様を衆議院も参議院も最初から最後までテレビで見ていた。さまざまな議員の表情などを眺めてみておもしろいものだと思った。高市女史に元々は期待していなかった。しかし石破首相誕生のときの自分の無関心な気持ちと今の気持ちを比べれば、いまは政治が少し変わるかもしれないという期待がある。その違いは、石破首相には、首相になるのがゴールにしか見えなかったのに、高市新首相には、首相になったらこれから仕事をするのだ、という熱意を感じるからだ。考えてみれば石破首相はさまざまに評論家のような理想論を語っていたのに、実際にその理想に対していったい何をしたのか不思議なほど思い浮かばない。

 

 高市女史に対してそういう気持ちを持つようになったのは、維新との連立合意に至るまでの必死の行動である。維新とのやりとりにその熱情のようなものが感じられたし、口先だけではないのだと思わせるなにものかを、見ていた人たちに伝えることに成功したのではないだろうか。維新の吉村氏や藤田氏にもそういう熱情のようなものがあり、そういうものが国民民主党の玉木氏には欠けていたのだろうといまなら思う。連合という支持母体に対しての配慮が彼の行動をあやふやなものにした。マスコミに持ち上げられて舞い上がり、何か勘違いしたまま何も決断できなかった。

 

 玉木氏は嫌いではないのだが、今回は彼の底の浅さ、人の好さばかりが目について男を下げてしまった。乾坤一擲、ここだという時に決断できないと、次の機会は当分訪れないものだ。そしてそれができなかった玉木氏はそれだけの人物だったということなのだろう。しかし国民民主党はこれから政界のキャスティングボートを握る立場にいる。今回の経験を糧として一回り大きくなってほしいものだ。マスコミのおだてに乗ることのどれほどみっともないことかを思い知り、立ち直ってほしいものだ。

2025年10月21日 (火)

常識

 高市新首相誕生に際して、彼女がかなり鮮明な信条を明らかにしてきたことから、意見をほぼ同じくする人と意見を大きく異とする人とがいるのは当然として、そのそれぞれの感想を一部漏れ聞いた時に感じたことがある。まったくの敵として、あたかも「悪の権化が権力をとったからこの世は終わりかねない、私たちがそれを阻止する」というようなことを語る人がいたかと思えば、「意見は異なるが、とにかく女性の総理誕生は評価したい。役割を全うするよう頑張って欲しい。こちらも問題はとことん追求したいと思う」というような意味のことを語る人もいた。ともに野党の女性である。

 

 他人を評する時の礼儀というものがあると思う。敬意を持って相手を認めた上で、意見の違い、問題点を批判するということである。それが人間としての常識であろう。政治家はもちろん、他人に対してさまざまな批評や批判をする時に、最低限の敬意を持つという、大人としての常識を欠いた言葉を語る人を私は認める気にならず、その人の言葉に耳を傾ける気にならなくなる。どうやら好きになれない人というのはそういう人のようである。マスコミにはけっこう多い。

雑感

 今朝起床時の室温は25℃、快適である。窓を開け放てばたちまち下がるのがわかっているので、しばらく閉めたままにする。昨晩は収まっていた肩の痛みが再び強くなり、安眠できなかったが、起き出すことなく我慢して、外が明るくなるまで横になっていた。何か原因があっての痛みなのか、または冷えたことによる痛みなのか。

 

 高市首相の誕生はほぼ確実らしい。何か意想外のことが起こる可能性は、いま中心にいる最大野党の立憲民主党がそもそもまとまりを欠いている事態では起こりえないだろうと思う。新首相とその与党にはこれから実のある政治を推進してほしいものだし、そうでなければ誰かが言っていたという泥舟になりかねない。

 

 ところで連立を組む維新が強く主張していた定数削減案が、ちょっとおもしろいと思った。選挙区の割り振りを変更するというのは大仕事だから、比例の人数を減らすのがいいだろうということである。いまの雨後の竹の子のような少数野党の乱立は、この比例区から誕生していることが背景にある。比例区定数削減はそのまま多くの少数野党にダメージとなる。その点で自民も維新も地盤のしっかりした議員の割合が高いからの提案であろう。たまたまテレビでよく取り上げられたタレントなどが何の知識も志もなしに当選してしまうなどということが少しでも減るのはいいことだと思う。

 

 放送大学の講義は、『宮沢賢治と宇宙』、『古代中世の日本』、『数学の歴史』の三講座を今見ているところだ。それぞれ第三回まで見た。どれもおもしろい。宮沢賢治の第二回では、最初の詩集『春と修羅』が論じられていて、とくに愛妹のトシとの死別のときを詠んだ『永訣の朝』が詳細に分析された。強く感銘を受けて好きな詩なのだが、さらにそのときの賢治の心の動き、死についての彼の宗教的な意識なども推察されていて、見えるものが広がった気がした。

 

 『数学の歴史』では、第二回にヘレニズム時代のアレクサンドリアを拠点にしてそれまでのギリシャ数学を集大成したエウクレイデスの『原論』の講義をしていたが、そういう人がいたのか、と思いながらよくよく聞いてみたら、あのユークリッドのことであるのだと気がついて、ちょっと笑ってしまった。そういえば吉本隆明の『マチウ書試論』という文章にメシア・ジェジュなどという名前が出てきて何のことやらと思ったものだが、マチウはマタイのことで、ジェジュはイエスのことであった。これを呉智英が嘲笑していたものだ。「ギョエテ」とは俺のことかとゲーテ言い、なんていうのがあったなあ。講義自体は大真面目で、第三回はアルキメデスであった。数式があまり出てこないで歴史が主体なので、今のところついて行けている。

2025年10月20日 (月)

『炉辺の風おと』

 梨木香歩のエッセイ集『炉辺の風おと』を読み終えた。外国での生活も経験している彼女は、自然についての豊かな知識を持ち、感性が鋭くて想像力が豊かである。出会ったのは『冬虫夏草』という不思議な、そして素晴らしい小説を手に取った時からだったが、その後少しずつ彼女の本を読み続けている。この『炉辺の風おと』は、すでに読んで書棚にある『歌わないキビタキ』に先行するエッセイ集で、さらにそれに続く『小さな神のいるところ』という本が出ていることを知ったので、早速取り寄せた。

 

いいな、と思った小文を引用する。

 

 自分の見ているものがよくわからなくとも、もしかしたらそれ、と見当をつけつつ日々を送る。あれはほんとうはどういうことだったんだろう、疑念を解かずに日々を送る。安易に諦めたり、忘れてしまったりせずに。それは葛藤を抱えて生きるようなものだから、もやもやと苦しくもあり、力も要ることだ。けれどその納得しないエネルギーが、いつか時宜を得て、すべてのことを明らかにすると信じている。

 

 いいなあ、大いに賛同する。わからないことを忘れたり放り投げてしまわずに抱えていると、思いがけないことで何かが見えてくることはあるもので、それが知っている何かにつながった時の喜びは大きいものだ。

 

 この本の中で、最も心に響いたのは『『密やかに進んでいくこと』というエッセーで、これを読むだけでもこの本を購入する意味があると思う。もっとたくさんの人に読んで欲しいなあ。

『ロボット』

 カレル・チャペックの『ロボット』という本を読んだ。1920年に発表されたこの作品は、小説ではなく戯曲である。SFの古典として有名なこの作品を書いたのはカレル・チャペック(1890-1938)という東ボヘミア(1918年にチェコスロバキアとして独立)生まれの作家である。ほかに『山椒魚戦争』という傑作も残している。有名な作品なのに未読だったが、放送大学の文学の講座で紹介されて読みたくなり、取り寄せた。中公文庫に収められている。AIが人間に取って代わるのではないか、暴走(人間から見て)するのではないかという危惧が現実になりかけている気がして、この作品を読む気になった。

 

この本が評判になった後に書かれた彼の文章をいくつか紹介して、この作品の性格を説明しておく。

 

 著者の考えるロボットは機械(メカニック)ではない。ブリキや歯車で製造されてはいない。機械技術を礼賛するものではない。著者がこの作品で人間精神の奇跡を考えているとしたら、その対象は技術ではなく、科学である。機械が人間に取って代わることができるとか、ロボットの歯車から、生命、愛、あるいは犯行といったものが目覚めるかもしれないといった考えが生まれたのはおまえのせいだと言われても、著者はその責任を断固として拒絶する。
(中略)
 そこで、生きているような反応をする新しい物質を化学合成によって誕生させたが、それは、生きている細胞とは組成が異なる有機物質である。

 

 そうして作られた、見た目は人間そのままでありながら精神を持たないロボットが大量生産され、人間のあらゆる労働を代替していき、人間はあらゆることを彼らに任せていく。わずかな問題点か見つけられたロボットは廃棄され交換され、ロボットはそれに従う。

 

 そしてロボットがある日反乱する。

 

 物語はそのロボット生産工場の幹部たちの、彼らの工場の大量生産による繁栄とその後の経緯、そこで生ずる問題などに対しての対応と反応に終始していて、ロボットの反乱も報告として受け取るだけで反乱の様子はほとんど描かれない。しかしそれによる危機は彼らにも迫ってくる。そのときにそれぞれの人物の性格と考え方が事態をどう受け止めたか、そしてどんな行動をとったかが詳しく描かれていく。

 

 著者はロボットという存在を通して、人間というものを描きたかったのである。しかしそこに描かれていることの中に、今日の機械だらけの文明というものの、人間に対する影響、そしてAIによる超高度な知性に似たものの出現と、それが人間に与える影響を考えるためのヒントもあるような気がした。考えさせてくれる、というのは優れた作品である証拠だろう。

2025年10月19日 (日)

がっかり『八犬伝』

 2024年の映画『八犬伝』を見た。期待しながら、同時に劇中劇のような構成がどうもあまり納得できないような気もしつつ見たが、はっきり言って失敗作、駄作映画であり、『八犬伝』という物語が大好きな人間としては心の底からがっかりした。

 

 子供のときに、子供向けの『里見八犬伝』を読んで感激し、登場人物の名前をほとんど覚えてしまうほど夢中になった。だから映画化されたものも二本ほど見ている。子供の時に見た映画の、犬山道節が格好が良くて忘れられない。後で見たものは妖女役の夏木マリが素晴らしかった。

 

 今回見たのはあまりにひどい映画で、八剣士たちの演技は学芸会かと思ったが、多分シナリオが良くないのではないかと思う。台詞に首をかしげるようなおかしな部分があったりして興ざめでもあった。ちっとも評判にならなかったのは当然と思う。唯一まともに見えたのは黒木華のみだった。葛飾北斎役の内野聖陽はともかく、滝沢馬琴役の役所広司にはちっとも感情移入できない。役柄についてのイメージを持てずに演じていたのではないか。だんだん嫌いになっていく。

見て考える、さらに考える

 短歌や俳句が苦手なのは、その表している世界がよく見えないからで、それは私がものを知らないからである。花鳥風月(そして人間も)がよくわかっていないからなのである。植物の名前を知らなければ、詠まれたものがイメージとして結ぶはずがない。そのことが誠に残念であるが、下地がないからにわかに覚えようとしても身につかない。この歳ではすでに手遅れである。

 

 エッセイでも植物や鳥や虫について書かれているものが多い。生き物についての深い思い入れがあって、そのことが自然を見る目の厚みをなしていて、それはそのまま生きることについての厚みとなる。生きることの厚みとは、つまりそれだけ濃厚に生きているということだ。私が長く拝見しているブログでも、植物についての詳しい記事のものが割合に多数ある。たいてい写真が添えられているので、もの知らずの私としてはありがたい。

 

 團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズでも、梨木香歩のエッセイや小説でも、植物について詳細な記述がある。その語られている実物をイメージできたらどれほどいいだろうと思うばかりである。 

 

 いま読んでいる梨木香歩の『炉辺の風おと』(毎日文庫)は、そういう点で植物や自然に関する記述が多い。そういうものが好きな人には是非読んで欲しい本だ。私よりもっと感銘を受けるのではないかと思う。まだ半分あまりしか読んでいないし、もうすぐ読み終わるもう一冊を先に片付けるつもりだが、引用したいところがいくつもあって、途中だがその一部を紹介する。これは植物ではなく水鳥の話。

 

 東京都内の家の近くの公園に池があって、冬場になると多くの水鳥がやってきたものだった。しかし、以前に比べるとその数は圧倒的に少ない。ある時期、鳥に餌をあげないキャンペーンのようなものが展開されたのだ。園内には「水鳥に餌をあげないようにしましょう」と大書されたポスターや立て看板のようなものが目につくようになった。肥満になって猫にやられる、渡りができなくなるなどの弊害も説明されていた。
 これまでは、スーパーのレジ袋いっぱいにパンの耳などを入れ、規則正しく通っていた人びとが、いつの間にか隠れるようにして(実際水辺すれすれに張り出した藪の中など、足元が危ないような場所で)、周囲に気兼ねしながら餌をやる姿を見るようになり、そしてやがて、全く見なくなった。そのほとんどが高齢者だった。堅実そうな彼ら彼女らの様子から、鳥が舞っていてくれる、そのことが生活の張りにもなっていただろうことは容易に察せられた。
 このキャンペーンが功を奏し、餌をやることはいけないこと、という絶対的な空気ができあがり、餌をやる人びとは非難の視線で見られ、あるいは露骨に注意されるようになり、いたたまれなくなったのだろう。荘、「一朝ことあらば」こんなにもみごとに「一致団結」できてしまう国民性なのだ。

 

 ここまで読んで、さまざまな感想を持つ人がいることだろう。餌を与えることの是非については、誰よりも梨木香歩は真剣に考える人だ。単純に「餌をやるな」ということに反対しているのではない。彼女はずっと観察する。そして、何らかの理由で渡りをせずに残った水鳥に、肥満で渡りができなかったように見える鳥など一羽もいないことを確認する。ただそれも偶然見なかっただけかもしれない、とも考える。さらに彼女は考える。餌を与えなくなったら水鳥がいなくなったのは、そこでは暮らせなくなったからだろうと。

 

 だが現在、鳥の渡りの目的地や経過地であった湿地は埋め立てられ、山は削られ、湖沼は干上がっていく。

 

 鳥が自力で餌を調達できれば、それが本来の彼らの姿で、そうあるべきなのはわかっているが、この環境の激変では極めて難しいのではないか。もちろん、肥満にさせるほど鳥に餌を与えるのもおかしい。規制はしつつ、どうしてもそれを破る人を、片目をつぶって見逃す、そういう社会が案外最善のバランスを保っていくものかもしれない。

 

 自然をよく見ているからこその、こういう余裕が欲しいものだと私も思う。

2025年10月18日 (土)

牛にひかれて

 北関東から帰宅したのは先週の土曜日だから、一週間がたった。あっという間である。そもそも時間のたつのがますます加速していて、早すぎて、自分が何をしてきたのか思い出せないことが多くなった。思えばこの一週間、テレビばかり見ていた。録画したドラマや紀行、ドキュメント、高校講座、放送大学の講座などを消化するだけで忙しかった。北欧ドラマ、一本はデンマーマとスウェーデンが舞台のものと、ノルウエーが舞台のミステリードラマ(各八回という長編)が見応えがあった。そういうのを見ていると一日がかりになってしまう。そして私はそういうものを一気に見るのが好きだ。くたびれるけど。

 

 旅行中には五冊ほど本を持参して、一冊をほぼ読了し、二冊はほぼ半分読んだ。残りを読もうと思いながら、ほかの読みかけの本、十冊ほどとともに重ねてほとんど手つかずだったが、ようやく録画の消化が一段落したので読書に戻ったところだ。

 

 読書に戻れたのは、永井荷風の『断腸亭日乗』(第三巻)を読んでいたら、彼がしばしば友人や愛人と酒を飲みながらも、合間合間に明治や江戸時代の本、中国の古典思想の本、取り寄せた欧米の本(荷風は英語もフランス語も原書で普通に読める)をせっせと読んでおり、何日目かには「読了」と記しているのである。私は原書は読めないが、あやかって中国の古典思想書の『列子』や『墨子』などを寝床の脇に置いて寝る前にひらいている。おかげでよく眠れる。

 

 牛にひかれて善光寺参り、ではないけれど、私は永井荷風にひかれてようやく読書を再開した。

 

足尾寸景

 昨日の午後、妻が入院している病院へ支払いと面会に行ってきた。面会で妻はとりとめのないことを言っていて、半分くらいはよく理解できなかったが、元気なようであるし精神的には比較的に落ち着いているようで安心した。ただ、私は理屈が勝るタイプで、話が腑に落ちないと気持ちが落ち着かずにいらだつところがある。懐が深くないのである。大きな欠点であることを知らないわけではないが、忍耐の限度が普通の人より低い。それでもなんとかやさしく相づちをうち、勘違いなどを訂正したりせずに最後まで聞く(そうしないと本人が混乱すると医師から言われている)ことに努めることができたのはさいわいであった。とてもくたびれた。しかしくたびれたけれど面会が済んで気持ちが少し楽になった。

 

さて、足尾の、いつも撮影している場所の写真を何枚か掲載する。旅の写真はこれで終わりである。

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これは足尾銅山で働いていた人たちの社宅である。昨年くらいまではテレビの音が聞こえる部屋もあった。

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そういう棟割長屋のような棟がずらりと並んでいたのだが、取り壊されて駐車場に変わっていた。もともと何もなかったかのようである。

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奥の建物は、駐車場向かいに建っている生協のスーパーで、十年ほど前までは営業していた。いまは廃屋である。

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石垣が見えるが、この上には社宅がそれぞれ建っていた。その建物はほとんど取り払われていた。

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昨年見た時には工事をしていたが、こんな建物が新しく建てられていた。古河鉱業の建物で、足尾銅山についての資料が展示されているようである。窓口の女性に尋ねたら、団体の、それも予約した人にしか見せていないので申し訳ありません、ということであった。

2025年10月17日 (金)

縄張り

 先般の北関東の旅で足尾に行った。足尾は日本有数の銅山だったがだいぶ前に閉山している。一時期、石見銀山にならって世界遺産にエントリーしようと試みたようだが、町を挙げての活動とまでは行かず、いまはひっそりとしている。ずいぶん前から北関東の友人を訪ねるついでにこの町に立ち寄り、定点観測のように昔の銅山に働いていた人たちの住居などの写真を撮ってきた。足尾の写真の何枚かは次回に掲載する。

 

 渡良瀬川はこのあたりが源流で、明治時代から鉱毒水の問題があって日本最初の公害訴訟なども起きている。志賀直哉の祖父や父は古河鉱業に出資し、そのことで志賀直哉は父と激しく対立した。渡良瀬川は鮎が棲まない、などといっていたものだが、現在はずいぶんきれいになったようだ。

 

 その足尾の前を通る渡良瀬街道・国道122号線は、いまはバイパスができて足尾の町中は通らない。その旧道はセンターラインのない部分もあって狭い。しかし足尾らしいところを見ながら走るにはこの旧道を通る。今回その旧道で猿の家族らしい五六匹を見た。まったくの市街地である。私の車が通るのにワキへ逃げ込むものもあるけれど、子供を連れた母親は道路上に居座ってこちらを平然と眺めている。すれすれを通り抜けざるを得ない状態であった。母親の目は自分のテリトリーをよそ者が通る、というように見えた。

 

 日本中で獣たちが人間の居住領域を徘徊し、人を恐れないばかりか人を襲う。人が怖いものではないと学習してしまったからだと思っていたが、だからといってむやみに人を襲う熊などを見ていると、奇妙な思いがしていた。しかし、熊にとってはすでに人の住む市街地も彼らのテリトリー、縄張りとして認識されるようになってしまったのだと気がついた。彼らの縄張りを荒らす人間に怒り、排除しようとして攻撃しているのだ。だから鈴を着けようが大声で歌を歌おうが人間が来たから逃げる、などということなく襲いかかる。いまは人間が邪魔者、侵入者なのだ。彼らの侵入をやさしく追い返すだけ、という対策をとり続けた結果、人間の居住領域は彼らの縄張りとして承認されたと見なしたのであろう。

 

 中国は日本の、そして周辺国の縄張りでやりたい放題である。ロシアもしかり、イスラエルもしかり。やさしく退去していただくという対処を続けた結果、彼らにとっては縄張りが無限に広がりつつある。縄張りは守らなければ守れない。当たり前のことであろう。

2025年10月16日 (木)

今日は雨

 夜中に雨が降ったらしく、路面は濡れているが今はやんでいる。予報ではまた雨が降り出して終日雨らしい。やれることを昨日済ませておいて良かった(ずいぶん久しぶりに七千歩歩いた)。涼しくなったので床屋に行って丸刈りにした。頭の熱暴走が多少は緩和されるだろう。わずかな容量しかないメモリーに、今大量の知識を流し込んでいるが、容量がないからほとんどが溢れて流出してしまう。哀しいことだがそれでもわずかに引っかかって残るものがないではない。それを自分の頭の知識のネットワークに組み込めればありがたい。ただネットワークに組み込むには時間が必要で、物事の関連性というものに気がついてそれを収めるべきところに収めるのは案外たいへんな作業なのだ。不器用だからインプットに忙しいときはアウトプットができにくい。ブログに書きたいことがないではないが、なかなか書けない。

 

 名古屋駅近くで軽自動車が歩行者に突っ込んで、三人が死傷したという。ノーブレーキだったらしい。運転していた71歳の男は「人ははねていない」といっているようだ。認知症ではないかという情報も伝えられていたが、現に自分が事故を起こし、人にあたったのにそれすら認識できていないのだとしたら、認知症などというレベルを超えている。言い逃れのつもりとも思えない。今までそういう兆候を示さずに突然そうなったのだろうか。名古屋駅周辺は、以前はよく歩き回ったもので、運が悪ければそういう奇禍に遭う可能性があったのだし、これからもどこかで遭う可能性があるということで恐ろしい。それ以上に恐ろしいのは、自分自身がいつかその加害者になりうるかもしれないという可能性がないとは言えないということだ。あまり考えすぎると身動きできなくなってしまうが、危険な兆候を感じたら、判断力があるうちに免許返納も考慮に入れる必要があると思う。多分そうしたら私の場合、引きこもりになると思うけれど、人に危害を加えるよりましだ。

2025年10月15日 (水)

まとまらない

 私に見えている立憲民主党というのは、そもそも中道リベラルを標榜して出発したのに、人数を増やすために、分裂した旧社会党の左派、それも共産党よりも左派的な集団を抱え込んでしまい、それに引きづられて全体として左派的な党として行動するようになり、それに嫌気がさした若手の一部が飛び出していった党という姿である。そうして、任された権限に基づいて党首が他党と決めたことを、党が否定してしまうという事態をたびたび見た記憶がある。

 

 党首会談で国民党の主張に譲歩する形で合意が成立しても、それを党の会合で諮れば、多分意見が大きく割れて譲歩が認められず、合意がくつがえされるということになるような気がする。それでは信用されない。野党はまとまらないだろうと思う。

 一気に涼しくなったので体が対応しきれず、バタバタと無理をして、あれもこれもと片付けているうちにくたびれてしまった。気持ちばかり先走っているので、少し落ち着こうと思う。

2025年10月14日 (火)

変なイントネーション

 昨晩はくたびれて早く寝てしまったので、夜中の三時前に目が覚めてしまった。寝られないのでそのまま録画してあった昨晩のプライムニュースを見て、立憲民主党と国民党の、政局についての考えを聞いていた。これからどうなるのだろうか。全く予想が立たない。つまり予想外のことが起こりそうな気がするということだ。

 

 そのあと高校講座、数学と地理探究の二本を見る。数学は鈍角の三角比で、三角関数の基礎。このところ二度ほどお勉強したので、これくらいの基礎的な問題ならなんとか理解する。ところでこの講座にはミミズクのアイクという、本物のミミズクのキャラクターが登場するのだが、その声の、外国人特有の変なイントネーションが聞いていてどうもなじめない。これは私の感覚の問題で、気にならない人も多いだろう。もちろん私が英語をしゃべれば(たどたどしすぎてほとんどしゃべるというレベルではないが)聞き苦しいことはアイクどころではないのもわかっている。ただ、そのキャラクターの必然性がわからないのでどんどん気になっていく。こういう必然性のないキャラクターはさまざまな番組で見る。

 

 昨日から放送大学のお勉強を再開した。『ダイナミックな地球』という地球科学の講座、『初歩からの物理』、『より良い思考の技法・・・クリティカルシンキング』という講座で、今日はそれぞれの第十四回を見るつもり。できれば第十五回も見て受講終了と行きたいところだ。十三回の地球科学では地質や岩石、それが語る大地の歴史の話で、好きな話だから興味深かった。物理では空間と宇宙というテーマで、相対性理論に絡めての話、クリティカルシンキングでは、災害時の正常性バイアスなどについての話で、どれもたいへんおもしろかった。

 

 ほんの一部しか理解できていないけれど、多少は知能の劣化にブレーキがかけられるのではないかと期待している。今回の遠出でも実感したが、足腰が著しく弱っているので、軽い運動を始めた。飲み過ぎ食べ過ぎでエコノミー症候群様の足のむくみが左足に出ていたのが少しずつ軽くなり、増えすぎた体重も元に戻りつつある。ふくらはぎのポンプが働き始めたのだと思う。これはずっと続けなければと思っている。

2025年10月13日 (月)

覚満淵

東京側から見れば、赤城山の裏側に泊まったので、ナビの指示する関越道回りではなくて赤城越えをして南側へ出ることにした。標高1400以上の場所へ一気に駆け上る。そこから火口湖の赤城大沼の湖畔へ。赤城神社の赤い橋はまだ工事中だ。この辺は何度も来ているので写真は撮らず。

神秘的で大好きな覚満淵を歩く。

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覚満淵の入り口。

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熊が出たらこんなケージはひとたまりもないだろう。私は熊ではないが、くぐり抜けるのに苦労した。

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何度も来ているが、最近は遊歩道は整備がされていないらしく、クマザサが覆い被さってどこを歩いていいかわかりにくい。小さな川を渡る木の橋は階段を上りまた向こう側で降りるのだが、腐りかけてぐらぐらの段もある。踏ん張りがきかなくなっているので危うく転げそうになった。

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覚満淵へ出る。ここは浅い。

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あたりには霧がかかって、色づき始めた木々が美しい。

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こんなところでのんびりするのもいい。

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ぐるりと一周することができる。

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霧が来るとひんやりとする。水面がきらめく。

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秋の到来をたっぷりと感じて、満足して山を下った。

暑いけれど心地よい

現在の室温は29℃を超えていて、多分もうすぐ30℃を超えるだろう。しかし北側の部屋の窓から北風が吹き抜けて心地よい。エアコンは必要ではない。

昨日は朝から忙しかった。何しろ高校講座や放送大学、ドラマ、ドキュメントや紀行番組が一週間分、山のように録画されていて、高校講座だけで13(一つ20分)もあった。まずそれをすべて見た。『御宿かわせみ』を見て、『新日本紀行(佐渡)』を見て、アメリカへの亡命中国人のドキュメントを見て、亀裂社会のドキュメントや、イスラエルのドキュメント、FBIドラマを見て、ブラタモリを見ていたら夜になっていた。

今朝も残りのFBIドラマや、今度は見ようと思う朝ドラの『ばけばけ』の第一週と第二週を一気に見た(録画だけして未見だった)。何しろ松江は好きな街で五回以上行っている。小泉八雲も好きだし、松江城やそのお堀、そして城下町の界隈の風景も好きだ。だからブログを書いている時間がなかった。

もう見飽きたかもしれないが、もう少しだけ旅の写真を掲載する。今回は丸沼の湖畔にある環湖荘のあたりの風景である。

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環湖荘。ノスタルジックな湖畔の宿。一度だけ駐まったことがある。

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目の前が丸沼。いつも釣り人がいる。

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フライフィッシングである。この日の外気温13℃だった。水は冷たいだろう。

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水面がきらめく。

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色づき始めた木々も見られる。

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環湖荘の横に食堂があり、ここで舞茸天ぷらそばを食べた。天ぷらのボリュームがすごい。

2025年10月12日 (日)

意外な人物の消息を知る

 木曜日(九日)の宿泊地は川場村という沼田市の西側、武尊(ほたか)山の麓にある村の一軒宿だった。その宿の近くに川場村の歴史民俗資料館があり、立ち寄らせてもらった。

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 廃校になった小学校の校舎を資料館にしている。村に関連するさまざまなものが展示してあって、雑然としているもののそれなりに素朴ながらこの地域の暮らしというものがうかがえておもしろかった。案内されてめぼしいものの写真を撮ろうとしたら「撮影禁止です」と言われたので、館内の写真はない。こういうところは訪れる人が少ない。撮った写真を見て訪ねようとする人もあるかもしれない。宗教的な場所ならともかく、どうして禁止するのかよくわからない。最近は撮影自由の博物館も増えているのに・・・。この資料館としては女流の歌人、江口きちという人がメインに展示されているようであった。私は不勉強で、始めて知った。若くして自死したという。家庭の事情もあり、そして激しい性格でもあったようだ。

 

 それよりも私が目を引いたのは、井上日召(にっしょう)がこの村の出身であることで、彼の関連のものも展示されていた。井上日召は血盟団を立ち上げた人物で、彼がすすめた一人一殺という恐ろしいテロリズムが、元蔵相の井上準之助、そして実業家の団琢磨を暗殺することにつながった。そこにあった彼についてのパネルで、その後血盟団の主要メンバーは逮捕収監され、彼は無期懲役となったが、皇紀二千六百年の大赦を受けて仮出獄、しばらく後に近衛文麿の招請により、彼の屋敷で暮らして近衛の相談相手になっていた、と残された日記には記されているそうだ。

 

 そして戦後公職追放を受けているが、鎌倉で余生を送り、75歳まで生きたという。団琢磨は、私が愛読した『パイプのけむり』シリーズの著者団伊玖磨の祖父にあたる。その中で、幼児の時に愛され、敬愛していた祖父団琢磨の死の衝撃について激しい怒りと悲しみとを持って記しているから、私もいささか思うところがある。井上日召は宗教家でもあり、絶対的正義の元に、日本の国家のために、血盟団で若い人々を右翼テロリズムに導いていった。私が正義の味方を時に揶揄するような書き方をするのは、そういう正義が氾濫すると、必ず世の中がきな臭くなるという思いがあるからで、それは団伊玖磨や山本夏彦、山本七平をはじめ、教条主義的正義を憎む人たちの影響を受けたことによる。

 

 その井上日召を近衛文麿が庇護したことを知り、それが意外に感じたのは私の時代知識が少し甘いのかもしれない。そして井上日召が余生を全うしたことに世の不条理、神の不在のようなものを感じた。

2025年10月11日 (土)

無事帰着

北関東から先ほど無事に帰着した。

北関東道、関越道、上信越道、長野道、中央道を乗り継いでの長駆である。上信越道ではいつも眺めるのを楽しみにしている不思議な景色の妙義山系が、雨と雲のために全く見えず残念。碓氷峠を越える頃には濃霧が立ちこめて、スピードを出して走るのは危ない状態だった。長野県に入れば浅間山の勇姿が見えるはずが雲の中で、かろうじて裾野がうかがえた。土曜日なのにトラックが多い。

岡谷ジャンクションあたりの工事はいったいいつまで続くことやら、今日も大渋滞で通過に手間取った。雨が降ったりやんだりの中、止み間を見て休憩をこまめにとってゆっくり走る。ようやく我が家についてほっとする。走行距離千キロ弱。私の遠出としては比較的に短い方だ。

荷物を片付けて腰を下ろすと、思った以上に疲労している。ゆっくり休養をとることにする。それにしても連日美味しいものを食べては飲んでいたので、ウエイトがかなり増えている。しばらく自制しなければ。

明日からまたお勉強と読書にいそしむことにしよう。

 

今日帰る

公明党が連立を離脱した。実際のところは知らないけれど、私には離脱を匂わせながら言い分を通しつづける手法が通用しなくなったと感じた公明党が、野党になることで起死回生を図ったというように見えた。このまま連立をつづけても党勢のじり貧は止まらないことを実感してのことと思うが、時機を失した感もある。離脱してもじり貧は止まらないのではないか。自民党も期せずして、連立という体制が解体されたことで、ある意味、解党的出直しみたいになった。やりやすくなった面があるだろう。これから責任論などで紛糾し、ほんとうの解党が始まるということもないではないけれど、ああいう学会員を動員しての選挙協力のための連立はそもそも時代遅れだったのだと思う。高市氏にはショックだっただろうが、艱難汝を玉にす、という。打たれて人はさらに強くなる。気を取り直して頑張ってもらいたいものだ。

昨晩は友人と歓談し、美味しい酒を飲んだ。楽しいといくらでも飲めてしまうから、それが恐い。今日、名古屋へ帰る。

 

2025年10月10日 (金)

金精峠のトンネル前にて

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栃木県と群馬県を分ける金精トンネルの入り口に小さな駐車場があり、撮影ポイントである。高度は1843メートル。

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見上げるとここはすでに紅葉が見られる。

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この荒々しい岩壁が金精峠の姿。

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普段見る事のない景色である。

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紅葉も楽しめる。

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道路脇を少し歩いて降りると男体山が見える。右下には、先ほど見てきた湯の湖が覗いている。

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この写真が今回最もうつくしい紅葉であった。あとは一気に山を下る。

湯の湖に立ち寄る

戦場ヶ原は横目で見て素通りし、湯の湖に立ち寄った。120号線で奥日光を群馬県側まで走るときの私の定番立ち寄り場所だ。空が次第に明るくなってきた。

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湯の湖に到着。ここはいつも静かだが、観光客は多い。湖の一番奥は湯滝に通じている。湯滝から湯の湖の水が流れ落ち、さらに中禅寺湖に流れ出しているのだと記憶しているが、自信がない。

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ボートで釣りをする人が結構いるのだが、今日は釣り客が見えない。

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奥の方が駐車場で、無料で駐められるが、紅葉の時期にはずっと奥の奥まで一杯になるほど混む。まだ色づき始めたばかりか。

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赤いものが見えた。

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最初は赤い花が咲いているのかと思った。

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秋を見た。

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私の脇を早足で抜いていったのは三十代後半と思われる白人の女性であった。はっとするほどうつくしい人だった。写真を撮るのが好きなようだ。

このあと一気に金精峠の急坂を登る。

竜頭の滝の尻尾

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中禅寺湖に注ぐ側、茶屋のあるところが竜頭の滝の頭だとすると、竜頭の滝の尻尾のあたるあたりにも駐車場があって、そこから眺めることができる。下まで坂や階段で遊歩道が通じている。

竜頭の滝をまたぐように道路が通っていて、その上から見下ろした。一番奥、雲の下に覗いているのが中禅寺湖。

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中央部をアップしてみる。少し木々が色づき始めている。中禅寺湖もハッキリ見える。

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橋の上から反対側の尻尾の先を見る。

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暗がりになっていて、そこも水があわを噛んで激しく流れ落ちていた。

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遊歩道を二百メートルほど下る。滝というか急流というか。

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下まで降りきると帰るのが大変なので、半分くらいにして戻った。

今朝は涼しいというより肌寒い。宿でゆっくりしてから、赤城山を越えて向こう側へ降りようと思う。ナビが今回も思うコースとは全く違う道を案内しようとしている。今夜は友人と酒を飲む約束をしている。

2025年10月 9日 (木)

華厳の滝

宿を出て軽い朝食をとり、日光に向かった。まず華厳の滝に行くことにする。気温が低いのに羽織るものがないので、今市で薄いウインドブレーカーでも買おうと、たまたま見かけたユニクロに立ち寄ったが、まだ開いていない。駐車場で時間を潰して開くのを待とうとしていたら、女の人がやってきて、すみません、開くのは11時です、という。そこまで待ってはいられない。買うことをあきらめて日光へ向かい直した。いろは坂の手前あたりで雲の中を走っているようになり、雨も降ってきた。視界不良なので無理せずゆっくり走る。

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華厳の滝の上からのぞける場所で撮った写真。滝音はものすごいが、何も見えない。これはエレベーターで降りても無理かと思ったら、チケット売り場で、下からなら見えますよ、というのでエレベーターに乗った。たまたますいているタイミングだったが、私の前後は子供たちの大軍がいて、たいへん賑やかであった。それに外国人、(私にはドイツ語に聞こえたのでドイツ人か)、七八人の元気なグループが一緒になって、この天気なのに混んでいた。

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これを上の方から見たら見えないはずである。

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下からなら、見えるといえば見える。

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本日の水量、0.5~0.6トン/秒。私は60トン/秒のときに見たことがある。あの鬼怒川が氾濫して大災害になったときで、空全体がしぶきに覆われ、まるで滝の中にいるようだった。あんな経験は後にも先にもないだろう。

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滝の下流側。ところどころ色づいてきていた。

ここから金精峠を越えて行こうと思ってナビにセットしようとしたら、私の思うルートの案内を拒否された。理由はある。しかし私はそのルートで走って、いまは今晩の目的地である沼田の近くの、片場村・宮山温泉の一軒宿に着いたところだ。先日クマが出たところから遠くない。クマには会わなかったが、猿にはたくさん会った。そして宿ではカメムシに会っている。このあと宿に着くまでに何カ所か立ち寄っている。

その話は次回に。さあ、着替えて風呂に行こう。

何をしようというのか

 立憲民主党が、野党が結束すれば首相を擁立できるのだとして、国民民主党の玉木代表に投票するのにやぶさかでないかのごとく発言して話題になっているようだ。もし仮にうまく合意して玉木首相を誕生させて、いったい何をしようというのか。首相になるということは内閣を組織するということで、その内閣が日本政府を運営して日本国家の舵を握るということである。どう考えても意見がまとまるはずのない野党連合のその内閣が、責任を持って日本の国を運営できるとは思えないが、そのことを考えての玉木首相論なのであろうか。

 

 とにかく自民党の高市首相誕生を阻止すればいいという発想から発したことばならば、政治というもの、政府の仕事に対する、なんという軽い認識なのであろうか。民主党時代に政権を握り、それがどれほどたいへんな仕事であるかということを経験したのではなかったのか。あの経験を踏まえても、こういう軽いことばしか出ないというのなら、そもそも政治家としての資質が問われなければならない。

 

 百歩譲って野党で政権を担う覚悟があるというのなら、せめて野田氏の首相ということにこだわり、組閣のビジョンくらいは考えた上での提案でなければおかしいではないか。その発言をしたとされる安住氏に、そして立憲民主党に、いままでよりさらに落胆し、怒りを感じた。

ノーベル賞

 生理学賞に続いて化学賞でも日本人の受賞者が出たことは、自分がもらったわけでもないのにとても嬉しい。それに対して韓国では、どうして韓国から受賞者が出ないのか、何が問題なのかといつものように話題になっているらしい。昨年はハン・ガンが文学賞を受賞した(私も作品を読んでみて、その受賞の評価を認める)のだから立派なものだが、自然科学の賞も欲しいということだろうし、それなりの研究者もいるだろうからその気持ちも分からないではない。

 

 たいしたことを知っているわけではないが、韓国は基礎研究よりもその基礎から出た成果である技術を取り入れて戦後、工業的に急成長することが出来た。基礎研究には長い時間と資金が必要で、それよりもその結果を他国から導入する方が手っ取り早い。その成功体験が基礎研究の必要性を忘れさせてきたのだろう。いまそのことはよく分かっているはずだが、ではいまから始めたらいつその結果が出るのか。だいぶ先のことであることは明らかだから、分かっていてもまたそこへの投資は後回しになるのではないか。その余裕があったときに出来なかったことが、いま、尻に火がついてからできるようになるとも思えない。

 

 そのことは日本も同様ではないか。次第に成果主義に偏りつつある日本でも、研究者が持続して研究することがむずかしくなっているという話をよく聞く。それが本当なら、そう遠くない先に日本のノーベル賞受賞者はなくなるだろう。

 

 日本の研究者や技術者のたゆまぬ努力を生んでいる持続する志は、長いあいだに日本に築きあげられてきた職人の精神を源流にしているのだと思う。そして日本では職人に敬意を払う文化があった。そしてその日本の職人も損得を越えたプライドを持っていた。そのプライドが揺らいでいる。各企業での技術的な不祥事の頻発を見るとそれを感じる。そもそもその敬意、リスペクトというものを日本人は見失っているのではないか。クレーマーというものが改善向上に寄与するよりも社会的な害悪になり、教師も医師も敬意を払われなくなったからどんどん劣化しているのではないか。

 

 子供を性的嗜好の対象にするなど、最低の人間が教師になっているというニュースを見ると、すべてがつながっているような気がしてならない。ノーベル賞の受賞を喜びながらも、将来に対する不安を感じたりしている。

2025年10月 8日 (水)

二日酔い気味

昨晩は弟の隣家の旦那にも声をかけて、三人で飲んだ。隣の人は若いし酒が強い。缶チューハイをたくさんぶら下げてきてくれたのだが、それもビールも日本酒も、あるだけ飲んでしまった。弟はこういう近所づきあいもする。私と違って社交的なのである。おかげで今朝はやや二日酔い気味。ほんとうは今晩は友人と船橋で飲むつもりだったが、体調が芳しくないとのことで、空いてしまった。このまま弟のところにいると甘えすぎるし飲み過ぎるので、北関東、栃木県のビジネスホテルを予約し、いま到着したところである。

先ほど茨城県笠間市にある、常陸の出雲大社というところに立ち寄った。

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それらしい構えの神社が高台にあった。登るのがしんどかった。

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注連縄は間違いなく立派なものである。

小銭を奉納し、ちゃんとご挨拶した。

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大きな大国主命もいた。

常陸国風土記という古い書物があるが、出雲大社まであるとは知らなかった。

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走ってくるとき、どこかに筑波山がみえていたのだが展望台からはよく分からなかった。

一息入れたら外出するつもりだ。さあ、今晩は食事をメインにして酒はほどほどにしよう。

加曽利貝塚史料観

加曽利貝塚の発掘品を展示している加曽利貝塚博物館を見に行く。

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だいぶ古くなったので、五年後には建て替えて新しくなるそうだ。

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ここから出た土器の年代と形状が(加曽利E式、とか加曽利B式などと呼ぶ)縄文土器の標準となっているそうだ。関東から出土する縄文土器には火焔式土器は見られないらしい。時代により文様が変わる。

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比較的に後期のもの。

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貝塚の中に埋葬されていた人骨。縄文人はいまの日本人のように平らな顔ではなくて面高だったらしい。

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興味を持つと土器を眺めるのは楽しい。

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各種の土偶。比較的に小型。

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土偶を見るのは好きである。

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どういう造形感覚なのか、美意識なのか。

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ここにも遮光器土偶があった。

大きく無いけれど、たくさんの展示物で見応えのある博物館だった。大満足。

そのあと佐倉の歴史民俗博物館に向かったのだが、なんと臨時休業であった。また今度来ることにして弟の家へ帰った。

2025年10月 7日 (火)

加曽利貝塚に行く

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千葉市の加曽利貝塚を見に行く。小学生時代に友達と来て以来だから六十年ぶりだ。ほとんど記憶がない。本格的な発掘が始まったのは昭和50年代からで、貝塚だけではなく縄文遺跡が発掘されてにわかに詳しい調査が始められた。北側の円形の遺跡と、南側の馬蹄形の遺跡に分かれていて、北側は紀元前五千年から四千年、南側は紀元前四千年から三千年とのことで合わせて約二千年あまりの期間の痕跡が残されている。

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貝塚の全景図。

ボランティアガイドの人が声をかけてきたので案内をお願いする。

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私より少し年上かなと思ったら、なんと十歳も年上の八十五歳とのことであった。

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発掘は細々とつづけられているが、まだ全体の一割も済んでいないのだそうだ。

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発掘している人たち。

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左手が貝塚。遺跡の周辺に幅広く厚さ2メートルに積み上げられていて、この竪穴式の住居らしきものはその貝塚の層の下から出てきたもの。この遺跡からは人骨も多数発見されている。人骨は貝の石灰のために朽ちずにそのまま残っているそうで、あとで発掘されたものの展示してあるところで見せてもらった。

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周辺にも雨で洗い流されて露出した貝殻が無数に散らばっていた。

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貝塚の断面図。小粒の貝がキサゴという巻き貝で、そのほかアサリやハマグリ、潮吹き、牡蠣などたくさんの種類の貝がある。一番多いのがキサゴである。

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キサゴという貝が私の知るナガラミという貝と同じものであるかどうかが特に知りたかったことであった。

キサゴは大きくても1センチほどで、三センチ前後有るナガラミとは種類として近いかもしれないが、同じものではないそうだ。そしてそんな小さな巻き貝の身を取り出して食べるのもたいへんだろうというと、たぶん実を食べるよりも出汁として使ったのであろうとのこと。

このあと出土品を見に行く。

中秋の名月を肴に飲む

本日は中秋の名月だというので、午後六時頃東の空を見たが、雲の陰でぼんやりと明るいところがあるという状態でハッキリ見ることは出来なかった。弟と酒を飲みながら歓談。テレビのニュースでは、千葉県の南の方(鴨川あたり)では月が見えました、とその映像が報じられた。弟の嫁さんは月が気になるらしく何度も外を見に行った。やがて七時頃になって、「みえたわよ!」と嬉しそうな声がした。見に行くと薄雲を通してであるが、ハッキリと満月を見ることが出来た。兎が餅をついている姿もくっきり見えた。しばらくするとその薄雲も晴れて、冴え冴えと輝く曇りのない月を拝むことが出来た。今年は皆既月蝕をしっかり見ることが出来たし、中秋の名月も見る事が出来た。そのことがいつになく嬉しく感じた。

昼に茨城県の江戸崎というところのまんじゅう屋で買ってきた薄皮まんじゅうを、月見団子の代わりに食べた。弟によればその店は有名な店らしく、待っている間に予約してあったらしい月見団子を求めにきた客が次から次にやってきた。たしかにいままで食べたまんじゅうで一番美味しいまんじゅうであった。

今日は加曽利貝塚と歴博を見に行く予定。縄文時代を見に行くのだ。

2025年10月 6日 (月)

大杉神社

弟夫婦に、茨城県稲敷市にある大杉神社に連れて行ってもらった。この神社の近くに義妹(弟の嫁さん)の旧友がいて、以前訪ねたら留守で会えなかったので寄りたいということであった。

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大杉神社は鎌倉時代ごろに創建されたらしい立派な神社で、彩色が施されてカラフルな神社であった。

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奥の本殿を仰ぎ見る。廻りには(たぶん)二十四孝の彫物がほどこされていた。

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これが大杉神社の名前の由来であろうか、大杉が神木として祀られていた。ほんとうは太郎、次郎、三郎の三本杉だったが、太郎は昔焼失してしまっていまはない。鳥居の奥にあるのが三郎杉。

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熱心に何かを拝む若い人。若い人が結構参拝にきていた。この神社は厄除け、夢むすびの霊験あらたかな神社として尊崇されているそうだ。私は初めて知った。

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蒸し暑い日だったが風が吹き抜けると涼しい。その風に風鈴が鳴る。

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境内奥に勝馬神社という小さな社があり、その前に異様な姿の椎の古木があった。

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大杉神社の彫物。比較的に新しく彩色し直したらしい。

このあと霞ヶ浦を一望できる日帰り温泉に浸かり、そこで遅い昼食を食べてのんびりした。極楽、極楽。

千葉にいる

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新東名の駿河湾沼津サービスエリアにて。昨日は写真のように山の方は雲がかかっていて富士山はみえなかった。

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駐車場から駿河湾越しに伊豆半島を望む。

朝、ゆっくりと名古屋を出発し、ほとんど渋滞することなしに弟の家のある千葉まで快適に走った。新東名は制限速度が120キロのところが多いから、かなり飛ばせるのだが、昔と違ってスピードは控えめになった。途中眠くなったのでちょっとだけ仮眠した。昼食は朝つくって持参したサンドイッチとみかんを食べる。午後弟宅に到着したら、弟の息子(次男)がいた。千葉県内だが少し離れたところに住んでいるのでたまにしか会えないので久しぶりだ。用事で立ち寄ったという。あとで甥の息子(高校生)にも会った。

そのあと(私の)妹夫婦がやってきた。今日来ることは弟が知らせてあった。妹は私のブログを見ているので来るのは分かっていたようだ。妹の亭主は四五年前に脳出血で倒れ、かなり危険な状態だったが、奇跡的に回復して二ヶ月ほど前から在宅介護で暮らせるようになった。いままで会ったときより会話も尋常にできるようになっている。さらにしばらくして弟の娘が娘ふたりを連れてやってきた。姪は自転車で来られるくらいの近くに住んでいる。小学生の娘たちも顔立ちがしっかりしてきた。会うたびに変わる。

妹が、私とのLINEをつなげようとしたら私のスマホとうまくつながらない。姪が手伝ってくれた。姪も詳しいわけではないからいろいろ設定をいじっていたらつながるようになったが、私の住所録の多くの人にもつながるようになってしまった。次々に連絡が入る。しばらく連絡を取っていなかった人が近況を知らせてくれて、意外なよろこびであった。二年ほど連絡が途絶えていた長野県の松本にいる大学時代からの友人の夫人から連絡があった。夫人の名前に見覚えがあったので返信すると、膵炎で倒れて医師から断酒を宣告されたそうだ。いまは退院しておとなしくしているらしい。彼は平気で私の倍くらいの酒を飲んでいたから、膵臓も悲鳴を上げたのだろう。

総勢で夕食を摂る。姪の娘たちも手伝って作ってくれた料理で弟と酒を飲む。大勢で食べて飲んで賑やかな夕食となった。兄弟で年に二回どこかへ旅行に行くことにしているが、私の体調と妹の亭主の介護のこともあり、秋の旅行は少しむずかしそうだ。近場でもいいからどこかへ行きたい気もしているので、弟と案を考えたいと思う。

月曜は弟の家でゆっくりして、火曜日に日本有数の貝塚である加曽利貝塚と佐倉にある歴史民俗資料館に行くつもりだったが、弟が、月曜も茨城県の霞ヶ浦や千葉県の佐原(伊能忠敬の出生地)に行こうという。弟夫婦はほんとうに行動的だ。連れて行ってもらうことにした。

2025年10月 5日 (日)

『この世界の片隅に』

 2016年に公開されたアニメ映画『この世界の片隅で』を見た。この映画は日本アカデミー賞、キネマ旬報ベストテンでベストワン、監督賞などを取り、毎日映画賞も受賞した。たいへん評判になって劇場でもロングラン上映されていたが、私は今回初めて見た。評判になった理由が見てよくわかった。何かを強く訴えるというと、かえって人は引いてしまうもので、ごく普通に自分の人生を、それも本人にとってはそれなりに山あり谷ありの人生を、静かに受け入れながらやがて穏やかにそこに安住を見いだしていくという、誰もが過ごしていく人生を描きながら、そこに戦争の理不尽が覆い被さる。

 

 穏やかで、そしてゆったりと静かに自分の運命を受け入れていく主人公のすず(声はのん)の日常が淡々と描かれることで、かえって戦争の不条理がきわだつ。不器用で無口な亭主の不安が、そのまますずに対する優しさでもあることが救いである。最初、声を担当しているのがのんだとはわからなかった。そのままのんがすずになっていたと思う。のんは優れた女優でむかしから好きであり、彼女自身が受けた不遇が彼女をスポイルしなかったことが、そしてそれに耐えた彼女の強さがうれしいと思っている。

 

 舞台が、二度ほど訪ね歩いて多少は知っている呉であることも感情移入しやすかった。いい映画だと思う。

2025年10月 4日 (土)

久しぶりに

 先月、近場の温泉に体調の調整にいったのが久しぶりの泊まりの外出であった。息子たちが長野旅行に行ったのを見て、自分も遠出したくなり、弟のところに連絡し、明日から千葉に行くことにした。そこで日本有数の加曽利貝塚や佐倉にある歴博を訪ねて縄文時代のものを見てこようと思う。ついでに友人と船橋で会うつもりだ。

 

 さらに北関東へ行き、周大兄に連絡して会うことにした。本音を言えばあまり遠出に自信がないが、休み休み行けば案ずるより産むが安しだろうと思う。本当は冬になる前に北東北の縄文遺跡を見に行きたいのだが、それはさすがに控えることにする。

 

 帰ってきた頃には大阪万博もほぼ終わる。今月末に糖尿病の定期検診があるので、そのあとに兄貴分の人に会いに行き、友人と天王寺か難波あたりで飲もうかと思う。いつでも会えると思っていても、実はあまり会う機会というのはないものだ。会える時に思い立ったら会いたいと思う。

総裁選

 本日は自民党の総裁選の日。私は自民党員ではない(大多数の国民もそうである)から選挙権はない。ないけれども少数与党とはいえ、野党がまとまりを欠く現状では、自民党総裁が日本の首相になる可能性が極めて高いのであるから、その選挙結果には大いに関心がある。そして私が一番大きなポイントとして考えるのは世代交代ということだ。

 

 自民党が変わらなければならないことは、自民党支持者も当の自民党自身も、そして国民の多くも考えていることで、そのためには世代交代が必須だろうと思う。世代交代はリーダーの経験不足、実力不足につながり、問題ありとする批判もあるようだが、役割を与えられることで経験も実力も得られるもので、いわゆる「化ける」ことがあるものだ。それが期待外れならまた交替すれば良い。

 

 日本は大統領制の国のような国民投票でトップを選ぶ国ではない。国民投票で選ばれる代表は大体大きな権限が与えられていて、その強権でかなりのことを強引に進めることができる。日本の首相にはそこまでの権限は与えられていない。その代わりにその首相を周りが支えることになる。問題はそれを支えるものがどれだけそろえられるか、それこそが首相としての総合力だろう。安倍首相はそういう意味で周囲を実力者で固めることができていた。それに反して石破首相は支持基盤の脆弱な人物だったから、支える人が不足していた。

 

 それさえ確保できれば若手でも、見かけは頼りなくても、首相という職務は遂行できるものと思う。やはり人望は必要だ。今回の総裁選はそういう意味での世代交代と、総裁選後の実力者と若手が結集して支える体制がとれるかどうかが自民党の未来を決めるだろう。そしてそれは少子高齢化、それによる社会保障費の増大、物価高、そして世界情勢の不安定化に日本がどう対処できるかを決めていく。少なくとも今の野党にはそういう難問を解くだけのまとまりも問題意識も見られない。とくに立憲民主党の、旧社会党の凋落に酷似したその姿は深刻だろう。

 

 自民党があっての社会党だった。自民党があっての立憲民主党、という役割をいつまで続けるのか。自民党の衰退こそが立憲民主党のエネルギー喪失につながっているように見える。

2025年10月 3日 (金)

忘れ物

 息子夫婦が長野旅行から帰ってきた。私の車で行ったので立ち寄る必要があるのだ。お土産をもらい、便利な隣駅まで車で送ったのだが、別れてから忘れ物があるのに気がついたので、すぐ電話をしたら間に合った。ETCカードともう一つ、大事なものを忘れていたが、間に合わないで電車に乗っていたらあとで面倒なことになるところだった。

 

 心配したほど天気は悪くなくて、楽しい旅行だったようだ。あとは新幹線で広島へ帰るだけである。旅の疲れは明日とあさってでとって、また来週から元気に仕事をすることだろう。またおいで。

 

 ところで私もどこかへ出かけたい気になった。久しぶりに弟のところへでも行こうか。そこを拠点にちょっと行きたいところがあるのだ。

 

恐れなくなった

 死にたくなったから人を殺す、というのはまともな人間には理解できない考えである。もちろん自分の意に染まないから殺すでも、憎いから殺すでも常人には共感できることではない。しかし現にそういう考えを持つ人間が存在して、そのうちのほんの一握りの人が実際に殺人行為に及ぶ。潜在的殺人者はその何倍いるかと思うと恐ろしい。襲われないのが幸運、というのは不条理な世界だが、実は人間世界が最近そうなったというわけではないような気もする。戦争がなくならないわけだと思う。

 

 熊が人間の生活圏に侵入することが当たり前になってきた。昔は人を恐れて人の姿を見れば身を隠し、自分のテリトリーに帰るのが普通だったが、今はほとんど恐れる様子がないように見える。これは人間が熊の生活圏を狭めすぎたからだとか、餌が足らないとか、個体数が増えすぎたからとかいろいろ言われていて、実際のところは素人の私にはわからない。はっきり感じるのは、熊が人間は怖くないものだとはっきりと認知して、個別の個体だけではなく、熊全体がそれを学習したということだ。怖くないと学習した熊に人は怖いものだと再び思わせるのは、今のような及び腰の対応では無理だろうなあ、という気がする。過疎地に住むことがますます困難になっていくことだけは間違いない。

 

 そういえば、気が向くと山の中の観光地や温泉などを訪ねあるく。そういうときには狭い山道を走るが、さすがに熊には今のところ出会っていない(こちらが気がつかないだけだろう)。しかし猿にはしばしば会う。十年前から見たら、この二三年はそこら中で猿を見る。道路の傍で逃げもせずにこちらが走り去るのを平然と見ている。その頻度は激増していると言っていい。猿がそれだけ増えたのか、それとも猿も人は怖いものではないと学習したのか。その傍若無人ぶりから見て、どうも後者であるようだ。

2025年10月 2日 (木)

見たくないもの、知りたくないものが・・・

 いま、放送大学の『クリティカル・シンキング』のお勉強をしていることを何度も書いていて恐縮だが、それで自分の認知バイアス、ゆがんだ記憶について、少しずつ霧が晴れるように本当のことが見え始めてしまい、気が滅入っている。自分のプライドを守るために、さまざまな事実はゆがめられて自己正当化されて記憶にしまい込まれている。その事実が次から次に、実はこうだったのではないか、と気がつき始めてしまったのだ。だから他人が自分をどう見ているのか、というのは、恐ろしく自分に好都合に解釈していての自分の姿だったらしいと思い始めている。

 

 見たくないもの、知りたくないもの、気がつきたくなかったことが今になって私に押し寄せてきて、記憶の訂正を求めている。私は強くない。強くないから自己正当化してなんとかしのいで生きてきた。それがあからさまになってしまうと自己嫌悪ばかりが立ち上がる。なんとかごまかしていたものを見つめ直して受け入れ、立ち直らないといけないが、今は大きなダメージを受けて傷ついている。自業自得だが、お勉強もいいことばかりではないようだ。こういうところから心が宗教に向かったりするのかもしれない。

決まり文句

 今朝のEテレの高校講座・日本史は、日中戦争の泥沼に陥った日本が、アメリカなどの制裁によって窮した資源不足を解消するために、当時ドイツに敗北して身動きのとれないフランスを見て、仏領インドシナ(現在のベトナム)に侵攻したところから太平洋戦争、そして日本の敗戦までだった。仏領インドシナ侵攻に対して、当然アメリカはさらなる強硬な制裁を日本に課すことになり、ついに窮鼠となった日本は真珠湾攻撃を決定し、アメリカとの戦争に突入した。どうして国力が違うアメリカに対して勝てないとわかっている戦争をしたのか、と高校生が質問したことに対する先生の答えは、「軍部は短期決戦なら勝てると考えていた」であった。

 

 「短期決戦」なら勝てる、というのなら、決戦のあとにどうするのか考えていなければ短期決戦ではない。短期決戦で勝ったのならそこで停戦交渉を始めるか、勝てなければ長期戦になり「勝てない」のであるから降伏するしかない。しかし日本は何も考えていなかった。始めてしまった戦争は、終わらせるのが極めて困難である。そうして戦況が悪化してもずるずると無意味に戦いを続け、国民を死へと送り込み続けた。国民を殺し続けてどんな大義があるというのか。

 

 結局310万人の日本人が死んだ。それも最後の三ヶ月あまりだけで60万が死んだ。「二度とこういう戦争が起きないようにしなければなりませんね」と生徒と先生が語り、講義は終わった。その通りであるが、戦争は次から次に起きる。二度と起きないなどと言う言葉を語れば、思考が停止する。戦争は二度も三度も起きる、起きるものだと思えば、それが起きないようにするにはどうしたらいいか、そこで本当に戦争について考えることが始まる。「二度と起きないように」という呪文は、考えることを放棄する悪魔の言葉にさえ聞こえる。だから日本では近現代史をきちんと教えない。二度と起きないことについて学ぶ必要はないとでも言うかのようだ。

 

 これを見ていて似たようなことを思った。あの原発事故も原因は「事故は決して起きない」という呪文が唱えさせられたことから始まったと思っている。原発反対派が「事故が起きたらどうする」と問えば、「事故は決して起きない」と答えなければ原発は作ることができない。反対派は作らせないことが目的だから、そこには出口がないのだ。しかしどうしても作る必要があると、「事故は決して起きない」という呪文が唱えられる。「決して事故が起きない」ものに反対はできない。そうして、起きない事故に対する対策はやりにくくなった。新たな問題が生じてその対策を強化しようとすると、「事故は起きない」はずではないのか、とマスコミと原発反対派は騒ぎ立てる。

 

 どんなに万全を期しても、事故が絶対に起きない、などということは誰にも言えない。それなのに「事故は起きない」ことになってしまうと新たな問題の指摘に対して、対策をすることが、予算を立てることが困難になってしまう。それが過去の大きな地震、巨大な津波についての懸念が明らかになったことで、電源喪失の恐れが指摘された時、そんな不確実なことに対する対策の必要はない、という経営者の判断となった。結果的に原発事故が起きてその責任が問われたが、裁判では「地震や津波は予測できない」ものだから無罪だとされた。それがどれほど馬鹿馬鹿しい結論か、そして責任者は誰なのか。

 

 原発事故についても、みなが口をそろえて「二度とこのようなことが起きないように」と呪文を唱えている。

2025年10月 1日 (水)

被害者を非難する

 子供たちが日曜日にやってきたので、その受け入れ準備と歓談でかなりのエネルギーを費やした。楽しいことであってもこの歳になるとかなり疲労する。しかしそういうことがないと人生は平坦に過ぎて、生きている意味が見えなくなる。

 

 一日を疲労回復に当ててぼんやりし、昨日からは元の日常に戻るためにネジを巻き直した。さいわい涼しくなってしのぎやすかったのはありがたい。毎日少しずつしていたお勉強もお休みしていたのでちょっとペースを上げて遅れを取り戻しつつある。Eテレの高校講座で録りためたものはすべて視聴した。放送大学は特別講座がたくさん放送されたので、おおむね録画して保存した。これはぼちぼちとみていくつもりだ。今は『初歩からの物理』『ダイナミックな地球』『クリティカル・シンキング』の三講座を勉強中で、今日はそれぞれ第九回を受講した。

 

 『初歩からの物理』では電磁気学と電気工学について。苦手な分野だ。しかし現在のさまざまな実用分野は、この理屈が応用されていて、少しくらいはそのメカニズムを知りたいと思い、つい眠くなるのをこらえて最後まで見た。『ダイナミックな地球』は、前回は海洋の循環についてであった。その続きとして、今回は大気循環と気候に関連した講義で、こちらはかなり専門的ながらおもしろかった。モンスーン気候のシステム的な理解、そして温帯性低気圧のもたらす気候のシステムなど、天気予報の理論的背景のようなものをちょっとだけ知ることができた。

 

 『クリティカル・シンキング』では認知バイアスの克服の第二回。自分の中の偏見や差別について、メタ認知的に理解するよう努めることが大事であることの意味を理解した。人が起こす認知バイアスの実例が多数紹介されて、たいへんおもしろかったが、その一つとして、「被害者を非難する」という実例が興味深かった。何かの被害に遭った人に対して、しばしば被害を受けるにはそれなりの理由があったに違いない、という意見が寄せられるのを見ることがある。因果応報とか、自業自得、などという言葉でかえって被害者が非難されることは案外多い。詐欺被害などはその典型だろう。私もときにそう考えてしまうことがある。

 

 しかし被害というのは個別にさまざまな事情が絡んでいて、確かに被害者に問題がある場合もないではないが、多くは被害者にとって理不尽なことであって、非難されるようなものではない。どうしてしばしば被害者が非難されるのか。それはこの世の中が公正である、あって欲しい、あるべきだ、という強い思いがあるからだという。そう思うことが心の平安につながってもいる。それは人間の防御的な心の働きなのだという。現実には世界は不条理に満ちている。悪いものがのさばり、弱者が不利益を受けている。しかし、人はそれをなかなか受け入れられず、そういう不利益は不利益を受ける理由があるからだと思い込もうとする。時に自分の不利益すらそのように考えて受け入れてしまうことがある。

 

 講義ではもっと論理的にわかりやすく説明されていたが、それを反芻しようとしたら、自分でも納得できないような下手くそな説明になってしまった。まだまだ勉強が足らない。ほかにステレオタイプなどについても語られていた。先入観、第一印象など、直感的な知覚がまずなされるが、それは次第に関係を深めることで補正されるべきものである。それには時間がかかる。まず自分がまだよく知らない状態で直感で見ていることの自覚が必要だというのは、当たり前のようだがついおろそかになることであって、大変よくわかる大事な注意点であろう。

『雲のむこう、約束の場所』

 ユニバース、というのはこの宇宙のことを言う。ユニ、というのは一つ、ということであって、この宇宙はかけがえのないただ一つの宇宙であるという思いがこめられている。ところが、今の物理学の世界では、宇宙は一つではないかもしれないという。それをマルチバースという。無数の宇宙が生まれては消え、そしてこの宇宙のすぐそばにあり得る可能性としての宇宙が無数に起ちあがり続けている。

 

 『この向こう、約束の場所』は新海誠監督の2004年のアニメ映画。私たちがいる世界とわずかに、・・・大きくずれた世界がそこにあり、その世界の向こうに違う世界があるかもしれないと想像されている。そこにある世界が映画のはじめに描かれているが、現実のようであり、そして夢のような世界がそこにある。その世界の中の出来事は、まさに今の私たちの世界の出来事と少しも変わることはない。

 

 そこを超越するというもくろみは、アニメだからの世界であり、そしてそこに出現した世界は今までの因果を超えている。それは人の思いを超えているのか、それとも幻想か。おもしろい。

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