決まり文句
今朝のEテレの高校講座・日本史は、日中戦争の泥沼に陥った日本が、アメリカなどの制裁によって窮した資源不足を解消するために、当時ドイツに敗北して身動きのとれないフランスを見て、仏領インドシナ(現在のベトナム)に侵攻したところから太平洋戦争、そして日本の敗戦までだった。仏領インドシナ侵攻に対して、当然アメリカはさらなる強硬な制裁を日本に課すことになり、ついに窮鼠となった日本は真珠湾攻撃を決定し、アメリカとの戦争に突入した。どうして国力が違うアメリカに対して勝てないとわかっている戦争をしたのか、と高校生が質問したことに対する先生の答えは、「軍部は短期決戦なら勝てると考えていた」であった。
「短期決戦」なら勝てる、というのなら、決戦のあとにどうするのか考えていなければ短期決戦ではない。短期決戦で勝ったのならそこで停戦交渉を始めるか、勝てなければ長期戦になり「勝てない」のであるから降伏するしかない。しかし日本は何も考えていなかった。始めてしまった戦争は、終わらせるのが極めて困難である。そうして戦況が悪化してもずるずると無意味に戦いを続け、国民を死へと送り込み続けた。国民を殺し続けてどんな大義があるというのか。
結局310万人の日本人が死んだ。それも最後の三ヶ月あまりだけで60万が死んだ。「二度とこういう戦争が起きないようにしなければなりませんね」と生徒と先生が語り、講義は終わった。その通りであるが、戦争は次から次に起きる。二度と起きないなどと言う言葉を語れば、思考が停止する。戦争は二度も三度も起きる、起きるものだと思えば、それが起きないようにするにはどうしたらいいか、そこで本当に戦争について考えることが始まる。「二度と起きないように」という呪文は、考えることを放棄する悪魔の言葉にさえ聞こえる。だから日本では近現代史をきちんと教えない。二度と起きないことについて学ぶ必要はないとでも言うかのようだ。
これを見ていて似たようなことを思った。あの原発事故も原因は「事故は決して起きない」という呪文が唱えさせられたことから始まったと思っている。原発反対派が「事故が起きたらどうする」と問えば、「事故は決して起きない」と答えなければ原発は作ることができない。反対派は作らせないことが目的だから、そこには出口がないのだ。しかしどうしても作る必要があると、「事故は決して起きない」という呪文が唱えられる。「決して事故が起きない」ものに反対はできない。そうして、起きない事故に対する対策はやりにくくなった。新たな問題が生じてその対策を強化しようとすると、「事故は起きない」はずではないのか、とマスコミと原発反対派は騒ぎ立てる。
どんなに万全を期しても、事故が絶対に起きない、などということは誰にも言えない。それなのに「事故は起きない」ことになってしまうと新たな問題の指摘に対して、対策をすることが、予算を立てることが困難になってしまう。それが過去の大きな地震、巨大な津波についての懸念が明らかになったことで、電源喪失の恐れが指摘された時、そんな不確実なことに対する対策の必要はない、という経営者の判断となった。結果的に原発事故が起きてその責任が問われたが、裁判では「地震や津波は予測できない」ものだから無罪だとされた。それがどれほど馬鹿馬鹿しい結論か、そして責任者は誰なのか。
原発事故についても、みなが口をそろえて「二度とこのようなことが起きないように」と呪文を唱えている。
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