意外な人物の消息を知る
木曜日(九日)の宿泊地は川場村という沼田市の西側、武尊(ほたか)山の麓にある村の一軒宿だった。その宿の近くに川場村の歴史民俗資料館があり、立ち寄らせてもらった。
廃校になった小学校の校舎を資料館にしている。村に関連するさまざまなものが展示してあって、雑然としているもののそれなりに素朴ながらこの地域の暮らしというものがうかがえておもしろかった。案内されてめぼしいものの写真を撮ろうとしたら「撮影禁止です」と言われたので、館内の写真はない。こういうところは訪れる人が少ない。撮った写真を見て訪ねようとする人もあるかもしれない。宗教的な場所ならともかく、どうして禁止するのかよくわからない。最近は撮影自由の博物館も増えているのに・・・。この資料館としては女流の歌人、江口きちという人がメインに展示されているようであった。私は不勉強で、始めて知った。若くして自死したという。家庭の事情もあり、そして激しい性格でもあったようだ。
それよりも私が目を引いたのは、井上日召(にっしょう)がこの村の出身であることで、彼の関連のものも展示されていた。井上日召は血盟団を立ち上げた人物で、彼がすすめた一人一殺という恐ろしいテロリズムが、元蔵相の井上準之助、そして実業家の団琢磨を暗殺することにつながった。そこにあった彼についてのパネルで、その後血盟団の主要メンバーは逮捕収監され、彼は無期懲役となったが、皇紀二千六百年の大赦を受けて仮出獄、しばらく後に近衛文麿の招請により、彼の屋敷で暮らして近衛の相談相手になっていた、と残された日記には記されているそうだ。
そして戦後公職追放を受けているが、鎌倉で余生を送り、75歳まで生きたという。団琢磨は、私が愛読した『パイプのけむり』シリーズの著者団伊玖磨の祖父にあたる。その中で、幼児の時に愛され、敬愛していた祖父団琢磨の死の衝撃について激しい怒りと悲しみとを持って記しているから、私もいささか思うところがある。井上日召は宗教家でもあり、絶対的正義の元に、日本の国家のために、血盟団で若い人々を右翼テロリズムに導いていった。私が正義の味方を時に揶揄するような書き方をするのは、そういう正義が氾濫すると、必ず世の中がきな臭くなるという思いがあるからで、それは団伊玖磨や山本夏彦、山本七平をはじめ、教条主義的正義を憎む人たちの影響を受けたことによる。
その井上日召を近衛文麿が庇護したことを知り、それが意外に感じたのは私の時代知識が少し甘いのかもしれない。そして井上日召が余生を全うしたことに世の不条理、神の不在のようなものを感じた。
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コメント
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こんにちは
こういう教条的な正義は、今では左右とわずあるようです。
右は右で日本の治安を悪くした、とされている不法移民に対する排撃運動もそうですし、左は左で、多文化共生や混血を正義としてがなり立てています。
なまじ両方とも正義で純粋にいいことだ、と思ってやっていますから始末に追えません。ある意味正義という言葉で人を狂わせそして殺せるものでしょう・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2025年10月14日 (火) 15時57分
shinzei様
イスラエルでもヨルダン川西岸地区で「神から与えられた土地だ!」と違法入植者が自分の正義を叫んでいましたね。
投稿: OKCHAN | 2025年10月14日 (火) 19時32分