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2025年10月 9日 (木)

ノーベル賞

 生理学賞に続いて化学賞でも日本人の受賞者が出たことは、自分がもらったわけでもないのにとても嬉しい。それに対して韓国では、どうして韓国から受賞者が出ないのか、何が問題なのかといつものように話題になっているらしい。昨年はハン・ガンが文学賞を受賞した(私も作品を読んでみて、その受賞の評価を認める)のだから立派なものだが、自然科学の賞も欲しいということだろうし、それなりの研究者もいるだろうからその気持ちも分からないではない。

 

 たいしたことを知っているわけではないが、韓国は基礎研究よりもその基礎から出た成果である技術を取り入れて戦後、工業的に急成長することが出来た。基礎研究には長い時間と資金が必要で、それよりもその結果を他国から導入する方が手っ取り早い。その成功体験が基礎研究の必要性を忘れさせてきたのだろう。いまそのことはよく分かっているはずだが、ではいまから始めたらいつその結果が出るのか。だいぶ先のことであることは明らかだから、分かっていてもまたそこへの投資は後回しになるのではないか。その余裕があったときに出来なかったことが、いま、尻に火がついてからできるようになるとも思えない。

 

 そのことは日本も同様ではないか。次第に成果主義に偏りつつある日本でも、研究者が持続して研究することがむずかしくなっているという話をよく聞く。それが本当なら、そう遠くない先に日本のノーベル賞受賞者はなくなるだろう。

 

 日本の研究者や技術者のたゆまぬ努力を生んでいる持続する志は、長いあいだに日本に築きあげられてきた職人の精神を源流にしているのだと思う。そして日本では職人に敬意を払う文化があった。そしてその日本の職人も損得を越えたプライドを持っていた。そのプライドが揺らいでいる。各企業での技術的な不祥事の頻発を見るとそれを感じる。そもそもその敬意、リスペクトというものを日本人は見失っているのではないか。クレーマーというものが改善向上に寄与するよりも社会的な害悪になり、教師も医師も敬意を払われなくなったからどんどん劣化しているのではないか。

 

 子供を性的嗜好の対象にするなど、最低の人間が教師になっているというニュースを見ると、すべてがつながっているような気がしてならない。ノーベル賞の受賞を喜びながらも、将来に対する不安を感じたりしている。

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