見たくないもの、知りたくないものが・・・
いま、放送大学の『クリティカル・シンキング』のお勉強をしていることを何度も書いていて恐縮だが、それで自分の認知バイアス、ゆがんだ記憶について、少しずつ霧が晴れるように本当のことが見え始めてしまい、気が滅入っている。自分のプライドを守るために、さまざまな事実はゆがめられて自己正当化されて記憶にしまい込まれている。その事実が次から次に、実はこうだったのではないか、と気がつき始めてしまったのだ。だから他人が自分をどう見ているのか、というのは、恐ろしく自分に好都合に解釈していての自分の姿だったらしいと思い始めている。
見たくないもの、知りたくないもの、気がつきたくなかったことが今になって私に押し寄せてきて、記憶の訂正を求めている。私は強くない。強くないから自己正当化してなんとかしのいで生きてきた。それがあからさまになってしまうと自己嫌悪ばかりが立ち上がる。なんとかごまかしていたものを見つめ直して受け入れ、立ち直らないといけないが、今は大きなダメージを受けて傷ついている。自業自得だが、お勉強もいいことばかりではないようだ。こういうところから心が宗教に向かったりするのかもしれない。


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