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2025年11月13日 (木)

批判の軽さ

 高市首相が午前三時に公邸に入ったことを、一部で「午前3時のヒロイン」などと呼んでいるそうだ。これを問題視して国会で質問した議員がいたことで世間一般に知られることになった事実であるが、こんな質問をしている議員にはそれなりの質問の意図があるのだろうが、そもそも毎日毎日午前三時に公邸入りしているわけでもなく、そのときは時間的な余裕のない理由があってのことであることは、すでに明らかである。そのたまたまの事例を元に批判するということの無意味さにげんなりする。その根底に、いざというときは無理をする、という当たり前のことすら揶揄するという批判の軽さ、そして同時に日本人の怠惰への傾斜を感じてしまうのは考えすぎか。

 

 クマの被害が止まらない。その二次被害として、動物愛護の立場からの駆除批判があるのがいかにも愚かに感じられる。「クマとの共生共存」という麗しい言葉に、クマと一緒に暮らせる世界を夢見ているなら、そんなことは現実にはあり得ない。クマもそんなことはこれっぽっちも考えていないし望んでもいないはずだ。クマはクマで生き延びること、種族繁栄を本能的に望んでいて、そのためのテリトリーというものを確保しようとしているのだと思う。人間のテリトリーを認めることは彼ら(クマ)には承服しかねることである。だから互いのテリトリーの境界が生ずるし、そのせめぎ合いが生ずるのは仕方のないことである。そもそも人間がクマのテリトリーを侵したのが悪いのだ、というのが動物愛護の人たちの言い分だろうが、それはクマの言い分の代弁でしかない。人間であれば人間の論理で考えるのが人間だろう。クマは人間の論理で考えることができない。

 

 クマのそもそものテリトリーで人間が襲われるのは人間の不注意ないし不用意である。そこではクマの論理を尊重する必要がある。今回問題になっているのは、人間が自らのテリトリーだと思っている人間の居住区域が、クマにとってのテリトリーであるとクマに認識されてしまったことで、その境界領域が侵されたのであり、それを押し戻さなければこのようなクマの被害はどんどんエスカレートしていくだろう。たまたまきっかけが餌不足であっても、テリトリー認識が変わってしまったクマは、もし山や森で餌が豊作であっても、もう人里から撤退することはないと思う。それなら再び元のように人間を恐れるように認識を変えさせ、境界を押し戻すしかこの事態の解決はあり得ないのであって、そのためには人間の通常の居住空間に出没するクマは駆除するしかないと思うのがまともな人間だ。それが人間が生き延び、繁栄した歴史そのものだった。クマ駆除を批判する人は、クマに人間のテリトリーを明け渡そうとでもいうのだろうか。批判するのは、クマを絶滅せんばかりの過剰な駆除に走り出した時だけにしてくれ。このまま事態を放置すればそうなりかねないではないか。

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