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2025年11月15日 (土)

定住と文化

 縄文時代が移動しながらの採集狩猟生活だった、というのは必ずしも正しくないようだ。主に関東以北での縄文遺跡が発掘調査されるとともに、大型の環状集落のあったことが明らかになった。石器時代はともかく、縄文時代に入るころ、寒冷だった気候は温暖化が進み、次第に食料の調達が容易になり、しかも実のなる植物の栽培も始まったらしい痕跡も発見されている。三内丸山遺跡のあの大型の木造構築物は、栗の巨木からできていて、採集用に栗が植えられていたこともわかってきた。そうして豊かな食糧を貯蔵することも貯蔵技術の発展によって可能になった。定住と貯蔵は互いに原因であり、結果であろう。

 そして定住することによって、実用だけではない縄文文化のようなものが生じていった。縄文土器の装飾がどんどんエスカレートしていったことは火炎土器をはじめとしてよく知られていることである。文化とは何か。集団で定住し、集団内部だけではなく別の集落との交流も盛んになるにつれて必要になったのは社会的メーセージの交換である。集団の個性の表現こそがコミュニケーションの手段であっただろう。石器や土器に実用を超えた装飾と加工が施されるようになり、さらに土偶や装飾品も作られるようになった。

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 土偶を祭祀のためのものである、などというのは、実用ばかりに合理性を求める現代の考え方からの見方で、明確な目的がないものにこそ文化の原点があるのではないか。私はそういうことをよく自覚せずに、ただ土偶を見るのがおもしろくて楽しくて仕方がないので、先般の東北での古代探索の旅では土偶を特に興味深く見て歩いた。それが『日本の歴史 列島創世記』を読んでいたら、上記のようなことが書かれていて、どうして自分が土偶に惹かれたのかがわかったような気がした。

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 この本で知ったが、日本の国の西部では大きな環状集落というのはほとんどなかったらしい。定住がそこまで進まなかったのではないかという。温暖ではあるが、西部地区に広がっていた照葉樹林帯は案外森林が深くて豊かな貯蔵を生むほどの採集が困難だったのではないかという。その地域の考古学的発掘が先行したから、縄文時代が移動しながらの採集狩猟生活だったと推定することになったのだろう。

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