『やがて満ちてくる光の』
旅に持参した五冊の本のうち、読了したのは梨木香歩の『やがて満ちてくる光の』というエッセー集だけで、あとはコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を二章まで読んだのみ。訪ね歩いた場所の印象を頭の中に収めるのにいっぱいで、しかも夜はたいてい酒を飲んでその日の疲れで眠ってしまう、ということの繰り返しで読書の余裕がなかったのだ。
『やがて満ちてくる光の』という本は、梨木香歩の、若い頃からのごく短めの文章を集めて本にしたもので、大まかにテーマが分けられているものの、書かれた時間などは前後している。どんな雰囲気なのか、その断片を引用する。
今の時代もまた、いや今ほど、人びとが--特に女性が--「自分」というものを求めている時代はないように思う。いざというとき頼りになり、ほんとうに必要なのは、実は恋人でも夫でもない、きちんと手入れされ、しっかりと世界に根を張っている「自分」なのだ。 だがこの「自分」というものはまた、実に精妙不思議な「生きもの」で、どんなに年を経ようが変わらない部分と、常に変化していく部分とを合わせ持った存在である。そのことが、どれほど「生きる」という事態をややこしく、またチャレンジングで飽きないものにしているか--時折疲労困憊するのだけれど。
なかなか味わい深い。女性だからこその感懐であろうが、男だって男なりのそのような思いはあるのだ。というよりも、そういう思いのある人が「しっかりと世界に根を張っている」人なのだろう。
一方コリン・ウイルソンの『アウトサイダー』はそういう世界の枠に収まらないで、というより収まることができないで生きる者の、さまざまな生き方、考え方のパターンを示しながら、彼の語る「アウトサイダー」とは何かを分析し、説明している。第二章で取り上げられている一人がヘミングウエイだ。私はきちんと文章で読んだのは『老人と海』と『誰がために鐘は鳴る』(これは映画も見た)くらいで、たまたまキューバに行った時、記念館になっている彼の住んでいた住居を見たこと、彼が飲んでいたというラム酒ベースのカクテル、「パパダイキリ」にいたくはまり、友人のF君と毎晩飲んだくれていた記憶ばかりで、この『アウトサイダー』に描かれているヘミングウエイに驚いた。驚いたと同時に、彼の初期の短編集が無性に読みたくなって、読みかけの本がたくさんあるのについ注文してしまった。
今日は録画してあったドキュメントや高校講座、紀行やドラマや映画などを片端から見ていくつもりだ。同時に大量の洗濯物を洗濯する(二回で済むだろうか?)。曇りらしいがなんとか乾くだろう。放送大学のお勉強は一区切り着けてあるので、次は数日後から再開するつもりだ。忙しい。
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