考えるということ
池波正太郎の『剣客商売』シリーズ第三作『陽炎の男』を読了。池波正太郎の大ファンである解説の常盤新平(シリーズ全巻を何度も読み返しているようだ)が書いているように、この巻の秋山大治郎と佐々木三冬(二人は後に夫婦となる)の心の変化は読んでいて微笑ましく、私も大好きな巻である。
養老孟司の『あなたの脳にはクセがある』(副題は「都市主義」の限界)も読了。少し雑に読んでしまったか。養老孟司の考え方は当たりまえのことを書いているからこそユニークだといえる。だからそれが理解できない人は、この本の題は「あなたの」ではなくて「わたしの」とすべきだと言うかもしれない。
大学で学生に教えていて最も困るのは、学生から「わからないので説明してください」といわれたときだ。本人は説明してもらえばわかると思っているようだが、「どの部分が、どうわからないのか」がわかっていない。そんな学生に説明してもわかってもらえるわけがない。
この場合、学生は「自分がわからないのは先生の説明が足りないからだ」と考えている。自分の問題を相手の問題としてしか考えられない人には説明しても無駄だと言っているのである。
自分で現実だと思っているものでも、実際には脳が生み出したに過ぎないということである。立場によって、その実在するものも違ってくるわけで、脳にクセがあることを認識すれば、意見の異なる相手とも無闇に衝突することもなくなる。要は、脳は個人のモノサシであり、モノサシが違う相手と角突き合わせても、話が噛み合わないのはやむをえない。ただ、よく「考えれば」モノサシが違っていても「わかり合える」ことは可能だ。
他人と自分は「違う」ということを本当にわかっているかどうか。それがわたしの「わかる」ということの出発点だった。
問題は、「わかる」ということをわかっている人も少ないことだ。私の本を読んで「全然わかりません、理解できません」といってくる人がいる。内容は、それほど難しいわけではない。にもかかわらずわからないというのは「わからないように読んでいる」からだ。
(中略)
結局、脳に入った情報を出し入れしながら生活しているだけで、考えることが身についていないのである。だから「わからない」のだ。本当に「わかる」というのは、外から入ってきた情報なりを自分の頭、脳で考え、咀嚼、整理して理解することだ。
得心である。
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