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2025年12月30日 (火)

『落語手帖』

 江國滋(編集者でエッセイスト)の『落語手帖』を読み返した。どんどん横から割り込む本が増えるので、収拾がつかない。この本もかなりくたびれてきたから処分しようと思っていたのだが、読み終わったら惜しくなった。いつかまた読もうと思って捨てるのをやめた。

 

 わたしもこどものときから落語が好きで、ラジオでよく聴いた。高校生の時、担任の教師が落語が大好きで、テープのコレクションを聴かせてもらった。三木助の『芝浜』を聴いて感激した。わたしが好きなのは圓生で、CDのコレクションを持っていて、ときどき聴く。

 

 『火事息子』という落語について、火消しになってしまい、勘当した息子とその両親の気持ちを分析して文章を書いたことがある。聴けば聴くほど、味わえば味わうほど落語の奥深さを感じたものだ。この『落語手帖』でもさまざまな話が紹介されていて、その中にこの『火事息子』が取り上げられていてそれが嬉しい。もちろん江國滋のほうが私よりもずっと深く味わっている。さらに『鰍沢』という、笑いというよりも怪談風の雪の中の恐怖の話が取り上げられていて、語りからどこまで情景が詳細にかつリアルに想像できるか、語り手だけではなく聞き手によってレベルが違うことを教えてくれる。

 

 ほかにもたくさんあって、そうなるとその落語がまた聴きたくなるではないか。だからこの本が捨てられなくなった。江國滋は、この『落語手帖』をはじめとして落語三部作を書いて、落語評論家、などと言われたことにつむじを曲げ、二度と落語に関する本を出さなかった。彼は評論などするつもりが毛筋ほどもなかったことは、この本を読めばよくわかる。

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コメント

上方(大阪)育ちのせいかあまり江戸落語に関心がなく
小さい時から落語家といえば桂米朝でした。
古典から新作まで独特の「はんなり」とした
しかし口跡鮮やかで硬軟自在の話術に酔ったものです。
東京で初めて独演会を開いた時、
会場に駆け付けた安藤鶴夫が立川談志に
「まるで母親の膝に抱かれて話を聞いたようだったぜ」
と評したことが印象に残っています。

ss4910様
桂米朝はいいですねえ。
わたしの好きな三遊亭圓生は、もともと上方落語だった『三十石』なども円朝の弟子から教えてもらって得意にしていました。
ガチャガチャした噺家よりも、品のある噺家の方が好きです。

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