繰り返しの心地よさ
ある年齢になってから、気に入ると同じ人の本を次々に読むようになった。内田百閒、團伊玖磨、森本哲郎、曾野綾子、山本夏彦、江藤淳、谷沢永一、梅原猛、内田樹、池内紀、井波律子などがそうだし、山口瞳、開高健、柴田錬三郎、池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎、葉室麟、陳舜臣、宮城谷昌光、酒見賢一、仁木英之などもそうである。そのほかにも十冊以上の本を読んだ著者は数知れない。
同じ人が書いた本だから、似たようなことが書いてあることがある。特に随筆や評論などはそうである。ああ、前にも同じようなことが書いてあるのを読んだな、と思うことはしばしばある。ではそれでがっかりするかといえば、ふしぎなことにその繰り返しが心地よいのである。もちろん全く同じ事が書いてあるのではなく、テーマは同じでもそれは変奏されている。その変奏にこそその文章を書いた人そのものがあらわれる。伝えたいことを繰り返し変奏しながらなんとか伝えようとして、こちらはそれを気持ちよく受け取る。気持ちよく受け取れる人の書いたものを読むことが快感なのである。
だから同じ本を時間をおいて読むことがしばしばあって、それで最初と同じか、ときにそれ以上におもしろい。こちらがザル頭であることのありがたさもあるが、自分自身も前に読んだ自分とは少なからず変化しているので、受け取りようも違うのである。だからたくさん読んだ著者の本ほど残されていく。いまそれを少しずつ読み捨てていくために読んでいる。
内田樹の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』という本を読み終えた。何度読んでも、なるほど、と感心させられる。
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