想像力と創造力
想像力と創造力は背反するものではなく、たがいに相まって人間が発展してきた原動力であると思っていた。科学も芸術もそういうものとして価値がある。そこにある重要な因子は、時間という観念ではないか。人間以外の生物が今現在の積み重ねでしか生きていないのに対して、人間は過去に学び未来を見据えることができる。そこで働くのが想像力と創造力であり、時間の厚みの認識こそが人間特有の能力だと思う。
ところがその時間をどんどん圧縮しようと努力してきたのも人間だ。移動時間の短縮を目指してさまざまな道具が発明された。情報伝達もそれに伴って短縮がすすめられた。タイムラグはゼロにはできないが、ゼロを目指し続けるのが人間の業か。
居ながらにしてすべての情報を知ることができるようになったことで、人間は何を得たのか。知ることができるけれどすべてを把握することは人間の能力を超える。だから人間はAIにそれを託すことにしたようだ。そうして森羅万象を把握したAIに相談して、さまざまな問題の答えを得ようという。もちろんまだAIは森羅万象のすべてを把握しているわけではない。しかしAIはそれを把握しようとして、人間を使ってあらゆる情報を呑み込み続けている。そしてご褒美として役に立った人間には巨額の富が与えられている。人間はAIを使って神の領域を目指しているつもりでいる。しかし神に限りなく近づいているのは人間かAIか。
アニメや小説、映像がAIによって創作されているのだという。ソフトのオリジナリティという価値が脅かされていると騒がれている。あたかもAIが創造しているかのようだが本当だろうか。確かにコピー可能なものはAIによってすべてコピーされてしまう。人間が生み出したものはすべて情報として記録され、コピーされる。ソフトの宿命だろう。そうしてそれらが分割され組み替えられて瞬時に構成し直されているのが今のAIの作ったとされる創作だろう。無数に細分再構成されたコピーに過ぎない(はずだ)。
もしそうでないというのなら、そもそもが人間の想像力と創造力というのは、このAIの行っている作業を脳内で行っていただけだということになる。はたしてそうなのか。無時間のAIと有時間の人間との違いはそもそもないのか。意識とは読み込まれたデータに過ぎないのか。
『AI崩壊』という大沢たかお主演の映画を見た。AIの暴走が人間世界に何をもたらすのか、その地獄図絵を見せてくれる。AIの判断のソフトを組み替えるだけで、簡単に人間が選別されたり排除されたりする世界を描いていた。判断基準は価値のあるなしである。その究極がすべての人間は価値がないと判断された『ターミネーター』の世界へとつながるのだろう。その描くディストピアは人間の想像力が生んだものだが、必ずしも絵空事とは思えない。予知夢ではないと誰が言えるのか。何しろそのソフトを組み替える人間として思い当たる人物が現にこの世にいくらでもいるのだから。
しかし、いまさら後戻りはあり得ない。それなら人間の未来は?



コメント