意見はさまざまでも
今日は今季一番の寒い日だろうという。昨夕から本の片付けが中途半端なまま中断している。疲労が甚だしいのと、右肩の痛みがぶり返してしまったからだ。今日は散らかり放題の部屋の中ではあるが、休養日にして本でも読んで時間を過ごすことにする。
高市首相の台湾有事にあたっての答弁についてさまざまな意見が飛び交っているようだ。意見はさまざまでもかまわない。不用意であったと言われれば不用意であった面がないとは言えないから、間違いではない。しかし高市首相が言っていることは間違いではない。中国の言いがかりのほうが理不尽である。言いがかりのきっかけを作ったという点のみ批判することは仕方がないことだし、かまわないと思う。しかしどういう批判を語るものであっても、中国の日本に対するさまざまな制裁と称する行為が理不尽である、という前提を伴わなければならない。そうでなければ、中国の行為を正当化することにつながって、中国を利することになる。それこそが中国の狙いである。だから共産党の議員の、答弁を撤回せよ、という主張に強い怒りを感じたのだ。
高市首相答弁批判の中にその前提があるのかどうかということをもって、その意見を語る人間を私は見聞きしようと思っている。前提なしのただの批判であれば同様の意見の付和雷同であると断じる。何か言っているが何も言っていないということである。日本が受けている仕打ちに同情して見せているだけのものもある。中国の仕打ちは念頭にない。または損得だけで語る者もある。しばしば腹が立つ。
中国は国内経済が深刻な状態である、という報道や意見をしばしば目にするが、どこまで本当かわからない。問題点を過剰に報じているのかもしれない。その不満を解消するための日本に対する仕打ちだとも言う。国民の怒りを日本に向けてガス抜きをしようとしているのだそうだ。それなら日本があまり感情的にならないのが得策なのだろう。中国が一人騒いでいるという状態を世界に、そして中国国民に見せてやるのもいいかもしれない。そして静かに中国離れをすすめるだけだ。ただ、中国は何でも口実にするから、日本が冷静なのは中国に理があるからだ、と国民に説明するかもしれない。それでもいいではないか。そもそもやっていることがむちゃくちゃなのだから、何を言うか気にしていたらきりがない。
中国が経済的にたいへんな状態だというなら、それを中国の国民が実感するのを待てばいい。いくら情報管制を敷き、批判を抑え込んでも現実は変えられるものではないだろう。ただ怖いのは軍部の暴発だけである(ここでまた高市首相答弁に戻ってくる)。習近平は現実の進行におびえているだろう。疑心暗鬼の塊になった毛沢東の晩年を思わせる。
私は、習近平、トランプ、プーチン、金正恩の末路を是非見定めたいものだと思っている。



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