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2025年12月 6日 (土)

私の・・・

 この頃はいつも十冊前後の本を並行して読んでいる。もちろん毎日少しずつ継続して読む本と、読みかけたままになっていて一週間、またはひと月後に思い返して読み継ぐ本もあるし、読みかけのままになってしまう本もある。持続して読んでいる本はせいぜい三冊から四冊というところか。今は『新編 日本の面影』という、ラフカディオ・ハーンの日本のことを書いた本を味わいながらメインに読んでいる。期待した以上にいい本だと思う。そして思い切って処分するつもりの山本夏彦の文庫本(二十冊ほどある)を二日か三日に一冊のペースで並行して読んでいる。『二流の愉しみ』という本のことはすでにブログに書いた。そのあと『日常茶飯事』を読了し、今は『茶の間の正義』という本を半分ほど読み、多分今日中か明日朝には読み終えるだろう。『日本の歴史第二巻 日本の原像』はまだ三分の一ほどで、読みたいのに読む暇がない。

 

 また、ヘミングウェイの短編集も、彼の最初の短編集である『われらの時代』がもうすぐ読み終わる。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』は一日数ページずつしか読み進んでいないので、年内に読了するのは無理だろう。この本からヘミングウェイを読もうと思い立って読んだし、それらを読んでからまた『アウトサイダー』の文章を読み直したりするから先へ進まない。ヘッセについて書かれている部分ではヘッセを読み直したくなってちょっともだえた。ヘッセは文庫本で出ている本はすべて買いそろえてほとんど読んでいるほど好きだったから、ウィルソンの言うことはよくわかるのだが、数年前にすべて処分してしまったのだ。しかし読み直していたら時間が止まってしまう。

 

 はじめて読んだ若いころ、コリン・ウィルソンのいう「アウトサイダー」の意味を自分なりに解釈して、おぼろげに理解した。その理解からの「アウトサイダー」とそうでない人の区別は、もともとのもの、正しい解釈とは違うだろうと思う。だから「私のアウトサイダー」なのだと承知しているしそれでいいと思っている。私はアウトサイダーに憧れ、そうであろうとし、なりきれない不才の自分に無念を感じている。

 

 だいぶ前のことだが、キルケゴールというデンマークの詩人哲学者のことをブログに書いた。彼の文章の断片を、自分なりに理解しようともがき抜いた末に解釈した、その解釈を書いたのだが、ある哲学に詳しい方から、キリスト教的な部分を抜きにそのような解釈しても、それはキルケゴールではないと指摘された。全くその通りである。そしてその方のいっていることはキルケゴールの解説書にも書かれているとおりのことで正しい。だから少しへこんだ気分になった。

 

 ずいぶんたって、「私の解釈」でも良いのだと開き直った。キルケゴールがこう書いている、ということがいいたいのではない、キルケゴールが書いていることがさっぱりわからないから自分なりに一生懸命考えて、ある日こういうことに違いないとひらめいた考えなのであって、解釈の正しさを超えた、自分の到達点なのだと思うことにしたのだ。

 

 だから今は「私の」ラフカディオ・ハーンであり、「私の」アウトサイダーなのである。ときどきではあるが、そういう風に本が読めることがあるのが無上の喜びである。

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