本屋へ行く
このところ新刊も古本もネットで買っていたが、どうしてもいま読んでいる本などから芋づる式に本を選ぶことになって、本との新たな出会いがない。まだ知らない本が、本屋の棚から「わたしを読んで!」と声をかけてくれるという、心ときめく遭遇をしばらく味わっていない。そこで久しぶりに名古屋まで本を買いに出かけた。目的の本がないではない。
まず名古屋駅から五分ほどのジュンク堂へ行った。少しレイアウトが変わっていて、心持ち手狭になったようだ。目当ての本はすぐ見つかったので、そのあと書棚を探索して歩く。おもしろそうな本がたちまち目に飛び込んでくる。あれも欲しいこれも欲しいと目星をつけていくと、たちまち十冊を超えてしまったが、しかし今回は文庫本を五冊買っただけで打ち止めとした。『聊斎志異』の物語を膨らませて連作小説に仕立て上げた中国の作家の分厚い本など、喉から手が出るほど欲しかったが、また今度にすることにした。その本が五千円近くしたから買わなかったわけではない。いま読みかけの本の山が減らないうちにそんな本を読み始めたら、山はいつまでも山のままであることが目に見えているからだ。
このあと鶴舞まで行って古本屋を冷やかしに行くつもりだったのだが、この調子だとまた読み切れないのに抱えるほど買いそうな気がしたので日を改めることにした。それに寒いし。
いまはコリン・ウイルソンの『アウトサイダー』をベースに、そこに取り上げられた作家の作品を系統的に読み比べている。ヘミングウエイもそこから読み直しをした。今回買った本は、三冊がヘルマン・ヘッセ、二冊がドストエフスキーで、まだ大人になるかならないときに読んだことがあるものだが、残念ながら処分して手元にないので改めて買ったのである。特にヘッセは一時期夢中で読んで、文庫ででているものはすべてそろえていた。波長が合って私には読みやすい外国文学である。またドストエフスキーもふしぎなことに比較的に読みやすい。ドストエフスキーは『罪と罰』も『カラマーゾフの兄弟』も完読できたのは我ながらふしぎである。しかしトルストイは全く読めない。最後まで読めたことがない。
『アウトサイダー』の論じている視点からの読み直しで何を得ることができるのか、楽しみにしている。当分読むものに困らない。
ハバナにて








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