自分探しとは
昨日は朝から心身ともに絶不調で、何もやる気にならず半分寝ていた。めったにないことで、それだけ寝たのに夜も眠ることができたことに自分ながらあきれた。今朝は多少ましである。
ひところ「自分探し」の旅などというのかはやった。では探している自分とは何か?と思ったものだが、日常を離れる旅と関連付けられていることから、自分が縛られている見かけの世界と違う世界と触れ合い知ることで、固定観念から抜け出して世界観の構築のし直しをするという意味だったのかと、肯定的に見てもいいかなと思ったりもした。
自分が世界を見ている、その自分とは何か。それがわからないから「自分探し」をするのだろうか。では「自分探し」の旅人は、旅に出たらそれがみえたのだろうか。試しに私もいろいろ旅をした。私は積極的に自分を探さなかったせいだろうか、どこにも自分など見つからなかった。自分は外にはいないようであった。世界から見られている自分だけがいて、その世界を通してしか自分はどこにいるのかわからないのだな、ということだけがわかった気がした。そうして自分はその世界の一部であり、すべてでもあるらしい。
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こんにちは
そういえば去年くらいに『自分なんて、ないから』という東洋哲学をわかりやすく書いた本がかなりのベストセラーになりました。
そもそも東洋哲学の世界では「自分」なんて本当にない、としているのでしょう。般若心経のエッセンスもそこにありますし・・・。
私自身「今の世界は所詮は脳の見ている夢に過ぎない」と時々思うことがあります。荘子も似たようなことを述べています。そんな中で「自分探し」をするというのはあたかも大海の中でピン1本を探すようなものにすぎないと思わざるを得ないでしょう。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2026年1月 8日 (木) 12時44分
shinzei様
あると思っているのが実はないものなら、見つけようもないですね。
私は何かとの関係にのみ自分というものがあって、単独で存在する「自分」というものはないのだと思っています。
投稿: OKCHAN | 2026年1月 8日 (木) 13時13分