そこまで強い執着がわからない
水戸のネイリスト殺人事件はやはり一種のストーカー殺人ということになるのだろうか。ぬいぐるみに発信器を忍ばせて居場所を把握していた、などという情報もあった。すでに他人の妻となった女性をあきらめられずに執着し続けるなどということが、私には全く理解することができない。しかもその執着した相手を殺してしまうというのは、どう考えても心の働きが壊れているとしか思えない。朝のNHKのニュースの中で、加害者の精神的救済をしているという専門家とその治療(?)を受けている加害者の心の動きが紹介されていた。
人は誰でも何かに執着することはある。ものをコレクションするなどというのもその一つかもしれない。他人からは理解しにくい過剰なコレクションは、執着と言えないことはない。そのコレクションが金であれば守銭奴ということになる。金はあったら便利なものであるものの、そもそも使ってこその金で、ただため込んでも意味がないのに使い切れないほどため込んで、ただひたすらためることが目的になってしまうというのが理解できない。わたしはいくら使ったか、どれほどたくさん使ったか、それが金持ちだと思っている。
強い執着が理解できないのは、私の情が薄いからだろうか、などと考えてしまう。しかし社会的な害悪につながってしまうほど強く捉われると言うのはやはり精神の異常であろう。執着は欲望に似てそれを求めるための努力にもつながる。それが自分の向上につながることがないではないだろう。わたしは執着が弱くても(諦めがよすぎるが)、今のところ社会に害をなすことはないし、多分これからもないと思う。
私から見れば、やはりストーカーはサイコパスの一種にしかみえない。



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