« 格差社会 | トップページ | 叔父の訃報を聞く »

2026年1月13日 (火)

「対症」と「予防」

 またまた内田樹の本を読んでなるほどと思ったことについて。

 

 システムは放っておけばかならずどこかで不具合を起こす。
 この不具合がもたらす被害を限定するためには二つの方法がある。
「対症」と「予防」である。
「責任を徹底追求して、二度とこのような不祥事が起こらないようなシステムを構築します」という考え方を「対症的」という。
「二度とこのような不祥事が起こらないシステム」などというものは人間には構築できない。
 不祥事を阻止できるのはシステムではなくて、その中で働く固有名を持った個人だけだからである。
 ここにミスがあるとする。誰が犯したミスだか知らないけれど、放置しておくといずれ災厄を招きかねない。だから、「私の責任において」これを今のうちに片付けておこう。
 そう考えるのが「予防」的な発想である。
(中略)
「それはわたしの仕事じゃない」
 これがわずかなミスを巨大なシステム・クラッシュに育て上げる「マジックワード」である。
「いいよ、これはオレがやっとくよ」という言葉で未来のカタストロフは未然に防ぐことができる。
 けれどもカタストロフは「未然に防がれて」しまったので、誰も「オレ」の功績を知らない(本人も知らない)。
 成果主義は、この「成果にはカウントされないが、システムの崩壊をあらかじめ救ったふるまい」をゼロ査定する。
 だから、完全な成果主義社会では、システム崩壊を未然に防ぐ「匿名で行われ、報酬の期待できない行為」には誰も興味を示さない。私たちの社会システムはそんなふうにして次第に危険水域に近づいている。

 

 迂遠ではあるが、誰の責任か問うまえに、「私がやっておきます」と言えるような大人をひとりでも増やすしか危機を救う手立てはないのだと、内田樹は最後を締めている。同感であるが、さて自分がどうであるか、いささかは自ら引き受けたという自負はあるものの、責任を問うことの方に忙しかったのではないかと反省している。

「ゴミを拾う人はゴミを捨てない、ゴミを捨てる人はゴミを拾わない」という言葉の意味の深さをいつも感じている。自分が捨てたのではないゴミを拾う、そこから始めて、誰もがそれが当たりまえにできるようになれば、世界は少し変わる気がするのだが。

Dsc_4641

« 格差社会 | トップページ | 叔父の訃報を聞く »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 格差社会 | トップページ | 叔父の訃報を聞く »

2026年2月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 住まい・インテリア
  • 心と体
  • 携帯・デジカメ
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
無料ブログはココログ
フォト

ウェブページ