力のある言葉
暮れからずっと本が良く読めて、おかげで片付けや大掃除は中途半端に終わってしまったが、ずいぶん何冊も読むことができた。それも箱根駅伝などを見たりしていたらリズムが少し狂ってきて、ちょっと読むのにも飽きてきた。それよりも、どこにも出かけずに座ったままで朝から飲んだり食べたり居眠りしたりし続けたら、体重があっという間に三キロ以上増えてしまった。今日で一区切りにして、明日から飲み食いを控えめにして、少し散歩に出かけることにしようと思う。
いま読んでいる内田樹の本に「その通り」、と思うことが書かれていた。
ある文章が論理的であるか非論理的であるかを判定するのは推論の働きではない。論理的な文章は「気持ちがよい」が、非論理的な文章は「気持ちが悪い」から、わかるのである。
それを判定するのは身体的な感覚である。
それは幼いころから美しい音楽を浴びるように聴いてきた子どもが演奏の半音のずれを「不快な音」として聴き咎めてしまうのと同じである。
論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手立てはない。「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する。国語教育とは畢竟(ひっきょう)それだけのことである。
「身体的な感覚」というのがいいではないか、まさにその通りだと思う。難しいことが書いてあっても論理的な文章なら読むことができる。読み続けることができる。そうして読み慣れていくと、そのときにわからなかったことがひとりでにわかるようになってくる。読書百遍意自ずから通ず、と言うのは本当だと心底思う。いまはよくわからないけれど読んでいるうちにわかるはずだ、わかったら自分に得るものがあるはずだ、と思える本をときどき読み、そして読み返している。そして読めば読むほど自分にとって当たりの本を見つけることができるようになるものだ。
読書が趣味で本当によかったと思っている。
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