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南紀白浜のやや南に三段壁という景勝地がある。
見た目は福井の東尋坊に似ている。多分溶岩が冷えてできた岩だから似ているのだろう。
以降と思えば先端部までいけるし、崖下では磯釣りもできるようだ。ここではこの景色を眺めるだけではもったいない。実はこの前の写真の崖の襞のあいだに隠された洞窟があるのだ。上からはみえない。
いまはこの建物の中のエレベーターからその洞窟に降りることができる。
洞窟の入り口。こんなところから舟を入れようというのだからすごい。ここは熊野水軍の舟隠しの場所だった。
こんな立派な石仏まである。
洞窟の壁が異様な色をしている。
一番奥。ときどき波が奥まで押し寄せて、ドーンという音が洞窟内にとどろく。
天井に打ち寄せる波の痕跡、漣痕が見られる。
この三段壁の洞窟に来たのは四回目。洞窟が大好きで、ここはこの色合いもあって何度来ても素晴らしい洞窟だと思う。
潮岬は串本から地続きだが、紀伊大島は島である。だから串本節でも、「ここは串本向かいは大島、仲を取り持つ巡航船~」と唄われている。しかしいまは橋が架かっていて、その潮岬からも串本から、もその橋から渡ることができる。
この島にはトルコに関するものがいくつかある。駐車場からすぐのところにあるトルコ記念館。まだ入ったことがない。弟が壁面のタイルを眺めているのには理由がある。最後にその理由を記す。
トルコの軍艦エルトゥール号殉難の碑。嵐で難破したエルトゥール号から島の漁民たちが決死で救助にあたった。このことはトルコの教科書に載っているので、トルコの人は日本にとても親和的であることは有名だ。
ここにはトルコ絨毯やトルコの民芸品が売られていて、トルコの若い男がそれを売っていて少し話をしたことがある。コロナを機にこの店は閉められたままになっている。壁面に貼られているのは目玉を象徴してトルコの飾り物。昔は全面にぎっしりと貼られていたが、数が減っている。
剥がれて落ちてしまったのだ。
太平洋。沖にはひっきりなしに大小の船が通る。
トルコ帝国が列強によって瓦解させられズタズタにされたあと、再びトルコの国を建国した建国の英雄アタチュルク。指先が切れてしまった。この少し先、島の先端部に樫野灯台がある。もともとは日本最古の石造り灯台で、低いけれど重要な灯台。中には入れないが外側に鉄の枠の階段があり登れる。地球が丸くみえる。登ったけれど写真は撮らなかった。
帰り道でシルエットになったアタチュルクに見送られる。
最初の写真で弟が見ていたのは、この一面のタイルの中に、一枚だけ逆のものがあるのだというので探していたのだ。全員で探し直し、弟の見ていた正面にはなくて、横手にあるのを弟が発見。どれかわかるかな。わたしも弟に続いて発見した。
このあと串本の宿に入る。宿はバイキングだが、料理の種類も多く、しかもどれもおいしくて大満足だった。
23日の朝、名古屋から南紀に向かう。名古屋から南紀へは、どんどん自動車道が延びたので、ずいぶん便利になった。尾鷲までだと思っていた自動車専用道路は熊野までつながっている。熊野で降りてすぐに鬼ヶ城の前を通過し、海沿いに熊野灘を左手に見ながら国道を走る。いわゆる七里御浜である。熊野までが三重県で、その先、熊野川を渡ればそこから和歌山県新宮市。新宮市に入ってすぐに熊野三山の一つ、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)がある。
ここはいつ来ても朱塗りが塗り立てのようにきれいだ。もともとここから少し山上にある神倉神社のところに神が降臨したのだそうだ。そしてその後、この地に新たにお宮を建てた。だからこの地を新宮という。
ここは世界遺産の地。
さざれ石。
兄弟で交互にお参りした。
山の上に桜が望めた。
次に那智の滝、そして那智大社に向かう。
兄弟での南紀旅行を終えて自宅に戻り、兄弟たちも去ってまた独り暮らしになった。独り暮らしというのは成り行きに任せているとどんどん怠惰になっていくもので、きちんとやることを決めて時間の管理をしなければならない。そうすると思った以上に日々に中身が伴うように暮らせる。だからその日にできること、しておいた方が良さそうなこと、したいことなどをなるべく細かくメモ用紙に書き出しておく。
こうしてルーティンを主体にした日常が戻った。来客モードの部屋の中をお一人様用にし直して、朝のまったりした気分の中にいる。今日は晴天らしいから洗濯物を片付けよう。そして溜まっているドラマやその他の録画したものを少しずつ消化し、読みかけの本を整理してまた読み始めよう。
弟や妹から、私の写っている写真がラインで送られてきた。姪にラインの設定をしてもらったので、こういうときには便利である。まだうまく使いこなせていないしそれほど使いこなしたい気もしないけれど、使わなければ使えないままである。さびかけた頭のさび止めにはこういうことへの挑戦も必要だ。
遅ればせながら、次回から少しだけ旅の報告をするつもりでいる。
昨日は熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)と熊野那智大社を参拝し、本日は熊野本宮大社を参拝した。これで熊野三山はすべて参拝した。私は何回かきているが、弟夫婦も妹もはじめてだという。紀州にはほかにも多くの神社があるらしい。またゆっくりとこちらに拠点を置いて数日かけて歩きたいものだ。
今は熊野本宮大社に近い、湯の峰温泉の宿にいる。むかし子どもたちとこの温泉の安宿に泊まったことがあるし、会社の同僚たちと泊まりに来たこともある。有名な壺湯があり、小栗判官と照手姫の伝説もある古い温泉である。明日は名古屋に帰る。天気は下り坂らしい。
今回の旅の写真など詳しい報告は、帰ってからゆっくり報告するつもりである。
楽しい語らいとおいしいお酒と肴を楽しめだのだが、とにかく階段の上り下り(とくに那智の滝)で膝が痛くてつらかった。それが一番残念なことであった。痛かったことが、ではなく、自分の衰えを実感させられたことが、である。
兄弟との旅行で南紀の串本にいる。泊まっている宿は串本の奇観、橋杭岩が見下ろせる高台にある。朝風呂に入ってから冷たいものを飲むためにラウンジで一息入れたら、ちょうど日の出を見ることができた。
海の中からチラリとオレンジ色の海坊主の頭が見えたと思ったら、大きな球体になっていく。球体の裾は粘るように海に広がっていたけれど、それがちぎれるように海から離れた。
おお、凄いですねえ、とつい感嘆して隣のテーブルにいた女性に声をかけたら、ほんとうにいいものを見ることができました、と声が返ってきた。
写真は部屋に帰ってから窓から写したもの。左手の岩の連なりは橋杭岩の先端部、右は紀伊大島。その紀伊大島の左手から日が昇った。
井波律子の『中国人物伝』(全四巻)の第二巻を読んでいる。この巻は前半が三国時代、後半が南北朝の時代の人物伝である。ここで言う三国時代とは後漢から三国志の時代、さらに晋の時代(司馬氏の時代)までを含む。三国志については正史の『三国志』とフィクション交じりの『三国志演義』があり、どちらもおもしろい。井波律子の『三国志演義』(講談社学術文庫、全四巻)を昨年読んだところだし、前後して宮城谷昌光の『三国志』(全十二巻と別巻一)を読んだ。後者は正史をもとにしていて、いままで読んだ『三国志』では出色の面白さだった。宮城谷昌光が大好きで、たいていの本は読んだが一部を残してほとんど処分した。もちろんこの『三国志』は大事に残している。
三国志についてはいままでどれだけの人の書いたものを読んできたかしれない。十種類は超えるだろう。それだけおもしろい。今回読んでいる井波律子の『中国人物伝』は、いわゆる『史記』の列伝形式に近いもので、劉備が取り上げられれば劉備に関連する人びとのことも含めて書かれていて、曹操となれば彼の関連の人物も含めて描かれ、別に独立して諸葛亮が、周瑜が、蜀の五虎将軍(関羽、張飛、趙雲、馬超、黃忠)が語られていく。そして同じ人物が視点を変えて立体的に語られるのでそこがまたおもしろい。
これから読む後半の南北朝はあまり知られていない時代だが、中国がバラバラに乱れていた時代で、よく知るととても興味深い時代であるし、残酷な時代ながら優れた文人や傑物もたくさん輩出した時代であり、楽しみである。そういえば井波律子の『水滸伝』(講談社学術文庫、全五巻)も読んでもらうのを待っている。いまWOWOWでは北方謙三の『水滸伝』をドラマ化したものを放映していて、それなりにおもしろいから、ちょっと食指が動いている。今年中には読むつもりだ。じっくり読みたい。
今日はこれから兄弟で南紀方面に行く。旅先からも簡単でいいからブログを書きたいと思うが、兄弟の親睦を優先するつもりだから、その時間があるかどうかわからない。
多くの国が石油や天然ガスのない危機的状況に追い込まれようとしている。養老孟司が繰り返し語っていたように、二十世紀は石油の時代で、二十一世紀もやはり石油の時代が続いている。そこからの出口を模索しているが、その出口は今のところ見当たらずにいる。既に石油がないことで塗炭の苦しみを味わっているキューバの状況が人ごとではないことになりかねないことを世界はもっと深刻に受け止めないといけない。
トランプはイランの生命線であるカーグ島の占領を夢見ている。イランの石油をベネズエラのように我が物にできるかもしれない、いや、それをするのだ、と思っている。そのための海兵隊の出動であろう。カーグ島が占領されればイランは命脈を絶たれる。それならいっそのこと自爆する方がましだ、とイランが考える可能性が高い。自ら石油積み出し港の設備を破壊しパイプラインを使えなくして、占領してもアメリカが得るものがない状態にするだろう。イランとはそういう国であると思う。そして一蓮托生、周辺国の石油やガスの設備を可能な限り破壊しようとするだろう。「窮鼠、猫を噛む」である。そしてホルムズ海峡に機雷をばらまくだろう。中東の石油や天然ガスは当分の間供給不能になる。
トランプはそうなっても平然としているだろう。何しろ「アメリカはホルムズ海峡がどうなろうと困らない」と公言しているのだ。アメリカは中東の石油に依存していない。自国で十分生産できるからだ。「困るのはおまえらだ。だからアメリカに協力しろと言ったではないか」というのが彼の言い分だろう。そしてそう大声で言いたいだろう。確かに困るのはヨーロッパであり、インドであり、東アジアであり、何より日本である。それらの国はたちまち産業が機能不全に追い込まれる。アメリカはそのとき、欲しければ頭を下げろ、少しくらい分けてやらないでもないぞ、とふんぞり返るつもりでいるのだろう。
しかしアメリカがすべてを自給自足できる国であるのかどうか。アメリカで消費されるものの多くが海外に依存しているという事実を忘れている。どこからもものが届かない事態が起こるのだ、ということにトランプは想像力が働かないのだ。石油の世紀は石油がなければ成りたたない。
今年の夏は暑い夏になることを覚悟しなければならない可能性がある。最悪、燃料不足で電気が供給できなくなってしまうかもしれないからだ。猛暑が続けば高齢者や老人はもたないだろう。病院も介護施設も電気がなければどうしようもない。バタバタと死者が出る。石油の時代に石油の供給を止めるような愚かなことをした恨みがアメリカに向かうだろう。
『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)は中学生や高校生向けに書かれた内田樹の本。帯には「何も批判しない教育論」とある。先生とは何か、どうして先生はえらいのか、そのことが懇切丁寧にわかりやすく書かれているのだが、この本を読んだ少年少女が、または大人が読んで、どこまで内田樹の主旨を理解できただろうか。現代に生きて形成されてしまった「バカの壁」は打破できただろうか。心許ない。
教育が経済行為の一つと見なされて、それが当然と思い込んでいる人に、そうではないのだ、ということを伝えているのがこの本である。学ぶ側が学ぶつもりにならなければ、真の学びは成りたたない。そのときにこそ先生は、そして師は立ち現れる。学ばれるのは情報ではなくもう一つ高い次元の知性であろう。そのことはこれだけわかりやすく意を尽くして説明しても、自ら学ぶことの楽しさを知らないと伝わらないかもしれない。やさしく読めるから、大事なことが書かれているのについ読み飛ばしてしまって何も残らないかもしれない。
先般読んだ『下流指向』と同じ危機感からの本として読んだ。
しなければならないことがあると読書欲が昂進する。昔からそうだった。私だけではないと思うが、他の人のことは知らない。学生時代は試験の前にいままで歯が立たなかったような読みにくい本がどんどん読めたりした。現役時代は会議用の報告書を作成しなければならないようなときに果てしなく次々に本が読めた。
明日、弟夫婦と妹が千葉からやってくる。夕方になるはずだ。家の中を片付けて三人が泊まれるようにしなければならない。今日は朝から片付けたり掃除したり布団を布団乾燥機にかけたりして忙しい。忙しい合間に本を読んでいる。読みかけが何冊もあるのにさらにホフマンの幻想文学や、フィリップ・K・ディックのSFや井波律子の中国人物伝などを開いたりしている。頭の中が混乱しているのに本は読めてしまう。
とにかく今日のうちにここまではしておこうと思ったことだけはなんとか片付けた。明日は明日ですることを書き出してある。連絡したので明日は娘も挨拶に顔を出すだろう。ベッドとテーブルの生活になった状態をまだ娘は見ていない。それを見に行く、と言っていた。あさってから天気があまり芳しくなさそうなのが心配だ。
ついに『アウトサイダー』を読了した。半年かかった。しかし読了したと言えるのか。最終章はほとんど私の理解の外であり、そこからなにを摑めばいいのか途方に暮れた。ラーマークリシュナやグルジェフ(この本ではグールドジェフとされているが、私が名前だけかろうじて知っているグルジェフであろう)などの神秘家、宗教家の語り残した世界観がさまざまに引用され、取り上げられて論じられている。それが覚醒した生き方であり、アウトサイダーが新しい境地に至るために目指すべき方向であるかのようである。さすがにオウム真理教ではないものの、何やらそのようなスーパーリアリズム世界へ誘われているような心地がする。
コリン・ウィルソンは確かにこの『アウトサイダー』を書いたあと、オカルティズムや犯罪学、サイコキラー研究などに傾倒していった。異世界に飛んで行ってしまったのだ。多少後追いをしたけれど、ついて行ききれずに縁が切れ、揃え集めた本をすべて処分する気になったのはそのせいである。今回はこの『アウトサイダー』だけはもう一度読み直して勝負しようと思ったのだ。若いときに読んだときよりは尋常に立ち会えたのではないだろうか。全力で勝負したので今は放心状態である。とにかくこれで満足した。
ただ、おかげでヘッセやヘミングウェイ、ドストエフスキーを読み直すきっかけをもらった。何冊かを読み直し、さらに読むつもりで積み上げた本がたくさんある。海外文学を読むのは久しぶりで、改めてその面白さを楽しんでいる。
コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を半年以上かけて読みつづけている。さまざまな人物や著作、生き様で『アウトサイダー』とは何かを説明しているので、それを理解しようとすると、その作品などを実際に読んでみないと前へ進めないのである。それでもようやく全九章のうちの第八章までを読み終えることができた。第八章は宗教家、フォックスやブレイクが語られているのであまりおもしろくないから先へ進まなかったのだ。ブレイクについてはトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』でイメージを多少はつかめていたのはさいわいであった。『レッド・ドラゴン』はあの『羊たちの沈黙』の前作にあたる。もちろんレクター博士も登場する。
第八章のラストの部分を抜き書きする。
現代文明の悩みは倦怠である。それについてキェルケゴールは鋭い一言を放っている。
「神々は退屈し、そこで人間を想像した。孤独なアダムは退屈し、そこでイヴが創造された。・・・アダムは一人で退屈していたが、今度はアダムとイヴは一緒に退屈し、やがてアダムとイヴとカインとアベルが逸す揃って退屈し、世界の人口が増加するにつれ、人びとは集団的に退屈するようになった。そこで人びとは退屈を紛らわすため、天に届くほどの高さの塔を築こうと考えた。が、この考えの退屈なことときたら、その塔の高さに劣らず、それを見ても、退屈がいかに猛威をふるっていたかがわかる。」
洞察の鋭い論評である。しかし、結局のところ、これはヘッセの発言を裏返しにしたものに過ぎない。ヘッセは、あらゆる人の心の奥底には不満の滓がたまっていると述べたのであるが、退屈も不満も、元をただせば同じものなのだ。
人びとは自分を知っていない。牢獄にとじこめられている。一般人の背負うこの徒労の宿命から、個人はいかにして逃れることができるのか。
そうしてついに最終章の第九章『回路からの脱出』へと繋がる。解答はあるのか。
ヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』(新潮文庫)を読了した。何度も書いて恐縮だが、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』に励起されて読んだものであり、そもそもアウトサイダーという概念はこの『荒野のおおかみ』に発しているとも言える。私は若い頃ヘルマン・ヘッセの作品に夢中になって、文庫本になっていたものはすべてそろえて読んだ。その中で特に感銘したのがこの『荒野のおおかみ』であり、『デミアン』であり、『知と愛』であった。そのヘッセの文庫本たちもかなり傷んでしまったので、だいぶ前にすべて処分してしまったから、今回は新たに『シッダールタ』、『荒野のおおかみ』と『デミアン』だけ買い直した。次は『デミアン』を読むつもりである。
前半では主人公の荒野のおおかみことハリー・ハラーの、現実世界とどうしても相容れないものを持ちながら、しかしその現実世界から抜け出すこともなく生きることの苦しさが延々と描かれ、彼自身が何を見ているのか、何を考えているのかが語られる。そして後半になると全く様相が変わって、ある女性との出会いから夢幻的な世界、現実ではないところから現実を見下ろす、つまり自分自身を外から見るということが幻想的に描かれていく。
最後にはほとんどシュールレアリズムのような光景が次々に繰り出されていくが、それはどうしてなのか。そういう書き方でしか表せないものがその時代にはあった、ということのようだ。第一次世界大戦のあとのドイツが、再び危険な方向に向かいつつあることにこういう表現で抗うしかなかったのだ。実際にドイツではこの作品は大きな反発を招くことになった。その後のドイツがどういう運命をたどったのかは歴史に見るとおりである。そしてここには西洋文明そのものの価値観への危惧も含まれている。東洋的価値観について造詣の深かったヘッセだからこその視点だろう。そう思ったから先に『シッダールタ』をおさらいの意味で読んでおいたのだ。
『アウトサイダー』に励起されたと言えば、ヘミングウェイを読んでいるのもそれがきっかけで、いま『ヘミングウェイ全短編』の第三巻を読み始めた。ここには生前未発表の作品も含めて二十二作品が収録されていて、七百ページを超える。かなり読みでがあるが、読んでいると吸い込まれるように作品の中にいるという至福の時間を過ごすことができている。
『ヘミングウェイ全短編』の第二巻を読了した。巻中の最後の二編が『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』と『キリマンジャロの雪』である。ともに素晴らしい。これが読みたくて最後までこの本を読み進めることができた。生きているということの実感と、人は死ぬという現実は紙一重で、その一重の間にすべてがある。その一重を饒舌に、過剰に語っていきながら、むなしさこそが真実であること、むなしさを山のように積み上げたものが人生なのだとヘミングウェイは語っているようである。そのむなしさはときにとてつもなく美しく愛おしい。永遠は一瞬であり、一瞬は引き延ばされる。
アンブローズ・ビアスの『アウル・クリーク橋の一事件』を思い出していた。
昨夕、妻の入院している病院に行った。前回の面会では元気そうだったが、今回は少し不調に見えた。腰が曲がり、話す内容があちこちに飛んでしまう。相づちを打ちながら、ときどき問いかけると返事がちぐはぐである。特に時間、年月日などが混乱している。医師からは言っていることをあまり否定しないように言われている。話の内容が否定されたと受け取らず、自分が否定されたと受け取る場合があるからだそうだ。だからたいていはそうかそうかと聞いている。今回は特に意思の疎通があまりできなかったような気がする。あとで若い看護師に日頃の様子を聞かせてもらう。穏やかに暮らしていますよ、ということであった。頑固で手のかかる人もいるらしい。
面会を済ませるとどっと疲れる。私は理屈っぽいので理屈に合わないことに頷くのが苦手なのだ。雨の中いつも以上に混雑する道を帰路についた。ガソリンが値上がりしてなかなか車で出かけにくくなった、などとニュースでは報じていたけれど、そんな気配は感じられない。いつも通りである。来週には少し下がるらしいがタンクに残り少ないのでガソリンを入れた。182円。いつも入れていたガソリンスタンドは先月廃業してしまった。スタンドがどんどん減っている。山道などでガソリンの残りが少ないとハラハラする。暮らしにくくなることが増えた。
ベッドやテーブルを梱包していた段ボール類が玄関に山のようになっていたが、今日が資源ゴミを出す日だったのでようやく片付けることができた。まだベッドと椅子の生活に慣れたとは言えない。自分の家にいるようではないところがある。とはいえ週末までにあちこちを掃除して来客に備えなければと思っている。片付けや掃除が苦手だから、やる前には気が重いが、少しずつでもやっていれば少しずつ片付く。できることをできる範囲ですればいい。
それにしてもアメリカの狂人(木の芽どきだしなあ)のおかげで世界がきな臭い。昔なら玉突きで世界戦争になりかねないところだが、さすがに二回も世界を巻き込む戦争を経験してそこで学んだことがまだ生きているらしく、局地戦でとどまっているのはさいわいだ。しかしその狂人に対してどの国も正論を突きつけ、その愚かさを指摘することができないというのも情けないことだ。猫に対してネズミでしかない者は、その首に鈴を着けることができないが、この猫は鈴の音など歯牙にもかけずにそれを鳴らしながらどこを襲うかわからない。
次はキューバだ、と公言するが、そもそもイランが収まる気配はない。対キューバについて「私はやりたいようにできる」とのたもうた。イランが収まろうが収まらなかろうが、狂人は戦線を拡大するだろう。どこかで皆が「よくやった、たいしたものだ」と賞賛してくれるまで、そういう成果が出るまで次々にことを起こすだろう。自国優越主義、排他的ナショナリズムの極端なものにしかみえず、誰が見てもヒトラーと変わるところがないが、ヒトラーと同様国民が愛想を尽かすまでは犠牲が続くだろう。そして狂信者はなかなか自分の間違いを認めないものだ。
それにしてもウソを平気でつき、朝令暮改を恥と思わず、やりたい放題の狂人の真意を世界が読もうとしているのはこっけいだ。真意などないのがわかっていても、自分に火の粉が降りかからないかどうか知るために読まざるを得ないのだ。むなしいことである。ため息しか出てこない、こういうのを無常感というのだろう。
早くから花粉症に悩まされている友人がいて、むかしは人ごとに見ていたが、私もその症状が出始めて、四五年になる。今年はその症状が友人並みになって、友人のつらさをいまさら実感させられている。目のかゆみは目薬をもらっているから少し楽であるが、くしゃみが頻発し、喉がいがらっぽくて希にぜんそくのように咳が止まらなくなる。鼻を繰り返しかむから鼻の下が痛くなったりする。とにかく顔の周りがうっとうしくて、ものをじっくり考えることができない。
おまけに足がむくみはじめていて、こちらはさすがに別の理由なのだろう。泌尿器系の不調かもしれない。
来週は弟夫婦と妹が連れ立って名古屋にやってくる。このところ何年か、年に一度か二度、都合が合えば四人で旅行に行っている。今回は我が家を起点に南紀旅行を予定している。胆石で手術した弟はだいぶ体調が戻ったようで、二月には名古屋まで夫婦で来たのに、行くつもりの蔵開きが胆石でいけなくなったからと、先日千葉のどこかの蔵のお祭りに参加して、酒を飲んだと知らせてきた。そのときに新聞社の取材を受けたというその記事をラインで送ってきた。これなら大丈夫だろう。
こちらも一緒に旅行を楽しめるように体調を整えなければ。今日は妻の入院している病院へ支払いと面会に行く。
引き続きヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』を読んでいる。荒野のおおかみことハリー・ハラーが、招待された大学教授夫妻の家の晩餐で上品で知的な会話を交わしているうちに、自らを殺しての欺瞞性に耐えられなくなり、失礼な言葉を並べ立ててしまい、逃げるようにその家を辞して巷を放浪する。家に帰れば自己嫌悪で死にたくなることがわかっている(これは比喩ではなく、ほんとうに自殺しかねない)ので帰ることができない。そうしてたまたま入った場末のダンス酒場で若い女性(少女といってもよい)と出会い、会話を交わす。
「あら、それはみなあんたが自分でなさったのよ。あんたにはわからないの、学者さん。私はあんたにとっての鏡のようなものだから、そして私の中には、あんたに返事をし、あんたを理解する何かがあるから、私はあんたが気に入り、あんたにとって大事なんだってことが。実際は、人間はみんなたがいにそういう鏡であり、たがいにそのように答えあい、相応しあわなければならないのよ。でも、あんたのような偏屈屋はほんとに奇妙で、すぐ夢中になってしまうので、ほかの人の目の中に何ひとつ見ることも読むこともできなくて、ほかのものと何の関係もなくなってしまうのよ。そしてそういう偏屈屋は、自分をほんとに見つめてくれるような顔、答えと親しさの感じられるような顔を突然また見いだすことがあると、もちろんうれしくなるんだわ」
「君はなんでも知ってるね、ヘネミーネ」と私は驚いて叫んだ。
(中略)
「もちろんよ」と彼女はおざなりにうなずいた。「その話はもうたくさん。今は食事中よ。ハリー、ね、お願い、もう少し青いサラダを注文してよ!あんた、食欲がないの?ほかの人ならあたりまえのことを、あんたはまず習ってかからなきゃならないんだ、と思うわ。食事の楽しみさえも。ごらん、これはかもの足よ。白いきれいな肉を骨からはなすのが、それがもうごちそうよ。それは、恋している男が好きな娘の上着をはじめて脱がせてやる場合と同じように、食欲にはずみ、緊張し、ありがたい気持ちにならなくちゃだめよ。わかって?わからない?おばかさんね。さあ、このみごとなかもの足をひと切れあんたにあげるわ。そしたらわかるわ。そら、口をあけて!・・・あら、なんていやな人だこと!私のフォークから食べるところをひとに見られやしないかと、ほかの人たちの方をむすみ見したわね。心配しなくていいのよ、始末の悪い人、あんたに恥をかかせなんかしないわ。でも、自分が楽しむのに、まずほかの人の許しが必要だというんだとしたら、あんたはほんとうにお気の毒なおばかさんね」
こういうところにいたく感銘を受ける。
昨日は散歩に出かけても大丈夫だったのに、今日は床屋にでも行こうと考えていたらやたらにくしゃみが出て鼻水も止まらない。今までになくひどい状態である。私は杉よりもヒノキに感応するらしいから、その花粉が飛んでいるのかもしれない。これでは床屋どころではない。しかたがないから本を読んだり、ぼんやりと音楽を聴いたりしている。
学ばない子供たち、働かない若者たちについて考察した、内田樹の『下流志向』という本を再読している。学ばない子供たちが、怠け心から学ばないのではないらしいこと、それはどうしてなのか、この本を読んでなるほどと思った記憶がある。
今の子どもたちに「教育を受けること」は「権利」ですか「義務」ですかと訊ねたら、おそらく九十パーセントの子どもたちが「義務」であると答えることでしょう。教育は子どもの意に反して、社会から強制されるものであるということが子どもたちにとっては前提となっている。その前提から出発するから、その義務に違背することを、ある種の「政治的異議申し立て」として捉える考え方も成り立つわけです。
(中略)
本来、「学ぶこと」は、子どもたち自身がまっさきに「侵すことのできない権利」として要求すべきはずのものです。それがどうして「苦役」とみなされるようになったのか。そこからの逃走がある種の達成感や自己満足をもたらすような倒錯した感受性が、どうしてとりわけ九十年代以降の日本社会で形成されてしまったのか。
この問いについての僕なりの回答は次のようなものです。
教育の「権利」を「義務」と読み替える倒錯が起きた理由は、経済合理性の原則が社会のすみずみに入り込んだせいです。
子どもたちが成熟の最初の段階で、まずおのれを「消費主体」として立ち上げるというようなことは歴史上初めてのことです。それは単に生活が豊かになったとか、物質的欲望が亢進したということではなく、そのさらに以前の問題として、子どもたちが「時間」と「変化」について自らを閉ざすように、幼くして自己形成を完了させてしまったということです。
この本の前半で、子どもたちが教育を受けるということを自分の「苦役」と考え、その苦役と、受けた教育から得られるもの、との等価交換としてその「義務」を理解していると書かれています。だからそのお勉強は「どんな役にたつのか」「どんな得があるのか」と子供は問いかけるのだという。
わかりにくいかもしれないが、そのことを著者はこの本の前半二百ページにわたって説明しているのであって、それを私のつたない短いブログでかいつまんでまとめることは出来ない。しかしとにかく面白い本で、目からうろこの落ちることは間違いない。
それにしてもこの本が単行本として世に出たのが2007年だから、すでに二十年近く経っている。つまり今は子供だけではなく、その若い親たちも同様の認識だということだ。読んでいて、私の娘もそういう認識でいたように思える。見えている世界が違うのである。
三月に入って寒い日が続いたりしたが、夜が明ける時間は少しずつ早くなっていき、軒先に差し込む陽光もだんだん室内に届かなくなっていく。ベランダの大根の白い小さな花は次から次に咲いては散っていく。まだ種のサヤは小さすぎてかたちになっていないが、もう一月もすれば堅い立派なサヤになるはずだ。今日から日中の気温が春らしい心地よい温度になるらしい。
昨夕、久しぶりに近場を五千歩あまり散歩した。木蓮(白木蓮も紫木蓮も)のつぼみがふっくらと膨らんで、いまにも咲きそうであった。ユキヤナギの花も風に揺れている。その風に乗ってどこかから花の香りがする。沈丁花だろうか。ぼけの花は盛りを過ぎて色あせ始めている。よく見るとあぜ道につくしが生えている。背が低くて摘んで採る気にならない。このあたりは田に水を引くのが遅いので、まだ用水路にはほとんど水はない。残念なのはセリを見る事がほとんどないことだ。少量でもあれば摘んで味噌汁かすまし汁にして香りを楽しむのだが。
心配していた花粉症は、昨日までのつよい風がおさまっておだやかなせいか、それほどひどく感応しなかった。帰って部屋に戻ってからのほうが鼻水やくしゃみが出たのは、もしかしてハウスダストに反応しているのだろうか。このところ家の中をいろいろかき回しているからホコリもよく舞っている。空気清浄機だけでは処理しきれないのだろうか。
テーブルと椅子の生活にするつもりでいても、椅子ではうたた寝が出来ない。まだこたつは片付けていないので、そのこたつに入って本を読みながらうつらうつらしている。起きているのか寝ているのか、なんだか境目が曖昧な春の日々である。
昨晩読了した村松剛の『西欧との対決』という評論本の隣にあったので、ついでに新藤純孝『山月記の叫び』(六興出版)という中島敦についての評論本を久しぶりに再読した。中島敦の『山月記』を高校時代の国語の教科書で精読して、それ以来、中島敦の作品を繰り返し読んできたから、中島敦についての評論も、この『山月記の叫び』と、森田誠吾『中島敦』という本を持っている。
今回読んでみて、一体著者の新藤純孝(編集者で評論家)は何が言いたいのかがよくわからず、正直なところ読んで苛立ちばかりを感じてしまった。戦時中、三十三歳の若さで夭逝してしまった中島敦は、生前は文壇から評価されず不遇であった。そのことについて、戦前から戦中にかけての文壇がそもそも崩壊していたのだ、という論点で、繰り返し繰り返し中島敦に成り代わって恨み言を重ねているだけの文章にしか私には読めなかった。むかし読んだときはどう思ったのだろうか、記憶にない。
中島敦に対してその才能を高く評価し、文壇がそれなりに評価し、そしてもう少しでも長生きしたら素晴らしい作品が残せたのではないか、という事も繰り返し述べているが、では残された作品についてはどうなのか。私にはあまりリスペクトがないように感じられた。私は中島敦の現に残された作品、文庫本で三冊におさまってしまうが、どれも珠玉であると思うし、愛着を感じている。著者の、ほんとうはもっといい作品が書けたはず、という言い方は、残された作品への侮蔑ではないのか。そうとしか読みとれない文章が現に本文中に散見されるのだ。
文章が独りよがりすぎてしかもくどい。だからこちらも少し雑に読んでしまった。
昨晩遅くに村松剛の『西欧との対決』を一気に読了した。このごろ集中力が持続しないので、なかなか一気読みが出来なくなっていたが、久しぶりの満足感があった。比較的に短めの作家の評論がどれも興味深くおもしろく読めた。徳冨蘆花、芥川龍之介、小林秀雄、阿川弘之、遠藤周作、北杜夫、開高健、立原正秋等々、さまざまな視点から作家を論じている。
徳冨蘆花は『自然と人生』という本を朗読に使っていたのでなじみである。独り暮らしだと、誰とも話をしないのでほとんど声を発する機会がなく、たまに誰かから電話があったりすると声がかすれて出なかったりする。ときどき人に会うのが一番なのだが、最近は少し出不精気味になっている。歌を歌うのもいいが、私は朗読をする。声を出して詩を読む。『自然と人生』は一ページか二ページの情景描写の美文で、調子が高いのが気に入っている。徳冨蘆花の人となりは、兄の徳富蘇峰との比較でとかくの話があるが、この文章で初めて知ったことが多かった。
芥川龍之介については、『藪の中』を取り上げている。さまざまな解釈がある中で、今回読んだものは優れて説得的に思えた。芥川龍之介の心の揺れまで読み解いている。他の作家や評論家についての評論もかなり深層まで迫っていて、それぞれの人が村松剛の視線を通して浮かび上がってくる。評論とは評論するものを通して、評論する本人の自己表現でもある、というしばしば言われることを納得させる本だった。その自己表現が私でも見えやすくてわかりやすかったということだろう。波長が合うということだろう。
こたつで読んでそのまま読後の余韻をぼんやり反芻していたら、そのまま寝込んでしまい、夜中過ぎに目が覚めた。慌てて寝床に潜り込む。そうしたらさほとどしないうちに足がつって目が覚めた。足がむくんでいることと足がつることは関係あるのだろうか。むくんだらたちまち体重が三キロくらい増えた。水が身体にたまっている。泌尿器系の代謝能力が低下しているのであろう。体重が増えると腰や膝が痛くなり、立ち上がるのがつらくなる。悪いパターンである。温泉にでも行こうか。・
村松剛(1929-1994)の『西欧との対決』という本を読んでいる。副題は『漱石から三島、遠藤まで』となっていて、いうまでもなく三島とは三島由紀夫、遠藤とは遠藤周作のことである。この本は評論集であり、四つの章立てになっていて、最初の章が三島由紀夫に関するもので四編が収められている。村松剛は三島由紀夫とは深い交友関係があった。また三島由紀夫の師である川端康成とも懇意であった。あの市ヶ谷での事件に関して、友人の立場から三島由紀夫を論じ、川端康成との関係を論じ、その頃の三島由紀夫の著作、特に四部作の『豊饒の海』について論じている。村松剛には『三島由紀夫 その生と死』という本格的な評論が別にある。第二章以降にも、さまざまな作家や評論家が取り上げられていて楽しみである。特に『西欧との対決』という視点について、山崎正和や先崎彰容の本から啓発を受けたので楽しみである。
村松剛の本は、『死の日本文學史』、『醒めた炎 木戸孝允』(文庫本で全四巻)を読んでいて、ともに大いに得るところがあった。特に『醒めた炎』は、長州を中心に据えた明治維新前後についての歴史を知るには十分なものであり、再読したいと思っている。
蛇足ながら村松剛の妹は女優の村松英子で、丸顔の能面のような妖しい美しさの女優であり、そのおっとりした語り口も含めてわすれられない。彼女の語った兄としての村松剛の逸話に、大学へ出勤するために家を出てたときにズボンを履き忘れて、ズボン下のままだったというのがあったことを思いだした。
ある調査(ベネッセと東大が昨年実施した)によると、小学生から高校生について一日に読書をする時間がゼロだと回答した割合が半数を超えていたそうだ。これは十年前の調査のときの五割増しだという。学年が上がるほどその割合が増えていて、高校生では六割を超える。代わりにスマホを見ている時間が軽く二時間を超えていることがわかった。これを恐ろしい数字だと思うか、そんなものだと思うか、人によりそれぞれだと思うが、それはまとまったものを読むという能力が退化しつつあるということだろうと私には思える。その結果がどういうことにつながるのか、答えはすでに出始めているのではないか。そういう退化は、国民をコントロールしたいという為政者には都合がいいのかもしれない。トランプとトランプ支持者を見ているとそう思う。日本もそうなりつつあるということなのだろう。
わたくしごとだが、字を書こうとするとときどき手が震えたりしてうまく書けないことがある。もともと字が下手なのに、さらに見るに堪えない字になる。パーキンソン病だろうかと不安になるほどだ。それが理由ではないけれど、お習字をはじめた。毎日ではないが気持ちを落ち着けたいときなどに、墨を磨って初歩のお手本を見て筆で字を書く。字を書くというのが身体を操作する行為であることを実感する。キーボードで字を打ち込むことよりも遙かに肉体の作業なのだと知る。ふしぎなことに、メモに書く字が震えることが少なくなってきた。字は実際に書かなければ頭と手が連動しなくなるらしい。連動して記憶したものは、頭だけではよみがえらないものらしい。いま、子どもたちは字を書いているのだろうか。
警察官がふたり訪ねてきた。現在の家族構成や連絡先についての確認だという。二三年前に来たときにも確認があり、変更がない旨答えた。オレオレ詐欺の被害が我が家の周辺でも発生しているという。「警官を名乗っての電話などにだまされないように注意してください。警察が用事のあるときはこうやって訪ねて参りますから」とのことであった。
オレオレ詐欺がこれだけ知れ渡っているのにだまされる人がいるのだ。手口が巧妙になっているのであろうが、おかしいな、と思わないのだろうか。それにしても迷惑電話や迷惑メールが多すぎるけれど、警察でどうにかならないのか、と聞いたけれど困った顔をされてしまい、申し訳なかった。どうにもならないようである。
家の中の片付けの玉突きは果てしなく続き、後から後から不要なものが湧いて出てくる。なんだか捨てることにだんだん抵抗がなくなり始めている。自分を捨てたりしないように注意しなければ。
二ヶ月つづけて十三日の金曜日である。二月は二十八日で、当然翌月の三月は曜日が重なるから続くのは当たり前だが、十三日の金曜日はあるようで案外ないものだ。キリスト教徒ではないからどうでもいいようなものの、あのスプラッターホラー映画の『十三日の金曜日』のシリーズを恐いもの見たさに見たので、つい意識してしまう。
塩分と水分の摂り過ぎのようで、足がむくんでしまった。足がむくむと足が冷えるようだ。なんとなく体調にも影響している気がする。というよりも体調が芳しくないから足がむくむのか。散歩でもするとたいていむくみは治まっていくものだが、花粉症で外へ出るとくしゃみが止まらなくなり、涙も出てかなわない。泣きながら散歩するというのが嫌で、つい出る気にならない。膝までの加圧靴下を久しぶりに引っぱりだしてはいている。
ベッドにして、テーブルと椅子にして、床に座らない生活にしつつあるが、まだこたつは片付けていない。椅子に座ったり、こたつでぬくぬくしたりと落ち着かない。テレビの前にテーブルがあるので、テレビは椅子で見る。そしてこたつでは本を読む。こたつで本を読みながらうとうとしたりする。三月に入って寒の戻りで寒い日が続いたが、たぶん今日までで明日から少しずつ春の暖かさになるらしい。そうしたらこたつを片付けよう。場所ふさぎでしょうがない。
こたつ生活だと、座ったままで用を足すために床の上に本やら何やらいろいろとおいていたけれど、椅子生活だと床のものを手をのばしてとるというわけにはいかなくなる。といってなにもかもテーブルの上に置くというわけにも行かない。いきおい床の上を片付け、しまうべきものをしまうしかなくなる。ベッド脇にワゴンを置いてリモコンやタブレットや小型のデジタルスピーカーを置いて重宝している。同じようなものをテーブルの脇に据え付けようと思って手配した。これで椅子に座ったままいろいろなものを取り出せるようになる。ただ、不器用な私には組み立てるのが結構たいへんなので、苦労する。このところベッドを組み立てたりテーブルを組み立てたり、ものを移動したり片付けたりと忙しくてあまり本が読めない。生活スタイルを変更するというのは思った以上にたいへんである。
不機嫌で人に不快感を与えることを心理的な攻撃と見なして、フキハラというのだそうだ。初めて知った。そうして四六時中不機嫌な人間は、確かに見ていて気持ちのいいものではなく、こちらも気分が悪くなることがないではない。とはいえ誰でも不機嫌になることはある。それが皆フキハラということで、一緒くたに非難されるのもいかがなものかと思う。人間はいつもニコニコしてなどいられない。世の中には不愉快なことが溢れているのだから。
日本ハラスメント協会、というのがあることも知った。被害者(たいてい弱者)側に立ってその味方をするのであろう。そうして、していいことと悪いことの線引きをしてくれるようである。パワハラやセクハラ、モラハラなど、実例を知ると確かにそれは問題だというものが多くて、見過ごしにできないと思う。とはいえ些細なことまで何でもかんでもハラスメント扱いされだすと、世の中が生きにくくなることもあるだろう。冗談も言えなくなってしまう。弱者の立場に立つという名目でこんな協会ができるのも今の時代の象徴か。ときに何でもかんでも商売にしてしまうことの多いのがいまの世の中であるが、マスコミと組んであることないこと火のないところに煙を立てることにつながりかねない。商売となると線引きがエスカレートするものである。そういう正義の味方は怖いからなあ。過去の自分の言動を思い返すと、いま現役ではなくて良かったと思う。
小浜から鯖街道を南下して朽木宿を訪ねた。
左下、道の駅・くつき新本陣の駐車場に車を置いて朽木宿を散策する。
ここは近畿自然歩道でもあるらしい。
鯖街道の朽木宿を歩く。
クランク式の鍵の手の道。左の建物は、旧丸八百貨店。今は喫茶店になっている。
川戸と立樋の説明。
これが立樋らしい。あちこちにあった。
あっという間に散策を終え、昼食にした。手打ち自家製十割蕎麦の大盛りを食べた。細打ちでつるつるしているのは、ただの十割蕎麦ではなく布海苔をつなぎにしているからではないかと思う。結構高かったけれどそれなりにうまかった。
このあとさらに鯖街道を京都方面に南下して大原まで行き、三千院の近くで引き返し、琵琶湖岸に向かって琵琶湖大橋を渡り、名神で帰路についた。
胆石で入院し、胆道を石で塞がれたために化膿した胆嚢の除去手術を受けた弟の、その後の様子を数日前に聞いた。胆嚢がなくなったので脂質を処理できないから脂質の多いものは控えるように言われたが、それ以外は特に普通どおりの生活をしても構わないそうだ。お酒も飲んで構わないという。今月後半に恒例の兄弟での旅行を計画していて、無理かもしれないと心配していたが、弟は予定どおり行くつもりらしい。
声を聞いて元気そうなので安心した。今回も名古屋の私の家を拠点に動く。弟夫婦に妹と私の四人では、こたつに入ると狭すぎるし、みな歳だから腰が痛そうである。私も立ち上がるのに少しつらいところがある。そこでベッドに引き続き、テーブルのセットを手配した。これで完全な椅子生活、ベッド生活となる。すでに畳の部屋はないから、これでいいのだ。
そのセットが届けられた。椅子はそのままだが、テーブルは自分で組み立てるようになっている。少し上等なセットを手配したのでどれもみな想像以上に重い。梱包の段ボールも山のようになった。部屋を片付け、すべてをしつらえ終わったら疲労困憊した。誰かもう一人いたらありがたいところだが、しかたがない。部屋が狭くなった。
若狭三方縄文博物館の館内の様子。
ジオラマの縄文集落の様子。1日の暮らしが少年の語りで説明される。父の仕事、母の仕事、おばあさんの仕事、おじいさんの仕事がそれぞれの場所にスポットライトを当てて語られておもしろい。
地層の上に立つ研究員。リアルだが人形である。
堪能したので年縞博物館に行く。
年縞博物館。二階の横長のガラスの建物にタイムカプセルの年縞が展示されている。
入り口を入るといかにも学者、という人が出迎えてくれた。ここは発掘にたずさわっている立命館大学の研究センターでもあるのだ。研究の傍ら、交代で説明をしてくれているらしい。その人がこの博物館の展示物について簡単に説明してくれて、展示試料の発掘などの苦労なども教えてくれた。そして疑似3Dの映像で具体的な様子を見せてくれた。
年縞とは、三方五湖の一つ、水月湖の湖底34メートルから下を円柱状にボーリングして得られた堆積物の試料である。固定の堆積物は春夏秋冬に応じて変化する。それが縞状に見えるので年縞という。一年に約0.7ミリずつ堆積していて、湖底のさらに下の岩盤まで約45メートル、約7万年分の年縞が掘削されている。そこで得られたさまざまな堆積物、植物の痕跡、特に花粉などでその時代の植物の繁茂状態などが詳細にわかり、時代ごとに気候、平均気温なども推定されている。つまり7万年分のタイムカプセルなのだ。
一番向こうが七万年前。
一番向こうが現在。
水月湖の湖底は大きな地震の時以外はあまり動かなかったので年縞の乱れが少なく、年代の比定がきわめて正確に行われる試料であり、世界の標準となっている。
ここでも別の大学の先生とおぼしき人が、様々な花粉の顕微鏡写真を3Dプリンターで拡大したものなどを元に詳細に説明してくれた。延々と説明は続き、次の人たちも加わって果てしないので、途中で「ありがとうございました」と言ったらちょっと残念そうな顔をされて申し訳なかった。
ところで7万年というと現生人類が誕生してからの年数とほぼ同じである。つまり現生人類の歴史とこの年縞の試料が比定できるのである。今はこの方法で世界のあちこちで年縞のボーリングが行われていて、その標準がこの水月湖の湖底の年縞なのである。
これは死海の湖底の年縞。
たいへんおもしろくてためになった。詳しい冊子もいただいたので、今眺めているところである。
若狭三方縄文博物館は、外見は小山状になっている。隣には年縞博物館があって、こちらの話は別のブログで紹介する。
ここが入り口に見えるが違う。向かって右手を回り込み、そちらの階段を上がる。
この字は梅原猛のものらしい。
入り口で入館料(五百円)を払う。隣の年縞博物館も見る場合は合わせて七百円だが、七十歳以上なら年縞博物館は無料。私は後期高齢者だか、年縞博物館はもちろん無料だった。展示場所は入り口を降りて地階に広がっている。展示室の入り口にあった縄文時代の埋没林の杉の根株。とても大きい。
時代をくぐるような暗いトンネルを抜けると・・・
遮光器土偶がお出迎え。お粗末な写真で申し訳ない。何しろ暗い中のトップライトだから撮りにくいのである。
縄文土器がならんでいる。
日本海側にはこの火炎土器が見られる。断片から復元されたものが多い。
パネルやジオラマふうの展示などもあり学べるし楽しめるが、私の好きな土偶があまりないのが残念であった。次回、年縞博物館とともにもう少し紹介する。
昨朝、三月というのに冬の寒さの中、三方五湖にあるという縄文博物館へ向かった。一宮インターはいつもどおりにトラックが多くて混雑、岐阜羽島を過ぎたあたりから伊吹山がくっきりと見え始めた。思ったよりも雪が少ない。米原ジャンクションで名神高速から北陸道に移る。分水嶺を過ぎて敦賀へ下るあたりから道路脇に残雪を見る。敦賀から舞鶴若狭道に分岐して小浜方向に向かい、三方五湖スマートインターで降りれば二時間足らずで現地に到着していた。
写真は一帯の縄文ロマンパークのモニュメント。
目当ての若狭三方縄文博物館の開館は九時からで、少し時間があったので湖岸の竪穴住居などを見に行く。
入り口から中を覗く。
囲炉裏で火をたいていたのであろうが、冬は寒かったと思う。
三方湖の湖畔へ行く。ここは野鳥観察地域となっている。
突然大きな鳥が飛び立ったのでびっくりした。
つづけて鴨たちも飛び立った。左手奥に見えるのはたぶん三方五湖の道の駅だと思う。あそこには大きな野鳥観測の建物があったはずだ。
そうこうしていたら博物館の開館時間となっていたのでそちらに向かう。
暇つぶしに地図を見ていたら、三方五湖の一つ、三方湖の畔(舞鶴若狭自動車道の三方五湖スマートインターから近い)に若狭三方縄文博物館があるのを発見した。にわかに見に行きたくなったので、昨晩ネットで調べて月曜が休館ではないことを確認し、今朝七時前に出発した。天気は好いが空気はとても冷たい。手袋を持って出るのを忘れたのを後悔する。開館は九時で、ゆっくり行っても九時には着くだろう。スムーズに走ることが出来て、少し早めに着いたので竪穴住居の復元したものを見物する。
博物館の中を見物し、縄文土器を一つ一つ眺めていく。時間のたつのを忘れる。中は思った以上に暗い。そのあと隣にある年縞(ねんこう)博物館も見に行く。詳しい報告は写真を整理してからにする。
そのあと小浜から南下して鯖街道を京都方向に向かい、途中の朽木宿を少しだけ散策して昼食を摂った。そこから京都の大原までいけるはずなので試しに走って見る。三千院の近くまで行って、だいたいの見当がついたので引き返し、琵琶湖大橋を渡って帰路についた。名神高速の多賀のあたりで事故と工事があり、三十分以上渋滞で余分な時間を食った。帰宅後、快い疲れに満足している。
1966年のアメリカ映画『天地創造』をずいぶん久しぶりに見た。高校生の時に封切りで見たはずだ。ちょうど聖書に興味を持っていたところだったので、興味深く見た記憶がある。今見ると大画面の大スペクタクル映画ではあるが、どうも冗漫な感じが否めない。作品としてはそれほど評価したくなるものではないが、この映画のおかげで聖書の創世記についての知識を得ることが出来た。
今回のいくつかの着目点について。
神が作った人間第一号のアダムと第二号のイヴには、母親から生まれたわけではないのに「へそ」があった。神様はわざわざへそもつけたようだ。そうして蛇にそそのかされてイヴが知恵の実である林檎を食べたことに疑問を感じた。神はどうしてわざわざ「食べるな」と命じたのか。そしてイヴが林檎を食べてしまうことが万能の神には予見できなかったのか。神は知恵の実を食べたことで善悪を知ってしまったことを咎めたけれど、善悪を知らなければそもそも禁じたことを破ることに罪悪感が働くはずもないのではないか。
アダムの一人目の息子カインと二人目の息子アベルがそれぞれ「所有」、「命」という意味であることを知った。初めて見たときは、どうして神がアベルの燔祭だけを受け取ったのか理解できなかった。神様は肉食で穀物は嫌いなのかと思ったものだ。今回、カインが燔祭の供物をケチった様子を見て、そのことに神が不快感を持ったのだと知った。しかしそれにしても、だからといってカインがアベルを殺すことになるのも無理がある気がする。
ノアの箱舟に乗せる動物の中にカンガルーがいたことに笑ってしまった。カンガルーが知られるようになったのはずいぶん後のことだからである。オーストラリアまで行ったのだろうか。大雨がやんでノアの箱舟が漂着していたのはアララト山だったとされる。アララト山はトルコの東方に実在する五千メートルを超える高い山である。船から動物を降ろして、動物たちも山を下りるのに苦労したことだろう。
退廃と淫楽の町ソドムとゴモラを神が廃墟にしてしまう話はもっとも私の興味深いものだった。その後にフェリーニの『サテリコン』という映画を見て既視感を感じた覚えがある。
最後がアブラハムが神に命じられて息子のイサクを燔祭として捧げようとする話は、もっとも私の理解を超える話で、神が人をこのようにして試すのだということに違和感を感じたし、いまも感じている。
こんな疑問はとっくに神学的には説明がなされているのだろうと思う。
白昼幻覚が見えたら、理由がある。まず統合失調症などの精神疾患である可能性が高い。もしかしたら特殊な能力によって、他の人には見えないものが見えてしまう、ということも絶対ないとはいえない。または幻覚剤や麻薬などの脳に作用する物質の影響によるのかもしれない。
今日は朝から、録画してあったスウェーデンのミステリードラマ『刑事ヴェロニカ 死者は語る』(全八回)をまたまた一気見してしまった。題名からは警察ものの北欧ミステリーのようだが、この主人公のヴェロニカ(アレクサンドラ・ラパポルト)は死者の幻覚が見えてしまうという、精神的にきわめて不安定な女性なのである。ダークな色調の映像に、不安を表す音楽が流れ続けてまるでホラー映画のテイストで物語は展開していく。そのテンポはきわめてゆっくりで、次第にヴェロニカの視点にシンクロさせられていく。
彼女が森の中で発見した白骨死体の身元が五年前に失踪した少女のものと判明する。その少女の幻覚が現れる。そして前後して少年の幻覚も見えてしまう。調べて見ると、その少年は五年前に川で溺死体として発見されていて、事故死として処理されていた。少女の失踪した日と少年の溺死した日が同じ日であることがわかるが、彼女の説明のつかない根拠に基づく捜査は周りからは相手にされない。過去に精神疾患で二度入院した経歴を持つ彼女は、また今度も再発と思われてしまう。彼女の年頃の娘はむずかしい年頃であるし、まだ幼い息子はしばしば旧友と問題を起こして学校から呼び出されることが続いている。そのことで夫とは気持ちのすれ違いが生じて、彼女はますます不安定になっていく。
彼女の精神の不安定さは、彼女がまだ幼い少女だったときに父親を事故で失ったことに発している。そのトラウマが、夢に現れる父親の姿の幻覚とともに彼女を苦しめつづけている。そのトラウマの中に隠された真相を求めることと事件を調べることが次第に交錯していき、どうして彼女が精神的に不安定なのか、そして事件の真犯人は誰か、が見えてくる。そうして彼女にとって大事な人に危険が迫っていく。
途中で見るのをやめられなくなるほどおもしろかった。主演のヴェロニカを演ずるのは、あの『沈黙の楽園』のノラ・リンデを演じていたアレクサンドラ・ラパポルト。全く性格の違う主人公を見事に演じ分けている。ラストシーンが意味深で、彼女の見る幻覚とは何なのかがほのめかされてしゃれている。
午前三時前に目が覚めてしまい、ベッドの横の本棚から『菅江真澄遊覧記3』(東洋文庫)を読み出した。この遊覧記は全部で五巻あって、第一巻と、第二巻の半分ほどは読んでいるが、他の巻は拾い読みだけである。特に今回読み始めた第三巻は入手したいきさつから判型が違い、箱入りでもない。この巻では蝦夷地の旅(第二巻の後半に記されている)を終えて、主に下北半島をじっくりと訪ね歩いている。
菅江真澄(1754-1829)については、秋田県立博物館の中に菅江真澄資料センターとして常設のコーナーがあり、旅日誌の実物、文章や絵、詠み込んだ和歌などを実見できる。昨年秋に二度目の訪問をしたときには特別展が開催されていて、じっくりと見て回れたのは望外の喜びであった。ただし、秋田県博物館内は一部を除いて写真撮影が許されているものの、この菅江真澄資料センターは撮影禁止である。
数年前には男鹿半島から深浦、鰺ヶ沢あたりの菅江真澄の足跡を訪ね歩いたことがある。何カ所か、彼に関する石碑を見た。
此の第三巻では北海道の福島町から下北半島の奥戸(大間)に渡り、そこから南下して仏ヶ浦のあたりまでを歩いた後にまた大間に戻って、今度は東行している。大畑を拠点に周辺を歩き、さらに下北半島を南下して田名部(むつ市)に滞在し、ここから恐山とその周辺を歩いている。今回読んだのはそのあたりまで。この一帯は三回ほど車で走り回っているので、どの地名も実際の様子とともに思い出すことができて懐かしかった。秋遅くに北海道から下北半島に戻っているので、この下北半島遊覧は雪中での極寒の旅である。雪の中を恐山に登るなどというのは、よほどの体力だと感心する。戻った後は田名部で越冬し、翌年さらにじっくりと下北半島を歩き回っているのだが、それはこれから読む。
この遊覧記は現代文へ翻訳したものなので読みやすい。原文の方が味わいがあると思うが、この遊覧記の他に『菅江真澄随筆集』という一巻があって、それは原文である。そちらは私のお粗末な素養と読解力ではなかなか読み進めないでいる。やはり現代文の方がありがたいと思うべきか。
トランプはいいなりに基地を貸さないからといってスペインに対して激怒した。スペインはスペインの考えがあって、トランプにすべて従わなければならない理由はない。それでも気に食わないから貿易を停止する、と公言した。
イランの次はキューバだ、時間の問題だ、という。いったいキューバがアメリカに何をしたというのか。キューバは長年のアメリカの経済制裁によって最貧国となっているから、ミサイルも軍備も大したものを備えようがなく、アメリカの脅威になどなっていない。麻薬もつくってアメリカに送り込んでもいない。社会主義国だからといってアメリカにテロリストを送り込んでもいない。キューバを攻撃しようというのなら理由は何なのか。ただ気に食わないからだろうか。
強大な力を背景にやりたい放題の本性をむき出しにしたアメリカは、世界の信頼と友愛を失いつつある。そのことの報いがあってほしいと思わざるを得ない。していいことと悪いことの区別もつかないようなものがのさばっていいはずかない。それでも日本は中国などの存在があるためにアメリカと袂を分かつわけにいかないことが哀しい。中国だけではなく、下手をすればアメリカからも日本は気に食わない国と見做されかねないのである。恐ろしいことである。日本が何をしたというのか。
アウトサイダーにこだわってヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ』を読んでいるが、荒野のおおかみことハリー・ハラーの手記の中に、ヘッセの考えるアウトサイダーがどういうものかよくわかる文章があったので引用する。
あのころ私の孤立が始まった。また幾年かたち、きびしい孤独と骨のおれる自己修行のうちに、新たな禁欲的精神的な生活と理想を樹立し、ふたたび生活の一種の静けさと高さとに達し、抽象的な思索修練ときびしく規制された瞑想に没頭したのち、この生活形成はふたたび崩壊し、その高貴な高い意味を一挙に失ったのだった。めちゃくちゃな苦しい旅行で私は新たに世界中を引きずりまわされた。新しい苦悩と罪とが積み重ねられた。そのつど、仮面が脱ぎすてられ、理想が崩壊するのに先立って起こったのが、いままた私がふたたび味わわねばならない、あの恐ろしい空虚と静けさ、死にそうな締めつけ、孤立無援、無情と絶望のうつろな荒涼たる地獄であった。
そういうふうに私の生活が動揺するごとに、私は結局何かあるものを獲得した。それは否定できない。自由や精神や深さなどの点で何かを獲得したが、孤立や無理解や、冷却という点でも何か加えるところがあった。市民的な面から見れば、私の生活は、そういう動揺から動揺へと移っていくにつれ、絶えず下降し、普通なもの、許されたもの、健康なものからいよいよ大きく遠ざかっていくのだった。私は、年がたつにつれ、職業を失い、家庭を失い、故郷を失い、あらゆる社会的な集団の外部にたち、孤立して、だれからも愛されず、多くのものから邪推され、世論や道徳と絶えず苦しく戦った。市民的なわくの中に生きつづけていたとはいえ、私はやはりこの世界のただ中にあって、感じ方や考え方のすべてにおいて、よそのものだった。
コリン・ウィルソンが論じたアウトサイダーにはさまざまなレベルや形態があるが、ここに語られているヘッセの荒野のおおかみもその一典型だと言えるだろう。
清楚な少女レギーネ・オルセンとの婚約を解消して孤独のうちに思索に沈潜したデンマークの哲学詩人のキルケゴールの人生も、そのようなものだったように私は想像している。何か普通の人には見えないものを見、感じられないものを感じてしまい、世界が実は見えているもののままではないことを知覚してしまった人、それがアウトサイダーなのではないか。世界を一皮めくって見てしまった人、見えてしまった人ではないか。
ここから飛躍して、言葉と意味ということに考えが飛んで行き、森本哲郎がヴィトゲンシュタインを紹介した文章を思い出したりした。意味を言葉で語ろうとしても、それはただ違う言葉での言い換えに過ぎない、無意味だというのだ。どうしてヘッセが『シッダールタ』を書いたのか、そのこともおぼろげに繋がっている気がする。
今年は花粉症の症状がいつになくひどくて、くしゃみが止まらない。鼻水は出るし目はかゆいし、いささかだるくて風邪でもひいているかのようだが熱はない。空気清浄機を動かしているのにあまり効果はないようだ。
勧誘やアンケートや迷惑電話がうっとうしいので、固定電話は留守電にしているのだが、今日架かってきたものを留守電のまま聴いていたら「厚生労働省からの電話です。あなたのマイナカード保険証と医療資格確認証は使用できなくなります。これまでもこの件で何度も電話をしているのにお出にならないのでこれが最後の通知になります。確認が必要な場合は・・・」と女性の声で告げられた。
こちらの名前の確認もなく、電話でこんな事を厚生労働省が一方的に連絡してくるはずもないので無視したが、びっくりして言われるとおり指示されたボタンを押したりする人もあるかもしれない。
こんな迷惑電話を仕組んでいるのはこんな顔の奴に違いない。
中国の歴史物のドラマにはおもしろそうなものもあるのだが、何しろ長い。長すぎるので、特に食指の動いたものだけ見ることにしている。このたびWOWOWで始まった『清明上河図』も全二十六回(毎週二回分ずつ放送)であるが、久しぶりに食指が動いた。『清明上河図』という北宋の名画があって、当時の首都であった開封府を描いた絵巻である。第一回を見たところでは、この絵巻の中のさまざまな場面を発想のヒントにして物語が展開していくという仕立てになっているようだ。
ところでWOWOWのガイドブックには『清明上河図』のふりがなが「せいめいじょうかず」となっている。私の記憶では「せいめいじょうがず」のはずなので、ネットで調べたらやはり「せいめいじょうがず」のようだ。どちらでも好いようなものだが、やはり違う読みのままでは違和感がある。
北宋の時代はあの『水滸伝』の時代でもあり、中国の歴史好きとしては描かれている風俗がきちんと再現されていて、これからが楽しみだ。蛇足ながらこのあと北宋は滅びてしまい、臨安府(現在の杭州)を首都とする南宋に引き継がれていく。しかし南宋も滅びてしまい、モンゴル族の元王朝に取って代わられる。その歴史的経緯もとてもおもしろいのだが・・・。
中国の高速鉄道の車内で、二歳の子供が歌を歌っていたら、後ろの席の若いふたりが苦情を言ったために両親と諍いになり、ついには殴り合いの喧嘩となったという。中国にはこういう話が多いので話の種としておもしろいのだが、最近はそういう報道が当局から規制されているのか見ることが少なくなって残念に思っていた。
中国では一度言い出したら決して自分から引き下がらない人が多いようだ。だからつまらないことで争いがエスカレートする。その様子はしばしば幼児のように見える。中国のさまざまな出来事を幼児のようだ、幼児なのだ、と見做して見ていると理解できることが多い。もちろん理解できたからと言って迷惑であることに変わりはないが。
そうして日本でも見掛けは大の大人なのに幼児にしか思えない輩を目にすることが増えたのは残念なことだと思っている。
若いときに読んだコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』という本に大いに影響を受けた。多分に勝手読みであることは自覚しているが、考える面白さを教えてもらった。娯楽としての読書から一歩踏み出すきっかけとなった本の一つである。どうしたことかそれほど大切な本なのになくしてしまった。どうしても読み直したくて古本を取り寄せて、暮れ頃から読んでいる。それなのに七割ほど読み進めたところで読みかけのままになっている。その先は宗教的な分野に踏み込んでいて、その世界観がこちらに染みこんでこないためだ。そういえば若いときもそこから先は取り上げられているフックスやウィリアム・ブレークの名前だけは記憶しているものの内容は全く覚えていない。
この本ではまずサルトルが取り上げられ、次いでカミュ、ヘミングウェイ、ヘルマン・ヘッセ、ニーチェ、ドストエフスキーなど、たくさんの作家思想家冒険家とその著作がウィルソンの考える『アウトサイダー』という視点から取り上げられている。それに沿って私も取り上げられた作家を読み直したり読み直そうとしている。だからヘミングウェイを読んでいるのであり、合わせていまはヘッセの『荒野のおおかみ』を再読し出したところであり、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の再読も始めている。合わせて何度も読んだカミュの『異邦人』も読むつもりでいる。すべて『アウトサイダー』という視点にこだわって読むことにしている。
『荒野のおおかみ』については、ヘッセが「アウトサイダー」であると自任していたことを、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』での評論を取り上げながら、訳者の高橋健二が巻末の解説に書いている。『荒野のおおかみ』の中には主人公のハリー・ハラーの残した『荒野のおおかみについての論文』という文章が挿入されていて、まさにアウトサイダーについての論文とも読めないことはない。コリン・ウィルソンはここから『アウトサイダー』という評論を書いたのだ、といってもいいのではないか。読み終わったら次に『デミアン』を読もうと思っている。
今朝からなんとなく心身がふわふわしていて、自分自身の影が薄くなっているような心持ちがしていた。午後は泌尿器科の定期検診予約日で、そのふわふわした状態で病院に行った。耐性菌の存在は相変わらずだが尿は異常なしで、このまま経過観察ということになった。泌尿器科は午後二時から検診なのだが、いつも始まるのが三十分から一時間遅れる。今日も同様。おかけで持参したヘミングウェイの短編集を読み進めることが出来た。
読んでいるのは『ヘミングウェイ全短編』全三巻の第二巻で、ここには『勝者に報酬はない』という短編集と、他に中編が三編収められている。最後の『キリマンジャロの雪』が読みたくて読み進めてきたが、全体の三分の二を占める短編集『勝者に報酬はない』の部分を読み終えることが出来た。ここには短編中編が十四編収められている。
この中の『死者の博物誌』は、ノーマン・メイラーやアンブローズ・ビアスなどのアメリカの作家たちとおなじ香りがした。同じような味わいの作品が他にもいくつかある。即物的ではあるが、個人の気持ちなどではどうにもならない現実のリアルさが強烈にこちらに迫ってくる。それとは別に、ただ会話が交わされるだけで、特に物語の展開もない短編などもあるのだが、それがどんどん読み進められてしまうのが不思議な気持ちがする。ヘミングウェイとは相性がよいようだ。読んでいるうちに次第にふわふわした心身が少ししゃっきりした。
風の音で目が覚めた。今朝は晴れているが風が強い。すくすくと伸びた大根の茎が風で大きく揺れている。花が次々に咲いているが、かわいそうにその花びらが吹き飛ばされそうだ。
気が多いからいろいろなことをしては中途半端になっていて、特に読みかけの本がどんどん増えて収拾がつかなくなっている。岩波文庫版の『寺田寅彦随筆集』は全五巻あって、いまはその第三巻を読んでいるのだが、その中の五十ページあまりの『連歌雑俎』がデッドロックになって先へ進めなくなっていた。読みたくなければ読まなければよいのだが、興味がないわけではない話なのでしがみつき、ようやく乗り切った。連歌というものを詠む、高いレベルの知性と教養、想像力、連想力にはあこがれるが、それ以前にそれを理解するための基本が自分にないことが哀しい。
その少し後の『読書今昔』は、寺田寅彦が読書について思いつくままに書いた文章で、読書が趣味のわたしとしては読んでいていろいろ思うところもあり、楽しかった。 その中に先哲の金言として、敬愛する物理学の先輩が座右に置いていた言葉、「少なく読み、多く考えよ」について寺田寅彦が考えたことが記されている。他のところには、「多読は頭をからっぽにする」などと言う言葉も引かれている。たくさん読んだことは手柄にはならない。読んだことを考える、そうして読んだものをわずかでもよいから自分のものにする、ということをしなければ「からっぽ」なのだ。そもそも次々に考えることが湧かないようでは読むよろこびも少ない。
寺田寅彦の実感であり実践していたことであろう、「ある分野について集中的に読む」、そして「それに興味が失せたら途中でもいったん打ち切り、別のものに移る」という読み方で好いのだ、そうして読んできたという。当然読みかけの山が出来るだろうが、たぶん興味はまたその読みかけに戻るものだ。
次回はその読みかけの本のことをもう少し書いておきたい。
Eテレの番組に『百分de名著』という番組があり、一回二十五分、四回(ほぼ一ヶ月)で一冊の本を読んでいくというものである。小泉八雲の『日本の面影』 やカール・ヤスパースの『哲学入門』など、気に入ったものをいくつか見てきた。『日本の面影』は、実際に解説の池田雅之が抄訳したものを手に入れて読んだ。ヤスパースの『哲学入門』は大学生の時に読んだが、入門のはずがその時の私の知力では書いていることが理解できなかった。
哲学については以前にも書いたけれど、高校生の時にはじめて挑戦したのがデンマークの哲学詩人キルケゴールで、以来六十年ほど着いたり離れたりしながらその周りを回ってものを考えてきたし、影響も受けてきた。キルケゴールは実存主義哲学の祖の一人で、ヤスパースはその系譜を受けているとも言われる。おなじドイツの実存哲学者とされるハイデッガーがナチスのシンパであったのと異なり、ヤスパースは妻がユダヤ人であったこともあって反ナチスだった。戦後、どうしてドイツがあのような戦争へ突き進んでしまったのか、戦中戦後自らが思索してたどりついた考えをドイツ国民に語りかけたのがこの『哲学入門』であった。いま読み直したらもう少し何かがわかるだろうか。
そうして今回は『絵本』である。いつもと違って各回一冊ずつ違う絵本を取り上げて解説していくようだ。第一回は『百万回生きたねこ』(佐野洋子著)という本で、解説は宮崎哲弥(久しぶりに見た)、朗読は私のあこがれのマドンナ多部未華子である。この絵本の物語がこれほど奥深いものだとは知らなかった。内容が素晴らしいし、それを読み解く宮崎哲弥の知性に敬服した。たぶん著者以上に奥深い解釈をしているのではないか。
百万回生きたねこは、もちろん百万回死んだのである。そして百万と一回目にある白猫に出会う。その白猫に自分が百万回生きたこと、そこで体験したことなどを自慢して気を引こうとする。しかし白猫は少しも心を動かすことなく「そう」、とだけ素っ気なく答える。この「そう」、を多部未華子がどう読むか、私は息を呑んで待った。そしてその読みに震えた。これ以外あり得ない素晴らしい「そう」だった。彼女は天才だと思った。そうしたら、聞き手の伊集院光が心から、朗読の「そう」が素晴らしい、と感に堪えたように言った。宮崎哲弥も深く頷いていた。わかる人にはわかるのだと思った。
次回はダビデ・カリ他著の『だれのせい?』、解説はヤマザキマリである。楽しみだ。
今朝は雨。昨夕出すつもりで忘れていたゴミを朝、出しに行ったら冷たい雨が降っていた。今晩は皆既月蝕だが、終日雨らしい。前回(2022年11月)は最初から最後まで見て堪能したけれど、今回は残念ながら見ることは出来ないようだ。
昨晩は、休酒明けにビールと燗酒を飲んだ。つまみはマイタケのマヨネーズ焼き、生食用のゆでたバナメイ海老、群馬の友人が送ってくれた地元の名品の詰め合わせから択んだものなどをならべた。それで少し余分に飲むつもりが、いつもの晩酌程度で妙に深く酔ってしまい、しかも途中で足がつったりしたのでそこで打ち止めにした。足がつるときに飲む漢方薬を飲んだのに、夜明けには左腿の裏がつりかけて一度目が覚めたが、無視して眠った。足がつるのは精神的なものもあるような気がする。気合いで止められることもあるからだ。
イランは反撃を開始したようだ。トランプはホメイニを殺せばベネズエラのように大きな混乱なしに手打ちに至ると考えていたのではないか、と専門家が解説していた。イランはベネズエラよりもずっと大きくて強い国である。トランプの思惑は楽観に過ぎるということか。甘く見すぎていたのか思惑どおりかは、トランプの言うこの四週間、今月中に答えが出るだろう。どこまでイランが戦い続けられるかどうかということだ。
イランはイスラエルやアメリカに打ち負かされないようにするためには核を持つしかないと考えていたのだろう。核を持っていれば北朝鮮のように攻撃されることはない。それを世界の国々が見ている。国という枠組みを無視して、大国が、攻撃されているわけでもないのに、気に入らないからと他国を攻撃するということが許されるのなら、北朝鮮のように核を持たなければならないと、多くの国が学んだだろう。核を持たなければ大国の言いなりにするしかなく、いつ攻撃されるかわからないのである。いまもっとも核が欲しいのはウクライナであり、キューバであり、台湾ではないか。ヨーロッパの核保有国も核の増産をするらしい。日本も持てたら持ちたいと思うだろうが、中国が、そして何よりアメリカが許さないだろう。もっとも核の増産に狂奔している中国が公然とそう言っている。
本日は糖尿病の定期検診日。朝一番でいってならんだ。早く血液検査と検尿をすませれば早く結果が出て(1~1.5時間)、予約時間に遅れずに検診を受けられる。私の糖尿病の主治医は月曜のみ派遣されてくる医師なので、先週が祭日だったせいもあり今日は大混雑。それでも早くならんだおかげでそれほど遅れずにクール美人の女医先生の診察を受けることが出来た。前回前々回とほぼ血糖値はおなじくらい、「出来ればもう少し低いといいのですけど・・・。体重が少し増えていますね?」「まあこんなものでしょうか。ところで眼科の診察をしばらく受けていないようなので、受けるように」と指示された。年度が替わるので来月から医師も替わるらしい。なじんできたところなので残念だ。次も女医さんだと好いのだが・・・。
なんだか右目がゴミが入ったようにゴロゴロしていたところで、しかも少し視界が霞んでいた。いわれなくても診察を受けるつもりでいた。眼科は比較的に当日受付でも待たされないのがありがたい。一時間ほど待たされたところで、まず肝心の眼圧検査と視力検査を行う。さらに眼内の写真を撮り、さらにしばらく待たされ、医師の詳しい検査を受けた。「眼底には問題なし、眼にアレルギー症状が見られます、花粉症によるもののようです、目薬を処方しましょう」。とのことであった。「もう少しこまめに経過観察を受けてください」、といわれる。さらに「右目に軽い後発性白内障の症状があるようなので、ひどく霞むようになったら必ず来てください」とのことであった。
さらに処方薬を受け取る薬局は座る席がないほどの満杯で、ここでも待たされた。おかげで帰宅したのは一時過ぎとなった。空腹時血糖も調べるから、昨晩は早めに軽く食べただけで、今朝は絶食している。腹ぺこである。簡単に食べられるものを作って腹を満たし、夕食用の買い出しに行く。今晩は約一週間の休酒の解禁なのである。
ところでいま病院では最初に番号札をもらい、名前を呼ばずに番号で呼ばれるようになった。いまは何でもプライバシー保護だから、名前を呼ばれるのを嫌がる人がいたのかもしれない。それにしても以前から名前で呼ばれてもなかなか答えない人がいたものだが、番号になったらさらに答えがないことが増えたようだ。この病院では内科だけでも診察室が五つほどあるが、看護婦が何度も大きな声で呼びかけ、返事がないからしまいには名前を呼ぶ。声もだんだん大きくなる。あちらでもこちらでも呼ぶ。そうするとはじめて気がついたように返事があったり、全く返事のないままであることもある。予約時間が近づいたら、自分が呼ばれるかもしれないと思わないのだろうか。私など本に夢中になるとなにも聞こえなくなる方なので、予約時間が近くなれば本を閉じて耳をすましているのだが。
寝室にしている北側の部屋はすぐ近くのスーパーの常夜灯の光が差し込む。夜が明けたら必ず起きるためにカーテンは引かない。夜中の三時過ぎに目が覚めてしまった。その薄明かりでベッドの横の本棚の本がならんでいるのが見える。書名まではわからない。そのならんでいる本たちが異様に大きく見えてこちらに迫ってくるような心地がした。いつもはフレンドリーな本たちがよそよそしい異物に見えた。
このところドラマ三昧で本があまり読めていない。昨日もスウェーデンのミステリードラマ『凍てつく楽園』のシリーズ、23話~25話を一気見してしまった。一話が一時間半の完結だからけっこうな時間がとられてしまう。主人公のノラ・リンデ(アレクサンドラ・ラパポルト)は私には美人に見えないけれど、ずいぶん長い付き合いなので、いまは親しみと魅力を感じる。サンドハムン島という風光明媚な島が舞台で、移動は自前のモーターボートである。それぞれのドラマにはハッキリとした違うテーマがあって、たいへん出来がよい。登場人物の人間関係も、いまは知り合いのようにリアルにイメージされている。
第25話の犯人の、愚かであることがいくら当人に悪意がそれほどないにしてもどれほど残酷な結果を生むのか、その恐ろしさを感じさせた。このドラマでは実際には警察と主人公のおかげで最悪には至らずに収まるけど、現実はそううまくいかないこともあるだろう。ところでこのノラ・リンデ役の女優は、同じくスウェーデンのドラマ『刑事ヴェロニカ』全8話でも主役を演じている。昨日一挙放映されたので録画した。いいかげんにしないと本が読めないが、何しろおもしろいのだからしかたがない。
人類は地球の長い歴史の中で生み出してきた資源を爆食し、濫費している。化石燃料、特に石油は何千万年何億年もかけてつくられたものを、たった百年乃至二百年で使い尽くしかけている。人間の営みなど地球全体に比べればささやかなもので、その影響などわずかなものだと思われてきたけれど、気がつけばすでに取り返しがつかないほど大きな影響を与える状態になってしまった。
思えば二十世紀に入って、遅速の違いはあるものの、人類がここまで豊かになった一番の要因は石油だった。石油が安く手に入ることによって根幹となるエネルギーが自由に使えるようになったことが今日の人類の繁栄をもたらしたといえる。その石油は二度とつくられることはない。ある時期の地球だから石油がつくられた。現在の地球には何万年かけたとしても石油をつくる力はないのである。植物は石油になる前に微生物によって分解されてしまう。石油はまだそういう微生物が存在しない時代だったからつくられた人類へのプレゼントだった。
その枯渇を少しでも先延ばししようとSDGsという提唱がなされている。資源を少しでもムダにしない生活をすることで地球温暖化対策にも寄与しようという。化石燃料によるエネルギーを減らし、再生エネルギーを使おう、という提唱である。無意味ではないが、その効果はあまり期待できないだろう。なにより得た豊かさを維持しようとする者たち、遅れてきた、これから豊かになろうという者たちがひしめいていて、どうして自分がそんな不自由をしなければならないのか、と思っているからだ。
すでに人類は限界を迎えつつあるのではないか。わかる人にはそのことが歴然と見えている。
オフグリッドという生き方が、たぶんその危地を脱する方策として有効だろう。グリッドとはインフラという網の目の中で生きている生活であり、そこから自立することである。つまり自給自足である。いつかはそれがみんなに強いられる時代がやってくる。それを先取りしていくということである。そうしてそれに耐えられた人間だけが生きのびるだろう。もちろん現在の八十億の人間がすべてオフグリッドで暮らすことなど不可能である。そのための見えざる神の手が少子化なのであろう。『マッドマックス』の世界が現実にやってくる。
アメリカとイスラエルがイランに対して本格的な軍事攻撃を開始した。アメリカはホメイニ師を殺害したと報じているが、今のところイランは否定しているようだ。イランはホルムズ海峡の封鎖を実施するという。その影響が世界に及ぶのは必至だ。日本は特に天然ガスの供給をこのホルムズ海峡を経由するものに多くをあおいでいるとニュースで報じられていた。備蓄はあるだろうがどのくらいもつのだろうか。
この攻撃がどのくらいの期間続くのか、それはアメリカがこの攻撃の目的を何に置いているかにかかっている。さすがにイランに地上部隊を送り込んでイランを支配するということまではしないだろうし、できないだろう。いまのホメイニ体制を転覆し、アメリカによる傀儡政権を打ち立てるといういつものパターンを夢見ているのかもしれない。それにどのぐらいの時間がかかるか、イランの中にそういう変革を担う組織的人材があるのかどうか。まさかパーレビの息子などをトップに置くなどという愚策を採ることはなければよいが。
アメリカが過去関与して成功した事例があるのだろうか。すぐ思い出すのは、南ベトナムであり、アフガニスタンであり、イラクであろう。アメリカが関与した国が思惑どおりに維持された国が思い当たらない。イランにしても実はそうだった。アメリカは失敗してイランから追い出されたのである。その恨みはアメリカにあって、その恨みが今回のイランに対する攻撃の正当性主張に繋がっているように私には思える。その恨みとは利権を失ったという恨みである。思えばキューバについても革命政府によって利権を失った恨みが根底にある。次はキューバ、とトランプ政権は思っているだろう。アメリカの恨みとは、損をさせられた、という恨みである。関税を武器に世界経済を混乱させているのも、この損得が根底にあることをトランプは公言しているではないか。
こうして次々に混乱を生み出し、不安定化させ、挙げ句の果てにアメリカには何も得るものがない。イランもおなじではないか。
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