山で暮らせない
むかし、リタイアしたら田舎の独り暮らしをしてみたいと思った。できれば回りとのややこしい付き合いがない暮らしであればなおさらありがたいと思った。しかし田舎ほど回りとの関係が濃厚であることがわかるにつれて、田舎暮らしについての思いも冷めた。付き合いがないといえば山の独り暮らしということになるし、そういう生活力はない。おまけに山で独り暮らしをするのは夜が怖い。昼間はどうということはなくても、夜になれば闇は物理的な圧力になって迫ってくるのではないかと想像する。想像力が人一倍大きいのでその想像力に押しつぶされてしまうのだ。つまり怖がりなのである。
それにしても一人で山に入って一人でキャンプする、などと想像すると、それを楽しむより夜の闇を想像してしまう。女性でも単独キャンプをする人がいるようで、敬服する。夜、旅先でお酒を飲んで町外れの神社に入ったことがある。鳥居の外にはまだ街の灯があったけれど、中に入れば鬱蒼とした大木の参道があり、闇ばかりであった。しんしんとした闇と、かすかに何かのもの音がするばかり。意地になってしばらく闇の中にいたけれど、ああいうところでキャンプをしたいとは思わない。
同じような経験として、車で夜中に伊豆の山越えをしたことがある。峠を越えて広いところへでたところで車を止めてライトを消し、闇の中に出てしばらく星を見ていた。シーンという、音のない音が聞こえてくる気がした。あのときの闇の気配というのは忘れられない。同様の、真夜中の闇の中で闇を見つめる、ということは何度か経験した。切り上げることができる状態での闇の中である。永続的な闇を見つめる山の独り暮らしが自分に出来る気がしない。
いまはマンションでの独り暮らしだが、それは見えないけれども前後左右上下に人がいる賑やかな空間にいるということでもあるからどうということはない。そういう意味で自分は都会暮らしでしか生きられないのだと思ったりする。そういう違いはどうして生ずるのだろうか。梨木香歩の八ヶ岳の山荘の独り暮らしについてのエッセーを読みながらそんなことを思った。
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