劉義慶といえば
昨夕から晩にかけて雷雨だった。夕方になっても暑かったのが、一気に気温が下がって肌寒いくらいになった。当地の今日は、昨日よりもさらに高く、29℃になると朝の天気予報で報じていて、しかも夕方にはまた雷雨の可能性があるという。数日前に今年はじめて蚊が飛んでいるのを見た。まだよたよたしていたけれど、それでも叩き潰すことができなかった。頭では素早く動いているつもりでも、身体はそのように動かない。我が家は五階なので、そこまで上がってくるのは時間がかかるようだ。そういえばエレベーターの中で蚊を見たことがあったから、彼らも賢く人間の文明の利器を利用して我が家へやってきているのかもしれない。
読書欲というのが私にはある。その読書欲が低下すれば本を読む気にならないのは自然のことだが、昂進しすぎても、あれもこれもと引っ張り出して読み散らして収拾がつかなくなり、結果的に本が読めなくなる。そのバランスが肝心で、このところようやくマイペースで本が読めている。
いまは五六冊の本を並行して読み進めているところだが、その一冊の『幽明録』という幽霊話の本の著者が、劉義慶であることに今頃気がついた。劉義慶といえばあの『世説新語』の著者ではないか。毛色の全く違う本だが、そういうものなのかもしれない。そういうもの、というのは、知に働き過ぎたら少し娯楽的なものを書きたくなる、ということだ。『世説新語』といえば井波律子(中国文学者)で、彼女の本にはじめて出会ったのは『中国的レトリックの伝統』というおもしろい本で、その本こそ『世説新語』をもとに語られた本なのである。以来彼女の本を本屋で見つければ購入して、たくさんの本が本棚に並んでいる。彼女の翻訳した『世説新語』全五冊もあるし、『水滸伝』全五冊や『三国志演義』全四冊もある。彼女の随筆も何冊かあるが、女性らしい視点で書かれていて好感の持てるものである。つい彼女の本も棚から引き出しそうになったが、また収拾がつかなくなるので我慢した。
早めに眠くなったので寝床に入ったのに、横になったら眠れない。つい枕元に置いてある張岱の『陶庵夢憶』を開いて最初から読み始めてしまった。読むのは四回目か五回目だが、最初はほとんど読みこなせておらず、読んだうちに入らない。私は本に書き込みをしないのだが、この本には自分で辞書を引いて調べたことが書き込んである。そこまですることはほとんどない。それほど好きな本で、離れ小島に持参する本を選ぶならこの本は欠かせない。この本は理由があってもう一冊持っているが、読むのは少しヨレヨレになった書き込みのあるほうばかりである。
読めない漢字がまだたくさんあるが、そんなことを細かく気にしているとこういう本は読めない。おぼろげに意味がわかればなんとかなる。そして何度も読んでいるうちにおもしろくなってくる。そういう本は友達と同じで、そんなにたくさんあったらたいへんだけれど、大事にしたいものなのだ。
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