『ブレードランナー2』
映画『ブレードランナー』はアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としている。ディックの小説を原作とした映画は数多く作られており、『トータル・リコール』や『マイノリティ・リポート』などがたちまち思いだされる。直接的な原作ではなくても、影響を受けて作られたと思われる作品はさらに多い。ところで映画『ブレードランナー』の続編として、『ブレードランナー2049』という映画が作られているが、これはディックの小説とは関係がない。
というところまでが前置きで、『ブレードランナー2』というSF小説を読んだ。書いたのはK・W・ジーターというアメリカの作家である。映画『ブレードランナー』の設定をそのまま使って後日談を書いている。そこにあるのはレイチェルとデッカードの運命であり、人間とレプリカントの違いとは何かをとことん問い詰めている。『ブレードランナー』ではレプリカントを見極めるための装置がとても奇妙であり、発する質問も突拍子もないものだったことを覚えているだろう。そんなものでしか区別ができないということは、そもそも区別がつくものなのかどうか、という究極の疑問に突き当たる。
そもそも自分が人間かレプリカントか、実はわからないのだ、という悪夢の世界、そもそもブレードランナー自体がレプリカントなのかもしれないという疑問まで生じてしまうのだ。
『ブレードランナー』のラストではデッカードとレイチェルが逃避行をするところで終わっているが、この小説ではそのレイチェルにレプリカントとしての死が迫っているところから始まる。彼らが潜み隠れる山中の山小屋にやってきたのはレイチェルのもともとのモデルであり、タイレル社を継ぐ女性だった。彼女はデッカードが倒した五人のレプリカントのほかに六人目がいると告げる。そしてその六人目を倒したらレイチェルを救うことができると告げる。こうしてデッカードのブレードランナー復活の旅が始まる。
映画のイメージに助けられるので、映像的に物語を読み進めることができるのだが、ディックのスタイルを踏襲しようとしながらまるで違うものになっているように感じられた。そもそもディックを模倣することは不可能なのだと思う。ラストも今ひとつ納得しにくい。不完全燃焼であった。
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