証言者・開高健
味覚が最も鋭敏なのは子ども時代で、二十歳前からその味覚はだんだん鈍磨していくのだそうである。確かに子ども時代、九十九里浜に近いところで生まれ育ったので、地引き網で獲れた小魚、イワシやアジを棒手振りのおばさんおじさんが売りに来るのを、母がさまざまに料理してくれて、そのおいしさの記憶は忘れられない。だからいまだに大きな魚の刺身よりもアジやイワシ、サバのほうがおいしいと思う。その刷りこまれた記憶でいまもさかなの味を味わっている気がする。
先日の藤竜也が魯山人を演じたドラマが大変おもしろかった。魯山人はその子ども時代の鋭敏な味覚が鈍磨しなかった希有な人で、それが食に対する極端なこだわりにつながっていたのだと思う。それに引き換え、粗雑な味覚の私ではあるが、代わりに何を食べても大概のものがおいしく食べられるという幸せを両親からもらった。食に関する本はずいぶん読んだし、作家の中にはその食にこだわりを持つ人が多い。繊細な味覚にこだわる人と健啖家であることとはずいぶん違うが、私は健啖家の食の話の方が好きである。
その一人がわたしの好きな開高健で、食に関する話をたくさん書いている。私がはじめて読んだ彼の作品は『パニック』という短編だが、その面白さに感激した。次に読んだのが『日本三文オペラ』で、ここに書かれた朝鮮の臓物料理、いわゆるホルモン料理の描写は垂涎ものであった。後に大学生になって実際にホルモン料理を食べたときには想像通りで感激的においしく感じた。
そんなことを思って開高健の本が並ぶ棚を眺めて見れば、『開高健全ノンフィクション』の第四巻『孔雀の舌』や『最後の晩餐』という、食べることに関することだけが書かれた本が目につく。それを読もうと思いながら、つい隣の『言葉ある曠野』(『開高健全ノンフィクション』の第五巻)がまだ読みかけだったことを思い出してそちらを引っ張り出した。
今回読んだこの中の、『証言する』という文章は、永井荷風作と言われる『四畳半襖の下張』を掲載した雑誌が発禁本扱いされたことに対する裁判での証言記録である。正式の弁護人、そして特別弁護人・丸谷才一とのやりとりは、赤裸々でありながら、開高健の人間の本性についての分厚くて熱い思いが沸騰していて引き込まれた。それを開高健の作品を取り上げながら引き出していく丸谷才一の手腕、理路の展開にも感心した。世の中にはおもしろい本がたくさんある。
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