豊かさについて
自分なりに豊かさについての考えがないではないが、ここで豊かさとは何か、などと大上段に論じるつもりもないし、たいした豊かな経験があるわけでもない。前回紹介した『東京夢華録』を読み進めていたら、当時(北宋時代)の汴京(現在の開封)の食べ物の記述があって、その食材や料理の種類の豊富さにいまさらながら驚嘆し、どんな食べ物かよくわからないなりに垂涎あたわざる思いがした。庶民の生活がいまと比べて豊かだったかどうかは別にして、食べ物に関してだけは豊かだったようだと実感した。
中国には仕事も含めてけっこう行った。北京ダックや上海蟹などの高級なものから庶民が家族連れで出入りする食堂の料理まで、滞在すれば必ず食事はするからずいぶんさまざまな食事をした。そうしてよほどのことがなければ、だいたいおいしかった思い出ばかりだ。食べ物についてははじめて食べるものであっても、地元の人も食べないような極端にゲテモノでなければ何でも食べられる。サソリでもラクダでも名も知らぬ虫でも、出されればみな食べた。香草類もパクチーをはじめ、すべて平気である。
中国の料理や食材について書かれた本を何冊か持っている。棚にあるのを拾い出してみれば、青木正児『中華名物考』(料理については一部分のみ)、同じく青木正児『華国風味』(これはすべて食材と食材について考察したもの)、中村喬編訳『中国の食譜』(古い中国の料理書を整理解説したもの)、日野みどり『菜遊記』(広東の食漫遊記)、加藤千洋『中国食紀行』(食を通して中国を語る本)などがあった。ほかに奥野信太郎の随筆集には中国の料理、それもかなりディープな話が満載だし、私の常に座右に置いている張岱の『陶庵夢億』にもお茶や料理についての記述がけっこうある。
そういうものを、ああだろうかこうだろうかと空想して楽しんでいるのに、実際の自分の食生活を顧みれば、その単調さ、お粗末さに忸怩たる思いがするのである。豊かさということについ思いが至るというのはそういうことである。ただ、いいわけすれば糖尿病を持病としている身としては、料理にこだわればそれだけ寿命を縮めることにつながるわけで、空想のみをたのしみ、現実は粗食で暮らさざるを得ない。粗食でもそれなりにおいしく食べられているから不幸せというほどではないけれど・・・。
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おはようございます
意外な話ですが、中国では唐の時代までは刺身を食べていたそうですね。ただ、食べていたのは海より川の魚だったそうですが。
次の宋時代に石炭が使えるようになってから廃れたそうで、これは陳舜臣さんの本に書いてありました。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2026年5月 3日 (日) 07時08分
shinzei様
それより前には豚肉も生で食べていたようですね。
それぞれ生食による食中毒などでそういう食べ方をしなくなったのだろうと思われます。
投稿: OKCHAN | 2026年5月 3日 (日) 08時27分
こんにちは
そういえば『史記』の鴻門の会の件で樊噲が豚の生肉を食べていました。漢時代でも豚の生肉に様々な野菜や香辛料を加えて食べていたそうです。
だとしたら昔の中国の人たちは慢性的な寄生虫に悩まされていたでしょうね・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2026年5月 3日 (日) 15時38分
shinzei様
細菌の知識はもちろんありませんし、衛生観念もあまりなかったでしょうね。
投稿: OKCHAN | 2026年5月 3日 (日) 18時21分