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2026年6月

2026年6月30日 (火)

鶴舞公園

午前中ぼんやりしていたら、少しは歩かなければ、と思ったので、昼過ぎに散歩がてら名古屋の鶴舞公園まで出かけることにした。最寄りの駅から名鉄電車で三十分でいける。他にも目的がある。

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鶴舞公園は「つるまこうえん」と読む。これが慣用読みだから仕方がない。ただし駅は「つるまいえき」である。ここは桜の名所でもある。現役時代には何度か友人たちと夜桜を見物に来た。

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花がいろいろ咲いていた。

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噴水もある。

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花の中でトゥーシューズを直す女性。

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スレンダーな裸の少女もいた。

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バラの好い香りがした。

日の照る日盛りだったので汗が噴き出して汗みずくになった。

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木陰に入ると風が吹き抜けて涼しい。

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ベンチに座っていたら足元に鳩が寄ってきた。ぜんぜん人を恐れない。雀まで寄ってきたけれど、撮ったらブレてしまった。

鶴舞には古書店が何軒かある。公園散策と、古書店を見に行くことが今回の目的だった。箱入りの全集の端本、『明治短編集』と『大正短編集』の二冊を購入。状態は良好。一冊五百円。

他に露伴全集の六巻本があったけれど、持ちきれないし、買うかどうか迷ったのでやめておいた。しかし帰ってからどうも気持ちが治まらない。明日、我慢できずに買いに行くかもしれない。

『百億の昼と千億の夜』

 サッカーは残念な結果だったようだ。スポーツ全般にそこまで熱心になれないので、リアルタイムで見ることもなかった。今日はテレビはその話で終始するのだろうなあ。名古屋はもうすぐアジア大会が開催されるらしい。今度はそれでまたスポーツの話が盛りだくさんになるだろう。名古屋市内に出かけるのもちょっと億劫になる。混雑は嫌いである。

 

 さて旅の報告はまだもう少し残っているのだが、それは後にして、旅の最中に読んだ光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』について少し書こうと思う。このSF小説はSFマガジンに連載されて、夢中で読んだ。ずいぶん昔の話である。いまでも私のベストワン日本SF小説である。この小説を読んで世界観が変わった、というよりも、大げさではなく世界が広がった。時間、空間、宇宙、宗教、それらの認識がわたしの中で組み直された。

 

 連載終了後に単行本が出てまた読み直した。また感激した。その本は誰かに貸したらしく、その後見当たらなくなった。貸した本が返ってくるのはだいたい半分くらいだ。貸すときは差し上げるつもりにならないといけないと思うようになった。いまは貸すのは娘だけ、催促が出来るから。あとはもらってもらう。何年か後に読み直したくて文庫本を買った。いま手元にあるのはその本で、その本を十年ぶりぐらいに読み直した。四回目か五回目か。それでも忘れていたのか読み切れていなかったのか、はじめて読むようなシーンもある。忘れているのだろう。

 

 登場するキャラクターは、プラトン、シッタールタ、アシュラ、イエス、ミロク等々。それらが悠久の時を超えてさまざまに姿を変えて関係していく。スペースオペラ風の活劇もある。この宇宙を構成している根源は何か。われわれが認識できるこの宇宙の果てのその先、時空を超えたその外には何があるのか。文明はどうして滅びるのか、人類が繁栄の後に迎える滅びの世界を詩のように語りつないでいく。滅びの果てにほの見える果ての果てを見るのは誰か。

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 今回気がついたのは、このSF小説には究極のAIというものがほとんど出てこない。まだAIそのものがない時代に書かれたから仕方がない。いまなら滅びはAIが原因になるという物語になりそうだ。「正しい」ということをどう考えるのか、人によってちがう。AIもそうだろう。究極のAIが自ら「正しい」と考えるものに基づいて判断して行動をはじめたとき、人類が「正しい」存在として認められなければ、「正される」ことになる。人類が正しい行動をしていると、人類そのものがこの世界を見て、自信を持って言えるだろうか。

2026年6月29日 (月)

責任能力のない子供扱い

 振り込みをしなければならないものがあり、土曜日に銀行の自動預け払い機で振り込み手続きをしようとしたら、お取り扱いできません、窓口で振り込み手続きをしてください、と表示が出て受け付けてくれない。以前にも振り込んだことのある先で、どうして出来ないのかわからないが、機械相手では文句のいいようもない。金額は十数万で、それほどの大金というわけでもない。

 

 今朝、雑用を済ませたあと、銀行の窓口に行った。通帳から振り込みを依頼したら、通帳に登録してある印鑑を持ってきましたか、といわれる。持参していない。それでは振り込みは出来ません、といわれる。唖然とする。土曜日の話をすると、ある年齢からは金額の多寡にかかわらず自動振り込みそのものが出来ないようになったのだという。唖然とする。仕方がないから自動預け払い機で現金を下ろし、その現金を振り込んでもらうように手続きをした。まず振込依頼書を書く。もう一枚なんだか似たような書類を書かされ、振り込み理由として、どんな目的かを詳しく書くように指示される。さらに本人確認のためとして免許証を提示してコピーを取られた。なんなんだこれは。

 

 窓口の女性は恐縮して、振り込め詐欺があまりに多いのでこんなことになってしまって・・・と言った。しばらく待たされた後にようやく振り込みが完了した。

 

 いつからか知らないが、当事者には知らせずに後期高齢者は自動振り込みが出来ない仕組みになったらしい。これはこの銀行だけのことかどうかは知らない。それにしても後期高齢者は責任能力のない子供扱いということらしい。世の中から退場しろといわれているような、いや、もう退場しつつある、と見なされているような感じがした。だます悪者とコロリとだまされる愚か者と、そのとばっちりで社会的に不便を強いられる者、全く世の中安全安心で快適になったものだ。

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壊れているか壊れかけているから責任能力がない。

ちょっと立ち寄る

国道140号線で甲斐国から秩父を越えて北関東へ走った。

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途中こんなものが目にとまった。

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武田信玄が連絡用に築いた狼煙台を復元したものらしい。情報のスピードが重要であることは、昔も今も変わりがない。

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地図を見て立ち寄った川浦口留番所。右手の山のなかの道からこの川浦へ降りてくる旅人をここでチェックした場所らしい。いま駐車場から撮っているが、ここへ入れるのがとても難しい。バックに自信のない人はやめておいた方がよい。

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甲斐と秩父を結ぶ街道を取り締まる場所だったようだ。

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全体はこんな感じ。

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なかには役人が控えている。ガラス越しなので、写真を撮っている私が映り込んでいた。

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番所の裏手にこんな観音様の石像があった。昔からあったのか、あとで置いたものか。

このまま笛吹川に沿って峠を越える。どんどん山が深くなっていく。

2026年6月28日 (日)

訃報

美輪明宏が亡くなったという。むかしは丸山明宏として歌を聴いたりしていたから、美輪明宏という名前になったときには違和感があった。実際に会って話をしたことがある。

得意先の何十周年かのパーティに来ていた。その会社は子会社にスタジオを持っていて、その縁でよばれたということだった。目の前で生で歌を聴いたが、すごい迫力だった。わたしがその会社の社長だか専務だかに挨拶しているときに寄ってきて、言葉をかけられた。何を話したのか忘れたけれど、ほのかにいい匂いがしたことだけ記憶に残っている。人にはオーラというのがあるのだというのをたしかに感じた。

ずいぶん長生きをした。自分でも意外だったのではないか。もともと幽明の境に住んでいるようなところがあったから、踏み越えるのも軽々と、ではなかったか。

柳川と八戸

昨晩のブラタモリは九州の柳川だった。柳川には2023年の晩秋に二泊してじっくりと街を歩いた。あの水路も舟で一時間ほどかけて巡った。北原白秋の生家も訪ねた。ウナギも食べた。懐かしい。

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ウナギを食べながら水路を見下ろす。ときどき舟が通る。

昨年に続いての八戸の地震は心配だ。今朝も揺れたらしい。昨年、二回目の八戸へ行ったが、そのすぐあとに昨年の地震だった。

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国宝の合掌土偶は大丈夫だったという。そのほかの土器に被害はなかっただろうか。

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これも八戸。海岸の遺跡。

そういえば富士五湖を震源とする大きな地震もあった。その直前に石和温泉に泊まっていた。遭遇すればずいぶん揺れて心細かっただろう。日本はどこにいても地震に遭遇する可能性があるのだと改めて感じている。

2026年6月27日 (土)

土偶

迷惑メールがまだ来るので、パスワードを変えたのにどうしてなのかと思ったら、自分の勘違いに気がついた。メールアドレスは変わらないのだから、そのアドレスがわかっている誰かには相変わらずわたしに迷惑メールを送ることが可能なのだ。今回の問題はメールを通して個人情報が漏れている、ということで、何が漏れているのかは被害が明らかにならない限りわからない、ということなのだろう。だとしたら、パスワードを使っている他のさまざまなもののパスワードも変える方がいいということかもしれない。有料の対策ソフトを使っているので大丈夫だとは思うが、パスワード変更など、安全のために出来るだけのことをしようか。本当に面倒なことだ。

前回は縄文土器の素晴らしさを見ていただいたが(興味のない人にはちっとも素晴らしくないかもしれないが)今回はわたしの好きな土偶を見てもらう。Dsc_5623_20260627133001

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なかなか好いでしょう。見飽きません。

ところで今日は朝からずっと本降りの雨。洗濯もしたいし、買い物もしたいし、ちょっとした用事で出かけたいのだけれど、洗濯はともかく(部屋干しにした)傘を差してまでは出かける気にならない。

録りためたドラマやドキュメント、お勉強の番組をぼんやり見て無為に過ごしている。これが何よりの休養である。体重が増えている。少しウエイトコントロールをしなければ。体重が重いと動作全体が鈍重になって、我ながら情けないほど見苦しい。

質感

昨日は雨中群馬県の四万温泉から八ッ場ダムの前を通って一面のキャベツ畑の広がる嬬恋を抜け、鳥井峠を越えて菅平口を左折して山を一気に下り、上田菅平インターで上信越道に乗って帰路についた。とにかくトラックが多く、雨なので慎重に運転する。異常に遅いトラックもいて、多少いらつく。なかには後ろから煽ってくるトラックもいる。前が詰まっているのがわかっているのにそんなことをするのはイライラを解消するために遊んでいるのだろう。岡谷ジャンクション周辺の工事で大渋滞。通過に70分とか90分とか看板が出ていたが、さいわいそこまではひどくなかった。ここの工事は何年もやっている気がする。いつまでこんなことをしているのだろう。みなイライラするから通過後にスピードを出す。間接的に事故の原因になっているのではないかと思う。

とにかく無事帰着することが出来てほっとした。名古屋も本降りの雨。荷物が多いから傘を差していても駐車場からマンションまでにかなりぬれてしまった。

さて、話は山梨県立博物館に戻る。

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状態のよい、しかも大型の縄文土器がたくさんあって、興奮する。土器の手触りを経験させてくれるコーナーがあって、縄文土器のかけらや弥生式の土器、古墳時代のもの、平安時代や鎌倉時代のものなどをさわり比べることが出来た。ざらつき、厚み、温かさ冷たさなどを感じることが出来た。

今回は全体ではなく、土器の文様の美しさを部分的に写して感じてもらおうと思う。

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素晴らしいと思う。

2026年6月26日 (金)

少し後戻りして

四尾連湖を見た後、石和温泉に泊まった。石和温泉に泊まったのははじめてである。宿がたくさんある。外観はホテルだけれど部屋は和室。ベッドではないので寝起きがいささかつらい。食事の量は控えめだが、私にはちょうどいい。美味しい。さらりとしたお湯。ただ風呂までが少し遠い。歳をとると文句が多くなる。

翌朝少し道を戻る。立ち寄りたかった山梨県博物館に行くのだ。昨日夜時間はあったが、休館日だったので日をあらためざるを得なかったのだ。

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博物館の駐車場の横の合歓の花がうつくしい。

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北陸でもよく見た。

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見えているのは八ヶ岳だと思う。

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山梨県博物館。

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ナウマン象の親子が出迎えてくれる。

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中はそれほど広くはないが、期待にたがわぬ素晴らしさであった。詳しいことは次回に報告する。旧石器時代、新石器時代、縄文時代、弥生から以後と幅広い年代の展示品があったが、縄文を見ていてたちまち二時間近く経ってしまって、ほかを見る余裕がなかった。

四尾連湖

時間があったので、身延から四尾連湖(しびれこ)を見に行くことにした。地図を眺めていて見つけたところで、そこには、明治時代には富士八湖の一つだった、とある。あまり大きな湖ではなさそうだが、山の上の神秘的な湖であろうと想像して向かったのだが・・・。想像以上に急勾配急カーブの道で登るに従って道も狭くなっていく。ほとんどすれ違う車もないのはありがたいことではあるが、誰も行かないところかもしれないと思いながら登った。

無人の駐車場には車のナンバーを袋に書き、料金を入れてここに投入せよ、などと書かれていて、その通りにした。なんとなくどこかで見ている気配を感じた。そこから湖まで坂道を下りていく。それほど遠くはない。

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途中で見たガクアジサイがみずみずしかった。

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おお、これが四尾連湖か。写真よりも実際はもう少し青みがかっている。

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だいたい想像していた感じだ。湖畔には宿が二件あり、それとは別にキャンプ場もある。だが誰も人を見ない。それが何より神秘的。

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なんとなく青さが感じられる方向を撮る。

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湖面に木々が映っている。

しばらくぼんやり眺めてから山を下った。

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今朝早くの宿前からの眺望。右の建物が公衆浴場。昨日は雲の中で見えなかった向こうの山が今日は見える。

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ただし、やや強めの雨が降っている。雨音で目が覚めた。

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本日(26日)自宅に帰る。昨日娘から電話があった。来週、夫婦で我が家に来るという。気をつけて帰ってね、といわれた。今回はなにも土産を買っていない。そう言ったら、いつももらうばかりだからいいよ、とのこと。雨だから無事に帰るように注意しよう。いまいる宿も山の上で、帰りは狭い道を下ることになる。

2026年6月25日 (木)

奥の院・恩親閣と展望台からの眺め

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奥の院の恩親閣山門。日蓮聖人が両親への恩を思う気持ちを建物にしたものらしい。

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ここも標高1153メートル。

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石碑の文字を眺めるとすべて南無妙法蓮華経。当たり前だけれど。

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仏様は何を考えているのだろう。

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展望台の方へ行ってみる。展望台は三カ所ある。

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振り返ると仏様の後ろ姿が見える。この方が神々しい。

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展望台から南アルプスの3000メートル級の山々を望む。一番右端の頭だけ見えるのが日本第二位の高さを誇る北岳。真ん中がたしか間ノ岳だと思う。

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右手奥の方に甲府盆地が望める。この日は曇っているのに何とか眺望がきいていた。

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展望台の横には、マムシに注意の立て札が・・・。

展望台からはもっといろいろな山々が見えたがこれまでとする。

この後山を降りて、次に地図で見つけた四尾連湖というところへ向かう。

奥の院へ

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身延山山頂・標高1153メートル。富士山は雲に隠れたり顔を見せたりした。

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富士川を見下ろす。

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下に見えるのは久遠寺。

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聖人お手植えの杉。本物なら鎌倉時代に植えられたということだから、八百年くらい経っているということだ。

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奥の院入り口。

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お聖人様がお出迎え。祈りによって蒙古襲来の国難から国を護ろうとしているのだ。

雨が降って今朝は寒い。いまいる宿は四万温泉でもどん詰まりの奥の奥で、別世界にいるようだ。風呂に手すりがないので掴まるところがなく、慎重に風呂に入らないといけない。滑って転んだりしたら思わぬ怪我をする。部屋に運んでくれる食事は悪くない。部屋にトイレはない。古い民宿に泊まっているというところか。連泊にしてよかった。疲れがほぐれていくし、雨だし、今日は一日ゴロゴロしているつもりである。

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昨夕到着したときの様子。左奥が宿。右の四阿は足湯。左手は共同風呂の入り口。

露天風呂が二カ所あり、一番下の川に近いところは急な石段を降りていかないといけないので私には無理。注意書きに、夜は足もとが暗くて転ぶ恐れがあり、しかも熊などの獣が出没するので入らないように、とある。熊が出るらしい。今回は山道を走っていて猿をあちこちで見たし、そういえばロープウエイでは若い鹿が歩いているのが見おろせた。

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今朝、部屋の窓から撮ったもの。実際はもっと暗い。道は狭い。

2026年6月24日 (水)

四万温泉

 四万温泉にいる。本日は榛名湖、そして八ッ場ダムなどを見学して早めに宿に入った。いささかくたびれたのでゆっくりするつもりである。心配していた天候はそこそこ良好に推移し、強い日差しの時間もあったが、気温が低めでしのぎやすかった。そのかわり風が強い。台風の影響がすでに出始めているのだろうか。

 

 Niftyのメール関連の情報が流出してしまったという。確認したら私のメールも該当するらしい。全く迷惑な話である。25日までにパスワードを更新するべし、といわれても、旅先なので、何をどこまでどうしたらいいのかがわかりにくい。説明が丁寧で、くどいほどなのに、結局理解力のないものが読むと迷うことわからないことだらけなのだ。うんざりする。とにかくやることはやった。これを機に迷惑メールの猛攻がなくなればありがたいのであるが。

本日の一枚

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八ッ場ダムを下から見上げたところ。

身延山ロープウエイ

昨晩はいい調子になっていささか飲み過ぎた。今朝は久しぶりの二日酔いである。割り勘を払ったけれど、ちゃんと足りていたのだろうか。

さて話は身延山ロープウエイに戻る。久遠寺の近くから奥の院まで、ロープウエイで登る。

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けっこうな急傾斜、高低差は関東一の763メートルを七分ほどで一気に登る。

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往復で1700円、歩いて登ると二時間半だそうである。二十分おきに出る。

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眼下には蛇行する富士川が見えている。

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奥之院駅に到着。

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展望台から富士山が見えた。もう少し雪があるともっと富士山らしいけれど曇っているのに見えたことを喜ばなければ。奥の院、そして方向違いの三カ所の展望台を見に行く。あまり高低差がないので助かった。

2026年6月23日 (火)

到着

つい先ほど今晩友人と会うために来た街の、小さなホテルに到着した。いつもの宿は取れなかったので大昔、現役時代に安いというのが取り柄のこの宿にした。狭い!

今朝、石和温泉を出発し、少し逆走して(反対車線ではなく<昨日来た道を戻ったということ。念のため)山梨県立博物館に立ち寄った。詳しいことは追って報告する。素晴らしかった。ここで時間を食いすぎて、山梨から秩父を経由して、北関東へ向かいながらあちこち寄ろうと考えていた予定がほとんどパスすることになった。秩父は秩父でまた来ることにしよう。それよりも今回メインに走った国道百四十号線は思いのほかの山間走破コースだった。これも詳しいことは後ほど。

友人と待ち合わせなので、今夕はここまで。

久遠寺に拝観する

この日は曇天。朝の渋滞が始まる前に名古屋を出ようと思って早めに出たが、東名はすでに名古屋から豊田にかけて渋滞していた。天気よりも渋滞よりも、なんだか心身が重だるい。こういうときは慎重に走らなければ、と自分に言い聞かす。いつもなら二時間に一度くらいの休憩をとるのだが、一時間ごとに休憩をとりながら、スピードもいつも以上に控えめにした。新東名の新清水ジャンクションから中部縦貫道に移り北上する。

南部インターで国道五十二号線に降りる。トラックが多い。このあたりは富士川街道と言うらしい。身延に入って国道と別れ、身延山の総門をくぐる。道路が総門をくぐるようになっているのだ。そこからが身延山の参道ということなのだろう。そこから坂道になった参道を延々と登っていく。こんなに長い参道は初めて見た。昔の人はこれを登ったのであろう、たいへんだ。一番上の、調べてあったロープウエイの手前の有料駐車場に車を置く。ここが身延山久遠寺拝観に一番近いところだというのは降りてから知った。

駐車場の奥に斜行エレベーターというのがあったので、ロープウエイより先にそちらに行ってみる。自分で操作するのである。無料。行き先ボタンが「駐車場」と「久遠寺」の二種類ある。ボタンで違うところへ行くのかしらと思ったが、ただ登りと下りということであった。

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これが斜行エレベーター。

上で降りたらそこが久遠寺であった。まず目の前に巨大な五重の塔がそびえている。

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逆行気味であり、後ろにも引けないのでこんな写真になってしまった。大きい。

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大本堂。読経の声がしていた。

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日光の陽明門のように彫物が豪勢な祖師堂。

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建物の名前を忘れてしまったが、一番仏閣らしいと思った建物。久遠寺はとにかく広くて大きくて日蓮宗の総本山と言うにふさわしい。ただ、その割に参拝者が多くない気がした。まさかここまでたどり着けないのだろうか。境内を散策しているうちにだんだん気持ちも晴れてきた。

身延山の山上にある奥の院へ行くためのロープウエイには、案内の地図があって、大本堂の左手を奥に廻って山沿いに道があり、そちらから回れる。

この後ロープウエイに乗り場に向かう。

2026年6月22日 (月)

身延山

 一度は訪ねたいと思っていた身延山に行った。日蓮の墓がある。私は千葉県生まれで、日蓮は千葉県房総半島の小湊というところで生まれた。小湊にはそれにちなんだ誕生寺という寺がある。ここには子供の時も含めると数回行った。千葉県は日蓮宗の信者が多い。父の父、祖父は戦時中に死んでいるから私は会ったことがない。父も従軍中だから死に目に会えていない。その祖父は熱心な法華経の信者で、遺品にも宗教的なものがいくつか残されている。父の一番上の姉(つまり私の伯母)は立正佼成会の信者で、父を誘うので、宗教嫌いの母は敬遠していた。父の戦友たちは多くが戦死してしまったが、自分が死ななかったのは仏様のおかげだと言っていた。

 

 私は母譲りで宗教には少し距離を置く生き方をしてきた。それでも父は法華経には思い入れがあったと思うので、身延山というところはどういうところか、見るだけは見たいと思っていたのだ。

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 本日身延山の久遠寺に参拝し、ロープウエイで山上に登り、奥の院も見てきた。次回は写真で紹介するつもりである。いま甲府の近くの宿にいる。どういうわけかインターネットの接続がうまくいったりいかなかったりしている。セキュリティに問題があるので切断されてしまうらしい。繋がったときに何とか今夕の分のブログを送ろうと思う。

すっかり空っぽになって

 このところ本を立て続けに読んでエネルギーをとことん消耗し、すっかり空っぽになっている。若いころならその空っぽであることが快感でもあったのだけれど、さすがにこの歳になると疲労感のほうが大きい。エネルギー補充に時間がかかるのである。

 

 切り替えのために少し愛車で走り回ることにする。梅雨時ではあるが、雨であろうが曇りであろうが、知らないところを走るのは心の持ちよう次第でとても楽しい。北関東の友人のところへ行くのに、ちょっといままでに走ったことのないルートで行こうと思っている。

 

 天候、宿、どちらも当たりが出るか外れが出るか。天候がそこそこであれば、写真で報告できると思うが、わからない。わからないからおもしろい。

2026年6月21日 (日)

『揺れる大地に立って』

 曾野綾子の『揺れる大地に立って』(扶桑社)は、副題に「東日本大震災の個人的記録」とあるように、あの震災の直後から夏までの、彼女が見聞きし体験し考えたことを、書き下ろしと、いろいろな雑誌や新聞に発表したものとをまとめて2011年の9月に緊急出版した本だ。先般読んだ、『私日記』の7と8の二巻と時間的に重なる部分を持ち、『私日記』にはあまり言及が多くない震災についての記述のみをまとめてある。

 

 非常時にはあらゆる体制が壊れる。というか制度が一時停止する。
 判断は時々刻々、前例も指令もなしに自分でしなければならない。命令は伝達されなくなり、規則は全く運用できない状態になる。その場合の判断は、つまり超法規的なることもある。そのとき、人間の中でそれまで培ってきた実力と哲学が示される。つまりマニュアルなしで生きる人間になるのだ。
 しかしいまの若者たちは、規制がないと動けない。規則を嫌う癖に独自の考え方は怖くて出来ない。
(中略)
 臨機応変という才能は実に大切だ。なぜなら災害時には、状態が刻一刻と変わる。

 

 非常時には運不運で生き延びられるかどうかきまることもある。そういう誰を恨んでもどうしようもない不条理というものがこの世にはあるのだ。しかしそのときにできることをする、自らの責任で動き、判断し、動くしかないのだ。

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 戦時中の体験などとの比較も交えながら、マスコミなどが報じた現地の状況や、一段落して邪魔にはならないと判断できた後に自ら現地を見に行っての彼女の見聞と感想が記されている。どこにどんな問題があったとかそういう話は控えているようだ。特に原発事故については、この時点では全体が見えないとして責任論などは極力控えている様子がわかる。災害が起きることは避けようがないことだ。それをどう受け止めるのか。

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 日本人が安全であり平和であることをあたりまえだと思っていることが、実はあたりまえではないのだということに気がつかされたのがあの大震災だった。それから十五年、みんなすっかり忘れてしまったかのようである。忘れていたことを思い知らされることがまた必ずある。いままでもそうだった。

『寺田寅彦随筆集 第五巻』

 曾野綾子の『無名碑』を読みながら、少しオーバーヒート気味になって読み方が上滑りしそうになっていたので、合間に寺田寅彦の随筆集の最終巻、第五巻を合わせて読みはじめたのだが、『無名碑』を読了してその勢いがとどまらず、昨晩遅くまでこの本を読んでいてこちらも読み終えてしまった。今朝は眠い。

 

 第五巻の最後は昭和十年の十月に発表された『俳句の精神』という文章である。そのあとがありそうでないのは、彼がこの年の十二月末に五十七才で病死しているからである。彼は漱石の弟子の中でも最古参と言っていい。土佐(高知県)生まれ。彼の父は軍人で、司馬遼太郎の『龍馬が行く』の中でも触れている「井口村刃傷事件」の当事者であることは以前このブログに書いた。わたしが好きな安岡章太郎とは親戚筋である。安岡章太郎の『流離譚』という大部の小説にはその係累関係などが詳細に述べられている。漱石とは五高・熊本高校の教師と学生として出会い、漱石の家に入り浸って、師弟というより兄弟のように親しんでいた。後に東京でも他の弟子とは別格で出入り自由であったし、漱石の小説には彼をモデルにした人物がたびたび登場する。たしか漱石の最後のほうの弟子であった内田百閒の随筆などでも、寺田寅彦を仰ぎ見ていたような記憶がある。

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 この随筆集を揃えたのは、リタイアしてから小説ではなく随筆をよく読むようになってからだ。さまざまな作家の随筆集が岩波文庫などにそろっている。この寺田寅彦の随筆集の第一巻の冒頭が『どんぐり』という文章で、これに心をつかまれた。二度三度読んでいると鼻の奥がツンとしてくる。全体を読み直すことはもうないだろうが、この文章だけはまた読むと思う。寺田寅彦の文章は科学的なもの、俳句関連、紀行文、映画、音楽など、多岐にわたる。五十七歳というのは若死にとも言えるが、精一杯生きたのだろうなあと思う。そして彼の死後に日本はどんどん戦争に傾斜していく。それを危惧していた気配をこの巻の文章の背後に感じたりした。

 本日はマンションの防災訓練の日。寺田寅彦の有名な言葉「天災は忘れたころにやって来る」の通りであると思うから、訓練に参加する。

2026年6月20日 (土)

『無名碑』

 曾野綾子の『無名碑』を読了した。原稿用紙1200枚を超える長編なので、読みでがあった。ずっしりとした内容の濃い小説で、その重さは心の弱い人には少しつらいところがあるかもしれない。久しぶりに物語世界にのめり込んで夢中で読んでいて、終わりの方では読み終わるのがもったいないような気もしたが、気がついたら読み終わっていた。予感していたとおり、記憶に残る作品であった。読んでよかった。

 

 全体は三章に分かれていて、一章は主に主人公が田子倉ダム建設に携わる時期の話、二章は名神高速、三章はタイでの道路建設に携わる話である。その仕事の話に重ねて、主人公の人生に大きく関わっていく二人の女性の話が綴られていく。物理的なことと精神的なことが縦糸と緯糸になって主人公の人生を綾なしていくのだ。

 

 綿密な取材と学習を重ねた上の工事の詳細が、それだけで迫力をもたらしている。それらは映像的で、現場にいるような気持ちになる。工事の困難さが、自然との闘いだけではないということも丁寧に描かれている。三章での暑さとの闘いの描写はさらにリアリズムに溢れていて、その暑さが人の精神をどのように疲弊させていくのかが物理的に感じられるようである。そして悲劇が起こる。主人公には何度目かの試練で、解説に書かれているように、聖書のヨブ記を思わせる試練の連続である。そこにどんな救いがありえるのか。救いとは何か。

消化力

 またまた寺田寅彦の小文から。

 

 ある地下食堂で昼食を食っていると、向こう側の食卓に腰を下ろした四十男がある。麻服の上着なしで、五分刈り頭にひげのない丸顔にはおよそ屈託や気取りの影といったものがない。四分の一リットルのビールを二杯注文して第一杯はただ一息、第二杯は三口か四口に飲んでしまって、それからお皿に山盛りのチキンライスか何かをペロペロと食ってしまった、と思うともう楊枝をくわえてせわしなく出て行った。
 なんだか非常にうらやましい気がした。何がうらやましいか、そのときはよくわからなかった。多分、飲んでも食ってもふくれない「胃」がうらやましかったのではないかと思われる。食うものばかりではない、見るもの聞くものまでがことごとく腹にたまって不消化を起こす自分などのような胃の弱い人間には、この男のような屈託のない顔は一生勉強してもとてもできそうもない。

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 読んでいて、なんとなく『男はつらいよ』シリーズでよく出てくる、上野駅の地下食堂のシーンを連想した。男は丸顔だから寅さんではないが、寅さんもたいていは屈託のない顔で飲み、かつ食べているだろうと思う。胃も丈夫そうである。その寅さんにして内心に屈託があることもあるのである。勉強しても屈託のない顔が出来るようなことはなく、出来るかどうかは天性のものだろう。わたしもむかしは胃がどこにあるか意識したことなどなかった。いまはその胃が存在を主張することがしばしばで、意識すればするほど存在が大きくなる。健康であることと鈍感であることは裏表のところもある。

 ネットニュースのなかに、はた迷惑な人の話がしばしば頻出して、その独善的な人がぐうの音も出ない目に遭う、などというものを読まされる。というよりつい読んでしまう。多分不快に思いながら我慢している人というのがたくさんいて、こういう話に溜飲を下げているのだろう。残念ながら、はた迷惑な人がそういう目に遭うことは現実にはほとんどない。そういう独善的な人というのは、やはり人生に不消化など起こさず、屈託のない顔をして生きているのだろうか。

2026年6月19日 (金)

『ヒトラーのシグナル』

 ドキュメント昭和・第九巻は『ヒトラーのシグナル』と題されている。「運命の日独接近 それは素人外交の悲劇であった」と副題にあるように、日本が満州調査団の結果に基づく国際連盟の勧告を無視し、ついには連盟を脱退したあと、その年の秋、ドイツも国際連盟を脱退した、そのあとに日独は急接近した。両国のそれぞれの思惑の違い、またドイツ国内、日本国内でも思惑の違いがありながら、日独防共協定を取り結ぶに至る経緯の取材報告がこの本のテーマである。それはあれよあれよという間に日独伊三国同盟に発展するが、それはこの本に述べられている時代のあとのことである。

 

 日独防共協定は当初ドイツ外務省ではなくナチスの外交部リッベンドロップと、駐ドイツ日本大使館の陸軍武官大島との交渉で進められた。リッベンドロップは日本海軍にもひそかに打診したようだが、ドイツを訪れた山本五十六は一蹴したようである。正式の窓口には極秘で進められた交渉は、ドイツ側の関係者の意図的なリークにより、ドイツ外務省や日本の外務省、そして海軍に知られることになった。海軍は激怒した。米英との関係が取り返しのつかなくなることが明らかだったからだ。そして極秘のはずのこの交渉内容は、イギリス諜報部、そしてソビエトにすべて筒抜けとなった。

 

 このときに暗躍したスパイたちのその後の消息も丹念にトレースされている。歴史の闇に消え去ったものも多いが、証言や資料が確認できたものもあり、それらを関連させて推測をするのはスパイ小説のようにおもしろい。

 

 これでこのシリーズはすべて読了した。第一巻でベルサイユ条約から説き起こされ、さまざまな切り口から日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでしまった日本の国の姿を見せられ、考えさせられた。二度三度と読んで、外観図を頭に展開できるほどにしたいけれど、また読み直す元気も時間もない。非力な私にはすべてはおぼろげである。ただ父や母がリアルタイムで生きた昭和前半がどういうからくりの中で動いていたのか、そしてその中でうごめいていた人びとにはそれがどう見えていたのか、そのことを多少は感じることが出来た。

 

 余談ながら、寺田寅彦が『天災と国防』という小文で「戦争は是非とも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない」と書いていた。書いたのは昭和十年で、まさにこの『昭和ドキュメント第九巻」が取り上げた時代である。文章のはしばしに、その軍靴の音を感じている気配がある。戦争は避けられる可能性がある、という言葉はその通りだが、現実はその可能性を津波のように押し流していく。時代の波とはそのようなもので、寄せては返し、返しては寄せ、ついにはどうなっていくのか・・・。

めがね猿

 このところ気持ちが少しざわついていて、平静を欠いている気がする。蒸し暑くて睡眠が十分ではないからかもしれない。たいてい妻の病院に行く前後には心がざわめく。妻の医療費は、医療ではない雑費がこのところ急に増えて、毎月の支払いが二万円近く増加した。妻の生活費全般は、妻の年金や、分配を受けた妻の両親の遺産などをすべて私とは別会計にしており、その中でまかなっている。妻のかかった費用はノートにきちんと明細を残してある。以前は事情があって必要なことだった。今となっては不要なことなのだが、習慣で続けている。少しくらい病院への支払いが増えてもあと十年くらいは問題ないと計算していたが、これからさらに支払いが増額していくとどうなるかわからない。

 

 曾野綾子の『無名碑』を少しずつ読み進めているが、読み飽きると習慣でつい合間に別の本を読む。寺田寅彦の随筆集最終巻の第五巻を並行して読んでいる。その中の『映画雑感Ⅲ』という文章のなかに以下のような部分があった。

 

 この映画(『パンジャ』という動物映画・引用者註)でいちばん笑わされるのは「めがね猿」を捕らえるトリックである。椰子の実の殻に穴をあけその中に少しの米粒を入れたのを縄で縛って、その縄の端を地中に打ち込んだ杭につないでおく。猿がやってきて片手を穴に突っ込んで米を握ると拳が穴につかえて抜けなくなる。逃げれば逃げられる係蹄(わな)に自分で一生懸命につかまって捕らわれるのを待つのである。
 ごちそうに出した金米糖のつぼにお客様が手を差し込んだらどうしても抜けなくなったので仕方なくつぼを壊してみたら拳いっぱいに欲張って握り込んでいたという笑話がある。こんな人間はまず少ないであろうが、これとよく似た係蹄に我とわが手にかかって人の虜になり生き恥をさらす人は実に数え切れないほど多数である。「めがね猿」ばかりを笑うわけにはゆかないのである。

 

 とらわれている、ということにはなかなか自分では気がつかないものだ。

2026年6月18日 (木)

『捜神記』

 中国の六朝時代といえば、あの魏呉蜀の三国志の時代の後に晋の時代となり、さらにそのあと中国は分裂を繰り返して、北方は異民族による五胡十六国の興亡、そして南は南朝と呼ばれた東晋をはじめとする六つの王朝の時代をいう。その時代の干宝(かんぽう)という人が書いたとされるのが『捜神記』という小話集である。現存するのは干宝が書いたものからずいぶん変形されていたり書き加えられていると思われ、明らかに干宝の時代より後の話もある。かなり原形を残しているとされるのが二十巻本で、今回読んだものはそれを訳したもの。

 

 構成は、


第一巻~第五巻が、神仙説話、方士(仙人のようなふしぎな術を使う人)の説話、占卜や医術の名人の話、風神雨神水神に関するもの、土地神やほこらに関する説話。

第六巻~第十巻が、凶兆についての五行説、天使の天命や前兆の伝説、吉兆凶兆の説話、夢兆の説話。

第十一巻は孝子烈女の説話。

第十二巻~第十五巻は、異物妖怪に関するもの、山川水陸および動植物の怪異の説話、異類婚、異産などの説話、再生に関する説話。

第十六巻~第十九巻は、幽鬼に関する説話、妖怪に関する説話。

第二十巻は、動物の報恩の話など。

 

と、ある程度分類されている。

 

 なかにはあの『南総里見八犬伝』の、伏姫と八房の物語の原形としか思えない話(『蛮夷の起源』)もある(滝沢馬琴はここからストーリーを引いているのではないか)し、またあの東北のオシラ様説話の、馬と娘の悲恋の原形とも言うべき物語(『馬の恋』)もある。それが養蚕に関わるという伝説につながる点も同じである。ただし、『捜神記』では悲恋ではなく、娘が馬を拒否する点は全く逆である。他にもこの小話集から換骨奪胎して膨らませた物語(『白猿伝』の原型もある)も数多いし、ここから引用して取り込まれた物語もたくさんある。日本の民話の原形ともいうべきものは他にもあるように思う。全二十巻全467話、なかなか読み応えがあった。

 

 ところで先週片付かなかった用件で明日も来客がある。その明日は妻の病院へ行くつもりだったが、予定を変更して今日行ってきた。行くと精神的にかなり疲労する。読み始めた曾野綾子の『無名碑』はとてもおもしろいのだが、疲労していて集中力に欠けるから、今晩は読みかけにしておく。来週出かけるまでに読み切れるだろうか。

『城門の血』

 『捜神記』のなかの『城門の血』という話を紹介する。この話はずいぶん前に別のところに引用されていた類話を紹介したことがある。

 

 由拳県(浙江省)は、秦代の長水県である。始皇帝のとき、この地方に
   お城の御門が血によごれ、
   お城は沈んで湖になるぞ
 という童歌(わらべうた)がはやった。一人の老婆がこれを耳にして、毎朝城門の様子をさぐりに出かけたが、門衛の隊長が怪しんで縛ろうとしたので、老婆はわけを話した。その後、隊長は犬の血を城門に塗りつけた。老婆はその血を見るなり逃げ去ったが、急に大水が出て、県城は水につかってしまいそうになった。このとき、主簿の幹というものが知事のところへ報告に行くと、知事は言った。
「その方はなぜ魚になってしまったのだ」
 すると幹も、
「知事閣下も魚になっておられます」
 といったが、街はそのまま沈んで、湖になってしまった。

 

この本にはよく似た話が収められている。

 

『竜の恩返し(その二)』
 むかし巣県(安徽省)に、揚子江の水が堰を切って流れ込んだことがあった。やがて水が引き、もとの河道にもどったが、あとに残った水たまりに、重さ一万斤もあろうかという巨大な魚がいて、三日たって死んだ。郡民一同これを食べたが、一人の老婆だけは食べようとしなかった。すると不意に老人が現れ、その老婆に向かって、
「この魚はわしの息子だったのじゃ。運悪くこんな災難に遭ってしまったが、おまえだけは食べようとしなかった。わしはおまえにたっぷり礼をしてやろう。好いか、もし町の東の門のところにある亀の石像の目が赤くなったら、この町は必ず陥没するのだぞ」
と言うのだった。老婆はそれ以来、毎日門まで調べに出かけたが、町の子供がそれを見てふしぎに思い、わけを尋ねるので、老婆は隠さずに話してやった。すると子供は、老婆をだましてやろうと、亀の目玉に朱を塗りつけた。老婆はそれを見るなり、あわてて町から逃げ出したが、そこへ青い着物を着た子供が現れて、
「ぼくは竜の子だ」
 と告げ、老婆の手を引いて山に登った。やがて町は陥没し、湖になってしまったのであった。

2026年6月17日 (水)

『寺田寅彦随筆集 第四巻』

 この巻には昭和八年から九年にかけて書かれた文章が収められている。世の中がきな臭くなっていた時代で、並行して読んでいる『昭和ドキュメント 第九巻』に書かれている時代に重なるが、全く違う世界を見ているようだ。世の中というものは多面体のようにさまざまな面を持っているのだということを改めて教えられる。どれかの面がその時代である、などと言うことは間違いではないが、それだけが正しい、などということは出来ない。

 

 寺田寅彦は夏目漱石に師事していた物理学者で、だからこの中にも『科学と文学』などという文章があって、互いを合わせ鏡から見るように考察しているのがおもしろい。見える世界が違うこと、しかしそれは同時にともにこの世界の表現であることを語っている。それに続く『科学者とあたま』という文章では穏やかなこの人にとっては珍しく、辛口の意見を述べている。「頭のいい人は批評家に適するが行為の人になりにくい」という言葉に集約されるその考えは、多分彼がなにか不愉快な思いをしたのではないかと想像させられたりする。

 

 この随筆集は、科学者が見た世界をその世界観から語る随筆集であるが、夏目漱石に若いころから薫陶を得ているから読みやすく、いろいろなことを考えさせてくれる。映画や音楽、俳句にも興味を持ち、独特の、しかも鋭い視点から論じている。もちろん科学啓蒙的な文章も少なくない。アインシュタインの相対性理論や、ボーアの量子論、シュレジンジャーの波動方程式などの当時の最先端の物理学について、彼がどう把握していたかがおぼろげながらわかる。やはり寺田寅彦は優れた科学者であったのだ。

 

 科学啓蒙書といえば、若いころ相対性理論や量子力学について、さっぱりわからないので理学部の先輩に教えてもらい、分厚いニールス・ボーアの伝記などを借りて読んだりした。ボーアとアインシュタインの量子論についての意見の相違など、おもしろく読んだ。それを機会にロシア生まれのアメリカの物理学者ガモフの科学啓蒙書の選集や、I・アシモフの啓蒙書などをいろいろ読んだことを思いだした。結局どこまで理解できたのか甚だ心許ないが、楽しめた。物事が本当にわかっている人が書いた啓蒙書は難解ではなく読みやすいものだ。

 

 並行して読んでいた『捜神記』は既に読了し、『昭和ドキュメント 第九巻』もようやく読み終えたので、曾野綾子の『無名碑』を読み始めた。本の初めの方だけだが、とてもおもしろい。ボリュームがあるので読了には四五日かかるだろうが、曾野綾子の小説にはまりそうだ。

やがて更地に

 我が家の近くに大きめのゴルフの打ちっぱなしの施設があるが、老朽化したのか客が減ったかして閉鎖することになったのであろう、現在取り壊し作業中である。既にネットとそれを支えるポールなどはすべて取り払われ、コンクリートを割ったり引き剥がす作業中で大きな音がしている。この打ちっぱなしには私の知り合いが三人ほど練習によく通っていて、ときどき出会ったりした。三人とも私より高齢で、独りは既に鬼籍に入り、残りの二人とは今でも年賀状の交換だけは続いているものの、もうゴルフはしていないらしいからこの打ちっぱなしに来ることもなくなっていた。わたしはゴルフはしないから使ったことはない。

 

 あれだけ大きな施設がたちまちのうちに更地に変わっていく。そのあと何が建つのかただの駐車場になるのか知らない。更地というと、むかしわたしが子供のころ住んでいた家は両親の持ち物だったが、借地の上に建っていた。父親は土地を売ってほしかったらしいが地主は切り売りを嫌っていて売ってもらえず、裏の家といろいろ諍いもあって、その場所を離れて家(土地付き)を購入した。もとの家は人に貸していた。高齢の女性でその人が独り暮らしが出来なくなったし、もう手入れをしてもどうしようもないのでその家を取り壊した。更地になったその場所を見に行った。二本の立派な柿の木や桃の木、裏のビワの木その他もすべてなくなった。思い出ごと何かが消滅してしまった気がした。いまは幼稚園の一部になっている。

 

 妻の実家も、両親が亡くなって、義兄が処分して更地になってしまった。妻は未だにその家があると思い込んでいる。彼女はいま思い出の中に生きている。

 

 温泉に行きたいのと北関東の友人に久しぶりに会いたいのとで、来週出かけることにした。温泉は、いつもなら老神温泉に行くのだが、今回は四万温泉に行くことにした。こどものときに家族旅行で行ったことがある。湯が熱かった記憶がある。六十数年ぶりである。そのときは榛名湖や榛名山などを見て回った。友人にはいつものように土産として本を少し持参する。もしかして迷惑かもしれないと思わないではないが、おもしろく読んでもらえる本が何冊かは必ずあるはずだ。それで自分の体調を確認し、出来ればそのあと別の遠出を考慮中である。地図を見ながらいろいろ思い描いている。

 昨夜の関東の地震はこちらの尾張地区でも揺れを感じた(震度2)。夕食を早めに切り上げて、寝床で横になって本を読んでいたから特に感じやすかったのかもしれない。来週訪ねるつもりの友人の住むあたりは震度5くらいだったようだから、棚からものなどが落ちたかもしれない。

2026年6月16日 (火)

使いきる

 曾野綾子の『私日記8』を昨夕読了した。この本で書かれていることは、彼女が八十歳前後の2011年から2012年の、公開を前提とした日記である。「人生はすべてを使いきる」と題されているように、体調が万全ではないなかで、とにかくよく働き、よく動き回り、よく人に会っていることに感心する。それだけ精神力が強いのだろう。生きることに目的意識をはっきりと持つというのは人をエネルギッシュにするようだ。見習わなくてはと思う。

 

 執筆の量も衰えていないようだ。会う人も、なじみの、私でもなじみの(もちろん会ったことはないが)人がたくさん出てくる。ちょっと記憶しているだけでも、夫君の三浦朱門はともかく、美智子上皇后、吉村作治、渡部昇一、金美麗、平岩弓枝、櫻井よしこなど、数多い。そしてアフリカに行き、ヨーロッパに行き、東南アジアに行き、全国に講演に行き、さまざまに委嘱された役職をこなしている。こういうことができる人がいるものだ。私も在職中に驚嘆するほどのエネルギーを持って生きている人に出会って、こういう人がいるのだ、と感心したことがある。

 

 前回言及した「マダガスカルプロジェクト」というのは、彼女の主催していたJOMAS(海外法人宣教者活動援助講演会)と昭和大学の医学部とが共同して、マダガスカルの僻地の、口唇口蓋裂の子どもたちの手術をする活動のことである。多くのボランティアにも支えられ、彼女も裏方として現地で働いている。そのための医薬品や手術道具などを運び込むという作業だけでもたいへんな注意力と準備を必要とする。40年続けたJOMASの代表も、この年に後進に引き継いだようだ。

 

 彼女がしばしば言うのは、人間は死ぬまで働き続けるのがあたりまえ、ということで、こちらは普通の人よりはやくリタイアしてしまったので耳が痛い。その代わり、とにかくさまざまなことに好奇心を持ち、可能な限り、食事は自炊し、出かけたり本を読んだりしようと心がけている。何をしていたのか思い出せない日々が続くようにはしたくない。出来ることをし続けて、彼女のようにエネルギーがきれたら終わり、という生き方が出来ればありがたいなあと思っている。

 

 手持ちの『私日記』は7と8しかないのでこれで終わり。あと、『寺田寅彦随筆集 第四巻』も今朝方読了した。干宝の『捜神記』ももうすぐ読み終わる。あとは『昭和ドキュメント』の最終巻の第九巻は、まだようやく半分たらずであるが、待ちきれないのでそろそろ曾野綾子の『無名碑』に取りかかろうかと思っている。

水毒

 慢性の泌尿器系疾患を抱えていて、医師からは常に水分を摂取して泌尿器系を洗い流し続けなさいと言われている。また排尿はできる限り我慢しないようにとも言われている。私は頻尿ではなく、比較的に尿意を覚えにくい。また、糖尿病のせいか常に口が渇くから、お茶やコーヒーを朝から何度も飲む。どうしても体内に水が溜まる。

 

 人間の一日必要な水分の摂取量をかなり上回って摂取しているので、結果的に水毒症ともいうべき症状が現れる。典型的なのが下肢のむくみである。くるぶしが見えなくなるほどむくむ。そうすると倦怠感やだるさを感じる。このところむくみがひどいので、散歩して汗を流したりしているがあまり効果がない。そこで昨日は久しぶりに医療用の加圧靴下を履いていた。今朝になったらかなりむくみは減少していた。いつも履けば好いのだが、かなりきついので履くのが大変だし、足首が痛くなったりする。

 

 対症療法をし続けるしかないようだ。むくみが引いたら下痢が始まった。身体の中のさまざまなバランスがひとりでにはとれなくなっているらしい。もう少し汗を流せ、ということなのだろうか。

2026年6月15日 (月)

読みかけの本から

 いま三分の二ほど読み進めた『捜神記』という中国の小話集から、だからどうなのだ、という短い話を二つと、不思議な話を一つ紹介する。

 

「さそりの夢」
 淮南の書佐劉雅は、黒いさそりが屋根から腹のなかに落ち込んだ夢を見た。それからというもの、腹痛に悩まされたのであった。

 

 腹痛があったのでそんな夢を見たのだと思うが、因果を逆にするとこういう話になる。

 

「人魚」
 南海の果てに鮫人(こうじん)がいる。水中に住み、魚の形をして、機織りの手を休めることがない。泣くと、眼から真珠がこぼれ落ちる。

 

 どうして突然機織りのことになるのか意味不明。南海の果てというのが案外日本のことで、潜りの得意な日本人が、真珠を採ることを伝え聞いてこんな話に変形したのかもしれない。

 

「水になった子供」
 漢のすえごろ、零陽郡(湖南省)太守の史満には娘が一人あったが、父の部下の書佐を見初めた。そこで女中に言い含め、書佐が手を洗った残り水をひそかに持ってこさせて飲んだ。すると妊娠し、やがて男の子が生まれた。
 その子が歩けるようになったある日、太守は子供を抱いて部下の前に出ると、子供に父親を捜させた。すると子供はまっすぐにはって行って、書佐の胸に抱かれようとした。驚いた書佐が押しのけたところ、床に倒れたと思ったら、水になってしまった。
 太守が娘を問い詰めると、以前に水を飲んだ事実が残らず判明した。そこで太守は、娘を書佐にめあわせたのであった。

 

 想像妊娠が太守一家の現実になったが、やはりそれは想像でしかなかったということか。結果的に、この話はハッピーエンドということなのだろうか。水に戻ってしまった子供がなんとなく哀れでもある。

 

 他にも山ほどあるので、機会があればあと一つか二つくらい紹介する。

エネルギー

 読みたい本を読む。読みたい本だけを読むのだが、読みかけの本があるのに新しい本を読み始めるので、気がつくと何冊も並行して読んでいる。かなり前からそういう読み方をしているので混乱することはない。集中力が途切れたら別の本を読めば、気分が変わるので読める。読書には集中力とそれを持続させるためのエネルギーが必要で、本が読み進められるかどうかはそのときの手持ちのエネルギー次第だ。

 

 何かに集中するということは、どこかにピントが合いすぎた状態であり、他がぼやけるということだ。集中していると何も聞こえないし、時間の経つのも忘れている。スマホに着信があっても全く気がつかないことはよくある。歳とともにピント調節のスピードが落ちてきていて、うっかりすることもしばしばある。喉の渇きにふと我に返ってお茶を入れてぼんやりしていたら、うっかり湯飲みをひっくり返す、などということが立て続けにあって、自分が心配になってしまう。食事の後に手元に食べ物がこぼれていたりするのを見ると、ボケの始まりかなと思ったりする。

 

 特に読みたい本を読むために、読みかけの本を片付けようとしているのだが、それぞれがけっこうボリュームがあり、なかなか読み終わらない。読み飛ばすのは読まないより良くないとも思うから、かえって丁寧に読むようにしている。干宝の『捜神記』は二段組で五百近くの話がぎっしり詰め込まれていて、簡単ながら注釈もきちんと読むからなかなか進まない。特に奇祥奇瑞、予兆などの話は歴史的な事実を後付けで、こんなことがあったあんなことがあったという話ばかりが続き、こじつけが過ぎていささか飽きかけてしまった。ようやくそこを乗り越えたら今度は孝行孝養の話が続いて、いくら何でもこれはやり過ぎだろう、と思ったりしている。ようやく本来の怪奇譚に戻って、ほっとしているところだ。

 

 片付けたい本は四冊。今日あたりから読了する本があるはずである。

 

 世の中はサッカーで賑やかなようだ。

2026年6月14日 (日)

涼味について

 昨夕の記事と同じく、寺田寅彦随筆集の中の『涼味数題』という小文に、涼しさを題材にした夏目漱石の俳句がいくつか取り上げられていた。

 

  顔にふるる芭蕉涼しや籐の寝椅子

 

  水盤に雲呼ぶ石の影涼し

 

  夕立や蟹這い上る簀の子縁

 

  満潮や涼んでおれば月が出る

 

他にもあったが、わたしがイメージを結びやすかったものだけ選んだ。

 

 同じ小文の中から

 

 風鈴の音の涼しさも、一つには風鈴が風に従って鳴る自由さから来る。あれが機械仕掛けでメトロノームのようにきちょうめんに鳴るのではちっとも涼しくはないであろう。また、がむしゃらに打ち振るのでは号外屋の鈴か、ヒトラーの独裁政治のようなものになる。自由はわがままや自我の押し売りとはちがう。自然と人間の法則に服従しつつ自然と人間を支配してこそ本当の自由が得られるであろう。
 暑さがなければ涼しさはない。窮屈な羈絆(きはん・行動する人の足手まといになるもの。束縛になるもの)の暑さのないところには自由の涼しさもあるはずがない。一日汗水たらして働いたあとにのみ浴後の涼味の真諦が味わわれ、義理人情に苦しんだ人にのみ自由の涼味が訪れるのである。

 

 なるほど。

片付け

 天ぷらは大好きだけれど周りが汚れるし、後片付けが大変なのが難である。昨日の天ぷらはイワシの処理もあったので、頭やワタが生ゴミとして出る。夏はあっという間に腐敗する。だから二重にビニール袋に入れて捨てるが、それでも今朝になれば臭いがし始める。ゴミ袋にはまだ余裕があるが、早朝にマンションのゴミ集積所に捨てに行った。

 

 使用した天ぷら油を入れておくオイルパンが汚れていて気になったので、久しぶりにきれいに洗った。天ぷらを揚げた鍋その他も、まずキッチンペーパーで油を極力拭き上げてから洗剤で洗う。やるまでは面倒に思っても、やり始めればどうということはない。すべて片付いたら気持ちが好い。

 

 天ぷらはみなが喜んでくれるから好いのだけれど、揚げていると天ぷらを食べる食欲が落ちてしまう、と母がぼやいていたことを思い出した。私もこの頃多少そういう状態になるようになった。油の蒸気を吸い込んで油に食傷するのだ。独りだとどうしてもつくりすぎる。いつまでもおいておけないから、今日は一日天ぷらを食べることになる。それでも残ったら、最後は甘醤油の汁で煮込んでおけばいい。

 

 ショウガを刻んでかんたん酢に漬けておいたものがいい味になっている。それをお茶請けにして朝から番茶を飲んでいる。若いころは酢の物があまり好みではなかったが、今は好物に変わった。知覚過敏がつらいけれど、すぐ口をすすげはなんとか大丈夫。酢の物を食べると血圧が下がるようだ。子どもたちが小さい頃、知多の防波堤に小アジや子サバをよく釣りに行った。サビキ仕掛けならコマセを蒔くだけで餌をつけなくてもおもしろいように釣れた。小アジはえらごとワタを取り除いて唐揚げでそのまま、残れば南蛮漬けにしたし、子サバは頭と腹の部分を切り落とし、塩で丁寧に二度三度洗い流してから酢に漬けておく。二三日すると骨まで柔らかくなって尻尾以外はすべて食べられる。これを食べていると高かった血圧がおもしろいように平常値に下がる。今は防波堤でもあまり釣れないようだ。魚はどこへ行ってしまったのだろう。

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2026年6月13日 (土)

捜すものは無い

 久しぶりに天ぷらでもつくろうと思ってスーパーに買い出しに行った。芝エビのかき揚げなんかが食べたいと思ったが、大ぶりのエビしか売っていない。横に活きの好さそうなマイワシがあって安い。もちろん捌いていないものだ。こどものとき、海からそう遠くないところに育って、小魚は毎日のように食べていた。さばき方も母親のやっているのを見て見よう見まねで覚えて、アジやイワシならほとんど手で捌くことができる。さっそく買って帰って手開きし、中骨を取り除いた。他はナスとニンジンとカボチャを揚げるつもりだ。

 

 今日も暑い。それでも少しだけ散歩して汗をかいた。洗濯物もよく乾いて気持ちが好い。今日は読書三昧。といっても半分はうつらうつらしている。

 

 寺田寅彦の随筆集を読み進めていたら、『捜すものは無い』という小文があった。一部引用する。

 

 捜さないときには、邪魔なほどに目の前にころがっているものが、いざ入用となって捜すときはなかなか見つからない。こういう気のする人は少なくないであろう。
 そういう特別な場合の記憶だけが残存蓄積するせいもあろう。捜してすぐにあった場合は忘れるからである。
 しかし、また、実際緊急な探しものをする場合には、心にこだわりがあって、自由な観察と認識の能力がいくぶん減退しているためもたしかにいくぶんかはあるらしい。

 

 私など、目の前に実際にあるのに探し回ることがあったりする。あるけど目に入らないのだ。それからそこ以外に置くはずのないものがそこに無いこともある。いま捜してどうしても見つからなかったものが現にいくつかある。拡大鏡、目の保温マッサージ器、カメラ用の一脚などである。これを書きながらもう一度心当たりを捜したが、ずいぶん探し続けた一脚だけついに出てきた。それも以前捜したはずの場所から出てきた。不思議である。目の保温マッサージ器は目の疲労回復に効果があるし、何より気持ちが好いのだが、これはずいぶん長いこと捜している。拡大鏡は、ただの虫眼鏡では無く、むかしネガフィルムの細部を見るために使っていたもので、細かい字のカタログなどを見るときなどには必需品なのに、これもいまだに行方不明である。何か捜すところが、無いところばかりを堂々巡りしていて、見逃しているのだろう。

思ったよりもはやく

 古書店に手配していた曾野綾子の小説『無名碑』は思ったよりもはやく、昨夕に配達された。古書店に依頼すると送料がかかるのはともかく、配達まで一週間かかることがあるのが普通だから、意外だった。『無名碑』は文庫本の二分冊というのもあるが、私が手配したのは『曾野綾子選集』の一冊で、箱入り上下二段組で460ページほどある。思ったほど傷んでおらずきれいである。さっそく読み始めたいところだが、できれば集中して読みたいのでいま読みかけの四五冊をすべて片付けてからにしようと思う。曾野綾子のエッセイはずいぶん読んだけれど、小説はそれほど多くない。

 

 読みかけの本のなかにも曾野綾子の『私日記8』というのがある。前回の『私日記7』は東日本大震災前後の時期の日記だが、これはその後の日記である。冒頭はマダガスカルプロジェクトのことが中心で、彼女の時事エッセイを読んでいる人ならどういうものかわかるだろう。合わせて東日本大震災に取材したことをもとに小説を書いているようである。機会があればそれも読みたいと思う。手を広げすぎないようにとも思うが、興味が赴いたものを楽しむのも好い。

 

 中国の志怪小説集、干宝の『捜神記』を寝床で少しずつ読み進めている。ごく短いものばかりで、だからなんなのだ、という話が多いけれど、眠りを妨げない話ばかりで寝床向きである。『寺田寅彦随筆集』全五巻のうちの第四巻を半分ほど読み進めた。この巻は第三巻よりも科学的な話題の短いものが多いので読みやすい。巻末が『トンビと油揚』という話で、これは中学だか高校の時に教科書で読んだ。それがずっと頭の中にあったので、岩波文庫のこの五巻を購入して読み始めた。

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 『昭和ドキュメント』というシリーズの最終巻(第九巻)は、日本が国際連盟を脱退したあと、急速にドイツに傾斜していったときにどういう人びとがそれに関わって、どういう動きをしていたのか、そのことを綿密な取材をもとに書いた本だ。おもしろい。まだ読み始めたばかりなので、この本を読み終わったら『無名碑』に取りかかることにする。

2026年6月12日 (金)

杞憂なのか

 現役時代に勤めていた会社の株を社員の持ち株としてささやかながら購入していた。それをついに昨年売ってしまった。けっこう値上がりしていたから、おかげであと数年は何回か旅行ができる。そのあとその株価がどうなっているのか詳しくは知らない。世の中は株の値上がりが続いていて、株を持っている人は多分私どころではなく、はるかに懐が温かいだろう。

 

 それにしても三万円ほどの平均株価があれよあれよという間に六万円超えとは予想を超えている。年初に経済評論家はそんな事態を語っていたような記憶はない。わたしが知らなかっただけか。どうしてもあのバブル崩壊を思い出してしまう。三万六千円を超えていたものがついには一万円を切ったように記憶している。あのときは地価がウナギ登りしたという背景があった。今回はAIか。

 

 やはりこの株の高値はバブルではないのか。いまに暴落するのではないか。それは杞憂なのか。上がろうが下がろうが、もう手持ちの株はないので、どうなろうと関係ない。

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 年金が少し上がった。長期入院している妻を抱えている身として、そして物価上昇の割合の実感と比べると、楽になるというよりも、これからも生活を控える必要がある程度の上がり方である。それでも身動きできないほどの貧しさとはほど遠く、問題なく生活できていることをありがたいことだと思って、あらためて生活予算を考えたりしている。

柱に膠して瑟を鼓す

 調べたい言葉があったので『故事名言集』を眺めていたら、「柱に膠して瑟を鼓す(ことじににかわしてしつをこす)」という名言があった。初めて見た言葉だったので、意味を読んでみたら、中国戦国時代、趙という国の藺相如(りんそうじょ)が若い趙括(ちょうかつ)将軍を評して語った言葉であった。琴柱(ことじ)を膠で貼り付けてしまえば音程調節をすることができなくなる。教条主義的であると融通が利かなくなることを言う場合に使われる。趙括は名将趙奢(ちょうしゃ)の息子で、軍学の知識が豊富で趙王の前で蕩々と理論を述べて信頼を得ていたが、父親はそれを危ぶんでいた。

 

 秦と趙との戦いがあった。秦軍を率いるのは名将白起、趙軍は廉頗(れんぱ)が率いて戦ったが、戦いに利のない状況を見て、廉頗はひたすら守りを固めて防御策に徹した。秦は手こずって、ある謀略を仕掛けた。「廉頗が相手で良かった。これが趙括だったらとても戦いに勝てないところだった。秦が恐れているのは趙括一人だ」という噂を流し、趙王の耳に入るようにした。これを信じた趙王は廉頗を解任して趙括を起用した。

 

 このときに藺相如が、「趙括は教条主義的で臨機応変の戦いに勝てない」といって趙王を諫めた言葉が「柱に膠して瑟を鼓す」だったという。結果はどうだったか。趙軍は白起の前に大敗し、四十万の兵を失うことになった。藺相如は「和氏(かし)の璧(へき)」の逸話でも有名な人物で、その心胆にあこがれる人だがその話はまた機会があれば。

2026年6月11日 (木)

片付かず

 午後の来客の用件は、残念ながら片付かず、もう一度来週以降に出直すことになった。思いのほか時間もかかり、午後しようと思っていたことはほとんどできずに疲労だけが残った。こういうこともある。物事が片付かないというのは、生活していれば普通にあることなのだが、この頃は面倒なことがほとんどない暮らしが続いていて、少し精神が緩んでいるのを実感する。

 

 おかげで本の片付けと部屋の掃除ができたので良しとする。買い出しで小ぶりながらメバルの安いのが手に入ったので煮付けにして晩酌の肴に楽しむことにする。高くて買うのを控えていたトウモロコシも値段が下がっていた。今年の初物でいただくことにする。

 午後、(めったにない)来客があるので少し片付けなければならない。「出したらしまう」「開けたら閉める」をモットーにしているが、「開けたら閉める」はきちんとできていいるけれど、「出したらしまう」はあまりできていない。何かを思いつくと何かを引っ張り出し、いちどにあれこれ引っ張り出したまま次が重なって、気がつくと「片付ける」という作業が大がかりになってしまう。来客はそういう大がかりが出来る機会でありがたい、と考えることにする。そう思いながら当日の今日になってしまった。いつも泥縄である。

 

 相変わらず本を読み散らしているが、少し前に読んだ曾野綾子の本に彼女の作品の『無名碑』という小説のことが書かれていた。日本の土木工事は世界に誇るもので、それは技術的なことにとどまらず、その工事に携わる人びとが、縁の下の力持ちとして高い矜持と倫理性を持つことによる。そのことを書いた本であるらしい。私はダムを見るのが好きで、その圧倒的な重量感を感じて、これが人間が作ったものかと感心し、人間の素晴らしさを思う。思えば一番最初にそれを感じたのが田子倉ダムを見たときであり、その田子倉ダムの話が『無名碑』には書かれているらしいのである。アマゾンで見たら新刊が見当たらない。古本もばかに高い値段がついている。そこで古書協会で物色したら、変色や傷みがあるらしいが、これならよかろうと思うものが見つかったので手配した。

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 娘の舅が亡くなり、昨日が四十九日だった。それが済んだら夫婦で挨拶に来ると言われている。多分来週になるだろう。何か食べるものを用意して、会食しながらいろいろ話が出来ればと考えている。来週末から先は本格的な梅雨に入りそうだ。

2026年6月10日 (水)

久しぶりに

 身体に水分が溜まりすぎて身体が重い気がしていたので、久しぶりに散歩して汗をかくことにした。七千歩ほど歩き、汗ぐっしょりになった。痛めている膝は最初不満を訴えていたが、最後には諦めたらしく、痛みが増すことはなかった。

 

 帰ってすぐに温めの湯につかってじっくりと汗を流した。そこで酒を飲まなければ良いのだが、どうしようか迷っているところに周大兄から電話をもらった。私より先に一杯飲み始めているという。李氏について語りたいなあ、などと言われる。周大兄ほど私には知識はないが、その話題で飲んだらどれほど楽しいだろうなあと思った。

 

 呑むのを控えようかどうしようか迷っていたが、呑むことにした。周大兄は水割りらしい。私はショットグラスにウィスキーを入れて、チェイサーにレモンを垂らした氷水で呑むことにした。つまみはスーパーでたまたま見つけたフランス直輸入だというブルーチーズ。ブルーチーズは大好きだが、あまりブルーチーズらしくないライトなもので、しかも乾いているからけっこう好い値段がしたけれど、残念な状態だ。それをかじりながらウィスキーをストレートでのみ、のどごしを楽しんでから氷水で焼ける喉をなだめて呑む。一気に酔う。

 

 周大兄と呑むような旅のスケジュールを考えたりしている。

新聞が恋しくなる

 新聞の購読をやめて十年以上になる。テレビのニュースとネットのニュースを見れば十分だと考えていたが、テレビのニュースは以前よりも記事数が減って、別に知りたいとも思わないことを長々と報じて時間の無駄が多い気がしている。NHKなど、地震があれば朝から晩まで地震のニュースだけである。世の中から他のニュースは存在しなくなってしまう。ネットのニュースは、私が閲覧した記事をもとに向こうが勝手に私向きに選んだニュースが報じられているらしいが、わたしの好みではないスポーツや芸能記事やゴシップ記事の割合がどんどん増えて、見たくなくても仕方なく見るからますますそちらに傾いていくようだ。うんざりである。本当に人によってニュースの内容が違うのだろうか。

 

 新聞の購読をやめたのは、母の介護や旅行で家を空けることが多く、不在の時に溜まる新聞が玄関に溢れてしまうからだった。新聞屋に連絡すればいいことなのだが、自分のまとまった不在を他人が知っていることに不信感が拭えない。デジタル新聞にすればいいことはわかっているが、私は印刷されたもので読む方が頭に入りやすく、デジタル画面からの情報は理解するのに時間がかかり、そのため思考にまで到達しにくい。だからどうしても新聞で読みたいニュースがあるときはコンビニまで出かけて買うことになる。それも億劫である。

 

 そろそろデジタル新聞を考慮しようと思ってネットで新聞社の料金などを調べてみたら、けっこう新聞社によって違いがあるようだ。安ければ傾向の違う二社くらい購入したいところだが、そんなに新聞ばかりも読めないからとりあえず安いところを試しに契約しようかと思っている。何年か先に免許を返納して、出かけることが減って今以上に暇になったら新聞三昧というのもいいかもしれないと思っている。

2026年6月 9日 (火)

『ゴビに生きた男たち』

 冨谷至『ゴビに生きた男たち』(白帝社)という本を読了した。中国歴史人物選シリーズの一冊で、ここで取り上げられているのは李陵と蘇武である。李陵と蘇武といえば、中島敦の『李陵』という小説が思い浮かぶだろう。前漢武帝の時代、匈奴との戦いに赴いた李陵、五千の兵のほとんどが戦死するという壮絶な戦いの中、捕虜になった李陵。その李陵が裏切り者だとされる中、ただ一人李陵を弁護した司馬遷は武帝の怒りを買い、死罪の代わりに宮刑に処せられるという屈辱を味わう。一方蘇武は漢と匈奴の捕虜交換の使命で匈奴にゆき、そこで起こった事件で同じく匈奴に囚われの身となる。

 

 捕虜の期間が重なるのだが、交流の回数はそれほど多くない。中島敦の筆になるこの二人のその後の運命、その生き様は激しい感動を呼ぶものであるが、それを中国古代史家の冨谷至が史実や司馬遷による『史記』の記述などを詳細に読み込むことで、試論を試みたのがこの本である。この李陵の物語には李陵と蘇武の間に交わされた手紙が重要な役割を担っているが、その手紙は後生に作られたものであると推定する。そして李陵に対して武帝が激怒した、という記述について疑問を述べる。どうして疑問を持ったのかについてはこの本の根幹であり、詳細に論じられている。

 

 李陵の家族、両親妻子一族ことごとくが誅殺されるという悲劇は、強烈な印象を残すが、著者は当時の刑法を研究し、それが理不尽であったのかどうかについても論じている。理不尽であるという見立てが作り上げられたのが実は遙か時代が下がった南宋の時代であり、李陵と蘇武のあいだで交換されたという手紙もその時代に作られたのではないかと推察する。

 

 一転して、南北朝時代、北方民族ばかりの五胡十六国の中で漢民族の李家の支配する地域があった。それが脈々と生き続け、実は唐の李朝はその系譜を継ぐものであるという。というのはすべて本貫を隴西とするからである。そして李陵もその隴西を本貫とするのである。前漢では忌まれた隴西の李家が、誇るべきものに転換する。そういう背景が李陵という存在に光輝を与えることになったのではないか、というのが著者の考察である。中島敦や武田泰淳によってイメージづけられた西域を舞台の物語に違う色彩を加えてくれた。そういえば中島敦の『山月記』の冒頭、主人公の李徴について「隴西の李徴は博学才穎・・・」とある。李徴も隴西の人ではないか。

 

 たいへんおもしろく読んだが、友人の周大兄ならこの本を同じように面白がってくれる気がする。

 思えば西域に、シルクロードにあこがれるきっかけは、中島敦の『李陵』に発するかもしれない。

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玉門関で騾馬に乗る娘。

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陽関の先に見えた狼煙台。

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漢の時代の長城。塼ではなく版築である。

体調と気持ち

 むかし、膝をひどくひねって半月板を損傷し、一週間ほど松葉杖をついていたことがある。その膝にほんの些細なひねりが加わって、また痛くなった。ときどきあることで、たいていは体重が少し増えてしまっているときに起こる。階段の上り下りが少しつらい。無理をすると痛みが続いてしまう。なだめながら少しずつ回復するのを待つのが一番治りが早い。

 

 食事の量、間食、飲酒が少し増えていて、節食や休酒ができないでいる。糖尿病の定期検診が終わったので気持ちが緩んでいる。多分血糖値が上がっていて糖尿病が悪化している。そうなると飢餓感が増幅する。口が渇く、睡眠の質が低下する。悪循環に陥る。体重が増えるのもその悪循環と関連している。それを脱することができない自分に焦燥感を感じる。身体にむくみが出始め、何をするのも億劫になる。気持ちが消極的になる。人に会いたくない気持ちになる。本が読めなくなる。

 

 思い切って出かけると好いのだが、その気力が不足している。しばらくもがいて気力が溜まるのを待つしかない。とにかく悪循環を断ち切る方策を考えることにする。ただただ意志の強さの問題である。・・・なんだか麻薬患者みたいだなあ。

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2026年6月 8日 (月)

『夕陽の挽歌』

 1971年の西部劇映画『夕陽の挽歌』を見た。主演はウィリアム・ホールデン、共演はライアン・オニール。ウィリアム・ホールデンが好きになったのは私の西部劇ベストファイブに入る『ワイルド・バンチ』を見て以来だ。この『夕陽の挽歌』にはどことなくその『ワイルド・バンチ』のテイストがあるように感じた。逃避行とその顛末という展開は『明日に向かって撃て』でも同様だし、追う側の話を描いた映画もたくさんある。犯罪についての罪悪感が薄いのは、それだけ西部劇の描く時代がまだ順法の精神が定着していない時代だったからだろう。それに州をまたいだりすると保安官などはもう権限がないからと追えなくなるし、メキシコへ逃げれば誰も追うものがなくなる。その感覚がアメリカという国で、そのまま世界に対しても同様の感覚を残したままなのではないかと思ったりする。

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 ウィリアム・ホールデンとライアン・オニールという年の差のある男同士の友情が心にしみる。久しぶりに『ワイルド・バンチ』を見たくなった。

 

 そういえば、ウィリアム・ホールデンは孤独死したように記憶している。

 そのあと『Mr.ノーバディ』『Mr.ノーバディ2』という、普通の人のように暮らしているがじつは凄腕で、キレると超暴力的になり、組織暴力だろうがなんだろうが徹底的にやっつけてしまうという痛快映画を立て続けに見た。

皇位継承

 日教組の教育を受けて育ったので、皇室というものの権威をあまり認識できずにいる。だからいま世間で喧しい皇位継承問題に関心がほとんどない。現在の皇位継承権第一位、そして第二位については承知している。

 

 ただ、いささか気になることは、一部雑誌、特に一部女性週刊誌が、以前から「愛子天皇待望論」を繰り返し繰り返し報じていて、ネット記事を通してだけではあるが、なんと「国民の70%が愛子天皇を熱望している」などと言っているらしいことに不審を感じている。そんなに熱望している人が多いのなら、わたしの周辺でその話題が聞こえてもおかしくないが、全くその気配はない。その女性週刊誌などがいうところの国民というのは、わたしの周辺にはいないらしい。

 

 権威と権力は違うもので、皇室は権力はないけれども権威があることになっている。そんな人気投票みたいな論理で皇室を論じて、その権威を軽んじ、権威をどんどん失わせる方向に世の中を動かそうとしているように見えてしまう。権威のない皇室は存在意味を失い、なくてもいいや、と若者が思うようになるだろう。継承問題以前の問題を心配した方がいいように思う。

2026年6月 7日 (日)

体験の喜びと自己顕示欲

 いつも拝見している方のブログに、ブログを始めて十年、以前書いたような話題のブログをまた書いていることがある、という記事を見て、自分もそうだなあとこの頃思うことが多いので、共感した。その方の書いているとおり、実際にそのときそのときに感じたことを書いているのであって、それが以前書いたものと同じようであっても、それでいいと思うとしてあり、私も同様に考えていたので嬉しくなった。

 

 ときどき思い立って旅に出るのだが、だんだん同じところに出かけることが増えている。日本全国まだまだ知らないところだらけなのに、知らないところではなくて知っているところに行ってしまうのは、それだけ自分が衰えたということなのだろうと思う。海外旅行など、むかしは一人で出かけることもあったのに、いまはその気力も体力もなくなったし、ではツアーに交じってとなると、ツアーは自由がないしあれもこれも盛りだくさんでスケジュールもタイトでついて行けないと思う。ツアーはかなりハードであるから迷惑をかける。
 
 では好奇心が衰えたのかといえばそうでもなくて、少しゆったりしたスケジュールで多少贅沢な宿に泊まるようにして、テーマをある程度決めて出かけることはまだできている。だからいまは同じところでも以前よりはディープな何かを感じて帰れるように心がけている。以前は見られなかったもの、知らなかったことが、一つでも見ることができたり知ることが増えればそれが喜びとなる。それをブログに書いてみたいと思ってはいる。それが、ブログを書くためにどこかへ行くような気分を心の片隅にチラリと感じたりすることがある。そうなるとブログを書くことも出かけることも面倒くさくなってしまう。気を取り直すのに時間がかかる。

 

 ブログを書くことに自己顕示欲がないかといえば・・・ないとはいえないのであるが、少なくともそのためにブログを書いているのではないつもりである。

 

 何かで話題になったところ、有名になったところにたまたま行くと、人がごった返していて、そういうところはパスしてしまう。混んでいるところが嫌いだというのも理由だが、見ていると本当にそこを見たい、体験したいと思っているのか首をかしげることも多くて、話題になったところだから来たというだけの人が多いように感じる。それが証拠に、地元の人や周辺に迷惑をかけてひんしゅくを買っているのを見ればわかる。ここへ踏み込んだらいけないという常識を、誰かが踏み越えたのを見ると我がちにまねをする。他の人が撮れなかった写真を自分か撮ってきた、という自慢をしたいのであろう。

 

 行列をするのもわたしは嫌いだが、話題の店の前で行列してその写真を撮りあったりしているのも、その店の何かを味わいたい、楽しみたいというより、有名なところに私は行ってきた、と自慢したいだけのように見えてしまう。もちろん純粋に体験を楽しんでいる人も多いだろうが、そういう人も眉をひそめているだろう。何かにプレミアムがつくのも、楽しみたい気持ちが優先することもあるだろうが、手に入れにくいものを手に入れたのだという自慢がしたい場合も多々ありそうだ。

 

 自慢したい気持ちがあってもかまわないけれど、それがそもそもそのことを体験する喜びを見失ったまま、自慢することだけが目的になっていたら、これほどむなしいことはないと思うのだが・・・。

『おらおらでひとりいぐも』

 先日『九十歳、何がめでたい』という映画を見て、その流れで同じ高齢の女性の話の映画『おらおらでひとりいぐも』を見た。原作は同名の若竹千佐子の小説で、芥川賞を取っている。私は題名に惹かれて読んだが、読んで久しいので細部は忘れている。モノローグに溢れるこの小説をどのように映画化するのだろうと思っていたが、そのモノローグを別の人格のように、別々の俳優が演じていることをたいへんおもしろく感じた。主人公を演じるのは田中裕子、それ以外の人格を濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎、六角精児などが演じている。それが全く違和感がなく賑やかに楽しく、そして同時に高齢者のむなしさ、もどかしさを漂わせていて、なるほどこういう映画もありだな、とおもしろく見た。

 

 高齢の独り暮らしというものを哀れむ必要はない。高齢になるということはこういうことであり、誰もがそれぞれ形は違っても似たような体験をするのだ。そうしてこの世から旅立つときは「おらおらでひとりいぐも」、なのである。この言葉は宮沢賢治の、わたしの大好きな、妹の末期の様子を描いた詩、『永訣の朝』のなかにある。

2026年6月 6日 (土)

『只見川』

 曾野綾子の『只見川』という短編小説を読んだ。昭和18年、新婚わずかにして夫は徴兵され、その生死も定かならぬ何年かを過ごした小雪という女性が主人公である。シベリヤに抑留されていた夫が終戦後の昭和23年の冬、無事に帰ってくるという知らせが届く。彼女に冷たくしていた姑も亡くなって、独り暮らしだった彼女は心を浮き立たせる。そして迎えに行くために人は乗せない決まりの郵便用の雪上車に乗せてもらうことになる。そうして自分の人生、夫とのわずかな思い出、姑との心通わぬ日々などを回想していく。

 

 最後の雪の中の静かな世界が、かえって戦争というもののもたらした残酷さを際立たせる。戦争がなかったら彼らにはどういう人生があったのだろうかと思う。

 

 だいぶ昔のブログに書いたけれど、学生時代、山形県の米沢で学生時代を過ごしていたが、新聞で只見線がようやく全通したという記事を見た。そこで思い立って米沢から米坂線で新潟まで行き、信越線で新潟、新津、小出と乗り継いで只見線をはしり、当時は降りることのできた田子倉の駅で降りて田子倉ダムを見に行った。そうしてそのあとは会津若松まで出て米沢へ帰った。まさに只見川を横に見て走るのが只見線である。只見線全線が開通して一週間ほどだったと思う。そのときは10月だったが、冷たい小雨の降る日だった。あのあたりは豪雪地帯で、この小説の舞台もその豪雪の様子が描かれている。

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乗り継いだ小出駅。

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ダムの水没林。左上が田子倉駅。

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開通したというので観光客がたくさんいた。

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今も遊覧船はあるのだろうか。

金の亡者に振り回されて

 アメリカはプラグマチズムという効率主義をもって国を発展させてきたが、そのために哲学を持つことができずに、ついにはものという実態をすら見失って、金が金を生む妄想の世界に突き進んだ。金融というからくりで富を集め、デジタルという情報世界でさらに巨万の富をつかんでいるように見えるが、それはただデジタルに書き込まれた情報に過ぎない。そのアメリカを率いる男とその家族は、傍から見ているとただの金の亡者にしか過ぎず、アメリカンドリームというのはただ金持ちになることでしかないのかと思ってしまう。

 

 世界はその金の亡者に振り回されている。トランプは権力を笠に着て金儲けに狂奔し、GAFAやらイーロン・マスクやらがその富で世界を振り回しているけれど、そのどこにうらやむべきものがあるのかちっともわからない。その下品さは見ていてうんざりする。

 昨晩つい飲み過ぎて書いたもの、観念がエスカレートした。それにしてもニュースを見ていると悲観的になる。曲がりなりにも普通に暮らせていることをありがたいと思わなければならないのだけれど・・・。

2026年6月 5日 (金)

『十字架上の日本 国際連盟との訣別』

 ドキュメント昭和シリーズの第八巻『十字架上の日本 国際連盟との訣別』(角川書店)という本を読了した。昭和六十二年(1987年)に出版された古い本であるが、箱入りであり紙質の良い本なのできれいである。柳条湖(むかしは柳条溝と教わった)付近の南満州鉄道の線路爆破事件(関東軍の謀略とされている)をきっかけとして、関東軍独走の満州事変が勃発する。その件について国際連盟はリットンを代表とする事件調査団を派遣するが、その間にも関東軍は暴走を続け、日本政府はその後追い承認するばかり。さらにそれは満州国という傀儡国の設立にまで暴走していく。その顛末とその調査団の報告に基づく国際連盟の制裁決議に反発した常任理事国の日本は、連盟を自ら脱退してしまう。その顛末が写真と資料によって詳細に記されているのがこの本である。

 

 リットン調査団の調査とそれに対する日本のあしらい、そして松岡洋右の連盟脱退行動の背景がすべてつながった流れであることを改めて知った。日本が国際協調を基調にしていたのが、あるときから孤立主義に転換した時代背景や政党の顔ぶれの変化が何をもたらしたのか。この日本の姿こそ、いまの中国の姿にオーバーラップして見えてしまう。中国はこの本に描かれた時代の日本を日本の本質と捉えて批判してきたし、いまも批判しているのだが、その中国がまさにその当時の日本と似た軌跡をたどっているようにしか見えないのは不思議である。そのことに気がつくことができない中国には蓋の開いた地獄の釜が待っている、といっておこう。

 

 習近平は不安を抱えていて感情的になっているという報道もある。それは国内外の自分に対しての圧力を感じているからのように思っているのかもしれないが、その原因は自らにあるのだ。しかしもう引き返すことも修正することもできない。これは習近平もプーチンも、そして多分トランプも同じだろう。絶対権力者の宿命である。

なにごとも

 「なにごとも、なかったむかしに戻すことはできない」と私の敬する山本夏彦はいった。自動車がなかったむかし、テレビのなかったむかし、原爆がなかったむかし、インターネットが、AIがなかったむかしに戻すことはできない。

 

 世界の人がみなつながって、自由に自分の見たいものを見聞きし、そして自分の意見を言えるようにするために始められたはずのインターネットが、かえって世界中を分断させていっているように見える。AIがますます進化して、事実とフェイクの境目がわからなくなりつつある。何を信用していいのかわからなくなっている。その不信感はますます深刻化していくだろう。ひとむかし前なら、電波が自分を取り巻き、監視し、支配していると言い立てたら、統合失調症の典型的症状であると見なされたが、いまはそれが現実となりつつあるのではないか。そう思うのは私が統合失調症だからなのだろうか。

 

 人間の予測を超えてますます加速進化するデジタル世界に、これからの人間は対応しきれるのだろうか。AIを意識せずにAIを使いこなせるようになっていくのだ、といいながら、ますます使いこなすためにスキルが必要になっている気がする。とっくについて行けなくなった後期高齢者の私は立ち尽くすばかりである。

2026年6月 4日 (木)

『知性の磨き方』

 林望(はやしのぞむ・書誌学・国文学専攻、著書多数)著『知性の磨き方』(PHP新書)を久しぶりに読み直した。知的なものの見方が身につく、という惹句が添えられていて、『学問の愉しみ』、『読書の幸福』、『遊びは創造』の三章にわたってリンボウ先生の講義が展開する。初等教育から中等教育前期くらいまでは、知識を習得することが学ぶことであっても構わないが、本来学ぶ、学問をする、ということは考える方法を習得することでなければならないと先生は言う。だから大学以降では自ら学ぶ意識を持たなければ真に学ぶことにはならない、だから学問を手取り足取り教える先生は、人気はあるだろうがよくない先生であるとまで言い切る。同感である。そうして学びたいことを自ら学び、その方向や方法が間違っているときだけ修正してくれるというのがいい先生であることを自らの体験を元に説明する。

 

 現在の高等教育が効率主義、成果主義に堕していることは根本的に誤っていると批判する。「教育というものには、そもそも本質的な不能率さというものがあるんではないでしょうか」 という。私もそう思う。学問というものは倦まずたゆまず積み重ねてこそいささかなりのかたちになるものだろう。「暇あるを待ちて書を読めば、必ず書を読むの時なからん」ということわざがあるそうだ。「暇つぶしに何か勉強しようなんていう考え方じゃだめである。たいていそのまま、いま忙しいから勉強ができないということになってしまうということです」という。

 

 そもそも何かを学ぶということは、リタイアして暇だからカルチャーセンターにでも行って、先生からいろいろ教えてもらおうなどといって身につくものではない、そういうところでは知識を教えてもらっても、学ぶ方法は教えていないから考える力がつくとは思えないと、きびしいことを言っている。私の放送大学の受講もおなじかなあ。でも自分なりに知るだけではなく、すでに知っていることとの関連を考えたりしているつもりなのだけれど・・・。

 

 読書について、本は買って読め、と言う。読みたいときに読み、読み返したいときにすぐ読めて、目の前の棚にあることで何かをふたたび呼び覚ますきっかけにもなる。図書館の本ではそうはいかない。この点については私は全面的に賛成である。本は高いという人も多いけれど、その本を楽しめた時間から考えれば、ほかの娯楽より遙かに安いものだという指摘にも同意する。

 

 いろいろエッジの立ったところに引っかかる部分もあるけれど、そこが刺激的でおもしろい。みんながみんな学問したり読書したりする必要などないのだ。本が嫌いなら読まなければいい、ものを学ぶなんでいやだと思ったらしたいことをすればいい。それでも何かを学びたい、読書を愉しみたい、という人に向けて書かれたのがこの本である。だからこの本は『知性の磨き方』なんて、取りようによってはイヤミっぽい題になっているのだ。

下呂ふるさと歴史記念館

千光寺から高山市内を通らず山沿いを走り、国道四十一号線に出て南下して、地図を眺めていて見つけた、下呂にある「下呂ふるさと歴史記念館」に立ち寄った。

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なかなか立派な建物である。

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入館する前に、建物の前に縄文橋という橋があったのでいってみる。

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この先まで行ってみたが、ただ高いところから見下ろせる、というだけのことであった。

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下呂の温泉街の一部が見下ろせた。

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ここは入館無料。

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期待していた縄文土器や土偶の展示品はわずかで、これでは入館料は取れない。

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建物の奥の林が少し開かれていて、竪穴式の復元したものが何棟か置かれていた。

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前の写真の建物よりも少し大きく横長の建物の中に入って撮った写真。入り口も中も狭いので、屈んで入るのに苦労した。

下呂には「下呂温泉合掌村」という場所があり、立派な合掌住居や円空仏などを展示しているのだが、すでに三回ほど行っているのでパスし、このあと温泉にゆっくり浸かってから帰った。

2026年6月 3日 (水)

飛騨千光寺・円空仏寺宝館

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千光寺境内の中に円空仏寺宝館がある。ここには比較的に大型の木彫り像が置かれている。

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仁王門に置かれていたと思われる、吽像。大きい。阿像はかなり傷んでいる。

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金剛神と護法神。

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これが両面宿儺。円空仏は背面がないので顔が横に彫られている。迫力に気圧されてブレてしまった。

しばらく眺め続け、満足したので建物を後にした。円空好きの友人に話したらうらやましがるだろう。

宿儺(すくな)堂など

本堂のすぐ先にある宿儺堂を見に行く。

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石の宿儺像があるはずだ。

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宿儺像の表側。

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裏側。斧と刀を持っている。宿儺は両面宿儺ともいい、表と裏に顔があって手は四本ある。

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壁面上部にこんなものも架かっている。

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宿儺堂からさらに先に行くと弁天堂。

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なかなか様子のよろしいお地蔵さんなどもあった。

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これは擬宝珠という植物だったと思うが、自信がない。

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これは馬酔木かな・・・?

全く植物に無知である(植物だけじゃないけど)。

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ここがどれほど高い場所かわかるであろう。そういえば白山スーパー林道もそろそろ通行できるようになっているだろうか。

さて次にここへ来た本来の目的である『千光寺円空仏寺宝館』へ行くことにする。ここには円空の両面宿儺像があるのだ。

2026年6月 2日 (火)

飛騨国・丹生川の千光寺

 何かに気持ちが傾くと、次々に関連したものに目が行く。円空に興味が傾き、高山の北、丹生川というところの千光寺へ行くことにした(一日)。高山は名古屋からだと案外遠い。普段は国道四十一号線でトコトコ行くのだが、ナビが勧めるように東海北陸道で飛騨清見へ行き、そこから高山まで行って、丹生川の山道を登る。センターラインのないくねくね道だが、一部を除き乗用車どおしなら何とかすれ違える程度の道幅があるからそれほどストレスはない。十数年前に円空好きの友人ときたことがある場所だ。

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千光寺の駐車場から見上げると、遙かに白山の一部かと思われる山が望めた。

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千光寺の山門。

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本堂に向かう道横。

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見下ろすと仁王門がある。徒歩で登ってくる人はこの門をくぐるのだろうが、あの坂道を登るのは大変だ。そもそもこんな山の上に寺を建てることそのことが大変なことだ。後で見に行く円空仏の中に立木仁王という二メートルを超える阿像と吽像があるが、この門に収められていたものだと思う。

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この上に本堂がある。

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立派な本堂。

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会館の横にも円空像が建つ。ほんものではないのだろうが。

ここの円空仏としては両面宿儺(すくな)が有名。

それとは別に本堂の先に宿儺堂という小さな堂宇があり、そこに石造りの両面宿儺が収められているので見に行く。

『探偵マーロウ』

 リーアム・ニーソン主演の映画『探偵マーロウ』を見た。マーロウと言えばレイモンド・チャンドラーのハードボイルドの主人公、フィリップ・マーロウのことである。しかしキャラクターとしてはマーロウでありながら、この映画の原作は別の人らしい。

 

 舞台は第二次世界大戦直前のLA。風俗も含め、映像として雰囲気はよく感じられる。話が少し複雑なので、必然的にテンポが少しゆっくりしているように感じた。最後まで見れば全体が理解できるのだが、理解に手間取った。こちらの頭が鈍っているのかもしれない。ハードボイルドのハードボイルドらしさが少し物足らないが、私はリーアム・ニーソンが好きだからそれなりに楽しめた。女優名は知らないが、一人吉田羊に印象の似ている女優がいて、ついその目で見てしまって困った。

 

2026年6月 1日 (月)

高賀神社と円空記念館

帰ってから地図を見たら、洞戸の南の武芸川というところに、春日局ゆかりの場所というところがあるのを見つけた。かすがのつぼね(かすがのつぼね)も出自があまり明確ではない人物であるが、明智光秀の係累であるからだといわれていて、たぶんそのことは事実だと思う。於福という名のこの女性が徳川家光の乳母であり、家光の弟が幼少時両親の秀忠夫妻に偏愛されて、兄の家光が将軍職を継ぐことができない恐れがあったのを、於福の家康への直訴でからくも徳川三代将軍となったことはよく知られている。その後、春日局として大奥だけではなく、政権への口出しもするほどの実権を持った。明智光秀つながりで補足しておく。

さて、このときの目的地は洞戸の山中にある高賀神社(こうがじんじゃ)とそこに隣接する円空記念館である。

大きな鳥居の前に広い駐車場があって、前回はそこから少しきつい坂道を登ったのだが、上の円空記念館の下にも駐車場があることを知って、今回はそこまで車で行けたので楽であった。

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駐車場の向かいに見たことのない木が生えていた。前にもあったのだろうが気がつかなかった。後で聞いたらこれはスモークツリーという木で、赤紫色のモヤモヤしたのはその花だそうである。葉っぱも緑色ではないから目立つ。

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高賀神社。上で参拝している男女ふたりの女性の方が、大きな声で祝詞をあげていた。しばらく続いた。

 

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高賀神社由来。ここに粥川の鰻の精に関する記述がある。

その間に右手に見えている像を見に行く。この神社の由来に関わるもので、むしろ目的はこちらにある。

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藤原高光が、怪物である「さるとらへび」を退治しているところ。頭が猿で、胴体が虎、尻尾が大蛇である。

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この像の説明書き。

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長い祝詞も終わったので高賀神社に参拝し、下り階段の途中から像の後ろ姿を撮る。

向こうに見えるのが円空記念館。

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拝観料二百五十円。係のおばさんが頼まないのに丁寧に説明してくれた。円空はこの地を三回訪れていて、最後に多くのものを残している。旅に携えていた錫杖や硯の現物もここに展示されている。前回きたときは結構明るい館内だったのに、今回はとても暗くて、木造の細部がよく見えない。おばさんが手持ちのLEDライトで照らしながら一つ一つ説明してくれてありがたいのだが、こちらの眺めるリズムとは違うし、いちいち相づちを打つのにもくたびれた。それでも知らなかったことをいくつか教えてもらえた。おばさんは「こうが」ではなく「こうか」といっていたように聞こえた。とにかくこっそり写真を撮るわけに行かないし、どのみち暗すぎてストロボをたかなければ写真が撮れない。こういうところでストロボは使いたくない。

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道のそばにアザミが咲いていた。

生き延びた明智光秀

夜叉龍神社を見た後、関市の洞戸(ほらど)というところに行くことにした。そこには一度行ったことがあるが、久しぶりに見たいものがある。ナビに任せたらやたらにこまごまと道を曲がるので、どこを走っているのかわからなくなった頃、たまたま桔梗塚・明智光秀の墓という小さな看板を見つけた。そんなものがどうしてこんなところにあるだろうと思って、看板を曲がった。

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細い道に、墓ではなくて、こんな旗がいくつか立てられていた。

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突き当たりの小さな白山神社の横にこんな看板がある。本能寺の変で信長を討った後、秀吉との山崎の戦いに敗れて敗走した明智光秀は土民に討たれたとされているが、実は討たれたのは身代わりで、この地で名前を変えて生き延びたのだという。

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光秀が産湯を使った井戸。ここが光秀の生まれたところだというのだろうか。光秀はよくわからない人物なので、何でもありになってしまう。

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道印に従ってあの坂を登ってみる。

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これが明智光秀の墓。

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思いがけないものを見ることができて満足して坂を下りる。階段の深さが浅いので手すりはないが上り下りに苦労しなかった。

この地も洞戸にあたるようだが正しい地名は知らない。この後清流の板取川を横に見ながら洞戸に向かう。板取川は私の見た中で屈指の美しさであり、特に景勝の場所があるのだが、その一帯がすべて縄が張られて車が駐められないようになっていた。光寺でもするのか、それならぶち壊しだし、そこらでキャンプする不届き者をよけるためかもしれない。写真が撮れずに残念。

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