中国関係の本
若いときから本屋を見て歩くことが好きで、どの本屋はどんなレイアウトで、どこにめぼしい本があるか、ほとんど把握していた。だからレイアウトがいじられるとまごついてしまう。自分の食器棚の食器がいじられると戸惑うのに似ている。
ある時期から中国関係の本なら片端から購入した。物語から歴史書、評論、ことごとくを大人買いした時期があった。そうして読み散らしているうちに、著者の好みが明確になり、内容についての見当もつくようになり、自分との相性も想像できるようになり、買っても読まないだろう本がわかるようになっていった。読むより買う方がずっと多い時期かあったが、それも治まって、そのあとは片っ端から読むことに専念した。
そうして何度も引っ張り出して読む本というのも出来た。以前にも書いたが桑原隲蔵の『考史遊記』とか奥野信太郎の『随筆北京』、そして張岱の『陶庵夢憶』などである。もし孤島に限られた本だけ持参して漂流するなら、これらの本が無聊を慰めてくれるだろう。
何度目かの『陶庵夢憶』を読み直ししていたら、張岱が曲阜の孔子廟を訪ねたときの話にこんなことが書いてあった。
崇禎二年、曲阜に行き、孔子廟に詣でた。門番に金を握らせて門からはいったが、塀の上に楼がそびえ出ていて、扁額に「梁山伯・祝英台が読書せし処」とあったのには、度肝を抜かれた。
梁山伯も祝英台も、ともに人名である。梁山伯はあの水滸伝の梁山泊とはちがう。梁山伯は男性、祝英台は女性であり、その悲恋事件は物語としてよく知られていた。ただし、二人が親しくしていたのは杭州でのことであり、曲阜とは全く方角も含めてちがいすぎており、それに張岱があきれた、ということである。その悲恋事件については機会があれば記す。名所というのはときにこんなことがあり、しかもいつの間にかそれが事実のようになっていくから気をつけないといけない。
ちなみに、崇禎とは明朝最後の皇帝で、明が滅びたために張岱は身代を失い、膨大な蔵書を失い、身一つとなってたいへんな辛惨を嘗めることになる。彼の親類や友人、先輩などの多くは明朝再興を願い、清との戦いに身を投じて憤死している。この『陶庵夢憶』は、博覧強記だった張岱がその過去を追憶して書いた随筆なのだ。
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おはようございます
私も一時期何かに取り憑かれたように中国関係、特に中国史関係の本を片っ端から集めました。
この時にちくま学芸文庫版の『漢書』や『三国志』(正史の方です)を買って読み耽ったことを今更ながら懐かしく思います。
昨今日本人が一番嫌いな国が中国になってしまいましたが、こういう時こそ中国がどういう国なのか、中国人はどういう民族なのか、ということを知らなくてはならないと思います。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2026年8月29日 (土) 05時52分
shinzei様
東アジア情勢を知るために、また、ユーラシア大陸の交流が世界に関係していることを考えると、中国の歴史を知ることはどうしても必要なことだと思います。
初めて中国に行ったのがたしか1992年で、それ以来毎年一度か二度あちこちを独りで歩き回りました。
嫌な思いをしたことはほとんどありません。
現地を知っていると歴史にも膨らみが感じられます。
中国も毛沢東のくびきからようやく脱出できたのに、また悪夢の時代に戻ってしまいそうで残念です。
投稿: OKCHAN | 2026年8月29日 (土) 07時37分