何度も聞いたことがあるけれど
水害で自宅が浸水被害を受けた経験のある人が、「ニュースで水害の被害を何度も見てきたが、まさか自分がそんな目に遭うとは思ってもみなかった」と語っていた。これに似た言葉を何度聞いたことだろうか。それを聞いたのは私だけではなく、ニュースを見るほどの人(ニュースを見ない人というのが居て、その人たちには災害の事実は存在しないかのようである。詐欺に遭う人、闇バイトに応じてしまう若者も同様である)はみな災害のたびに聞いた言葉だろう。
能登南部で、そして千葉で、さらに福井で、そうしてネパールで、今までになかったような大水害が起きている。そうしてそれはいまは他人事だが、いつか自分も経験するかもしれないのだということに人は考えが及ばない。だから安穏と暮らせているのだけれど、今回はその人の言う「まさか自分が」という言葉が今までになく現実味を持って心に届いた。自身についても、地震対策として本棚だらけの我が家を突っ張り棒でこの春ようやく補強したところである。インフラが機能しなくなったら、つまり電気や水道が止まってしまったらどうする、ということについていままでも考えないではなかったが、本格的に、システム的に対策を考えなければと遅ればせながら考えている。システム的に、というのは一時的なものではなく、生活の中にそれらの対策を組み込むにはどうするか、ということである。
余分なものを持たない、という考えから、常に少し余分なものを用意しておくという生活にシフトし、しかもその余分なものを無駄にしないための方策もしておくということだ。知的能力の低下が進行中の身としては、それをきちんと自覚できるように、考えたことをメモして忘れないようにすること、古いものを使いきるようにすることを心がけようと思う。「まさか自分が」ではなく、「いまに自分も」が明日にもあるかもしれない。
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