觴(しょう)
『故宮』という、故宮の至宝文物をベースに中国の歴史を語っていく全四巻の第三巻を読了した。ものから歴史を見るというシリーズである。第二巻では、前半は王羲之を、つまり書聖と言われる彼の生涯、そして現在は真筆は存在しないその書の運命についてが詳しく語られていた。時代は東晋である。そして第三巻は、前半が顔真卿の生涯とその書が語られている。多少なりとも書を知る者ならば王羲之や顔真卿を知っていると思う。
私もたまたま書をかじらせてもらったときの先生から、その素晴らしさを耳にタコができるくらい聞かされた。先生は文化大革命の最中に危険を顧みずに中国の石碑を訪ね歩き(破壊されたりされかかったものも少なからずあった)その拓本を命がけでとってきた人で、それらを見せてもらったこともある。そして私もそういう石碑を数多く集めた西安にある『碑林』という石碑の博物館を三回訪ねて、名前を知る多くの書家の石碑を見た。いま手元には『碑林』で手に入れた王羲之の『蘭亭序』、『聖教序』、そして欧陽詢の『九成宮碑』の拓本がある。行く度に高くなっていたが、いまはもっと高くて手に入りにくいだろう。いまも開けば墨の香りがする。
觴とは杯の一種である。平安時代などで貴族が多くの客人を招き、屋敷の庭に水の流れをつくり、そこに酒を入れた杯を浮かべて流し、自分のところに来るまでに歌を作れないと罰としてその酒を飲まなければならないという『曲水の宴』を催したという話を知っているだろう。実はこれは中国のまねである。中国では『流觴曲水の宴』という。もちろん歌ではなく、つくるのは詩であろう。日本では盆を浮かべ、その上に酒を入れた杯を載せるが、觴という杯は楕円形をした深めの胴体のふちに平たい耳がついた独特の形をしていてそれ自体が浮かぶようになっているそうである。
王羲之の『蘭亭序』は会稽の蘭亭で催されたその流觴曲水の宴について、主催した王羲之が書いたもので、王羲之の最高傑作とされる。おりしも東晋は北方民族の圧力が高まっていて、それに対して政局は混迷し政争のなかにあり、そのときの王羲之の立場は政治的に複雑であった。それらの鬱屈を晴らすための宴でもあったのだろう。
私が最も好きなのは顔真卿であるが、残念ながらその拓本は高すぎて手が届かず、買うことが出来なかった。顔真卿とその一族の運命は今回読んだ第三回に詳しく語られていて、その硬骨のひととなりに改めて感銘を受けた。
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