『江口』と『西行桜』
先般、『待賢門院と西行』という瀬戸内寂聴の講演を見て、西行にちなんだものを手持ちの謡曲集の中から探しだして粗読みした。『西行桜』には西行自身が登場する。西行庵(小倉山の麓にあったと伝えられる)の前に見事な桜の木があり、西行はその桜をひとりでしみじみと愛でたいと思っているが、花の時期には人びとが訪ねてくる。むげに断りも出来ず、それを受け入れている。夜、ようやく静かに桜と対峙する西行の前に桜の精の老翁が現れる。そうして夢幻の時間が過ぎていく。
西行といえば辞世の句が
願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃
である。そうして西行は実際に如月のころに亡くなった。
『江口』には西行自身は登場しない。旅の僧が四天王寺にお参りするために江口の渡し(川港があった)へやってくる。その江口の古跡を訪ね、それが江口の君という有名な遊女の古跡であることを知り、西行の詠んだ歌が口をついて出る。
世の中を厭ふまでこそかたからめ、仮の宿りを惜しむ君かな
西行が一夜の宿を借りようとしたが、江口の君に断られたことを詠んだ歌だ。
その歌を聞き咎めて一人の女性が立ち現れて、この西行の歌に対しての返歌があるのだという。
世を厭ふ、人とし聞けば仮の宿に、心留むなと思ふばかりぞ
遊女の家であるから、世捨て人である西行のことを思って断ったのに、「惜しむ」と詠まれたのは哀しいことだと嘆くのである。
そのあとに、往時の華やかな舟遊びなどの様子が蘇り、やがて遊女だった江口の君は観音の姿になって虚空へ消えていく。私には浅読みの力しかないが、それでもなんとなく伝わってくるもの、感じるものがある。何しろ七五調の、謡うように語る文章であるから読みながら声が聞こえる心地がするのだ。
次に『雨月物語』の『白峰』を読もうかと思う。
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