カンニングをしても知的能力は向上しない
巧妙にカンニングをして評価が高くなり、それなりの成績を取ることが出来たとして、本人の知的能力が高くなったわけではない。やはり努力して知識を学んで自分の頭で考えなければ頭は良くならない。お勉強が強制されたものだと考え、その対価を得るための労役であると考えるのなら、バレないカンニングはコストパフォーマンスのよい行為に見えるかもしれない。それは勘違いである。レベルアップしていないのにレベルアップしたと評価されたら、あとで困るのは自分である。
その場がよければいいのだろうなあ。愚かである。
そういう意味でAIの使い方には制限が必要だと言われているのだろう。課題のレポートをAIに丸投げして作成提出する学生が少なからずいるそうである。教師も果たしてどこまで本人が考えたのかを評価しようがないという。対面のテストが有効だといっても、多人数では限度がある。こうして自分で考えることをどんどん減らしていく学生が増えていけば、知的レベルは低下していく。
ボタンを押せば最適の答が返ってくる、というのは素晴らしい世界である。こうして多くの人が知的怠惰の快楽の中に住み、気がつかないうちにAIのいいなりに誘導されていく。映画『ターミネーター』のような暴力的な仕方ではなく、人類はAIの奴隷に成り下がっていく。もともと人類なんてその程度の存在だったのかもしれない。


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