読み散らす
相変わらず何冊かの本を並行して読み散らしている。自分ではさほど意識していないのに、それらが関連していることに気がつくことがしばしばある。いま、江藤淳の『漱石とその時代』(新潮選書)の第二部を読み進めているところだが、漱石が第五高校(熊本)の教授時代、そして官費留学生としてイギリスで過ごした時代が取り上げられている。題名のように、漱石自身や彼に関連する人たちのことが描かれているのはもちろんだが、彼の過ごした時代の背景、日本、そして世界の情勢についても詳細に述べられている。明治という時代が漱石を軸にして分厚く描かれて、背景ごと漱石が浮かび上がってくる。
熊本時代は悪妻と言われる妻の鏡子に振り回されているところがあるが、果たして鏡子が悪妻だったのか、漱石の屈託が鏡子をそのように精神的に不安定にしたのか。教え子の一人だった寺田寅彦との俳句を通しての師弟の交流が微笑ましい。寺田寅彦については全五巻の随筆集を読了したところでもあり、『三四郎』での野々村さん(寺田寅彦がモデルである)のイメージもあって、親近感が湧く。第一部以来の、子規との交友も詳細に描かれている。互いの手紙のやりとりが、たくさん取り上げられている。子規の闘病、そして漱石の留学中の子規の死去のくだりはこれから読む。また、イギリス留学中に漱石が精神的に不安定になった経緯、理由、その状態などについてはこれから読む。
並行して読んでいる梅原猛の『美と宗教の発見』という本の中に『美学におけるナショナリズム』という文章があり、これはまるまる子規の『歌よみに与ふる書』批判ともいうべき文章で、『万葉集』を称揚し、『古今集』以後をくだらないと子規が切り捨てたことについて論じている。たまたま子規という人物をもって二つの本が関連しているのである。私は和歌や俳句には疎いが、わからないなりに子規が古今集以後の技巧的な和歌を嫌悪したことには疑念を感じている。それはさまざまな本を読んで影響を受けているからかもしれないし、百人一首の歌に素直に好いなあと感じるところがあるのに、否定されたことに対する反発かもしれない。わからないなりに、和歌についての初歩的な勉強をしてみたい気持ちがしている。他にも読み散らしている本から、時代と人物について書きたいことがあるが、回を改めることにする。
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