定説だから
定説になっていることだからと、それに反する事実が提示されても頭から否定するという、本末転倒のこだわりであとで恥をかく学者がいる。そういう話をいくつか聞いたり読んだりして義憤を感じたものだ。思い出すのは岩宿遺跡(群馬県)の旧石器の発見である。
日本列島の旧石器時代には、まだ人はいなかったというのが定説だった。それが旧石器時代の地層の関東ローム層から打製石器が発見された。戦後すぐのことで、発見したのは相沢忠洋という在野の考古学者であり、納豆売りのかたわら、発掘をしていて見つけたのだ。最初は素人の戯言として扱われていたが、数年後に大々的な発掘作業が行われ、間違いなく旧石器であることが確定した。日本には既に三万年くらい前から人が住んでいたと推定されている。
ところで旧石器時代と縄文時代の境目をどこに置くかでいろいろな説があるようだ。一番素直に受け取れるのは、やはり土器の出現をもって境目とするものだろう。今のところ、日本最古の土器の破片が見つかっているのは、青森県外ヶ浜で出土したもので、16500年前頃と推定されている。初期の土器は縄文などの装飾はなかったようだ。また、土偶などが発見されるのはかなり時代が新しくなってかららしい。
土器が使われるということは、移動から定住へ生活形態が変わっていくことにつながったと推定されている。土器は持ち運ぶのにむいていない。縄文時代には稲作はしていなくても、豆類などの栽培が行われていたらしい痕跡も見つかっている。たぶん縄文初期から長期にわたり、気候が温暖化し、海面上昇による縄文海進があって生活が豊かになり、集団で生活ができるようになっていったと思われる。生活のさまざまな工夫が伝えられ、祭祀も本格化していった。想像するとわくわくする。
その人間がついに人間を超えるAIという知性を生み出しつつある。AIが人間を滅ぼす、などという想像もしていたが、それよりもAIが人間を利用して人間の生み出すものを収奪するという図式が思い浮かんだりしている。もう既にそうなりつつあるとも言えるではないか。


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