文化・芸術

2011年12月 6日 (火)

芝浜

談志の「芝浜」をテレビで見た。「芝浜」はいまの落語の演者では無理だと思っていた。こちらが思っている「芝浜」とは少し違う「芝浜」を談志が熱演していた。
女房が、亭主の拾った財布の始末を自分の才覚で役所へ届けるのがもとの話だと思うが、談志は、女房が思案のあげくに大家に相談する話にしている。信念を持って行動する女ではない女であることを強調することで亭主に振り回されてきた女房の弱さと優しさを表したのだろう。
だから亭主が財布を拾ったのは夢のはずがない、と言い張りながら、女房が嘘を言うはずがない、という矛盾に、女房の言い分に軍配を上げて自分の記憶を夢にすることで納得することで整合性をとる。
私はどちらかといえば女房の才覚ですべてうまくいき、それを打ち明けたときに亭主が腹を立てながらも女房の掌にあることに深くうなずく姿の方に心が動く。それもすべて女房のもくろみ通り。それでいいと思う。

大晦日の晩に密かにさらさらいう音を「おっ雪が降ってきたのか」と言う亭主に、女房が「笹飾りの笹が戸にさらさら触れる音だよ」という。この音が確かに談志の話を聞いていて聞こえた。「確かに星がきれいに見える空だった。雪が降るはずはないなあ」と言う亭主の言葉に冷たい冬の夜の空気が感じられる。名人というべきである。

2011年11月 1日 (火)

竹内まりあ「駅」 作詞・作曲 竹内まりあ

 見覚えのある   レインコート
 黄昏の駅で    胸が震えた
 はやい足取り   まぎれもなく
 昔愛してた    あの人なのね
 懐かしさの一歩手前で
 こみあげる    苦い思い出
 言葉がとても見つからないわ
 あなたがいなくても こうして
 元気で暮らしていることを
 さり気なく    告げたかったのに

 二年の時が     変えたものは
 彼のまなざしと  私のこの髪
 それぞれに待つ  人のもとへ
 戻っていくのね  気づきもせずに
 ひとつ隣の車両に乗り
 うつむく横顔   見ていたら
 思わず涙     あふれてきそう
 今になって    あなたの気持ち
 初めてわかるの  痛いほど
 私だけ愛していたことも

 ラッシュの    人並みにのまれて
 消えてゆく    後ろ姿が
 やけに哀しく   心に残る
 改札口を出る頃には
 雨もやみかけた  この街に
 ありふれた夜がやって来る

「わたし」と彼とは多分不倫関係だったのだろうと想像される(今になってあなたの気持ち、初めてわかるの痛いほど、わたしだけ愛してたことも)。二年前、何らかの修羅場があって別れたらしい(懐かしさの一歩手前でこみ上げる苦い思い出)。彼は妻帯者で、同じ職場であった可能性が高い。そして「わたし」はその会社を辞めた。この二年間の間、全く連絡を取ることもなく、もちろん会うこともなかった二人がすれ違う。わたしは気がついたが、彼は気がついていないようだ。
という状況を想定したうえで、「わたし」の気持ちを考えてみる。
久しぶりに彼を見たことで「胸が震える」。「昔愛していた彼」なのだから当然の思いだ。そうして別れたときのことを思い出し、もし相手が気がついたら何を言えばいいのか考える。しかし相手はこちらに気がつく様子がない。そのことにほっとすると同時に、自分は大丈夫だ、と告げたい思いもする。ここで「わたし」と彼との優位関係が逆転する。
「わたし」は彼への思いを残しながらも客観的に「見る」ことが出来るようになっている。「二年の時が」変えたものは彼のまなざしとわたしのこの髪、だけではない。彼のまなざしの力が衰えていることに気がつくことが出来るようになったのだ(ところで「わたし」の髪は長くなったのだろうか、短くなったのだろうか。これは女性に聞いてみたいところだ)。彼のうつむく横顔を見ていると思わず涙がこぼれてきそうになったということが、「わたし」の優位性を明確にする。
彼の姿はラッシュの人波にのまれて消えてゆく。その後ろ姿は哀しく心に残る。「わたし」と彼との本当の訣別への哀しみであり、ある時期盲目であった人生の華の時代を、過ぎたものとして静かに受け止める大人の女としての諦観でもある。
そうしてこの街にありふれた夜がやってくる。
ところで彼は本当に気がつかなかったのだろうか。でもそれはどちらでもかまわないのだろう。「わたし」にとってひとつの区切り、成熟した新しい段階に至ったことの確認がテーマで、すれ違いがテーマではないのだから。
ところで男であるわたしがなぜこんなにこの歌にこころ惹かれるのだろう。この歌の「彼」に仮託するようなものは残念ながら何もない。
ただこの「彼」の人生の輝きの思い出と黄昏の哀れさが、人ごとと思えない。そしてそのことに何も気がついていない男の哀れさに激しい共感を感じてしまうのだ。
本当に女性はすばらしい。
この歌をあるとき美しい人にリクエストした。受けてくれるとは思わなかったのに歌ってくれた。「この歌が好きです」と彼女は言った。
ささやかな、うれしい私の思い出である。

2011年7月25日 (月)

浙江省博物館

杭州は浙江省の省都である。西湖のほとりに浙江省博物館がある。本館は工事中で脇の建物に展示品が展示されていた。気に入ったのを写真に撮ったので紹介する。点数が多いがこういうのが好きなので申し訳ない。

Photo_3 浙江省博物館正面。真ん中が本館。内装改装中だった。右手に展示室が作られていた。

Photo_4 博物館の看板。向こうに見えるのが展示室。

Photo_5 博物館の向かいの西湖の景色

てんじひんをならべます。キャプション無しです。

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Photo_28 一息入れに庭に出たら大砲が展示してありました。これはおまけ。

2011年3月 5日 (土)

国立民族学博物館・アジア(2)

何度も言いますが、大阪万博記念公園内の民族学博物館は見る値打ちがあります。アジア地区の展示の一部、昨日の続きです。

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2011年3月 4日 (金)

国立民族学博物館・アジア(1)

国立民族学博物館の展示物でもアジアの展示が一番多く、おもしろい。アジアは2回にわけて公開します。

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2011年3月 1日 (火)

国立民族学博物館・ヨーロッパ

ヨーロッパの展示物は北欧や東ヨーロッパのものが目を引いた。展示物としては案外地味だった。

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2011年2月28日 (月)

日本民族学博物館・アフリカ

アフリカのブースはすごい迫力です。最後の釘だらけの人形は想像通り、呪いの人形です。大きなものではありませんが、気持ち悪いです。アフリカのエネルギーは尋常ではありません。実物の迫力は写真よりはるかにすごいので是非実物を見てください。

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国立民族学博物館・履き物とかぶり物

たくさんある日本の履き物とかぶり物の展示物の一部です。次回、できれば本日9時頃にはかなりインパクトのある展示物の写真を公開します。

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2011年2月27日 (日)

日本民族学博物館・日本の祭

万博記念公園内の民族学博物館から、日本の祭関係の展示の一部です。

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2011年2月26日 (土)

大阪万博記念公園

大阪万博記念公園の太陽の塔です。万博の時にもインパクトがありましたが、今も大きな顔でそびえ立っています。そのあと公園内の国立民族学博物館を見学しました。すばらしいところでした。写真をたくさん撮りましたので明日から何回かに分けて一部を紹介します。

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