日記・コラム・つぶやき

2019年1月15日 (火)

眼鏡なし

 本日予定通りに熱田神宮に参拝し、息子と娘のどん姫とわたしの分の厄除けのお守りを戴き、その足で名古屋駅ビル(ツインタワー)の旅券センターで更新されたパスポートを受け取った。ついでに電機量販店で小物を二三買い物したが、その階の下が三省堂である。ふらふらと無意識のうちに立ち寄り、気がついたら10冊あまり本を買い込んでしまった。まだ読んでいない本がたくさんあるのに病気である。ただ、今回は小説の文庫本や単行本はなくて、ほとんど新書と養老孟司と池内紀氏のエッセー本なので今月中には読み切れるだろう。

 パスポートの写真のために床屋に行き、眼鏡も新調したのであるが、受け取った新しいパスポートのわたしは眼鏡をかけていない。顔認証には眼鏡なしの方がよいといわれて眼鏡を外して写真を撮ったのである。ふだんかけていた眼鏡の度はやや合わなくなっていたし、レンズがガラスだから重いしバランスも悪かった。新しいのはプラスチックだからとても軽い。かけやすいから良いのだけれど、無理に新調する必要がなかったことになる。まあ人生はこんなもの、といえば大げさか。ちょっとダンディになったと自負しているが、誰も気がつかない。

2019年1月14日 (月)

訃報

 市川悦子さんが亡くなった。彼女はたしか高校の先輩である。先輩といっても面識があるわけではない。高校在学中に、宇津井健と市原悦子は先輩だ、と教えられたから覚えているだけで、ほかにもたくさんいるに違いない。

 それより梅原猛師の訃報である。母と同年生まれ(1925年)と高齢であるからいつかこの報に接するだろうと思っていたけれど、ついに来たかとも思う。この人の本を20代後半から30代にかけてずいぶん読んだ。大の苦手の古典に目を開かせてくれたのは師である。

 古典が苦手だったのは自分の勉強不足のせいであるけれど、高校のときの古典の教師の、文法ばかりにこだわるやる気の無い小声の授業を聞かされて、教師ごときらいになった面が大きい。古典の面白さをかけらほども教わることがなかった。

 大学の教養課程で、『風姿花伝』をとことん読まされたとき、初めて古典もおもしろいかもしれないと気付かされた。なにしろ好きな歴史を知るためには古典の知識は必須なのに、それが欠けていては日本の歴史を興味深く知ることが出来るはずがない。中国に興味が移り、中国の古典を乱読するうちに、中国の知識を手がかりに日本の古典の面白さも少しだけ解るようになったのはさいわいであった。

 そこで出会ったのが梅原猛師だった。先般読み直した『隠された十字架』、そしていま読んでいる、というより格闘している『水底の歌(上・下)』を読むことで古代ロマンの面白さを教えられたのだ。そもそもは哲学者としての梅原猛の書いた本『笑いの構造』からかれの著作に触れるようになったのだけれど、わたしが読み始めた頃、師は丁度日本の古代史について研究しているところだった。

 今世紀に入ってから法隆寺の金堂の修復が行われ、それを機会につくられた、法隆寺についてのNHKドキュメントが先日再放送された。前後編各120分という長尺の番組だが、まさに昨日録画していたその前篇を観たところである。梅原猛師の法隆寺論、聖徳太子論とはまるで違う説明が得々と語られていた。

 仏教を日本に採り入れることに大きな貢献をした蘇我氏がなぜ滅ぼされたのか、この番組ではさっぱりわからない。聖徳太子の死後、一族がすべて殺された理由も説明されない。そして法隆寺が再建された理由も納得できるものではない。もちろんそれはわたしが梅原マジックに洗脳されているからであろう。しかし梅原論の方が説得力があり、さまざまな謎の説明がつくと思うのである。

 そんな矢先での師の訃報だった。

もう一度人生がやり直せるなら

 自分の人生に悔いはないと言い切れる人はずいぶん強がりだと思う。どうせやり直しはきかないのだから、悔いたりしないほうが幸せだ、という考え方もあり、わたしもそう思っている。

 ほかのひとはどうか知らないが、わたしは自分の人生をもういちど一からやり直したいとは決して思わない。いい加減に生きてきたので、さまざまに危ないことに直面したが、運良く切り抜けることができた。信じられないほどである。それを思い出すだけで冷や汗が出ることばかりである。といって、もう一度生きたとしてもいい加減に生きるのは多分変わらないと自分でわかっている。だから同じことを繰り返すなど、願い下げである。もっと悪い結果になること必定である。

 そう思いながら、それでもやり直せるならと思うのは、いまの自分の認識の状態で、若いときのエネルギーのままにちゃんとした本を読み直してみたいということである。古典や明治大正昭和の文豪の小説や随筆、評論をきちんと読んでみたい。それならいまからでもできるし、寿命が延びれば良いだけのことではないか、といわれるかもしれない。

 違うのである。そのような本を読み取るエネルギーは若いときにしかないことを誰よりも自分が承知している。エネルギーが豊富なときにどれほど時間を浪費したのか、それが唯一の後悔である。それが出来ていたら、多少は自分がましな自分だったような気がしている。豊かさということはそういうことかと思うからである。

2019年1月13日 (日)

心身の調子のバロメーター

 心身の不調は、こころが理由か身体が理由かということよりも互いが関係しあって起こるものだ。その兆候を見るとき、身の廻りの乱雑さ、片付いていない様子からわたしは自分の不調を知る。

 当たり前に、習慣化して片付けていたことがおろそかになっていることが顕在化したら自分を見直す。そしてそれを是正する気力が足りないときにはかなり危ないと思う。

 ちょっといまその危ない境目にいる。

2019年1月12日 (土)

散歩する

寒いので散歩をしていなかったけれど、久しぶりに散歩コースに決めている一つ、木津用水を回る5キロほどのコースを歩いた。


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木津用水の水位は低い。木津用水は入鹿池と木曽川から水が引かれているはずだが、農業用水の必要の無いいまは取水口が閉じられているのかもしれない。鷺が寒風の中で寒そうにしていた。

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途中の神社の中にある忠魂碑。むかし書道の先生から出された宿題に自分の家のそばの忠魂碑の乾拓をとったことを思いだした。干拓というのは湿拓のように墨を使う(石碑が汚れる。もちろんあとで水で洗う)のではなく、乾いた紙の上から乾拓用の炭で擦って碑面を写す方法である。紙の上から鉛筆でなぞるとコインが写せるようなものだと思えばわかりやすい。

日本中にこの忠魂碑がある。それだけたくさんの人が戦争に従軍し、命を落としたのだ。ただし、太平洋戦争のものより日清日露の戦役のものが多い。太平洋戦争ではあまりに多くの人が亡くなったし、日本の国そのものが碑を建てるどころではないことが多かったからだろう。

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神社の境内の樹が切りたおされて切り株になっていた。切り口を見るとまだ新しい。樹の寿命によるものとも思えない。どんな理由で切ったのだろうか。

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吊籠にお飾りなどが詰め込まれている。ちょうど賽銭の回収に来ていた人がいた。この地区の役をしている人だそうだ。「賽銭泥棒と間違われないように」とイエローグリーンのベストを着けていた。「14日の朝に正月飾りを燃やすので、お持ちください」と声をかけられた。

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鳥居から拝殿そして本殿への視線を遮るように屋根付きの格子がたっている。これは一般的なものなのだろうか。あまり意識して見たことがなかった。

そういえば中国では大きなお寺には同じように視線を遮る壁がしつらえられていることが多い。同じ理由からだろうか。

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別の神社でも同様のものが立っていた。これから意識して見ることにしよう。

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そこにもお飾りが積まれていた。14日かどうか知らないが燃やされるのであろう。

こうして今年の正月が終わるのか。

休眼日

 両親とも近視だったので眼鏡をかけていた。父はあまりこだわりのない性格だったが、目についてだけは神経質だった。自分で洗眼用のホウ酸水を作って眼を洗っていた。だからテレビを観てばかりいると眼によくないという理由で怒られたりした。いまだったらこどもたちがスマホばかり見ていたらうるさく注意したことだろう。

 わたしは小学校五年生くらいまでは両眼とも視力が1.5あった。いつか両親のように眼が悪くなって眼鏡をかけなければならないことがいやで、極力目を使わないように勉強を控えていた。しかし本好きが歳とともに嵩じてきて読書に夢中になっているうちに一気に視力が落ちた。

 ある日遠くの樹を見たら葉っぱがぼやけて見えることに気がついた。ピントを合わせようとしたが合わないことに愕然とした。視力を回復させる方法、などというのを調べて、星をじっと見たあとに掌を見ることを繰り返したりもしてみた。しかし生来の怠け者、三日坊主に終わり、効果を確認する前にあきらめていた。

 中学校に入って眼鏡を作ってもらい、高校の途中までは黒板の字を見るときだけかけていた。眼鏡は常時かけている方が度が進まないということもいわれたが、同じ人が同時に試した結果などあるわけがない(どちらかをとればもう片方は試せない)ので、自分の好きにした。

 読書も勉強もほどほどにしておいたお蔭で両親ほど視力は悪くならずに済んだものの、高校生になった頃から眼鏡をかけるのが日常になってしまった。近視の良いところは老眼になるのが遅いことである。わたしはいまでも裸眼でふつうに本が読める。ただし以前と違ってすぐ眼がくたびれる。テレビを観ていてもパソコンを眺めていてもすぐ眼がくたびれる。そのたびに眼精疲労用の目薬をさす。

 気がついたら父親のようにいつも眼を気にするようになっていた。些細な違和感がとても気になり不安である。糖尿病なので、二年に一度くらい簡単に眼のチェックはしてもらっているが、不思議なことにその前後は特に異常がなくて、検査が済んだ後になって間もなく、違和感があったりする。

 使えばガタが来るのが機械であり、肉体であるから、酷使すれば異常が生ずるのは自然のことである。だからときどき休めるに如くはない。「きゅうかんび」に「きゅうがんび」と忙しいのである。本日休眼日。

2019年1月11日 (金)

衣の下に

 韓国の文在寅大統領の新年の会見で、NHKの記者の質問に対する答えにあきれ果て、不快になり、怒りを感じたのはわたしだけではないだろう。だからこそ、わたしも韓国の大統領や首相のアドバイスにしたがって、冷静にならなければならないと深呼吸をしているところである。

 個別の理非曲直はさまざまに論じられているから、それは置いておいて、わたしが気になったのは、韓国のマスコミが長時間の会見中に全く日韓関係についての質問をしなかったことについての疑問である。あるコメンテーター(某奥薗という、もと朝日新聞記者の大学教授)によれば、日本が韓国内でそれだけ軽く扱われる存在になったからだということである。このコメンテーターはさまざまに韓国について論評していたが、全く韓国側に立っての発言であって日本人の感覚とはかけ離れていた。徴用工問題は日本は政府が引いて、企業どうしが話し合いで解決するのが良いとまで言い出したからあきれ果てた。これこそが朝日新聞的な反応なのか。

 韓国が日韓関係を軽く見ているというのは本当だろうか。多分マスコミでさまざまな日韓の問題が以前よりも大々的に扱われなくなっているのは事実なのであろう。それはそれぞれの問題について詳しく追求すると、韓国の非が明らかになることばかりで取りあげにくいのかもしれない。マスコミは国民以上に事実を知るからである。とはいえ、そうだからといって大事なことを取りあげなければマスコミの役割を果たせない。しかし取りあげないのは取りあげられないからではないか。

 今回の会見でもそのことは取りあげないように何らかの事前の申し入れが大統領府から行われたのではないか、とわたしは推察している。いま文在寅政権はさまざまな形で独裁政権的な強権をひそかに行使している。なにしろ朴槿恵政権時代の最高裁の判事まで取り調べを受けるのである。それなのに三権分立だと言い張るのも厚顔なことである。自分に不都合ならつぎつぎに捜査され、ときに理不尽な制裁を受ける。そしてそれに対して何も抵抗できないのが現在の韓国の状況に見えるのである。マスコミも保身に走っているのであろう。

 今回の文在寅の小馬鹿にしたような冷笑の陰に、かれの独裁主義志向がほの見えたというのがわたしの見立てである。それは多分今年中により一層明確化するに違いないと確信する。文在寅は何も困ってもいないし、手をこまねいているわけでもなく、計算づくであろう。

 日本が韓国に対してできることは限られているし、最後は韓国の経済に、そして日本の経済に悪影響を及ぼすものにエスカレートせざるを得ないだろう。何より可哀想なのは韓国国民だが、このような人物を大統領に選んだのはその韓国国民なのである。下がり続けていた文在寅の支持率は、反日的態度を明らかにしたとたん回復しつつあるという。 

 最後に、もし韓国がこのまま突き進めば、北朝鮮主導、または中国主導で取り込まれて行くであろう。そしてそのとき真っ先に粛清されるのは、文在寅であることは歴史の教えるところである。

謝って終わりか

 厚生労働省の不正調査問題について、大臣が国民に謝罪した。当然だが、この厚生労働省というのは国民の税金の多くを所管する部署であってその責任は重いはずなのにこれまでにもたびたび不手際や違法が繰り返されてきたような記憶がある。

 法律に違反すれば罰せられる。国民はみなそれに従う。しかし官庁の役人が違法行為をしてもその責任はうやむやにされて誰も罰せられないような印象が国民にあるのではないか。誰がどの時点で違法行為を始めたのか、誰がそれを知りながら継続したのか、調べれば分からないはずはない。役割分担ははっきりしているはずだからである。

 違法行為には罰金や懲役が科されるはずだが、そのような処罰を受けた役人はどれだけいるのか。いつもうやむやで、高額の退職金を平然と受け取って口を拭って知らんぷり、ということになりそうだ。責任をとらなくて済むなら違法行為をする、という人間は下劣である。官庁というところは下劣な人間の集まりか。それとも官庁に入ると下劣になるのか。

2019年1月 8日 (火)

パスポートの更新

 昨日、定期検診が終わったあとに名古屋に出掛けた。目的はパスポートの更新。手持ちのパスポートの有効期限は今年の9月まで有効なのだが、海外旅行は残りが6ヶ月以上あることが要件であるのがふつうだ。5月頃、計画があるので、それだと現有のものでは使えなくなる。

 暮れに床屋へ行ってまだ髪はサッパリしたままであるし、検診のために髭も剃ってある。検診で美人の女医さんに会うから身だしなみは整えるのである。これでもまだ女性を意識するのは男として健全なのだ。それならそのままパスポート用の写真も撮れるのである。

 正月明けで混むと覚悟の上であるが、今日申請すれば受け取りは15日となる。1月15日には必ず名古屋へ行くことに決めているのである。名古屋に移り住んで35年あまり、ほとんど毎年その日に熱田神宮へ参拝している。それなら参拝したあとにパスポートを受け取りに行けばよい。実は息子の誕生日がこの日であり、家族で熱田神宮に参拝して、ときには蓬莱軒でウナギを食うのがわが家の行事だったのだ。家族がばらばらになっても、私は独りで家族の健康で安全であることを祈願する。

 パスポートは10年用を申請した。10年くらいはまだ海外へ行けるだろうと思う。

2019年1月 7日 (月)

案ずるより・・・

 本日は定期検診日。まず体重を量り、採血、それが済んだら検尿、一息入れて血圧の測定を行い、あとは医師の診察を待つ。血液検査の結果が出るのに以前は一時間半以上かかったが、いまは少し短縮されてきた。その時間を見越して予約時間よりもだいぶ早めに行く。結果的にそれが一番早い。

 体重はいままでよりも二キロ余り重い。暮れから正月には、息子がいなかった分いつもの年よりも酒量は少なかったが、酩酊するほど飲み、かつ食べたいだけ食べていたので、検査結果はレッドゾーンをどれだけ越えているのか心配であった。

 正直に正月前後の酒量を報告すると、美人の女医さんは目を丸くする。想像以上に多かったのにちょっと驚いたようだ。血糖値は実際にレッドゾーンを越えていたが、美人の女医さんの想定内であったようで、ギリギリオーケーです、とのご託宣である。薬をちゃんと飲んでいるからこの程度でおさまっているので、自分を甘やかさないように、とのことである。おそれいりました、節制に心がけます。

 支払いはいつもほど待たずにスムーズだった。それなのに薬局で待たされた。いつもの倍くらいの人がひしめいていて、座る席がないほどだ。約一時間待たされた。結局自宅に着いたのは昼過ぎ、昨夕軽い食事をしたあと何も食べていないから腹ぺこである。あり合わせで食事して一息つく。

 さあ、今晩は何かうまいものを作って飲むぞ。

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