寒いので散歩をしていなかったけれど、久しぶりに散歩コースに決めている一つ、木津用水を回る5キロほどのコースを歩いた。
木津用水の水位は低い。木津用水は入鹿池と木曽川から水が引かれているはずだが、農業用水の必要の無いいまは取水口が閉じられているのかもしれない。鷺が寒風の中で寒そうにしていた。
途中の神社の中にある忠魂碑。むかし書道の先生から出された宿題に自分の家のそばの忠魂碑の乾拓をとったことを思いだした。干拓というのは湿拓のように墨を使う(石碑が汚れる。もちろんあとで水で洗う)のではなく、乾いた紙の上から乾拓用の炭で擦って碑面を写す方法である。紙の上から鉛筆でなぞるとコインが写せるようなものだと思えばわかりやすい。
日本中にこの忠魂碑がある。それだけたくさんの人が戦争に従軍し、命を落としたのだ。ただし、太平洋戦争のものより日清日露の戦役のものが多い。太平洋戦争ではあまりに多くの人が亡くなったし、日本の国そのものが碑を建てるどころではないことが多かったからだろう。
神社の境内の樹が切りたおされて切り株になっていた。切り口を見るとまだ新しい。樹の寿命によるものとも思えない。どんな理由で切ったのだろうか。
吊籠にお飾りなどが詰め込まれている。ちょうど賽銭の回収に来ていた人がいた。この地区の役をしている人だそうだ。「賽銭泥棒と間違われないように」とイエローグリーンのベストを着けていた。「14日の朝に正月飾りを燃やすので、お持ちください」と声をかけられた。
鳥居から拝殿そして本殿への視線を遮るように屋根付きの格子がたっている。これは一般的なものなのだろうか。あまり意識して見たことがなかった。
そういえば中国では大きなお寺には同じように視線を遮る壁がしつらえられていることが多い。同じ理由からだろうか。
別の神社でも同様のものが立っていた。これから意識して見ることにしよう。
そこにもお飾りが積まれていた。14日かどうか知らないが燃やされるのであろう。
こうして今年の正月が終わるのか。