書籍・雑誌

2019年3月 3日 (日)

『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館)

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 対談集であるが、巻頭の小文だけは高校生向けに梅原猛が講演した議事録をもとにしたものである。梅原猛の生い立ちについて、そして彼がどういう志を持って成長し、なにを夢として生きているのかを語りかけている。彼は事情があって私生児ということになっていて、養父母は彼の実父の兄夫婦である。実父はのちにトヨタの技術幹部となる。

 この生い立ちが彼にはコンプレックスとなっていて、それを撥ねのけるために人一倍努力もしたし、人とも衝突してきた。自己顕示欲が強く、人に認められることをなにより強く願望する性格の背景にはこのコンプレックスがある。しばしば彼はコンプレックスのない人間は大成しないというが、そのことの意味が私には分かる気がする。

 この本が出版されたのは1994年、20世紀が終わるに当たって、それまでを総括し、来たるべき21世紀に自らがどういう哲学を呈示できるのか、それを対談のなかで模索しているようである。今年一月に死去した彼は、私の母と同じ大正14年(1925)生まれ。私の敬愛する森本哲郎と同年生まれ、この対談集のなかで触れられているが、三島由紀夫も同年の生まれである。

 宗教、歴史、科学、芸術を哲学的視点からとことん追求していく梅原猛の手法は、ときに妄想的に暴走をする。直感的な仮説をたて、それを前提に世界を構築し直す。そこに呈示された世界を了解するか否定するか、それは読者の自由である。ときに新たな仮説に展開してしまい、以前の仮説が否定されてあっけにとられこともあるが、そもそも仮説とはそういうもので、矛盾をひたすら減らすように訂正されていく過程はそのまま科学的手法といってよい。

 彼の言説を検証する知識も能力も無い当方としては、その考えを後追いして楽しむだけである。

 この本には15人ほどの各界の著名人との対談が収められている。対談相手ごとにさまざまなテーマが語られていて考えさせられた。彼は脳死臨調に加わって、最後まで脳死を人の死と認めないと孤軍奮闘しながら主張したことを思い出した。そのことも詳しく語られている。

 巻末が田中角栄の秘書だった早坂茂三と、田中角栄論、そして政治家や経営者のリーダー論が論じられていたのが異色で面白かった。編集者の註に、当初は梅原猛の田中角栄批判に早坂茂三が立腹して帰りかけたと記されている。

2019年2月17日 (日)

池内紀『ドイツ職人紀行』(東京堂出版)

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 著者は私の10歳年上。その好奇心の幅はとても広い。著者のお蔭でこのようにドイツの職人の話などを知ることになった。私がもし多少ドイツ語が話せたとして、たとえ一年ドイツに暮らしたとしても、このようなドイツの職人についての知識を知ることなどまずなかったであろう。思えば不思議なことである。

 ここで職人として取りあげられている職業はさまざまあるが、その分類はこちらの職人のイメージとかなり異なるものも含まれている。それぞれについてその歴史と現代の実際のすがたが分かりやすくまとめられている。物作りの魅力とその技術への敬意が込められているが、それは日本人に分かりやすい。

 国によっては物作りの人の地位が低く見られている国があるが、その根底にある差別意識は文化の劣等性を感じさせると思うがいいすぎか。職人がプライドを持てない国は未来を持たないように思う。

 都市によって職業の発展の違いがあるらしい。それぞれに理由があることもこの本に記されていて、それはそのままドイツやオーストリアの地誌にもつながっていて、ほとんど知識も興味もなかったドイツについて、いささかの知識をいただけた。

 知ることは好きになる一歩である。残念ながらドイツ人は日本をあまり好きではないようである。最近は嫌いな国になっているとも報じられている。日本人がドイツを知らない以上に、ドイツ人は日本のことを知らないのかもしれない。

池内紀

 池内紀の書いた本が好きで、目につくと購入してようやく十数冊になったが、著作がとても多い人なので、それでもほんの一部である。もともとドイツ文学者で、カフカやホフマンの翻訳もある。

 はじめて彼の本に出会ったのは中公文庫の『ひとり旅は楽し』(2004年出版)だと思っていたのだが、ずっと昔に彼の本を購入して大事にしていたのだ。私は高校生のときに出会った、ドイツロマン文学の作家、ホフマンが好きだ。だから大人になってからあらためて買って読んだ岩波文庫の『ホフマン短編集』(1984年出版)は大事にして繰り返し読んでいる。この翻訳者が池内紀であることに今回初めて気がついた。

 ホフマンといえば幻想小説、つまり不思議な話を書く人で、『悪魔の美酒』(『悪魔の霊液』などと訳されたものもある)や『マダム・ド・スキャデリー』(こちらは『スキュデリー嬢』などという題名がつけられることもある)を読んだときは夜眠れなくなるほど夢中になったものだ。私は倒産前の河出書房のグリーン版の世界文学全集で読んだ。だから私の記憶の題名はその全集での題名である。これは図書館で借りた本で、その後自分で購入しようとしたけれど、すでにどこにもなかった。

 池内紀の本にはしばしばホフマンが登場する。よほど好きなのだろう。同じものが好きだとなじみになった気になるのが世の習いで、だから池内紀が好きで、ボチボチもうすこし彼の本を集めようかなあ、などと虫がうづきだしている。

ブルックナー

 いま池内紀の『ドイツ職人紀行』という本を読んでいるが、その本のことは読み終わったら書くとして、その中にブルックナーのことが書かれていて興味をもった。

 ブルックナーが音楽家だということくらいは知っているが、クラシックにそれほど詳しいわけではないので、なにも知らなかったに等しい。この本にはドイツの職人のことが興味深く記されているが、その中の『オルガン奏き』の項にブルックナーのことがこう記されている。

 オルガン史上で最も著名なオルガン奏(ひ)きは、アントン・ブルックナーではあるまいか。上部オーストリアの貧しい家に生まれた。音楽好きの少年だった。修道院付属の教会づきの少年合唱団より始め、声変わりしてからは助手になり、25歳のとき、聖フローリアン教会専属のオルガニストに採用された。

 10年あまりしてリンツの聖堂に転任。40をこえても、しがないオルガン奏きだった。鼻の下に小さな口があり、その口をすぼめ、ミサごとに神妙な顔つきでオルガンを奏いていた。

 ブルックナーが作曲家として認められるのは、ようやく40代半ばからである。モーツァルト型の早熟な天才が多いなかで、中年すぎてようやく本来の才能を発揮したほとんど唯一の例外だった。

 世の栄誉にはあずかったが、愛においては恵まれなかった。一つにはブルックナー自身のせいもある。27歳のとき16歳の娘に求婚して断られた。42のとき、17歳の娘に恋をした。68のときにも16歳の娘に求婚した。

 おずおずとやさしみあふれる恋をして、何十度となくためらった後に求婚し、断られ、そのたびに途方にくれた。とびきりナイーヴで、誠実で、ことのほか不器用だったこの人は、天使のような娘に恋しつづけ、さっぱり愛の返礼に恵まれなかった。いつもひとりぼっち、そしてさびしく老いていった。

 死が近づいたころ、アントン・ブルックナーは住みなれたウィーンを去って、聖フローリアン教会を訪れ、ひっそりとオルガンを奏いて過ごした。おそらくはオルガンこそ、愛に不運づくめだったこの人の、すべての憧れと、すべての苦悩を、やさしく受け入れてくれる「恋人」だったのだろう。死後、遺言により、その恋人の足元に葬られた。

 これを読めば、ブルックナーの曲をあらためて聴いてみたくなるではないか。

2019年2月15日 (金)

文藝春秋オピニオン『2019年の論点』

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 年末に、翌年の見通しを書いた本を何冊か読むことにしている。この本のような、さまざまなテーマを網羅した雑誌も購入するが、全部読もうとしてもたいてい読み切れない。

 今回はしぶとく最後まで読んだ。読んでいる最中にはそれぞれについて思ったり考えたりする。そのことを書き留めておこう、などと考えるのだが、さて読み終わってみると何も書きたいことが残っていない。もう一度読み直すのも業腹だ。それにすでに今年ももう二月で、書かれていたことは去年の秋に書かれたものだから、すでに賞味期限切れのものがほとんどだ。

 たかが数ヶ月で賞味期限切れになる言説とはなにか。やはりこういう総花的な本はそんなもので、一つのテーマについてきちんと書かれたものとはちがうのだと感じている。だからいつも読み切れなかったのだ。

2019年2月14日 (木)

本の帯

 帯の惹句に惹かれて本を買うことも多い。本は読まなければその中身が分からないのであるから、その惹句は購入判断の手がかりとなる。本の装丁、題名、作者、帯のすべてがその本がどんな本であるのかを予想させる。長年の経験から、その予想と判断はかなり確かだと自負している。

 本をただのソフトだと考える人もいるようだ。その人にとっては中身が問題なのであって、本の体裁は二の次だろう。私は中身ももちろんだが本そのものに愛着を感じるので、所有することを前提にしている。借りて読んだ本でも返したあとで同じ本を購入することもある。これはめったにないけれど、文庫で読んだのに、文庫になる前のハードカバーの本の装丁が気にいればあらためて買うこともある。

 読んだ本のことをブログにしばしば書く。そのとき、その本の写真を添えることが多い。これはスキャナーで取り込むのではなく、床などに置いてカメラで実際に表紙を撮影している。だからしばしばピンぼけだったり光線の具合でイメージが変わったりする。表紙に合わせてトリミングし、若干の補整をする。その写真を自分の雑な分類でファイル化してある。

 その写真を撮るときに迷うのが、帯を着けたままにするかはずすかである。原則的にははずすことにしている。そもそも帯のない状態がそもそもののその本の顔だと思っているからだ。新書などは、帯ごとが本の顔であるから別である。そもそも装丁がいっしょであるから違いは題名と帯だけである。

 帯をはずした本は美しいことが多い。それを見て一人でうれしがっている。カバーそのものもはずして本を眺めるのも好い。裸の本には裸の本の色気がある。しかし棚にならべるときはもう一度帯を着け直す。それが本の身だしなみだろう、などとバカなことを考えている。

2019年2月13日 (水)

葉室麟『曙光を旅する』(朝日新聞出版)

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 朝日新聞の西部本社版に連載されていた歴史紀行エッセーをまとめたもの。葉室麟が新聞記者だったことが、ものの見方の根底にあることを、この本であらためて知ることになった。旅先はほとんどが九州地区である。

 私は九州にはまだ八回しか行ったことがない。そのうちの五回は仕事である。回数がはっきりしているのは、それだけ少ないということだ。そして少ないということは、それだけ知らないということでもある。

 葉室麟が訪ねた場所は、葉室麟の筆の力によってとても魅力的で、今すぐにでも自分も行って見たい気にさせる。葉室麟に教えられた知識を元に、自分でも調べた上でその場所に立ち、なにを感じるのか。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』もおなじような気持にさせる本だったが、葉室麟も司馬遼太郎を意識している。巻末に編集者が「葉室メモ」を公開していて、さまざまな思考を取捨選択しつくした上で、葉室麟がひとつの文章にまとめていたことが分かる。書かれたものは氷山の上部で下部はずっと巨大なのだ。そして書かれなかったことの巨大さが書かれたことを支えていることが分かる。

 リタイアして最初に九州を走り回ったとき、主な目的地は国東半島と阿蘇山だった。小学校のときから国東半島に妙に強く魅力を感じていた。ようやく念願が叶い、国東半島の山中の主な寺をほとんど歩いた。もういまはあの磨崖仏に登る元気はないが、また是非訪ねたいと思っている。

 葉室麟はこの本の中で国東半島には立ち寄っていない。葉室麟の訪ねた先は、どうも車で行くのがふさわしくないような気がしている。この本でとりあげられた場所にゆっくりと滞在して、自分の足で訪ね歩き、ものを感じ考えてみたい。そうなると一度に回るのはとても無理で、数回に分けていくことになりそうだ。

 まだなにも具体的なことは考えていないけれど、わくわくする。そういう気持にさせてくれる本だった。

2019年2月11日 (月)

日中戦争前後の北京を彷徨う

 じっくりと楽しみながらページを繰っていた、奥野信太郎『藝文おりおり草』(東洋文庫)と『奥野信太郎随想全集第五巻』(福武書店)を読了した。読了してしまうのがもったいないと思う本には滅多にお目にかかれないものだが、この二冊はそういう本だった。

 この二冊に書かれているのは主に著者が昭和11年ころに北京に滞在していた時代と、そのあと北京を再訪して滞在した昭和19年から終戦後に帰国するまでに交流のあったさまざまな人たち、そして彼の特にのめり込んでいた当時の北京の演劇について、そして北京の四季の風物である。

 全集の方は多少ルビが振られているが、東洋文庫の方はルビがない。まったく読めない字もたくさんあるが、それを気にしていたら読み進めない。しかし慣れてくれば、漢字の読みなどわからなくても意味がぼんやりと分かってくるのが漢字というものだ。

 そうして著者の目を通して北京の風物が、そして彼の交流のあった人々が、その人が座る部屋の空気や調度、そして背景が浮かび上がってくる。それほど文章が映像的なのである。映像的なのは確かな目と記憶があってこそで、著者のその能力は人並み優れている。その文章に誘われ、時空を超えて私も北京を彷徨った心地がする。

 両方の本に重複する文章も二三あるが、それを飛ばさずに読んだ。

 その重複する文章の一つに『詩人黃瀛(こうえい)のこと』がある。黃瀛は著者の友人であり、母は日本人で、昭和初期に日本語で詩集も出版されており、巻頭の辞を黃瀛の尊敬する高村光太郎が寄せている。黃瀛は後に国民党軍の将校になるが、それでも著者との厚い交遊は変わらない。

 その黃瀛からの最後の手紙は昭和12年5月12日、南京からのもの。この年の7月に盧溝橋事件、ここから日中は全面戦争に突入、12月に、あの南京事件があった。

長い文章の最後の最後の部分、黃瀛からの最後の手紙と奥野信太郎先生の結びのことばを引用する。

「ご無沙汰してをります。隊本部だけ郊外へうつりました。御近況如何ですか、此頃は忙しいのでまるで閑暇がなくこの間は自動車衝突でもう少しのところ命を失ふところでした。南京は野玫瑰(はまなす)と苺の季節、一寸私も南京のよさを見返してをります。週末には南京へ出かけてゆつくりおちつきます。電影はそちらより(筆者註北平を指す・そのとき著者は北平、つまり北京にいた)早く眼にするけどこの頃電影にも興味なく周囲が水なので魚釣りに一寸腕を見せます。大きな魚が釣れましたかと問われて北叟笑む(ほくそえむ)ような魚釣りではなくほんとうの太公望ですから御安心下さい。私は此頃全然禁酒、煙草だけは一日にチェスタアフヰルド二箱、それも動いてる故かのみ切れません。洋灯(ランプ)の夜になった故か読書慾が可成です。この頃は年の功か亀の甲かとにかく活躍もしません。もしもお会ひするような場合があればそれこそ一時に爆発するでせう。そちらも大分物騒のやうですがエライ人にまちがはれないやうに御注意下さい。世の中が激しいどんでん返しをして私なんか呆然としてをります。私は近いうちに五十日ほど方々をぶらぶらします。お手紙は隊宛に下さるように。」

 この手紙にもある通り、彼が、多分公用と察せられる五十日ほどの旅行に出たとすると、おそらく中日事変は彼の南京帰来を待つか待たずに勃発した日数の勘定になる。あれほど筆まめに書信を認(したた)めた彼から、ふっつり何の音沙汰も無くなってしまうと、私は実に不思議な気がする。しかしその後はっきりと敵人となった以上、そのことは少しも不思議はないはずであった。


 繰り返すが奥野信太郎先生は終戦のとき北京にいた。帰国したのは確か昭和21年になってからである。そのあとたびたび中国にも行き、中国の文人たちとの交流も続いたが、ついに黃瀛の消息を知ることができなかった。さらりとした結びのことばのなかに、彼の友に対する切々とした思いが伝わってくる気がする。もちろん戦争に対する思いは言わずもがなである。

 これらの本の中に魯迅についても書かれていて、触発されてちくま文庫の魯迅文集を揃えた。欠巻だった第二集は当初の筑摩書房の単行本を入手、先生のお薦めであり、特に読みたかった『朝花夕拾』はこの巻に収められている。

2019年2月 9日 (土)

宮崎正弘『AI監視社会・中国の恐怖』(PHP新書)

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 著者の本はふつうに読むと嫌中本にみえるし、そう受け取る人、ときにはそう決めつける人もいるだろう。中国の、問題ばかりを取りあげて悲観的な将来を語っているからである。

 しかし感情的に、根拠もなく、中国の将来が悲観的であってほしいから悲観的に書いている類書とはまったく違い、著者の本にはそのような予測を語るための中国の歴史に対しての深い知識、現状についての豊富な情報網、さらに中国だけではなく世界全般にわたってのバランスの取れた目配りが伴っていると私は思っている。

 著者が現在の中国の情報についてこれだけ詳しいのは、彼自身も中国に何度も足を運び、人的ネットワークをたくさん維持しているからなのである。中国政府の流す情報を垂れ流しているだけの日本のマスコミよりは、はるかに参考になる。

 私も中国が好きだから何度か足を運び、彼の見方の真似らしき視点で中国を見、中国のニュースを読んできたので、日本のマスコミよりは著者の意見に与したくなるのである。

 特に表題に挙げられているAI監視社会については、昨年の春、江南地方を駆け足で回ったときに自分の目で確かめ、強く実感したことでもあるからこの本に書いてあることの怖さはよく分かるのである。

 この本には監視社会のことだけが書かれているわけではなく、中国の現状についての情報と、それから見える中国のこれからが分かりやすく説明されているので、中国がこれからどうなるのか参考になると思う。この本に書かれていることをベースに中国ニュースを見れば、その意味も多少は分かることもあるだろう。

 監視社会をジョージ・オーウェルの『1984年』の描いた世界(いわゆるビッグ・ブラザーに支配される社会)になぞらえることが多い。若いときに読んで戦慄した記憶があり、久しぶりに蔵書のハヤカワ版のSF全集からその巻を引っ張り出して枕元に置いているのだが、ほかに読みかけの本が多すぎていつ読めるか分からない。

2019年2月 6日 (水)

佐伯泰英『異郷のぞみし』(双葉文庫)

 佐伯泰英はたくさんの時代劇のシリーズを書いていて、そのうちの三つほどを追いかけて読んでいたが追い切れず、居眠り磐音シリーズのみに絞っていたが、そのシリーズも終わり、一息ついていたらその息子の坂崎空也のシリーズが始まってしまった。十番勝負のこれが第四番である。この巻はとっくに出ていたらしいのに見逃していた。

 親元を離れ、九州で武者修行を続けていた空也は、五島列島からついに対馬まで至る。この巻では対馬と平戸が舞台となる。今回は朝鮮の剣士との戦いが中心で展開する。対馬という島の当時の位置づけ、朝鮮との関係、そして九州諸藩や幕府との関係が書かれていて興味深い。

 興味深いのは、いま対馬が懸念される状態であるからだ。観光客の多くが韓国からであることは位置的に理解できるないことはないが、島の土地がつぎつぎに外国人、主に韓国人と中国人に売られていることで、一説には韓国人の名義で裏で中国人が買っているケースも多いという。島の土地の主な所有者が外国人になり、看板の多くがハングルで書かれているという状態は、異常である。その先になにがありうるか、誰にでも想像できるだろう。

 対馬には一度行きたいと思いながら行く機会がなかった。いま対馬に行ったら楽しめるかどうかちょっと心配(不愉快な思いをしそう)なので行きそびれたままだ。そういう人も多いのではないか。ついに行くことはないかもしれない。ほんとうは日本人みんなが大挙して出掛けて行くことが必要なはずなのだが・・・。

閑話休題。

 今回も新たな成長を遂げた空也だが、若くしてあまりに強くなりすぎてしまって、これでは相手がいなくなりそうである。次巻(すでに入手済み)、第五番勝負の場所は長崎。十番勝負と銘打っているが、著者はここで青春篇は打ち止めとしてしばらく筆を置くことにするという。自分の衰えを感じているからというが、さすがに息切れしたのだろう。

 確かにこの『異郷のぞみし』も、わずかながらマンネリの気配がある。坂崎磐音が中心の磐音ワールドがひろがりすぎて、その消息を網羅しているだけで手一杯になってしまうところがある。ファンとってはそれが楽しみでもあるけれど、物語がうすくなってしまう恨みもあるのだ。

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